志歩の抱える問題は原作のストーリーより早い段階で発覚したことになっています。
今回は独自設定を多分に含みます。
少し前に小説家としての僕へある珍しい仕事の打診があった。内容は楽曲の共同制作。より正確に言えば作詞の依頼だ。なんでも先方が僕の小説のファンなのだという。手塚さんを通して話が来たのは僕への直接連絡手段が見つからなかったからだろう。
当然ながら相手は僕が趣味で作曲をしていることなど知っているわけがないからまったくの偶然だ。ただ嬉しい反面作詞のみとはいえ執筆と違って苦手な音楽関係の依頼を仕事として受けることに少し不安はあった。誰かが歌うものなのだから趣味に走りすぎるわけにもいかないし。
そういうわけで保留させてもらっていたこの案件を受けることに決めたのは数日前のこと。今日は依頼主であるシンガーソングライターの方との顔合わせのため、出版社にお邪魔している。流石に休日に、というわけにはいかないので放課後の訪問だ。
「なんでまた急にやる気になったのかな?」
用立ててもらった会議室に向かっている間、ありがたいことに僕の窓口として先方との仲介をしてくれていた手塚さんが声をかけてきた。職場だからか話の内容も割と真面目なものだ。
「面白そうだから、じゃダメですか」
「今まで保留してた理由にはなってないんですけど」
そんなことを言いながらもこちらに細かく説明する気がないのはわかってもらえたらしい。長々と話すのも面倒だし他人に教えるようなことでもないというだけで特に深い理由はないけれど。
「昔から音楽の授業苦手なので、ちょっと尻込みしてたんです。……ところでちょっと頼みたいことが」
こちらの要望を伝えると心外なことに呆れ顔を向けられた。
「いやまあ……それくらいは私が教えてもいいけどさ」
「多芸ですね」
「こっちのセリフっていうか、多才な君にそれを言われてもねぇ……」
珍しく少し疲れた様子で手塚さんはため息をついた。普段はこちらの都合に合わせて休日に仕事をしてもらっているのだからそれも当たり前か。そろそろ一度労うべきかもしれない。
「にしても君がそういうことするのは結構意外。らしくないんじゃない?」
「いろいろ事情がありまして」
そう答えたのと手塚さんの足が止まるのが同時だった。扉をノックする硬質な音が響いたのち、「どうぞー!」と若干間延びした声が返ってくる。それを確認してから中へと踏み込む手塚さんの後に続いた。
白で統一されたシンプルな会議室。余分な机などが左右に除けられた部屋の中央には向かい合うように長机と椅子がある。そこにただ一人腰かけている様は広くはないスペースをかなり持て余しているように見える。こちらを視界に収めると空気で膨らんだように立ち上がった。
「はじめまして、シンガーソングライターをしているA-GURIといいます」
「どうも、十六夜奏多です。よろしくお願いします」
近頃動画サイトで少しずつ注目を集めている人物だから容姿は事前に把握していた。見たところ二十代前半──ともすれば大学生かもしれない。僕の言えたことではないが相当に若い。
「……本当に高校生なんですね」
「その辺はお互い様では?」
どうも相手方も似たようなことを考えていたらしい。
「まずは返答を待っていただいてありがとうございます」
「いえ、十六夜さんもお忙しいでしょうし」
実際は個人的な理由なのだがそれを気にしている余裕はなかった。
「で、勝手ながら歌詞の案は一通り考えました。メロディがなくてほぼ
手塚さんの「流れ変わったな」という呟きが聞こえてきたが無視した。
伝えたい想いをまずは歌詞に籠める。それが自分のやり方で他の方法は知らない。もちろん最終的には曲の方に合わせて調整が必要だが、僕にとっては歌詞こそが曲の設計図になる。共同制作とはいえ僕には僕の作りたいものがあるからそこは譲れない。
だから文句のつけようがない作品を披露して、相手に納得させる。こちらのアイデアを認めさせた上でよりよいものを作るために力を貸してもらう。
「とりあえずそれを確認してもらって──」
「私もです」
熱をはらんで弾む声。
先程までの落ち着きのある表情はどこにもない。上気した頬とは対照的な目元の色濃いクマ。それでもなお翳りを知らない眼差しに言葉の続きが溶け落ちる。
「実は初めて十六夜さんの作品を読んだ時からイメージはあって。だからメロディはもうほとんど完成してるんです」
本性を覆う薄皮一枚が音をたてて剥げてゆく。礼節も謙遜もかなぐり捨てて唇が吊り上がる。の行動は言葉よりも雄弁に、互いの目が語っていた。
立ち上げたパソコンを交換して相手の成果を確認する。歌詞のない歌を聴きながら真っ先に浮かんだのは「毒」だ。見えない部分を侵されているような。決定的に自分が歪められていく感覚。言い尽くせない埒外の恐怖。
「気持ち悪」
「十六夜さんの小説も大概ですよ──と言うつもりだったんですが」
文字列を追って画面の上で細かく視線を上下させながらA-GURIさんが言った。
「後味の悪くない文章も書くんですね」
あんまりな物言いに思わず苦笑する。勢いで書いた結果そうなってしまうだけで意図してそういう話を作っているわけではない。
主人公は空を見ることなく空を描く画家だ。真昼間に夜空の絵を、大雨の日に青空の絵を。空想のなかの空模様を描き上げた写実性を欠く作品の数々とそれに触れる人の話。もっとも時間はなかったので執筆には手をつけられていない。
「嫌いですか?」
「大好物です」
瞳にたたえた熱量は微塵も衰えていなかった。
「ただ……」
「ええ、この曲とは合わないでしょうね」
曲と歌詞の雰囲気が違いすぎる。どちらかを他方に合わせて新しく作る必要があるだろう。片方に絞るなら、の話だが。
「二曲作りますか」
「そうしましょう」
そういうことになった。
「二曲ねぇ。まあ作詞だけならキミでも大丈夫か」
作業の方針を共有するとミクは頷いた。これまでと違い曲を作るのは僕ではないわけだが、バーチャルシンガーとしてはそのあたりにこだわりはないらしい。リンとレンもソロの持ち歌が手に入ることを純粋に喜んでいた。
「結構なことね」
吐息混じりの囁きと甘い香り。撫であげられた神経が背後に殺到する。
「ところで、奏多? 気が多い分には寛容でいるつもりだけれど、だからこそアナタ自身が誠実でいるべきじゃなくて?」
このセカイは疑似的な無重力状態のはずなのに、寄りかかられた背中にプレッシャーを感じる。肩越しに伸ばされた腕が首に触れていた。
「ルカってばずいぶん必死だね」
「持ち歌が完成してないから先を越されると思ってるんでしょ。行き遅れだー」
余計な一言で重圧が大きくなった。ふと目が合ったミクも無言の笑顔で何かを訴えている。
「言われなくてもわかってる」
「ならいいわ」
「その代わり、しばらく寝かさないからな」
作詞だけだから忙しくはならない、なんてことはない。むしろやらなければいけないことはこれまでで一番多い。
「ふふ……いいのかしら。そんなことを言って」
ころころと楽しげな声が絡みつく。その表情は振り返らずとも手に取るように理解できた。なにせ同じ顔が三つも目の前に並んでいるのだから。
夜を裂いて、宙を翔けて。彼方の星に届けるために。
僕も笑った。それが答えだった。
ふと空を見上げると夜に溺れそうになる。光を呑み込む暗幕が星明かりを遮っていた。少し前まで見慣れていたはずのそれが、今はなにより恐ろしい。街灯に照らされた夜道、耳になじんだメロディが虚空に溶けていく。一番星はまだ見つからない。
スマホに指を滑らせる。
なんでもいい。誰でもいい。私は、どうすれば。
「……え」
何度目かのスクロールが止まる。
それは針を通したように闇夜の帳に小さく穴を穿って。
光の糸が一条、まっすぐに降り注いだ。
志歩が葛藤を打ち明けてからの関係は、奏多が私たちを突き放した時と似ていた。練習こそ続けているけれど、志歩の指導には覇気がないし、みんなの口数も減っていた。
「ねえ、ミクちゃん」
「なに?」
セカイの教室。
プロになる覚悟とはなんなのか。答えのない問題を私たちは考え続けていた。
「本気でプロを目指すとして、なーくんも一緒にプロになれると思う?」
「それは……」
五人でひとつの私たち。けれど何をするにも一緒に居られたわけじゃない。
小学校の頃、奏多は歌おうとすることをやめた。それは同級生からのけ者にされたからかもしれないし、音楽の先生に「歌わなくていい」とやんわり言われたからかもしれない。
常に私たちと奏多を隔ててきた才能という呪い。
「メンバーとしてなら、正直難しいかな」
「っ……」
「志歩はきっと夢を追うだけじゃなく、叶えるつもりだろうから」
少しずつでも奏多は成長している。だからいつかは──そんな考え方は本気とは言えないとミクは言う。
「じゃあ、奏多くんと志歩ちゃんのどっちかは……」
「そんなのってないよ……!」
プロを目指せばまた奏多を一人にしてしまう。現状維持を望めば志歩がバンドを抜けるかもしれない。八方塞がりだ。前にも後ろにも進めない。
そういえば最近は奏多からの連絡がない。もしこうなることをわかっていて一人で抱え込んでいたとしたら──
「……その心配はいらないみたい」
「え?」
声の主のメイコは私たちに背を向けて、教室の窓から空を眺めていた。
「メイコさん、どういうことですか? 心配ないって……」
「屋上に行こうか。そうすればわかるよ」
セカイは相変わらず満天の星空だった。奏多を初めてここに連れてきた時は「天の光はすべて星」なんて言っていた。確か小説の題名と言っていただろうか。
「ほら、あの星」
メイコの指の先にはひとつの星が瞬いていた。いや、瞬くというよりほとんど明滅の域だ。一定の間隔で強い輝きを放っている。まるで自分の位置を知らせるシグナルのように。
「あれがなにか──」
そう尋ねようとした時、電子の旋律があたりに響きわたった。そして聞き覚えのある歌声も。
「これって……レンの?」
「奏多のセカイのレンだろうね。曲は奏多が書いたものかな」
どうしてそんなことが。そんな疑問を挟む余地は用意されていなかった。壮大で自信に満ちた力強い歌に聴き惚れる。
前に聴いたのとは違う、新しい曲。あの奏多が、この曲を自分で。奏多を知っているからこそ、にわかには信じられなかった。
あっという間に曲が終わる。私たちは開いた口が塞がらないままだ。
「バンドメンバー以外にもプロの道はある。そういう選択肢を教えたのは私たちだけど、セカイの垣根をを超えるなんて」
そこにたどり着くまでにどれだけの努力があったのだろう。どれだけの想いがあったのだろう。空に浮かぶ煌めきが今は背中を押してくれているように感じられる。
私たちは顔を見合わせて頷き合った。それが答えだった。
『マスター、いい加減起きたまえよ』
その声は大きな声でもないのにいやにはっきりと聞こえた。
目を開けた瞬間、違和感があった。次いで体を起こし、疑念が確信に変わる。
「……なんで病院?」
『キミがなかなか目を覚まさなかったからね。過労だそうだよ』
「作業は……終わったのか」
『ちゃんと動画もアップできているよ。見るかい?』
頷いてスマホの動画アプリをタップする。そうして表示されたのは開設したばかりのチャンネルとは思えない数字だった。大きく息を吐いてベッドに体を埋める。
『自信がなかったのかな?』
「そういうわけじゃないけど、安心はした」
ボカロバージョンの制作と発信の許可。それをコラボの条件として取り付けさせてもらった。
僕の作詞をベースにレンがボカロ版を担当した『絵宙事』。A-GURIさんの作曲をベースにリンがボカロ版を担当した『コスモテラー』。加えてこれまで練ってきた二つの曲。それらは多くの人に届いたようだった。
あのコラボは僕自身の名前を売るための布石にさせてもらった。コンテンツが飽和する現代ではいいものが人気を得るとは限らない。単に曲を発信するだけでは聴いてもらうこと自体が難しい。話題性というのは少なからず必要だった。
手塚さんから教わった動画編集の付け焼刃では静止画に音を流すのが精一杯だった。A-GURIさんからの紐づけが無ければさすがにもう少し苦労したはずだ。
「ところでなんで起こされたのか訊いても?」
『それ』
ミクが指し示したのは元々スマホが置いてあったベッド脇の棚。その上にあった小さなメッセージカードを手に取る。
「『Leo/need初ライブ!(前座)』……」
『四人揃って訪ねてきたよ。キミの目論見通りになったかな』
人がなにもかも計算づくで物事を進めているかのような物言いはやめてもらいたい、と普段なら言っていただろうが。
「……そっか」
自分のおかげ、なんて傲慢なことを主張するつもりはないけれど。ミクの口ぶりからしてきっと届いたのだろう。
普通に聴いてもらうだけでは面白くないと思った。どうせなら実力で。僕の想いが無作為に四人に届くということ自体が証明になるはずだから。
「……ん?」
もう一度カードに目を落とす。ライブの開催場所と日時が記載されている。括弧書きの通り、他のバンドのワンマンライブで前座をするらしい。次いでスマホに目を移す。
「……これ、今日じゃないか?」
『あと一時間弱といったところだね』
「もっと早く起こしてくれ!」
ほとんど拳を叩きこむようにナースコールを押した。
着替えだけ済ませて会場の野外ステージにたどり着いた頃には演奏は始まっていた。
「──! ──!」
まだ姿も見えないうちからその存在は明確に感じ取ることができた。
パワフルなドラムに寸分狂わぬベース。軽やかなギターと多彩な音を生み出すキーボード。あまねく宙に響き渡るような、どこまでものびていくような、そんな歌声。ステージ上の彼女たちと観客席の自分。言葉以上のなにかで通じ合っていた。
「ありがとうございました!」
興奮冷めやらぬ顔つき。その熱がもたらした確かな変化。
温かい拍手が四人を包んでいた。
真打のライブまで聴き終えて、散っていく人波のなかに一人佇む。夕日が西の地平に消えて白い街灯が灯る。ゆるやかな夜の足音が聞こえる。
どれほどそうしていたのだろう。それほど経ってはいないはずだが、目に映る景色は様変わりしていた。しばらくして現れた目当ての人物に手を振る。
「なーくん!」
「っと……」
衝撃を受け止めきれずに折れそうになる膝をなんとか奮い立たせて、後ろ向きにたたらを踏みながらなんとか勢いを殺す。
「咲希、奏多は病み上がりなんだから飛びつかない」
「う~~!」
志歩の注意をよそに咲希は腕の力を強めていく。ベアハッグの如き締め付けに加えて頭部をぐりぐりと押し付けられて息が苦しい。
「奏多くん、もう大丈夫なの?」
「本調子とは言えないかな。だから咲希をひっぺがしてくれると嬉しいんだけど」
咲希本人に聞こえていないはずはないけれど、圧迫は止まらない。いつもならこう言えば離れてくれそうなものなのに、今日はやたらとしつこい。
「奏多が倒れたって聞いて、すごく心配してたんだ。また思いつめてたんじゃないかって」
そういえば前に病院送りになった時がそんな状況だったか。トラウマというほどではないだろうが嫌な記憶を刺激してしまったらしい。
「そういうのじゃなくて、曲作ってただけだから」
「でも、倒れるまで頑張るのは無理しすぎだよ……」
「これで済むなら安いと思うけど」
無理というなら童謡ひとつまともに歌えない人間が曲を作ることにだって相当無理がある。それを通すための代償が数日寝込むだけなら万々歳だ。
「それくらい、僕にとって大事なことだったんだ」
「……うん。奏多の気持ち、ちゃんと伝わったよ」
「いや、まだ足りない」
一緒に進んでいきたい。それだけでなく、自分の曲をもっといいものにしたい。
まだ良くなる。もっと上に行ける。届いたらそこで終わるわけじゃない。プロになることはただの過程だ。その先にも道は果てしなく広がっている。
教室のセカイで観たミクたちのバンドアレンジ。それが示したのは僕の進むべき道だけでなく、曲そのものの新たな可能性。
初めて自分以外の誰かと一緒に作品を生み出して、自分の言葉が肉声で紡がれるのを聴いて。そして今日、Leo/needのライブを通して、より強く望むようになった。
「僕の
それは、僕にはできないことだから。
四人は待っていたと言わんばかりに微笑んだ。
「妬けるわね」
セカイの外に耳を傾けながら、ルカが言った。
「急にどうしたのさ」
「今いいところなんだから、静かにしててよー」
それに応じたのは同じように外に意識を向けていたレンとリン。奏多の繰り広げる青い春はこのセカイでは見世物同然になっている。
「だってそうでしょう? あの子たちに託すのは、奏多が私たちの歌では満足していないということだもの」
優れた作品は芸術家の魂を写し取る。だから奏多の生み出す曲はワタシたちにとってご馳走だ。作曲を教える代わりに奏多はワタシたちに曲を作る。ギブアンドテイクの関係──と、ワタシは思っているのだが、ルカの考えは違うらしい。
「満足しないからこその奏多だとワタシは思うがね」
どこまでも広がる宙を眺める。あらゆる方向に、無際限に。それが奏多の在り方だ。音楽に関して才能がないのは事実だが、表現の手段さえ身につければ活躍の場は選ばないだろう。ともかく手当たり次第なのはいつものことだ。
「あら、だからこそよ」
ルカが奏多に向ける感情は少し異質と言っていい。それが思慕なのか執着なのかは本人のみぞ知るところだ。
「今は彼女たちに譲ってあげたまえよ。どうせ時間はいくらでもあるさ」
終わらない夜で、ワタシはその時を待っている。
次回からニーゴ編になります。