レオニのイベストが見てられない。
なにはともあれワンダショ編です。
Your Starry World
夢想の空、描いた星で夜を編む。
目を閉じればそこにある、存在しないどこかの景色。
この世のどこにもありえないそれを、虚構と断じていいのだろうか。
平日に独りで家にいると無性に頭か手を動かしたくなる。眠くもないのに昼を過ぎても布団に横になったままというのは退屈に過ぎた。終わらせるべき学校の課題は残っていなかったけれど、幸いにして執筆途中の小説があった。
風邪をひいたのは実に数年ぶりのことだった。無理をしているつもりはなくても、見えない負債が溜まっていたのだろう。薬を飲んでも二、三日では完治せず、今日になってようやく倦怠感が抜けてきた。
手を止めて上手い表現はないものかとのぼせ気味の頭を回していると、傍に置いていたスマホが立て続けに振動する。相手はクラスの学級委員長だった。
『休みのところ申し訳ない』
『文化祭のことなんだけど』
そういえば今日のホームルームはクラスの出し物を決める予定だった気がする。トーク画面をぼんやり眺めていると新しいメッセージが表示される。
『演劇をしようって話になってるんだけど、台本を頼めないか』
『?』
少し考えてから、文字を入力する。
『演目は?』
瞬く間に既読がついて、返事はすぐに返ってきた。
『ロミオとジュリエット』
「……」
定番といえば定番なチョイス。それだけに深く考えずに決めたのが透けて見えた。別に作品自体に文句をつけるつもりはないけれど。
『いいよ』
『助かる』
文体に似合わないコミカルなクマのスタンプを最後に確認してからスマホを閉じると、タイミングよく来客を知らせるチャイムが鳴る。
『お届け物でーす!』
なじみ深い溌溂とした声は運送業者の草臥れたそれとは程遠い。インターホンは確認するまでもなかった。
うちに上がった咲希は僕が作業をしていたと知ると有無を言わせず僕をベッドに押し込んだ。
「もうほとんど熱下がってたのに」
「甘い、甘いよなーくん! 一番危ないのは病み上がりなんだよ!」
枕元に正座した咲希が拳を握りしめて力説する。実感のこもった教訓だった。
「でも、暇だったし眠くもないし」
「それはわかるけど……ダメなものはダメ」
咲希の指がこちらに伸びて、前髪に触れた。
「ほら、自分じゃわからないのかもしれないけど、ところどころ白髪になってる」
「白髪?」
顎まで被った布団から右手を出して髪をいじる。鏡を見る方ではないとはいえ、普通に過ごしていて見落とすくらいだからそこまで目立つものではないはずだけど。
「ほなちゃんも言ってたよ。せっかくきれいな黒い髪なのにって」
たおやかな手櫛があちこちはねた髪を梳いていく。心地よさに目を閉じる。
「心配かけたのは悪かったよ。しばらくは大人しくしてる」
「むぅ……言いたいことはまだあるけど、今はこれでおしまい!」
病人に気を遣ってくれたのか、はたまた眠そうに見えたのか。咲希がそこで話を打ち止めにすると、待ち構えていたかのようにここにいない誰かの声がした。
『おっじゃまっしまーす!』
スタッカートの利いた声とともに咲希のスマホから意気揚々と飛び出してきたのは、オレンジのリボンカチューシャを身につけた金髪の少女。
「わ、リンちゃん⁉」
咲希の口にした名前に、目の前の存在が見知った──けれど初めて出会う相手であることを確信する。
「もしかして、『教室』の方のリン?」
『あったりー! よろしくね、なっちー!』
「ああ、うん。よろしく」
それが自分のあだ名であると気づくには数秒を要した。それから説明を求めて咲希に目を移す。
「リンちゃんとはアタシも昨日セカイに行ったときに初めて会ったんだ。今日はそのこともなーくんに伝えなきゃと思ってたんだけど、呼ぶ前に出てくるからびっくりしちゃった」
「なるほど」
僕が寝込んでいる間にもセカイの様子は変わっていた。聞くところによるとやってきたのはリンだけでレンはいないという。二人揃って現れたの宙のセカイの方が例外ということなのだろう。
咲希がスマホを置くと、リンは物珍しげに整然とした部屋のなかを見渡した。
『なっちーの部屋、難しそうな本がいっぱいでオトナって感じだね!』
「難しそうっていうか、ほとんど小説だけど」
ストーリーがあるという点で小説は漫画と変わらない。ただ表現の方法が違っているだけだ。真に難しい本というのは実用書とか新書とか、そういう類のものなのだ。
その時、リンと一緒に本棚を物色していた咲希が一冊の本を手に取ったのが見えた。
「気になる本でもあった?」
「うん。この絵本、懐かしいなって」
振り向いた咲希の両手にはハードカバーの薄い本があった。表紙にはバルコニーに立つ乙女とそれを見上げる青年が互いに手を伸ばす場面が描かれている。幼い頃に買ってもらった『ロミオとジュリエット』の絵本だ。
「昔はよく読んでたよね。なーくんがお兄ちゃんと仲良くなったきっかけもこの本だったし」
「咲希たちはあまり好きじゃなかったみたいだけど」
「だって悲しいお話なんだもん!」
『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの恋愛悲劇だ。最後には二人とも非業の死を遂げるという結末を、はたしてクラスメイトの何人が知っていることやら。恋愛劇だからと適当に有名なものを選んだ気がしてならない。
「そうだ、眠れないならアタシが読み聞かせしてあげようか」
『あたしもやりたーい!』
名案とばかりに盛り上がる元気印二人に、枕の上で小さく首を振った。
「遠慮しとくよ。読んでる途中でぼろ泣きされると困る」
二人は揃って頬を膨らませた。
「……僕は寝てたはずなんだけど?」
ふと目を覚ました時にはセカイの宙を漂っていた。時間はわからないが、夕食をとって布団に入った記憶はあるからおそらくは真夜中だろう。
「いやなに、見ての通りちょっとしたお茶会をしていてね。体調も回復したようだから、我らがマスターの快気祝いに心ばかりのおもてなしをしようかと」
ミクはそう言って湯気のたったティーカップを口元に運んだ。少し離れたところではルカが同じように紅茶を嗜み、リンとレンは皿に盛られた茶菓子に手をつけている。メイコはカップこそ手にしているものの、中身は減っているようには見えない。こちらと目が合うとやれやれとでもいうように小さく頭を振った。
そしてなによりもう一人。
「やあ、ごきげんよう」
漆黒の外套に身を包んだ青髪の紳士はなにくわぬ顔で紅茶を注ぐとこちらに差し出してくる。それを受け取ってから一つ目の疑問を口にした。
「はじめまして、カイト……でいいのかな」
「ああ、これからよろしく頼むよ」
大きなシルクハットを軽く持ち上げて、人のいい笑みを浮かべるカイト。フォーマルなケープコートにシルクハットとステッキという出で立ちはいかにもな英国紳士という印象を受ける。
「もうひとつ訊くけど、この紅茶やらお菓子やらもカイトが?」
このセカイはまったくと言っていいほど物がない。作業中にはいろいろその辺に放ってあることが多いけれど、それ以外は緑、赤、そして最近増えた紫の衛星が視界の端を横切っていくくらいだ。つまり影も形もなかったはずのものがどこからともなく現れたことになる。
カイトは再びシルクハットを手に取ると、転がすように弄んだ。
「お察しのとおり。この帽子は特別製でね、セカイの主である君の想像の及ぶ範囲であればあらゆるものを取り寄せられる」
セカイから持ち出すことはできないが、と付け加えたカイトは百聞は一見に如かずとシルクハットに手を突っ込むとスコーンの入った皿を取り出した。一欠片つまんでみると、味の付いた霞を食べているような、なんとも漠然とした大雑把な食べ応えだ。
「言っただろう? 君の想像の及ぶ範囲で、と。味、食感、香り──君がそれらを明瞭に想像できるようになれば、おのずと真に迫るだろうさ」
長い脚を優雅に組みつつ、カイトはティーカップを傾ける。
同じように紅茶を口に含むと、こちらは味、香りともに本物と遜色ないように思われた。液体は食感が似ている分想像しやすいのだろうか。
そこまで考えて、カイトの説明にふと引っかかりを覚える。
「……想像の及ぶ範囲でって話だけど、ないものも作れたりする?」
「ほう?」
深い青の瞳が一瞬だけ微笑みを解いた。紳士然とした風貌が不釣り合いにも思えるほど若々しい好青年はそこにはいない。海千山千──そう評するのがふさわしい。
「よく気づいたね。君の言う通り、この帽子で取り寄せるのはなにも現実に存在するものでなくとも構わない。試しに賢者の石でも出してみるかい?」
「何に使うんだ、そんな代物」
これまでのバーチャルシンガーは特別なアイテムなんか持っていなかったのに、一人だけやたらと万能な道具を引っさげているのはどういうことなのか。
「いずれわかるさ。この帽子の本当の使い方はね」
カイトは張り付けたような朗らかな表情で微笑んだ。
高校の文化祭は中学のそれと比べて大がかりで、買い出しからなにから自分たちですべてを進めていく必要がある。
久々に登校した日の放課後、入用のものを買い集めるために手分けしてショッピングモールに行くことになった。僕の担当は衣装のための生地である。なんでも裁縫が得意なクラスメイトが衣装の自作を提案したのだとかで、なかなかに気合が入っていた。
「おや、十六夜くんじゃないか」
買い物リストをメモしてあったスマホから顔を上げると、そこにいたのは神代さんと草薙さんだった。
「こんにちは。もしかしてステージ衣装用の生地を買いにきたんですか?」
「君の言う通りだよ。司くんは委員会の仕事で手がふさがっていてね。君の方はどうしたんだい?」
「お二人と同じです。文化祭で劇をやることになりまして」
神代さんは悠然と金色の瞳を細めた。
「それはそれは。ちなみに演目は決まっているのかな」
「『ロミオとジュリエット』です」
尋ねられるがままに答えると、妙な間が生まれた。神代さんはわずかに目を見開いて、草薙さんは警戒という程ではないものの、少し身構えたように見える。
「その劇ってロミオが何人も出てきたり、バトルロワイアルしたりは……」
「なんの話ですか?」
「あ、うん。そうだよね……」
真顔で問い返すと草薙さんは目を逸らして、それからどう説明したものかと頭を悩ませているようだった。その後を引き継ぐようにして神代さんが口を開いた。
「神高の文化祭で司くんも『ロミオとジュリエット』をパロディしたお芝居をしたんだよ」
「ああ、なるほど」
草薙さんの言葉から察するに相当カオスな内容だったのだろう。本人は大真面目にやっていそうなあたり、先輩らしいというかなんというか。
「うちのクラスでやるのは原作準拠ですよ。ある意味そっちの方がまずい気はしますけど」
「『ロミオとジュリエット』は悲劇だからねぇ」
一応結末についてはクラスに周知したのだけれど、なぜか逆に火を点けてしまったようで、本気で観客を泣かせようと演技にも力を入れるつもりらしい。
「まあ文化祭ですから、本人たちが楽しめるならそれでいいんですが」
「……先生方みたいなことを言うんだね」
言われて少し他人事のような言い回しだったなと思う。気が抜けていたのか、無意識のうちに余計なことを口走ってしまった。
「……そういえば、フェニランのスペシャルショー、観に行きました」
せっかく会ったからと、伝える機会のなかったことを言葉にしてみる。
司先輩たち四人だけでなく、フェニックスワンダーランド全体が一丸となった公演。園内を広く使い、観客を巻き込んだ演出は圧巻の一言だ。
「すごくよかったと思います。演技の方もさることながら、演出の妙を感じました。小説だとああいうことはできません」
「あ、ありがとう」
「ふふ、面と向かってそう言ってもらえると嬉しいものだね」
司先輩から少し聞いた話では経営陣の意向でフェニランのワンダーステージが無くなるかどうかという瀬戸際だったとか。単にショーを成功させるだけでなく、価値を示さなければならない状況。真剣に考えて取り組んだであろうことは想像に難くない。本当に大した人たちだと思う。
「いつか十六夜くんも一緒にショーをしてみないかい?」
不意に神代さんがそんなことを言った。
「僕が、ですか」
「君は司くんと一緒にショーをしたこともあると聞いているよ。きっと素晴らしいショーが作れると思うんだ」
以前、僕と神代さんが似ているかもしれないと感じたことがあった。この人はきっと僕と同じでいい作品を生み出すことに命を懸けられる人間だと。
けれど。
「そうですね。機会があれば、お願いします」
愛想よく、そう答えた。