星彩メランコリー   作:五人囃子の太鼓

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 エミュがわからん…

 キャラ崩壊かも




指先が描き出す軌跡

 

 

 太陽が眩しくて、でも暖かくて。瞳に射す光と眠気を催す熱とに包まれて、夢と現の間で舟を漕ぐ。時々睡魔を振り払おうとかぶりを振るけれど、頭の中の靄は晴れない。

「奏多?」

 声のした方にのろのろと視線をやると制服姿の一歌が立っていた。いつもより登校時間が遅れた分、鉢合わせしたらしい。

「えっと、すごく眠そうだけど、大丈夫?」

「だいじょばない」

 ゆうべ筆が乗ってつい夜通し執筆に費やしたのが仇となった。普段の生活リズムが規則正しいだけにそれらを崩した時の反動は激しい。一応仮眠をとったとはいえこの分だと今日はまともに授業を受けられるかどうか。そんな考えも泡沫のように現れては消えていく。

「寝癖ついてるよ」

「んー」

 寝ぼけまなこを擦りつつ大きく伸びをする。それから水筒をとりだして麦茶を含む。しばらく口の中で転がしてから飲み込むと少しだけ具合がマシになった。

「おはよう」

「うん、おはよう」

 急な挨拶に若干戸惑ったようだが、一歌は朗らかに応えてくれた。

 道すがら最近聞いた曲を紹介しあっていると、思い出したように一歌が顔を上げる。

「奏多、『Untitled』って知ってる?」

「流行ってたんだ、アレ」

 動画サイトのまっさらなサムネイルが思い出された。というか、ここでその話が出るということはそもそもアレは楽曲だったということか。見るからに不可解な動画だったが、知的好奇心で聴いてみる人は意外と多いのかもしれない。

「そういうわけじゃないんだけど…」

「ちょっと待って。聴いてみる」

 スマホとイヤホンを取り出して動画アプリを立ち上げると、検索欄に"Untitled"と打ち込んで検索する。いくつか動画のサムネイルが表示されるが、いくらスクロールしてもあの動画らしきものは見当たらない。

「悪い、見つからないからそっちのスマホで聴かせてほしい」

「あ、うん」

 一歌のスマホにペアリング済みのイヤホンを借りて耳に着ける。どういうわけか人気のない住宅街を見回してから、一歌は指を画面に滑らせてプレイリストの『Untitled』をタップした。

「…流れないな」

「あ、あれ?」

 慌てた一歌が何度かタップを繰り返すが、やはり流れない。ボリュームを示すメーターはイヤホンとの接続を示すマークと一緒に充分な大きさを示している。プレイリストの他の曲をタップすれば問題なく音が出た。つまりスマホとイヤホンに問題はない。それなのに『Untitled』だけ流れないなんて、狐につつまれたような気分だ。頭の片隅では世にも奇妙な例のメロディが鳴っている。

「それで、どんな曲なんだ?」

「それは…」

 結局聴くのは諦めたものの、気にならないわけじゃなかった。

「私も知らないうちにプレイリストに入ってて、ちゃんと聴こうとしたのはさっきが初めてなんだ。…私の友達にもいつの間にかスマホに入ってたって子がいて、ちょっと聴くのが怖くて」

「消した方がいいんじゃないか、それ」

 僕自身心霊現象を信じる方ではないけれど、そこまで不可解な点が多いとさすがに気味が悪い。

「あはは…そういえば奏多、咲希が戻ってくること知ってたの?」

「この前見舞いに行った時に」

 雰囲気を変えようとしたのか、話題を大きく転換した一歌の問いに素直に頷く。自発的に行くこともあれば司先輩に誘われることもあった。その時は司先輩に付いていったのだが、先輩が咲希の退院を悪気なく暴露してしまった。咲希本人は僕に対しても退院サプライズを仕掛けるつもりだったらしいけれど、あえなくご破算となったというわけだ。

「私ね、咲希とバンド組むことにしたんだ」

「へえ」

 意外…でもないのか。咲希がバンドをしたがるのは分かるし一歌が協力するのも自然な流れだ。けれど、たぶん咲希は単にバンドやりたいだけではないはずだ。

「バンドって最低三人は必要なんじゃなかったっけ」

 ギターボーカル、ベース、ドラム。いわゆるスリーピースバンドの構成だが、ギターをやっていて、ボーカルもできるであろう一歌はともかく咲希がやっていたのはキーボードだったはず。ベースとドラムは必須のイメージがあるし、そうなるとあと二人はメンバーが必要ということになる。そして咲希にとって残りのメンバーは誰でもいいわけではないだろう。

 ここ数日の感じでは志歩と穂波とは腰を据えて話したわけではないらしい。一度だけ咲希から二人の様子について聞かれたが、僕だって詳しいことは知らないので大したことは教えられなかった。

「メンバーの当ては?」

「ううん。咲希が志歩と穂波も誘ったんだけど、断られて…」

 薄々予想はついていたものの、返ってきた答えは案の定だった。

 

 

 

 

 

 今となっては帰宅部の僕も中学では運動部に入っていた。けれど、別に体を動かすことが得意なわけじゃない。運動神経はむしろ悪い方で、体育でも特に陸上競技は軒並み成績が低い。足は遅いし跳躍力はないし、筋肉だってまったくない。そんな陸上競技のなかでも唯一マシなのが持久走である。といってもあくまで平均程度の走りなのだけど。

 高校に上がってからは体育の授業以外で運動する機会がほとんどない。だからこそ、執筆の気分転換としてたまにこうして近所をランニングすることがある。今日は夕食後の執筆を終えてから思い立ったので時間はかなり遅い。いつもなら河川敷を走るところだけれど、あの辺りは明かりが少なく道の両側が急な傾斜になっていて暗い中走るのは心細い。そういうわけで、今日は家の近くを走っている。

 とはいえ走り始めて三十分以上、そろそろきつくなってきた。今聴いている曲が終わったら帰ることにしよう。

 そんなことを考えていると曲がり角の死角から人影が現れる。幸い疲労からペースが緩んでいたのでぶつかる前に踏みとどまることができたものの、相手を驚かせてしまったようだった。一言謝ろうと相手をうかがうと見知った顔が無機質な街灯に照らし出された。

「志歩か。ごめん、気づかなかった」

「奏多…」

 よく周囲を見てみれば志歩の家のすぐ近くまで来ていた。今日もベースを背負った彼女はバイトの帰りのようだった。そうこうしている間にイヤホンから流れていた音楽が止まる。イヤホンをケースにしまって、志歩と歩き出す。パラパラと小雨が降り始めていた。

 息も整った頃、志歩の方から声をかけてきた。

「…ねえ、奏多」

「うん?」

「今日、咲希に誘われたんだ。一緒にバンドやろうって…一回断ったのに、また」

 そう切り出した志歩の表情は決して硬いものではなかった。なんでも楽器屋で鉢合わせた咲希と一歌に誘われて、提示した課題曲を弾けたらと条件を出したのだという。

「…それで?」

 珍しく咲希たちの話を出したからには、それを報告したかっただけではないだろう。続きを促せば志歩からこぼれた声はいつもの力がなかった。

「私、またみんなと一緒にいていいのかな」

「それを僕に聞かれてもな」

 正面を向いていたし、視界の端も影になってよく見えなかったが、隣の志歩が少し面食らったような気配があった。足を止めた志歩を振り返って、目を合わせる。

「志歩の悩みなんて僕にはわからない。その問題は志歩が考えて自分で答えを出すべきだと思うよ」

「…」

 ここまで来れば志歩の家までは一分とかからないし、送る必要もないだろう。

「じゃあ僕はここで。たまには暗くならないうちに帰りなよ」

「あ…」

 強くなり始めた雨を避けるために走り出した。

 

 志歩がバンドに加わったというのは後日咲希から聞いた話だ。その時志歩に避けられていた理由も聞くことができたらしく、かいつまんで聞いた。

 周囲の心無い言葉から友達を守るため、なんて。その不器用さは彼女らしいと言えるのかもしれないけれど。

『別に…奏多には関係ないでしょ』

「…関係ないって、言ったくせに」

 自分の問題だから口を出すなって、僕にはそう言ったくせに。いまさら咲希たちに話すのなら、どうしてあの時打ち明けてくれなかったのか。どうして勝手に報われるのか。

 あの日以来、志歩とは顔を合わせていない。逃げるような態度をとった手前、会いたいとも思わない。

「あとは穂波か…」

 咲希が戻ってきたことで、あの三人はこの短い間に昔のような──あるいはそれ以上の関係を取り戻しつつある。穂波だけがそうならないというのは希望的観測に過ぎない。

 咲希は絵空事だと僕が思っていたことをこんなにも早く解決してしまった。まるで夜空にかざした指先で流れる星を描き出すかのように。

 その夜はなかなか眠りにつくことができなかった。カーテンは閉めているのに、満天の星空がこちらを見ているような気がした。

 

 

 

 一週間も終わりが近づき、日曜日がやってくる。心置きなく寝ることができるのも今朝までだ。そうは言っても早寝早起きが習慣になっているから基本的には早めに目が覚める。今日は予定があったというのもあるけれど。

「デトろ! 開けロイト市警だ!」

 ラフな出で立ちの女性が無遠慮に部屋の扉を開けた。先程玄関が開いてからにわかに階下の気配が騒がしくなったので予想はしていたが。

「…手塚さん、ノックくらいはしてください」

「ありゃ、自家発電中だった?」

「性別が逆なら訴えられますよ、そのセクハラ」

「性差はいかんね十六夜先生。作家たるもの広い視野を持ちたまえ」

 あけすけに笑う女性──手塚さんはこれでも一応社会人で、僕の担当編集という立場になる。いかにして採用されたのかは永遠の謎だが、学生の僕に都合を合わせて土曜日に仕事をしているあたり仕事熱心ではあるのだろう。今日は打ち合わせがあるということで我が家を訪ねてきたというわけだ。

「いつも思うんですけど、こういう打ち合わせって普通はこっちが出向くものでは?」

「学生に無理はさせまいという私の老婆心ですとも」

「…本音は?」

「奏多君ってかわいい女の子の友達が多いよね」

 鳥肌が立った。この人のいるところであの四人と絡んだことはないはずなのに、なぜ知っているのか。戦慄するこちらをよそに、手塚さんはさらにダメな大人っぷりを披露する。

「みんな可愛いけど今日の気分的には茶髪の子かな。見ただけで分かるあのバブみ…授乳されてー」

「ぶっ殺されてーんですか通報しますよ」

「あ、そう。どうせ捕まるならそれまでに欲望の限りを尽くしちゃおっかなー」

 こいつ無敵か。勝手に妄想するならまだしも幼馴染の目の前で生々しく言葉にするのは公害以外の何物でもない。ましてや人質をとるとは。汚いさすが大人汚い。いろんな意味で汚い。

「最低の脅しですね。恥ずかしくないんですか大人として」

「恥ずかしかったら高校生相手に性癖垂れ流したりしないんだわ」

「開き直らないでください」

 悟ったように穏やかな微笑みは逆に狂気を抱く。四人を守るためにもここで息の根を止めておくべきか。

「それで、本題は?」

 手を出す前に一応用件を聞いておくことにする。新しい原稿はまだそこまで進んでいないというのはこの間話したから喫緊の用件はないはずだが。手塚さんはティーカップを置くとなんでもないことのように言った。

「君の作品に映像化の話が来てるよ」

「はあ」

「反応薄いね。原作使用料とか欲しくないの?」

 真っ先にお金の話を出すあたりは嫌な大人として教科書に載せてもいいのではないだろうか。

 僕の小説は元はネット小説だったのをこの変態に目をつけられて書籍化したものだ。具体的な金額は親が管理しているので知らないが、毎月それなりの印税が入っているとかなんとか。

「…まあありがたい話ですけど、受ける受けないはどういう要素で判断すればいいんです?」

「そう言うと思って。はい、映像化の流れをまとめた資料」

 手渡された紙には映像化までの流れが見やすく整理されている。用意が良すぎて、さっきまでしゃべっていた相手と同一人物とは思えない。こちらの都合で毎度土曜日に仕事をさせていることに申し訳なささえ覚える。黙っていれば有能な人なのだろうけど。

「今黙ってれば気が利くとか思ったでしょ」

「思考盗聴はやめてください。プライバシーの侵害ですよ。…あ、アニメ映画なんですね」

 書籍でも挿絵なんかはまったくなかったのでそこはちょっと意外だった。

 しばらく資料を読み進める。制作は基本的に委ねて口を出すことは多くないらしい。不安な気もしなくないが、学生としてはありがたい。

「それで、どうする? まあ今すぐは難しいだろうけど──」

「お願いします」

 そう答えると手塚さんはちょっと驚いたらしかった。それから口の端を三日月のように釣り上げる。

「──いいね。若人らしい、いい顔してるよ」

「そんなことないですよ、おばさん」

「ぶっ殺されてーのか」

 平静を装っていたけれど、実はワクワクしていたりもする。

 

 

 四人と顔を合わせる前に変態にはお帰りいただいて、なんとなく街に繰り出すことにした。書店に寄って小説のコーナーを見ていると、たまたま少し離れた棚の自著の表紙が目に入る。平積みされてはいなかったが、店員が書いたであろうポップが添えられていて無性にこそばゆくなった。ただ、より目を引いたのはそのポップを見てなにやら満足気に頷いている知り合いだった。

「何してるんですか、司先輩」

「ん? おお、奏多ではないか! 奇遇だな!」

 昔からの付き合いだがこの人の声の大きさは未だに慣れない。中学の頃はもう少し耐性というか免疫があった気がするけれど、高校が別になって日常的に聞く機会が減ったからか余計にそう感じたのかもしれない。

「書店ではお静かに。…それで、何してたんです?」

「いやなに、このポップを見てな。短い文言だが奏多の作品をよく表している」

 自分のことのように、屈託のない表情で先輩は笑う。

 幼馴染とはいえ、一人だけ男ということもあって咲希たちと一緒に居ることが難しいこともあった。そんな時に構ってくれたのが司先輩である。咲希たちと中学が分かれてからは脚本の構想を見せてくれたり、逆にこちらの小説を見てもらうこともあった。僕が小説をネットで公開し始めたのも先輩の提案だったりする。熱心な読者が身近にいてくれたことは僕の創作意欲を大きく掻き立てた。

 それにしたってポップひとつでここまで嬉しそうにされると司先輩の評価はいささか大袈裟なのではないかと思ってしまう。

「青柳君は元気ですか? 神校でしたよね、確か」

「うむ、友人もできて」

 しばらく会っていない間に周囲の人間関係も変化しているらしい。密度の濃そうな高校生活だなとどこか他人事のように感じていると、腹が鳴った。時計を確認すればちょうど昼時を指している。

「奏多がよければ昼食でもどうだ? オレがご馳走しよう!」

「そうしましょうか。…自分の分は自分で払いますけど」

 先輩とはいえ何もないのに奢ってもらうのも忍びない。司先輩はしばらく食い下がったが結局会計は別にしてもらった。

 

 

 

「む? あれは…」

「どうかしました?」

 食事を終えて街を歩いていると司先輩が何かを見つけたらしかった。僕がその視線の先を追う前に、先輩はそちらへ駆け出していった。

「おーい! 雫ー!」

 ドップラー効果で低くなっていく司先輩の声でその先にいるであろう人物に見当がつく。しかし、あの人は結構有名なアイドルだったはず。こんなに目立って大丈夫だろうか。などと考えつつ後を追っていくと、スマホを片手にこちらを振り向く雫さんの姿があった。

「あら、奏多くんも。こんにちは」

「どうも。…迷子ですか」

「そのようだ」

 彼女が手に持った位置情報を示すスマホを見て、そういえばこの人は方向音痴だったなと思い出す。住み慣れたはずの地域で頻繁に迷子になるというのは僕には理解できない感覚だ。今時地図アプリがあれば旅行先でも迷わないだろうに。この人は一人暮らしとかできるのだろうか。

「迷子の子を探していたお母さんを手伝っていて、その子はちゃんと見つかったのだけど…」

「ミイラ取りがミイラになったわけですか」

 理由が理由だけに呆れるのもはばかられた。まあ帰り道が分からなくなる前に確保できてよかったと思うことにしよう。

「そういうことならオレたちが案内しよう」

「あら、いいの?」

「困ったときはお互い様だからな! 奏多もそれでいいか?」

「僕は大丈夫ですよ」

 かくして新鮮な三人組が結成された。

「どこへ行くつもりだったんだ?」

「お肉屋さんでひき肉を買おうと思っていたの」

「…ハンバーグでも作るんです?」

「奏多くんすごいわ、よくわかったわね!」

 ハンバーグは志歩の好物だ。そして雫さんは志歩を溺愛している。なおかつ先程の口ぶりからして雫さんが買いに来たのはひき肉だけ。ハンバーグには基本的な食材しか使わないから、ひき肉だけがなかったのだろう。

「初歩的なことですよ」

「おお…! まるでシャーロックホームズだな!」

 興が乗って決め台詞で締めくくると司先輩が目を輝かせた。たまたまとはいえ持ち上げられて悪い気はしない。

「しぃちゃんが咲希ちゃんたちのバンドに入ったって、嬉しそうに教えてくれるんだもの。私もなにかお祝いがしたくって」

「それならオレも聞いているぞ! 咲希たちならきっと日本一のバンドになるに違いない!」

「いいえ司くん、しぃちゃんたちなら世界一だってあっという間よ!」

「もちろんだ!」

 シスコンが二人、熱い握手を交わす。もしこれが自分の兄弟がこんなだったらと思うと志歩が塩対応する気持ちも分かってしまう。

 と、司先輩が熱い視線そのままにこちらを振り向いた。

「これも奏多が咲希を支えてくれたおかげだ。改めて礼を言わせてくれ!」

「支えたなんて言われるほど大したことはしてませんし、バンドに関しては僕は本当に何も」

 それが正直な感想だ。僕がいなかったとしても、結果は変わらなかっただろう。ひたむきで、前向きで、人を惹きつける一番星のような彼女なら。

「…咲希と司先輩って、本当にそっくりですね。主人公属性というか」

 司先輩は一瞬豆鉄砲をくらったような顔をしたが、みるみるうちに喜色満面になり鼻が伸びているかと錯覚するほど胸を張った。

「そうかそうか! まあオレたちは最高の兄妹だからな! 似ているのは当然のことだ!」

 ふとこぼした言葉が先輩のシスコンぶりに油を注いだらしい。胸を張りすぎて天を仰ぎながら高笑いする様を眺めていると、背後から視線を感じた。

「ねえ奏多くん、私としぃちゃんにも似てるところがあるんじゃないかしら」

 子犬のように目を輝かせながら顔を寄せられて、一歩後ずさる。顔がいい──ではなくて。どうもシスコンの琴線を刺激しまったらしい。

「あー…優しいところ、ですかね。雫さんと志歩で、出力の仕方に差はありますけど」

 そう言った途端、雫さんの笑顔に柔らかさが戻った。

「さすがね、奏多くん。そうなのよ、しぃちゃんったらこの間も──」

 惚気と高笑いの雨を前に僕は無心になった。

 

「そういえば…」

 ようやく歩き出した時、雫さんが口を開く。

「最近のしぃちゃん、なにか考え事をすることが増えてて…なにか悩んでるみたいなの」

「…」

「バンドのことではないのか? ついこの間まで咲希たちとはうまくいっていなかったのだろう?」

「それが今朝もぼーっとしてて、私が話しかけてもほとんど生返事だったの。だからなにか別のことなんじゃないかと思うのだけど…」

 ともかく、志歩を元気づける意味でもハンバーグをつくることにしたのだと、雫さんは言った。

「ふうむ、バンドの件でもないとなると…もしや想い人でもいるのではないか?」

「あっ」

 姉の心兄知らず。いや立場が逆になれば司先輩もわかるはずなのだけど、シスコン相手にその発言はあまりにも命知らずと言わざるをえない。大体普段から色事なんて知りませんみたいな雰囲気出してるのにこういう時だけ的確に地雷を踏みぬくのは何故なのか。

「しぃちゃんに、好きな人ですって…?」

 地の底から漏れ出したような声色でさすがの司先輩も自分が口にした言葉の意味に気づいたのだろう、顔色がさっと青くなる。しかしもはや手遅れ。

「そんな…! しぃちゃんが、結婚だなんて…!」

「落ち着け雫! オレが悪かった!」

「いやよ、そんなのいや! しぃちゃんがおうちから出て行ってしまうなんて…!」

 ヒートアップする雫さんの耳には司先輩の制止も届かない。さめざめと涙すら流しそうなその姿はアイドルを引退するとなっても見られないだろう。

「落ち着いてください雫さん! 宮女は女子高なんですから、出会いなんてあるわけないですって!」

「奏多の言う通りだ! だから頼む、矛を収めてくれ!」

 その言葉でやっと納得したのか、絶望に満ちた形相が元に戻っていく。

「…確かにその通りね。ごめんなさい、早とちりで取り乱してしまって」

「いや、オレの方こそただの想像を雫の気持ちも考えず軽率に口にしてしまった。すまん!」

 こうして世界の平穏は保たれた──ように見えた。

「じー…」

「…何ですか?」

 雫さんがなぜか訝しげにこちらを睨んでいる。

「もしかして…二人のどちらかじゃないでしょうね」

「はい?」

「しぃちゃんに男の子のお友達がいないなら、可能性が高いのは昔からの知り合いのあなたたち二人…そういうことになるんじゃないかしら」

「なっ!」

「うーんこの」

 あくまで恋愛にこだわるという一点を除けば涙が出るほど論理的な考え方だ。しかも今度は有力な否定材料がない。この段階になって、僕はようやく二人に付いてきたことを後悔し始めた。

「私としぃちゃんを引きはがすつもりなら、二人でも容赦しないわ」

「おい待て! その折りたたみ傘で何をする気なんだ雫!」

 万事休すか。せめてもの抵抗に目を閉じる。

「──日野森さん?」

 知らない声がした。声のした背後を振り向くと紫黒の髪をポニーテールにまとめた、同年代くらいの女子が立っていた。

「あら、朝比奈さん!」

 声をかけられた雫さんは穏やかな目つきで朝比奈という女子に歩み寄る。ひとまず危機を脱した僕たちは胸を撫で下ろし、どちらともなく顔を見合わせた。

「雫の、学校の知り合いだろうか?」

「そうでしょうけど…」

 それにしては、どこかで見たことがあるような気がする。すれ違ったとかそういうレベルじゃなく、もっと定期的に目にしているような。

 ポニーテールの女子と軽く会話を交わした雫さんは彼女を連れて戻ってきた。

「二人とも、紹介するわね。こちら朝比奈まふゆさん。私の同級生で、同じ弓道部なの」

「はじめまして、朝比奈まふゆです」

 丁寧にお辞儀をする朝比奈さん。名前を聞いても既視感の謎は拭えない。つまり僕は不特定多数が行き来する現場で彼女を目撃しているということだろうか。

「朝比奈さん、こっちの声の大きい男の子が天馬司くん。私と司くんはお互いの妹が幼馴染なの」

「はじめまして!」

「こっちのおとなしそうな男の子が十六夜奏多くん。私の妹や司くんの妹の咲希ちゃんの幼馴染よ」

「…はじめまして」

 紹介に合わせて軽く会釈をすると、朝比奈さんと視線が交差する。大きな瞳はこちらを捉えて離そうとしない。

「…朝比奈さん?」

 朝比奈さんと目が合ったのは数秒のことだったけれど、雫さんが声をかけると朝比奈さんは我に返ったように謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさい、私がこの間読んだ小説の作者の人と名前が同じだったから、びっくりしちゃった」

「あー…」

「ふっふっふ…お目が高いな、朝比奈さん」

 もしかしてむこうも同じ既視感を抱いていたのかと思ったが、勘違いだったらしい。そして不敵に笑い始めた司先輩に朝比奈さんはきょとんとした表情を向ける。

「何を隠そう、ここにいる奏多こそが稀代の小説家、十六夜奏多というわけだ!」

「稀代は言い過ぎですけど、まあそんな感じです」

 朝比奈さんのにこやかな表情が薄れ、大きな瞳がさらに丸くなった。

「──あ」

 思わず声が漏れる。真顔に近いその表情が、記憶の断片に合致した。短い声に反応した三人の注目がこちらに集まって、言い訳のように言葉を紡ぐ。

「朝比奈さんのこと、予備校の自習室で見たことあった気がして」

 自習室の机は他の生徒の顔が正面から見えないよう配置されているから、ちゃんと顔を見たことがあったわけではない。ただ僕が自習室を使う時には毎回のようにその姿があったので印象に残っていたのだ。

 そう話すと、朝比奈さんは静かに微笑んだ。

「実は私もそうなんじゃないかって思ってたの。自習室の利用者名簿にたまに十六夜って名前があったし、珍しい苗字だからもしかしたらって」

「まあ、二人にそんなつながりがあったのね」

「世間は狭い、というやつだな」

 一応あちら側もうっすらと認知はしてくれていたらしい。正直僕は自信がなかったので勘違いでないことがわかってこっそり息をついた。

「ところで、朝比奈さんはどこか行くところだったんじゃ?」

 話も一段落ついたところでそう尋ねれば、彼女は広場の中心にある時計に目を向けた。

「そうだった。ごめんなさい、私もう行かないと」

「予定があったのね。そうとも知らず引き留めてしまって、こちらこそごめんなさい」

「ううん、気にしないで。それじゃあまた学校で。天馬くんと十六夜くんもさようなら」

 最後にまたお辞儀をすると朝比奈さんは人混みのなかを歩き去っていった。見たことがあったのは勉強をしている時の真剣な横顔だけだったので、あんなに物腰柔らかだったのはギャップを感じる。

 朝比奈さんの背中を見送ってから二人と向かい合う。

「…じゃあひき肉買いに行きましょうか」

「そうね、しぃちゃんが待っているもの」

 朝比奈さんが来るまでの疑念は機嫌よさげな雫さんの頭からはすっかり消えたようだった。もう見えなくなった救世主を思い浮かべて、なにかお礼をするべきかもしれないと思った。

 

 

 

 





 妹が苦手にする姉を突き詰めるとああなるのかなって…

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