星彩メランコリー   作:五人囃子の太鼓

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 はれ






 

 

 椅子に座った途端に力が抜けて、頭から机に突っ伏した。ごん、と鈍い音が響いてもこちらを振り向く視線はない。

 教室は教室でもセカイの教室。昼休みになってからすぐに人目を避けるためにここへ来た。弁当箱は持ってきたものの、すぐには食べる気にはなれなさそうだ。

「奏多?」

 しばらく頭を空っぽにしようと目を閉じていると自分を呼ぶ声が耳に届いた。見れば開いていた教室の戸からミクさんたちが顔を出している。

「この時間はまだ学校だよね。なにかあったの?」

「アイドルと──志歩のお姉さんだけど──歩いてたのがSNSの写真に映りこんでて、質問攻めに遭ったんだ」

「それは、災難だったね」

 苦笑いするメイコさんの言葉に深く頷く。

 正面から顔が映っているどころか雫さんにいたっては軽く変装のようなこともしていた。元の投稿も確認してみたけれど、普通に見れば絶対に気づかないような映り方だった。

 クラスメイトが見せてくれた投稿の主は以前から雫さんの──より正確に言えば以前の雫さんのファンだったようで、直近の投稿は推しの変化に対するぼやきがほとんどを占めていた。げに恐ろしきは人の業とはよく言ったものだ。

「……」

「これは重症ね」

 声を発するのも億劫で、ルカさんたちがいるのに会話が続かない。なにも考えたくないのに状況がそれを許さない。リスクを考えれば頼まれたからといってわざわざ一緒に行かなくても他にやりようがあったのではないか。後ろを振り返って答えのない堂々巡りをしていた時、廊下の方から何人分かの足音が聞こえた。

「やっぱりここにいた」

 机に体を預けたまま顔を上げる。志歩を筆頭に四人全員がやや気遣わしげな視線をこちらに向けていた。

「なーくん、大丈夫?」

「むり」

「午前中に連絡はしたんだけど……その様子だとやっぱり見てなかったんだ」

 言いつつ四人は近くの席に腰を下ろした。それぞれが昼食を持っているところを見るに宮女も昼休みらしい。

「……戻りたくない」

 事の次第は知っているのだろう。説明をしなくてもそれで理解してくれたようだった。

「こっちでも噂になってる。私も色々聞かれたし」

「迷惑かけて申し訳ない……一応言っておくと道案内してただけだから」

 これは同級生に問いただされた際にも一貫して通した主張だ。それ以外のことはなにも言っていないだけで嘘はついていないから大した言質は取られていない……と思いたい。雫さんがどういう説明をしたとしても整合性は確保できるはずだ。

「わかってる。奏多もお姉ちゃんも悪くない」

 誤解のないように断っただけで言い訳のようなことをしたかったわけじゃないのだけど。せっかくの慰めの言葉も今の僕にはあまり響かなかった。

 事実はともかく真実がひとつとは限らないというのは間々言われることだ。実際はこうだったと主張したところで相手がそれを素直に認めてくれるかどうか。今回の件が世間にどう見られるかなんて想像に難くない。

 新しいスタートを切ったばかりの有名アイドルのスキャンダル。致命傷になりうることは僕にだってわかる。迷惑どころの話では済まされない。腸を岩で圧し潰されているような感覚がずっと続いている。

「……とりあえず、話をしないと」

 いつまでも不貞寝してはいられない。謝るにしても今後の対応を請うにしても、まずはそこからだ。明確な責任の所在がないということは逆に他人任せにはできないということなのだから。

 ただそれをするためにはひとつ障害がある。

「どうやって連絡すればいいだろう」

 今のところ僕は雫さんの連絡先すら知らない。小学校時代の学級連絡網をたどれば日野森家の固定電話にはかけられるだろうが、長話がはばかられる上に雫さん一人としか話ができない。電話口の謝罪というのも誠意に欠けるように思われる。かといって直接会うのは当然ながら論外だ。

「しほちゃんに教えてもらうのはダメなの?」

「スマホに雫さんの個人情報を入れるのはできれば避けたいから、最終手段かな」

 周りの視線が多い現状スマホの画面を盗み見られないという保証がない。出先で連絡を控えるなりアカウント名を変えるなり対策すればバレる可能性は低いと思うけれど、リスクを考えたら進んで選びたい手段とは言えなかった。

「それなら、オンライン会議のアプリを使うのはどうかな?」

「それだ」

 確かにあれなら秘匿性は申し分ないし、複数人と顔を合わせて同時通話できる。穂波の案を採用させてもらうことにしよう。

「志歩、悪いけど──」

「お姉ちゃんとのつなぎ役、でしょ」

「よろしくお願いします」

 手段は見つかったものの結局はそれを共有する必要がある。そのことを志歩も理解していたようで、自分から連絡役を買って出てくれた。持つべきものは友達だ。

 これでひとまず手筈は整った。閉塞感で逸る気持ちを押さえながら、とりあえず弁当箱を開いた。

 

 

 

「すみません」

 謝罪は短く簡潔に、最初に済ませることにした。誰が悪いというわけでもないから完全に自己満足でしかない。そんなものに長々付き合わせるのはそれこそ迷惑だ。

『どうして十六夜くんが謝るのよ。むしろ雫を連れてきてほしいって言ったわたしの方が──』

『それは違うわ、愛莉ちゃん』

 始まりかけた不毛な泥の被り合いはしかし始まる前に収束する。

『愛莉ちゃんも奏多くんも、なにも間違ったことはしていないもの。そうでしょう?』

『雫の言う通りだよ。愛莉は一人で気負いすぎ』

 力強い主張を後押しするように青い髪の──この前花里さんに画像で見せられた──桐谷さんも言った。

「気休めでもそう言ってもらえるとありがたいです」

『……そうね。それに、今は他にやるべきことがあるし』

 そうは言ってもこういうやりとりは避けられなかったとは思う。責任の有無と罪悪感の有無は別の話だ。きちんと話をするためには一度それを吐き出す必要があった。

『十六夜くん、そのほっぺたどうしたの?』

 聞くタイミングを逃していたのだろう。仕切り直しの第一声は花里さんの質問からだった。彼女の言葉通り、僕の右頬には大きめの湿布が貼ってある。

「これは……体育の授業で気を抜いてたら野球ボールを顔で受けちゃって」

『それって大丈夫? 野球のボールって硬いし危ないんじゃ……』

「見た目ほど大した傷じゃないから気にしないでいいよ」

 そんなワンクッションを挟みつつ、予想より落ち着いた雰囲気で話は本題に向かった。

 最初に行ったのは情報の擦り合わせだった。ただそれはあくまで確認程度のもの。噂の広がり方はSNSを開けばいくらでもわかる。

 ネットの反応は思ったほど非難にあふれているというわけではない。もちろん追及の声は多いけれど、そもそも映り込んだのが本当に雫さんなのかという疑問の声がそれなりにあるようだ。言われてみれば特定したあの投稿の主ですら確信的な物言いではなかった。

 結局は疑惑の域を出ないまま。公式の──つまり配信での言及を待つという方向に話が進んでいる。

 小説家として多少は名が知れているとはいえ、SNSの個人アカウントさえ持たない身である。下手に勝手をしてこれ以上事を荒立てるのだけは避けたいところ。この会の目的の半分は今後の対応について指示を仰ぐことにあった。

『私は今度の配信で奏多くんとお友達だってみんなにお話するのがいいと思うの』

「それは……いいんですか?」

『……そうね』

 反応に困ってそう尋ねると少し間を置いて桃井さんが頷いた。

『雫が真剣にファンのみんなと向き合ってるのはこの前のことで伝わってるはずだし、信じてくれると思うわ』

「そうですか……」

 アイドル日野森雫がありのままを打ち明けたあの配信は好意的なファンからは支持と信頼を得る形になったようで。雫さんの言葉が素直に受け入れられる可能性は充分あるのだという。

 不安が拭いきれたわけではないけれど、同じグループのメンバーが言うなら大丈夫なのだろう。本当のことを話して受け入れられるならそれに越したことはない。

 それにしても雫さんは今回の対応をはじめから決めていたように思う。謝罪のことを除けばわざわざ話し合いをするまでもなかったのかもしれない。少し早とちりというか、出しゃばってしまったような気がして途端に居心地が悪くなった気がした。

「そこまで決まってるなら話すこともありませんし、解散にしましょうか」

『……その前にひとついいかしら』

 オンライン会議の画面を落とそうとパソコンを操作していると待ったの声がかかる。

「なんですか?」

『そのケガ、本当に大丈夫なの?』

 何かと思えば僕のことだった。花里さんに聞かれた時に話したのに、そんなに痛々しく見えるのだろうか。

「まあ痛くないと言えば嘘になりますけど……今日はいろいろ考え事してただけでいつもぼーっとしてるわけではないので。次は気をつけます」

『そう……』

 雫さんと花里さんは急な話題転換に若干戸惑っていて、桐谷さんは様子を静観している。桃井さんはそれ以上踏み込んでこなかった。

 

 

 

 

 セカイに入るとミクとルカがデュエットを組んで歌っていた。

 このセカイは基本的に何もない。ここでずっと暮らすと考えればいつかは気が滅入ってしまいそうなものなのに、彼女たちは飽きる様子も見せずにひたすらに歌っている。

「──ふう。ごきげんよう、マスター」

「あら、それは……」

 歌い終えたルカが目敏くこちらの手元の紙箱に気づく。

「ああ、頼まれてたドーナツ」

 買ってきたのは別々の六種類をひとつずつ、一人あたり二つの計算だ。箱を渡すと二人は箱を覗き込んで楽しそうに選んでいる。その間に一応持ってきた紙皿を出して紙コップに牛乳を注いでおく。白い水球にならずきちんと注げるあたりやっぱり無重力とは違うのだろう。

 二人が選び終わった後で箱を見ると、見事に余りものというラインナップだ。どれを食べることになってもいいようなフレーバーを取り揃えてはいたが、ここまで綺麗に五、六番手が残るとは。

「……ひょっとして、どれか食べたいドーナツがあったのかしら?」

「別にいいよ。君らのために買ってきたんだから」

 簡単に心中を気取られたことはさておき、音楽を教えてくれるルカたちへの月謝代わりに買ってきたものなのだからそのことで文句をつけるのは筋違いというものだ。

「ふふ」

 普段のミステリアスな雰囲気はそこにはない。子供のように純真に、ルカは微笑んでいる。

「なら、はんぶんこに分けましょうか」

「──」

「その方が私もいろんな味を楽しめるでしょう?」

 その言葉には明確な他意が含まれていた。だってそれは、僕の記憶に深く刻まれた会話とよく似ていたから。

「……それをするためだけに買ってこさせたの?」

 だとしたら呆れるくらいに迂遠なやり口だ。趣味が悪いとも言う。どうやったのか自分しか知らないはずのことを知られているのも気分がよくない。

 ルカはいつの間にか普段の底知れない態度に戻っていた。

「あら、味が気になっていたのも嘘じゃないわ」

「だったらどうしたかったんだ」

「ただの悪戯よ。だからそんなに警戒されると傷つくわ」

 まったく説得力のない、心底楽しそうな笑み。それを崩さないまま、彼女は言葉通り半分に分けたドーナツをかじった。

 

 

 

 

 結論から言えば。

 『MORE MORE JUNP!』による今回の件に関する声明を兼ねた配信は成功裏に終わったと言っていいだろう。雫さんのお話は多くのファンに受け入れられた。

 はずみで名前を出された時はひやひやしたが、意外にもこちらを認知してくれている層が一定数いて。雫さんが昔のエピソードトークを始めた時も、羨ましがるコメントこそ多かったものの、批判的な意見は多くはなかった。

 これにて一件落着──となればいいが。

 

 

 腫れの引き始めた頬をひりひりと風が撫でていく。湿布を剥がしても目立たない程度にはマシになっていた。

 いまさらながら野球のボールが当たったというのは考えが足りなかったかなと思う。頭部死球と聞けば基本的に想像するのは骨折なんかの大怪我だ。つまり嘘に対して怪我の重さが微妙すぎる。疑われるのも無理はない。

 僕が未だに枕を高くして眠れていないのはこの怪我のせいだ。

 アイドルのファンというのが良識的な人ばかりだとは限らない。なかにはネットの情報を鵜呑みにして解釈違いから凶行に及ぶような輩もいるわけで。

 これが僕だったからよかったようなものの、雫さんの方が被害を受けた可能性だってあった。否、可能性自体は今も消えてはいない。だからこそすべて終わったと安心するにはまだ早いのだ。

 

 そんなことを考えていたら曲がり角を折れたところで逆方向から歩いてきた当の本人と目が合った。

「あ……」

 何か言いかけた雫さんを置いて脇道に入る。それはプログラムされたような反射的な行動だった。冷静になると逃げる必要はなかったかもしれないが、やってしまったものは仕方がない。

 あれ以来雫さんとは顔を合わせていなかった。普段の遭遇頻度や直接連絡できないことを考えれば別におかしなことではない。それが本来あるべき距離感というだけのことだ。

 時間を潰す場所を探して歩いているとちょうど公園に行きあたった。日も傾き始めていて、あまり人影は見当たらない。空いていたベンチにリュックを下ろして腰掛ける。

「奏多くん……!」

 息つく暇もない。追いかけてきた雫さんは表情に色濃い困惑を滲ませている。

「どうして逃げるの? あの写真のことならもう気にしなくても──」

「気にしますよ」

 相手の言葉を遮ってそう答える。

「今回の件で雫さんだけでなく桃井さんたちにも迷惑をかけましたから」

 ある程度収束したとはいってもアイドルのスキャンダル疑惑だ。すべての人の疑念を払拭することなんてできるはずもない。単なる友人だと断りを入れても火種はくすぶり続けるだろう。その結果として取り返しのつかないことになってしまったら。

 その未来が単なる空想でないことは身をもって知っている。

 自分の行動のツケを自分以外の誰かに負わせるということが、どうしようもなく怖くて。

 だから、僕は。

 

「私は奏多くんのことを迷惑だなんて思わないわ」

 

 強くて優しい声音だった。

 夕焼けの空をセレストブルーに染め上げるように、彼女は微笑んでいる。所詮お世辞だろうって、疑うことすら許してはくれない。

 

『はんぶんこしましょう?』

『私も両方食べたかったから』

 そう言って微笑みかけてくれたことを今でも覚えている。その言葉は僕がなによりも望んでいたものだったから。

 そんな想いは、もうとっくに失くしたものだと思っていたのに。

 

 おもむろに腰を上げる。こちらが座っていたということもあってか雫さんは爪先同士の距離が三十センチとないような位置で僕と向き合っていて、立ち上がってしまえば彼我の距離は近いどころか狭いと感じるほどだった。思わず、といったように雫さんが一歩後ずさる。

 男子の平均身長に及ばない自分と、女性としては上背のある彼女。視線が平行に交わる。ただそれだけのことで胸が高鳴って、多幸感に包まれた。

「好きです。ずっと前から」

「え……」

 近くを走る自動車の排気音と風に擦れる葉の音とが世界からかき消えた。

「すみません。突然こんなことを言って、困らせて」

 恋愛対象として見られていないことなんてわかりきっている。そもそもアイドルに惚れた腫れたが御法度なのはいまどき小学生だって知っていることだ。いい返事がもらえないことも容易に想像がつく。

「それでも、どうしても伝えたかったんです」

「──」

 未だ呆気にとられて固まったままの雫さんを一瞥して、また笑みがこぼれた。そしてそんな彼女をよそにベンチに置いていたリュックを背負う。

「返事はしなくて構いません。気まずかったら避けてください。とにかく僕からは干渉しませんから」

 言葉の出ないらしい雫さんの脇をすり抜けて公園の出口を目指す。今度は追いかけてはこなかった。

 

 

『いいものを見せてもらったわ』

 胸ポケットのスマホから聞こえた声にスマホを取り出せば、ルカが興奮を隠しきれていない表情で顔を出した。

『情熱的で、積極的で、とっても合理的。アイドルのあの子を遠ざけるにはあれ以上の方法はないものね』

 勝手な言い様に腹を立てることはしなかった。事実そういう打算もなかったとは言えないし、今は怒る気分にはなれなかったから。

「楽しそうだね。人が失恋したところだっていうのに」

『だって、慰めてほしいようには見えないもの』

「ああ、なんだかすごく楽しいんだ」

 それはたった今起こったことのはずなのに、懐かしい思い出のようにも感じる。長い間追っていた物語が大団円を迎えたような万感の想い。足取りは軽く、空を蹴ってどこまでも登っていけそうな気さえした。

「ルカ」

『なにかしら』

「帰ったら新しい曲を作ろうか」

 今ならこれまでの僕とはまったく違う作品を作り出せる。そんな確信めいた予感があった。

 ルカの唇が大きな弧を描く。その姿はとてもこの世のものとは思えない。でもきっと、僕の方も似たような表情をしているのだろう。

『素敵なお誘いね』

 暮れなずむ街並みの中を家に向かって歩いた。

 

 

 






 モモジャン編も大詰めです。

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