いまさらながら一つ目のエピソードにしては重かったな、と。
相変わらず手探りで執筆中なので解釈違いがあるかもしれません。
ただ、嬉しかった。
手を差し伸べてくれたこと。優しい言葉をくれたこと。
ありがとうでは足りなくて、さようならでは味気ない。
この想いだけは、特別な言葉であなたに伝えたかったのです。
「呆れたね」
ミクの第一声がそれだった。
「『極星』が完成しないうちにルカと新曲を作ろうだなんて、キミというやつは」
「ごめんごめん」
「心にもないことを口にするものじゃないよ」
パソコンを立ち上げながら適当に返事をするとミクはますます機嫌を悪くしたらしかった。
「まったく……キミが創作活動に魂を売っていることは充分承知していたつもりだったがね」
「他人のこと言えた性格か」
仮にミクが僕の立場だったら同じように新しいアイデアに飛びついていたであろうことは想像に難くない。本人も自覚があったようで白々しく目を泳がせた。
「心配しなくても筆を折ったりしないよ。今回だって忘れないうちにある程度イメージを固めておくだけだから」
『極星』が未だ完成していないことからもわかるように、僕の壊滅的な音楽センスではミクたちのサポートがあったとしても作曲には時間がかかる。だからインスピレーションが薄れないように新しい曲の作業を進めておくべきなのであって、決して目先の欲を優先したいわけではない。鉄は熱いうちに打て、というやつだ。
「そういうことなら仕方ない。それで、今回はどんな曲にするつもりなのかな」
文句を言いつつなんだかんだすぐに乗ってくるあたりミクもやっぱり大概だ。その質問に答えようとした時、ルカがミクから距離を取らせるようにこちらの手を引いた。
「作業の手が多いのは歓迎するけれど、今回は私の番。歌うのは私ひとりで、あなたの出る幕はないわ」
「そんな殺生な!」
珍しいミクの大声が暗闇に吸い込まれた。
日も落ちて薄暗くなり始めた帰り道に見慣れた後ろ姿を見つける。
「お姉ちゃん」
静かな住宅街だから充分聞こえると思ったのに、返事はなかった。もう一度声をかけようと軽く息を吸った時、お姉ちゃんが思わぬ場所で右折してその背中が見えなくなる。
「お姉ちゃん!」
慌てて追いかけてその手をつかむと機械仕掛けの人形みたいにゆっくりとこちらを振り返る。
まるで硝子細工だった。精緻で流麗で、どこまでも脆い。手を握っていることすら躊躇ってしまうような。
「しぃちゃん……」
か細い声で名前を呼ばれて我に返る。
お姉ちゃんの様子は明らかにいつもと違う。今にも折れてしまいそうな立ち姿もそうだけど、いくらお姉ちゃんでもこんな家の近所で道を間違えることはないはずだ。
「しぃちゃん、私……どうすればいいの……?」
「落ち着いた?」
「……ええ。心配かけてごめんなさい」
家に着いて、冷静に話ができるようになってもお姉ちゃんは浮かない顔のままだ。
「それで、どうしたの?」
答えはすぐには返ってこなかった。お姉ちゃんは俯いたまま視線を合わせてくれない。
「……奏多くんに、好きだって言われたの」
「──」
理解が追いつかない。
だって、そんなそぶりまったく見せなかったのに。昔から浮いた話なんてまったく聞かなかったあの奏多が、お姉ちゃんのことを。
私が呆けている間にも、お姉ちゃんはぽつぽつと話を続けた。
顔を合わせたら避けられたこと。奏多がこの間の騒動に責任を感じていたこと。気にしないでいいと言ったこと。そして──想いを伝えられたこと。
「私、そんなふうに考えたことがなくて。仲良しのままでいられたらって、そう思っていたの。でも奏多くんは、もう関わらないからって」
堰を切ったようなとめどない独白が二人だけの部屋に響く。
「ねえしぃちゃん、私はどうすればよかったの……?」
わからない。
今の流れでどうすればそんな話になるのか。奏多はなにがしたかったのか。
たぶん、嘘ではないのだと思う。奏多は真面目だから、そういうところで心にもないことを言ったりはしない。じゃあ隠していたそれを今になって明かしたのはどうしてなのか。だってお姉ちゃんはアイドルなのに。奏多だってそれは知っているはずで。
考えが渋滞して、口を衝いたのはひどく月並みな疑問だった。
「お姉ちゃんは、なんて答えたの?」
「え?」
「奏多に好きだって言われて、なんて返したの?」
「……なにも。なにも、言えなかった」
少し考えた後にお姉ちゃんはそう答えた。奏多はお姉ちゃんの答えを待たずにいなくなったのだという。
その状況は私たちの時と似ていた。
奏多は本音を打ち明けて、私たちを遠ざけようとした。今回だって奏多はあの写真の件で相当参っていて、お姉ちゃんに迷惑をかけたと落ち込んでいた。それで、あんなことが合った以上距離を置くべきだ、なんて思ったとしたら。それはいかにも奏多らしい考え方だ。
「……まずは、お姉ちゃんの気持ちを伝えた方がいいと思う」
「私の……」
「思ってること全部ちゃんと言葉にして、とことんぶつかってきなよ」
相手がなんと言おうが関係ない。自分がそうするべきだと思ったからそうする。絶対に折れてなんてやらない。少なくとも奏多はそう考えるはずだ。だったらこちらもそれくらいの気概で向き合わないと。
「……ありがとう、しぃちゃん。しっかり考えてみるわね」
そう言ったお姉ちゃんの表情はまだどこか弱々しい。でもその瞳からは迷いが消えていた。
日付の感覚が曖昧になってきた頃、何か見慣れないものが視界をよぎった。作業の手を止めて周囲を見渡せば、若葉色の丸い物体が僕を中心に周回軌道を描いている。暗いせいで遠近感がつかみにくいが、一周するのにかかる時間からしてそこまで遠くにあるわけじゃない。実際の大きさもバスケットボールくらいだろうか。
「あれ何」
「あの星と似たようなものだと思えばいいさ」
要するにまたセカイのギミックか。気持ちの変化で在り様が変わるのはいかにも心象世界らしい。
「……ちょっとリフレッシュしてこようかな」
宙に漂っている今の姿勢だと体が凝ることはないが落ち着かない。ハイになっているとそこまで気にならないのだが。
仕方ないとはいえ机も椅子もないのは不便なことこの上ない。ミクたちとスマホを通して会話できることを考えれば現実世界で作業する時間を増やすべきだろうか。
曲の再生を止めようと開いたファイルには未完成の
街中のバスケットコートというのはかなり少ない。だから大抵人が多いものなのだけど、珍しいことに今日は誰もいない。
試しに一本レイアップをしてみると思ったよりも体が動きを覚えていた。今度は少し距離をとって軽く腰を落とす。膝をバネのように使い地面を踏みしめた力を指先へ。手首のスナップをきかせるとボールはリングに当たることなくネットを揺らした。
バスケットボールには半年近く触っていなかったのに、ボールは僕の意のままに動いた。放った瞬間入ったという確信があった。高い弧を描いて吸い込まれるように落ちていく。
楽しくなってしばらく夢中でシュートを撃っていると手元の感覚がわずかにズレた。ボールはリングに当たって大きく跳ね、コートの端に転がっていく。それをちょうどコートに入ってきた人影が拾い上げた。
「こんにちは」
「……どうも」
声の主を認識した瞬間、内心微妙な気持ちになる。
桐谷遥さん。今現在最も顔向けできない相手のひとりである。
「バスケットボール、されるんですね」
「中学まで部活でやってたので」
「私もです」
まずもって距離感がつかめない。直に会うのは初めてだしリモートでも会話はあってないようなものだった。それ以上にせっかく下火になってきた騒動の二の舞になるリスクは無視できない。
「なにか用があったんですか?」
見たところ桐谷さんは服装こそ動きやすそうではあるが、自前のバスケットボールは持ってきていないようだ。となるとこのコートまで足を運んだのは十中八九僕がいたからだろう。
「ええ、少し話したいことがあったんです」
言葉とともに投げ返されたボールは綺麗にこちらの胸元におさまった。
「最近雫がよく考え事をしていて。理由を尋ねたら十六夜くんのことを聞いたんです」
知られている可能性は考えていたけれど、面と向かって話題に出されるとさすがに堪えた。聞けばその話をしたのは練習の直後だったそうで、他の二人も知っているらしい。
「ご迷惑をおかけしてます……」
「そんなに気に病まないでください」
なんらかの糾弾を覚悟していたけれど、どうもその気配がない。かなり好き勝手した自覚があったのだけど。
「それだけ、ですか? もっとこう、うちのメンバーに手を出すなとか言われるのかと」
「考えすぎですよ。私たちは事務所に所属してるわけじゃありませんし」
「……だとしても、アイドルにとって色恋沙汰なんて百害あって一利なしでは?」
一部とはいえアイドルに熱狂的な──いわゆるガチ恋勢と呼ばれるファン層もある。僕を殴った相手なんてまさにそれだ。僕が告白したことは公にはならないだろうが、桐谷さんが気づく程度には雫さんに変調をきたしていたわけで。どう考えてもプラスになることなんて一つもないはずだ。
「確かに、アイドルが恋愛をしないことはプロデュースの上では大事なことかもしれません」
桐谷さんは頷いた。
「でも私は……私たちは誰かの背中を押せるアイドルでありたいから。だから私は十六夜くんの気持ちを肯定します」
爽やかな微笑み。
これがアイドル。
その時になって初めて、推し活をする人間の精神性を理解した。花里さんがああなるのも無理はない。だって僕は桐谷遥というアイドルをもっと知りたいと思っている。彼女の歩みを追いかけたいと感じている。
「そしてそれは雫の気持ちも同じです」
「……つまり?」
「待っていてあげてください。雫の答えを」
答え、なんて。
そんなものは聞くまでもなく決まっている。そもそもが恋愛対象として見られていないのだから、ノー以外の選択肢がない。
「気を持たせるような言い方は必要ないですよ」
いい加減夢ばかり見てはいられない。
バスケットゴールに向き直ってシュートを放つ。スピンのかかったボールは高い弧を描いてリングの手前で落下した。
「……なにしてんの」
「おかえり」
帰宅すると志歩がいた。それも色々と散らかった僕の部屋に。反対に我が家の人間は誰もいない。一瞬空き巣にでも入られたのかと思った。
「母さんに入れてもらったのか」
「うん。でもその後出かけなきゃいけなかったみたい」
そういえば僕が家を出る前にそんなことを言っていたような気もする。
「曲、書いてたんだ。……返事がないと思ったら」
言いつつ志歩の手が机の上に開いたままのノートをめくる。
「勝手に他人の部屋を物色するのはよくないぞ」
「他に言うことないの?」
「……迷惑かけてごめんなさい」
桐谷さんでさえ知っていたのだから、志歩が知っているのは当然だ。そのことには気づいていて、なんなら志歩からの連絡を見ないように通知を切っていたまである。
ただ僕の言葉は志歩の望んでいた答えと違ったらしい。
「私じゃなくて、お姉ちゃんのこと。わかってるでしょ」
「……」
「いつから好きだったの」
「それは志歩が聞きたいだけだろ」
思わず口を挟んだが「とっとと吐け」と志歩の目が語っていた。答えなければ居座られそうな勢いだ。勉強机の椅子は志歩に奪われていたので床の上に座り込む。
「……昔、志歩の家で遊んだ時、志歩のお母さんがドーナツを買ってきてくれたことがあっただろ」
それには雫さんの分も含まれていて、六人でひとつずつとることになった。僕はいつも通り余りものをもらうつもりでいたのに、咲希が思い出したように僕の好きなフレーバーが雫さんの手に渡っていることを指摘したのだ。
それを聞いた雫さんは嫌な顔ひとつせずに二つのドーナツを半分ずつ分けることを提案してくれた。
「嬉しかったんだ。僕は兄さんに何かを譲られたこととかなかったから」
「……それを隠してたのは、お姉ちゃんがアイドルになったから?」
「もう自分でも隠してるの忘れてたけどね」
それどころか好きだったこと自体は覚えていて、そういうこともあったというような認識だった。初恋とは風化するものだと信じていた。
「それで今回のことがあって、お姉ちゃんと距離を置こうとしたと」
「ざっくり言えば」
「馬鹿じゃないの」
なにかしら説教をくらうのはわかっていたけれど、直球の罵倒とは。思わず眉間に皺が寄る。
「お姉ちゃんが誰かの気持ちを迷惑だってないがしろにするわけない。そんなこともわからないの?」
「……好き勝手言ってくれるな。人の気持ちも知らないで」
「いつも奏多が黙ってるせいでしょ」
売り言葉に買い言葉で応戦するのは癪だが、勘違いは正しておかなければ気が済まない。ほとんど治りつつある頬を指で示す。
「この間の頬の怪我。雫さんのファンだって同級生に殴られた。もしあれが僕じゃなくて──」
すぱん。
感情を押し殺した声に小気味のいい音が重なった。
布団をしまってある押し入れの戸が開いた音だ。上下に仕切られた収納スペースの下段側、四つん這いに身をかがめた雫さんが襖を開け放った姿勢のまま固まっている。
体中の酸素が一気に温度を下げたような感覚。口まで出かかっていた言葉がほどけて行き場を失った。
「私、下にいるから」
それだけ言って部屋を出ていく志歩を振り返ることもできない。心臓が異常な拍動を刻み、呼吸もままならない。手足さえ満足に動かせない状況は神経が混線したかと思うほどだ。
「ごめんなさい。それに、ありがとう」
「……なにが、ですか」
静かに細められた目から視線を外せない。かろうじて意味のある音を響かせた喉は力を使い果たしたかのように乾ききっている。
「私を想ってくれたこと。私が傷つかないように黙っていてくれたのよね」
「……」
「でも、その代わりに奏多くんがいなくなるのはとっても寂しいの」
「っ……」
本当はわかっている。
自分が独善的だということも、やり方が間違っていたことも。本音を打算に組み込んで他人の行動を操ろうだなんて。現実を思い通りに描けるはずがないのに。けれど自分が守るだとか、根拠のない保証は口が裂けても言えなくて。
それでも傷ついてほしくなかったから。
「だから、奏多くんが避けるのなら私はそれを追いかけ続けるわ。たとえ私が傷つくことになったとしても」
ふと。
僕はアイドルにだけはなれないのだろうなと思った。歌とかダンスとか、それ以前の問題で。
「……わかりましたよ」
この期に及んで避けて追いかけられる方が事態が拗れそうだという考えが少しでも頭をよぎるようでは。
「下りましょうか。志歩を待たせすぎるのも悪いですし」
「あ、待って」
背後から腕を取られそうになって、反射的に引っこめる。逆の手をドアノブにかけたまま振り返るとつられて立ち上がった雫さんと視線がぶつかった。
「好きだって言ってもらえたこと、嬉しかったの。本当に」
「はい」
「だけど私は目の前のことで精一杯で。だから、ごめんなさい。奏多くんの気持ちには答えられない」
「ええ」
「でも」
そこで言葉を区切った雫さんはかすかに目を伏せた。
「私もいつかはアイドルを引退して、たぶんそうしたらみんなと同じように誰かを好きになると思うの」
いつの間にか、彼女は目を閉じていた。まるで夢を見ているかのような薄い笑み。窓からの逆光にもかかわらず、ほころんだ表情には一切の翳りがなかった。
「その時が来たら、きっと真っ先に奏多くんのことを思い出すわ」
そっと開いた瞳は少しだけ気後れしたように見えた。
「だから答えはそれまで待っていてくれないかしら」
伝えられた言葉を呑み込むのに時間がかかった。雫さんがおずおずとこちらを窺い始めた頃になって、ようやく。
「ふふっ…くっはは」
堪えきれずに、吹き出した。
「……奏多くん」
「すみませ、ぇふっ」
だって。
だってそれは、聞き方によってはとんでもなく傲慢な言い分だったから。
それがいつになるかもわからないのに。時間が経てば僕が他の人を好きになってる可能性とか、考えなかったのだろうか。本人にそのつもりはないのだろうけど、キープ宣言をされたのかと本気で疑ってしまった。
一頻り笑って目尻に滲んだ涙を拭ってから顔を上げると、雫さんは珍しく拗ねたような膨れっ面だった。
「笑うなんてひどいわ。私だって一生懸命考えて、勇気を振り絞ったのに」
「でも、突拍子もないことを言ってるって自覚はあったんでしょう?」
でなければ僕が笑っている理由はわからないはずだ。そう尋ねると不満そうだった雫さんもばつが悪そうに破顔した。
「やっぱり、そうよね。私の都合で奏多くんを振り回すのは──」
「……いえ、待ちますよ」
たくさん笑わせてもらったし、真剣に考えてくれていたことはよくわかった。
それに終わってしまうのが惜しいと思うくらい、恋することは楽しかったから。お言葉に甘えて、もうしばらくは。雫さんを好きでいることにしよう。
「改めて、ひとまずはお友達として。面倒な僕ですけど、これからも適度によろしくしてもらえると嬉しいです」
「……ええ、もちろん!」
不安を先送りにするなんて僕らしくもない。だけどそれも悪くはないと思った。
一連のエピソードはレオニの初恋司概念なるものから逆転の発想で書き始めました。
次はワンダショ編の予定ですが今回に比べると短く薄いかも。あと更新も少し間が空くと思います。