動向
下らない。
廃人を前にしてそう思う。
下らない。
死体を前にそう思う。
下らない。
彼女を前にしてそう思う。
「下らない」
鏡の前の自分に、そう言った。
ナイフ使いは都会を歩いていた。
休日にはこうして街中を探索することをよくしている。これは表世界の常識を学ぶ為であり、自分なりに世界の基準を探す為でもあった。ナイフ使いの髪と眼は無闇に人目につくので、彼はフードを目深に被り歩いている。人間らしい雰囲気がなく、物が動いているようなナイフ使いに何度か人がぶつかりそうになる。ナイフ使いはその度に軽く避け、ぶつかりそうになった人は彼の存在に気付く事なく歩み去っていった。
「よう」
一言、路地裏から声が掛けられた。
普段ならそんな言葉に足を止めはしないが、ナイフ使いはピタリと足を止めてそちらに目を向けた。
聞いたことのある声。
「久し振りだな」
案の定、神殺しがそこにいた。
雑踏の中、人の中に入ることも無く、一線を引いた場所に神殺しはいる。その笑顔は、ナイフ使いが二重人格を出す前も、出した後も変わらない。
あの事件の後でも、唯一、神殺しは態度に全く変化を見せなかった。
「…………」
ナイフ使いは人の波から抜けて、神殺しの前に立つ。
「何か用か」
感情の篭らない一言に、神殺しは目を丸くした。
「……本当に変わったな、お前」
「…………」
用はないのかと目で訴えるナイフ使い。急かすなと、神殺しは肩を竦めた。
「やれやれ。少しくらい話す時間あるだろ?そこの喫茶で茶でもしようぜ」
「水分の補給は必要ない」
「そういう意味じゃねぇよ。出歩いてる割には俗世に疎いな」
神殺しは先程とは違う意味で肩を竦め、そのまま人の波に乗って歩き始めた。ついてこい、という意図はナイフ使いにも伝わり、神殺しの後をつけるように後ろを歩く。
「…………」
隙だらけ、の訳もないが、ナイフ使いに悠然と背中を見せて歩く神殺しに内心疑問を抱く。
確かに、ここでは人目もありすぎるし、争う理由が無いのに戦う筈もない。それだとしても、無防備過ぎる。二重人格を見せたナイフ使いに対し、あまりにも、隙を見せすぎている。
「…………おい」
「あん?」
だから、ナイフ使いは問いた。
「死ぬつもりか?」
「何のことだ?」
本気で分からない様子で返してくる神殺しに対し、淡々と口にする。
「俺に背中を見せるのはどういう了見だと聞いている」
あー、と神殺しは腑抜けた声で空を見た。
「でも、お前、もう殺しできないだろ?」
神殺しは二重人格の引鉄を知っていた。ナイフ使いは表情を変えずに新しい疑問を言葉にする。
「……何故知ってる?」
「神の眼から聞いた。明日中にはこの情報も出回るんじゃないか」
何故神の眼が知っているのか。
何故、情報が出回るのか。
「何故」
「ストップ。ここで立ち話も周りに迷惑だ。先ずは適当な店に入ろうぜ」
「……良いだろう」
再び神殺しは背を向ける。
そのまま、ナイフ使いに言った。
「……二重人格は確かに恐ろしいが、俺にとって、それがお前を警戒する理由にはならんよ」
神殺しは知っている。かつての神の刃が多くの殺しを積み重ね、殺人の技術を磨いてきたのは、全て母親の為だったことを。
神の刃だった少年は、自分から好き好んで殺しをしていたわけではない。それが必要だと思っていたから、それをしていただけだ。どんなに死を積み重ねようとも、結局彼にとってそれは手段でしかなく、自分の快楽とは成り得なかった。だから、神殺しは背を向ける。それができる相手だと知っている。
「……俺は一応、裏政府の人間なのだが」
「属している組織に拘りあるのか?」
「ないな」
「だろ」
結論は出たと神殺しは歩き出し、ナイフ使いは後ろをついていく。ナイフ使いはただ神殺しの背中を見ていた。
店に着くまで無言で、そして、何も起こらなかった。
あまり繁盛していない個人経営の喫茶店に入る。古めかしい家具や装い。全体的にボヤけたライトが雰囲気を醸し出している。都会の喧騒が遠くに聞こえ、店内のBGMが優しく鼓膜を震わした。
「何飲む?」
「何でも構わん」
ナイフ使いは食べ物の味が分からない。舌は正確で、調味料の分類などを把握できるが、そこに美味しい不味いの基準が存在しない。毒かどうか、どのような物で作られているかを調べる為だけに特化しており、味を楽しむなどといった機能が存在しない。肉体的に兵器として完成された体は、人間的には不完全であった。
ナイフ使いはそれに不都合を感じたことはないし、今ではそれにより感情を動かされるリスクが無くなっているので良しと判断している。
「あ、そう。じゃあ、適当に頼むぞ」
流石にそこまで知らない神殺しは適当に流すが、知っていた所で態度を変えることもなかっただろう。ナイフ使いも敢えて言う事はしなかった。
神殺しは手を挙げて店員を呼ぶと、珈琲とカフェオレを頼んだ。店員は小学校低学年ぐらいの子供2人がこんな店に入ってきていることに多少驚いていたようだが、入ってきてから今まで騒がしくもないので、大人びた子達なのかと首を傾げていた。あまり話し掛けない方が良いかと思っていたが、無自覚なだけで、それはナイフ使いに対する本能的な拒否反応のようなものだった。
フードに隠れているとはいえ、人間味の薄い雰囲気は、生きた人形を見るような心地悪さを感じさせる。彼はどこまでも異質であった。
そうでなければ、生きられない。
「……さて、改めて久し振りだな、神の刃。いや、ナイフ使い」
店員が去ったのを見送り、改めてナイフ使いと向き合う。
「ああ」
「乾杯する雰囲気でもないか」
神殺しは笑い、ナイフ使いは笑わない。
白い少年と黒い少年は、同じ赤い瞳を交差させた。
「神の眼が何かしているのか」
先ほどの会話の続きのつもりでナイフ使いが切り出す。いきなり本題に入るナイフ使いに、神殺しは少し呆れながら答えた。
「今、神の眼は情報屋として動いてる」
「情報屋?」
神化人間らしくない仕事に、ナイフ使いは疑問の声を上げる。
「不思議か?お前は神の目に会った事ないしな。俺からすれば、らしい選択だと思うぜ」
奴は知識に貪欲だからな、と背もたれにもたれかかる。
「彼奴はとにかく知りたがり屋でな。何でも良いから知識を欲しがるんだ。何れはこの世の全てが知りたいとか言うほど、酔狂な奴だよ」
「だから、情報屋か」
「金目的より自分への情報目的だろうな。何も変わっちゃいない」
珈琲とカフェオレが机の上に届く。神殺しは砂糖の蓋を開けると、山盛り3杯程入れて掻き混ぜた。
ナイフ使いはなんとなしにその動きを見つめ、神殺しは視線を感じて唇を尖らせた。
「……甘い物が好きなんだよ。悪いか」
「別に何も言っちゃいないが」
実際、ナイフ使いは何とも思っていない。
神殺しは態とらしく咳をした後に話を続ける。
「お前、二重人格の時の記憶はあるのか?」
ナイフ使いは少しだけ、本当に少しだけ、目を瞑った。
「……少し」
実際どうなのかは、本人のみが知る。神殺しも追求はしない。
「なら、序でに教えておく。今の神化人間の生き残りは俺とお前を含め12人。お前の所の裏政府に4人。裏組織側に4人。後、俺を含めた4人がどっちつかずだ」
「シロ……神の盾は、役立たんぞ」
「無理に神の盾と言わなくて良い。全員がシロは戦闘員と見てないし、お前の二重人格を止める唯一の手段だ。裏政府だろうが裏組織だろうが、神化人間であっても、誰も手出ししないさ」
神殺しが一口カフェオレを含む。満足気に口元を緩めた。
「んで、どっちつかずの所に神の杖が居るが、二重人格にやられた両目が治らなくてな。戦闘出来なくもないが、あいつも基本戦闘外と考えて良い。神の眼は自由に動いてるし、あいつも戦いはしないだろう」
「……そうか」
「そういえば、神の眼がそろそろ会えるかもしれない的な事言っていたぞ」
「俺としては、もう会う理由もないのだが」
もう、母親は死んだのだから必要ない。言外にそう言いつつ、ナイフ使いは表情を変えずに淡々と喋る。
「そもそも、俺と会うことに何か条件が必要なのか?」
「さあ?何か安定してきたら、とか言ってたが、分かるか?」
「知らんな」
「そうか。神の目もよく分からん奴だしなぁ」
奴の話は置いておくかと、本筋に戻す。
「取り敢えずの戦闘面で、問題は裏組織側かな」
神殺しが砂糖とミルクを指差して、いるかと尋ねるが、ナイフ使いは首を振って拒否した。
「裏組織にいる奴らは、端的に言って復讐心を持ってる奴らだ。無論、お前に」
ほう、とナイフ使いが軽く唸る。
「復讐心を抱く程、何かに執着していたのか」
「己のプライドや、自分の失った体。あるいは親。そんな所さ。餓鬼なんだよ」
「俺達は餓鬼だろ」
「半分くらいの神化人間は自覚してるだろうよ」
どれ程脳や精神が成熟していようとも、所詮神化人間は数年の人生しか歩んでいない。自分達が子供であることは、彼らが一番よく知っていた。
「逆に、金で動く奴はいるのか」
「俺と、あとどっちつかずの奴だ。鉄の鎖とか名乗ってたっけな。神化人間の武器が鉄である筈もないけど」
……俺がナイフ使いと名付けられたのと同じ様な意味だろうな。
ナイフ使いは一人納得するが、声には出さなかった。
「そいつは兎も角、お前も金基準か」
「世の中のシステムが金とやらで動いてるからな。正直、金には興味無いが、他人が物事の物差しで考えて分かり易いものと考えると、金になったんだ」
それでも、金を幾ら積んだところで神殺しの心は微塵も揺さぶられない。こんな風にカフェオレを飲んでいる方が、神殺しとしてはよっぽど金よりも価値があった。
「……お前は」
ナイフ使いが静かに尋ねる。
「自分の欲しい物を見つけ出せたのか?」
その問い掛けは、神殺しが自身への問い掛けていることでもあった。
「さあ、どうかな。それを知るには、まだ色々と足りないみたいだ」
結局、自分が何をしたいのか。
自由を手に入れた先で、自分は何をするのか。
「だけど一つ、不可能だと分かってるんだが、やりたいことがあるんだ」
カフェオレのカップを突き出すように、ナイフ使いを指す。
「全力のお前との決着」
神殺しは敢えて全力と付け足した。
神殺しは既にナイフ使い同様、衝撃を操る事を体得している。神の刃と行った一度きりの戦闘では、その技術が無くとも対等に渡り合えていた。ともすれば、今戦えば、やはり互角か、或いは神殺しが上か。
どちらにしろ
「成程、無理だな」
無理な話である。
ナイフ使いに死が迫れば二重人格が目覚める。二重人格を出さずに殺すには、ナイフ使いが死を意識する前に殺さなければならない。それも土台無理な話だが、神殺しとまともな正面からの戦闘をすれば、それこそ死を自覚しない方が無いだろう。ナイフ使いが死のうが、神殺しが死のうが、それは両方とも引鉄となる。
逆に、いくら殺し合いをしても、ナイフ使いが確実に相手を殺すか、自身の死の危険を感じない限り、戦闘をしても問題はない。急所を狙われようが、向こうの急所を狙おうが、行動のみでは二重人格は目覚めない。
「無理だろ?でも、裏組織や他の神化人間の連中のように、小賢しくお前を殺す方法は考えたくないんだ」
神殺しはサラリとナイフ使いの殺人を語るが、彼自身特に反応を示さない。
「そもそも、それが正しい選択だろ。お前も変な拘りを持ってないで、俺を殺す方法を考えたらどうだ」
「って言うけどな。実際問題、結局は二重人格と戦う羽目になるだろ?アレと戦って勝てるかどうか怪しいもんだ」
神殺しは対峙したからこそ二重人格の脅威を知っている。神の杖と違い、神殺しの体は完治している。ただやられただけの赤い銃や光の槍と違い、まともに戦って五体満足で生き延びたのは神殺しだけなのだ。
それでも、神殺しは万が一の時の為に、破壊神を殺せるように、今でも予断なく技術を磨いている。世界を守る為などではなく、自分自身の為に。
「つーかさ、お前、普通に自分が死ぬ話してるけど」
神殺しはカフェオレを飲み干して、ナイフ使いの瞳の奥を覗き込んだ。
「生きたくないのか?」
ナイフ使いの眼は、何も変わらない。
「関係ないな。死ななくてはいけないのに、何故生きようとしなければならない」
「……それはそうだが」
「そろそろ、戻らなければいけない時間だ。失礼する」
ナイフ使いはテーブルの上に小銭を置いて、振り返ることなく店から出て行った。神殺しは頭を掻いて、深い溜息を吐いた。
「……もう、駄目かな」
一口も触れられなかった珈琲は冷めてしまい、黒い鏡として、何も無い天井を映し出していた。
ナイフ使いは雑踏の中を一人歩く。
一言小さく、唇が動いた。
「……下らない」
その言葉を聞く者は、誰も居なかった。