神化人間が世に出てから暫く、世界は荒れた。
「早くしろよ」
「うるせえぞ餓鬼!黙ってろ!」
橙色の髪と青い瞳を持つ少年の言葉に、大人が怒鳴る。辺り一面に広がる美しい花は、一つも漏れずに全て麻薬である。
肌が黒い男達は必死にそれを掻き集め、トラックの荷台へと運んでいく。
木箱の上に座っている少年は、足をブラブラさせながら悠然と眺めていた。
「てめえも手伝ったらどうだ!」
「子供にそんなことやらせるつもり?それに、オレの仕事は護衛だし」
「けっ」
男が舌打ちをする。
麻薬を運んでいた男が、近くの仲間に声を掛けて尋ねた。
「よぉ、あいつ本当に役立つのか?神化人間だか何だか知らんが、ただの餓鬼にしか見えんぞ」
「さてな。ボスが雇ったから腕は確かなんだろう。無駄口叩いてないでさっさと済ますぞ」
作業に戻る男を見送り、一度だけ少年に振り返って眉を寄せた。
「本当かよ……」
男の疑問は、この後すぐに改められることになる。
少年、獣の爪は、尖った自分の髪を弄びながら空を見上げた。元々鋭い瞳が更に鋭く光る。両手に自身の武器である刃が付いた手袋を装着し、ギシリと骨を鳴らした。
「ああ、マジか。ついてねぇ」
獣の爪の呟きと、何かが麻薬の花の中央に落ちてきたのは同時だった。
あれだけ凄まじい勢いで落ちてきたにも関わらず、花の潰れた静かな音だけが微かに鳴る。直接見ていなかったものは、何かが落ちてきたことにさえ気付いていない。
瞬間、獣の爪が座っていた木箱を土台に、それに飛び掛かる。衝撃で木箱がバラバラに壊れた。破片が地面に落ちる前に、獣の爪と何かが刃を交えた。
激しい衝撃で、周りの花々が一気に散る。
「話し合いの余地は無しか」
どれ程獣の爪が力を入れようとも、それは動かない。
ナイフ使いは、動かない。
「話し合うつもりできたのか?」
獣の爪は獰猛に笑う。
刃を弾き、互いの刃が振るわれる。開戦から数秒で、二人の周りの花が一斉に斬り裂かれた。
唐突な事態に焦りを見せた男達が一斉に数台のトラックを一斉に発進させる。何人かの男達がトラックに乗れずに走って追いかける。
それを見たナイフ使いは攻撃してきた獣の爪の腕を絡め取り、先頭のトラックへと放り投げた。弾丸のようは速さで獣の爪がトラックにぶつかり、トラックが横転する。それに驚く前に鎌鼬が後続のトラック達のタイヤを切り裂いていった。
「何だ!何だこいつら!」
男達の悲鳴が響き渡る。
獣の爪がトラックを持ち上げてナイフ使いに向けてぶん投げた。ナイフ使いはそれを斬ろうとしたが、運転手が乗ったままなことに気付き、頭を下げて避けた。後方で土を抉りながら滑っていく。
「今の俺がてめえに勝てると思っちゃいねえ。悪いが、逃げさせてもらう」
獣の爪がカチリとボタンを押す。
全てのトラックと花畑の地面の場所が全て爆発に包まれた。
ナイフ使いは直前で地面を蹴り上げて宙へと逃れる。
爆炎と黒煙の中では、獣の爪の姿を見ることは出来ない。
「…………」
ナイフ使いは上空に飛んだ瓦礫を足場に、より高く飛翔する。
その際、何個か瓦礫を手にし、周辺を警戒しながら地面を俯瞰した。
「…………」
既にそこに獣の爪の姿はない。
隠れたのではなく、逃げたのだろう。
ナイフ使いはそのまま地面へと降り立ち、焼け焦げた周囲の中で、黒い動かない死体が地に伏せている。炭となったそれらは、もう動くことはない。
ナイフ使いはそれを一瞥することなく、無線を繋げた。
「こちらナイフ使い。状況終了。任務完了」
感情の篭っていない声は、ただそれだけを告げた。
「あー、くそ。奴じゃ勝てない」
遠く離れた山の中で、獣の爪はボヤきながら無線を入れた。
「こちらビーストクロー。裏政府がナイフマスターを使用してきた。プランCに変更し、あの場に居た者は全て始末した。以上」
了解の声を受け取り、無線を切る。
木の根に体を預け、一息ついた。
「……くそっ。全然歯が立たない」
悔しげに歯噛みし、背後にある巨木を肘打ちする。重い音が鳴り響き、葉が落ちる。木には肘の後がクッキリと残っていた。
「荒れてるな」
そこへ声が降ってきた。木の上からやってきたのは紫髪の少年で、顔の左半分が膨大に覆われている。辛うじて両目は見えるようで、包帯の隙間から青い眼が覗いている。
「悪いか。つーか、迎えってお前かよ、ポイズンアックス。こんな開けた場所に来ていいのか」
毒の斧と呼ばれた少年は微かに口を歪ませて答えた。
「屋外は嫌だが、今回は迎えだけだからな。神化人間と戦うわけじゃないなら問題ないさ」
「てっきりロックナックル辺りが来ると思ったんだが」
「あいつは今はフランス辺りにいるんじゃないか?お前と岩の拳の相性は良いのは知ってるけど、俺で我慢しな」
それで、と目を鋭くさせて聞く。
「ナイフ使いはどうだった?」
獣の爪は肩を竦めて首を振った。
「二重人格の破壊神には当然及ばないが、オレ達が手も足も出ないのも確かだ。もう戦いの訓練をしちゃいないと聞くが、神化人間の肉体だ。成長がなくとも落ちてる様子は無いな。以前と変わらぬ強さだ」
「……やはり、奴を倒すには神化人間達でコンビネーションを取得すべきか」
「そうだな。ただ、個人技でずっとやってきたんだ。容易じゃないぞ」
「分かってるさ。まだ時間はあるんだ。やるしかあるまい」
「時間はあって無いようなもんだろ。ナイフマスターが感情を出してしまえばそこで終わりだし」
獣の爪が立ち上がり服に付いた土を軽く払う。
「んじゃまあ、頑張りますか」
「そうだな」
二人は去っていく。
ナイフ使いに勝てる強さを求めて、歩き去って行った。
飛行場へと来たナイフ使いは、小型ジェット機へと乗り込む。
運転手へと合図し、日本へ帰る為に飛び去って行った。
「…………」
飛行機の中でナイフ使いはこの飛行機の操縦方法のマニュアルや戦闘機、他にも船や潜水艦など、一通りの機械の操作方法を眺めて行く。体が小さい彼には未だまともな操縦は出来ないが、既に知識は完璧だった。
「…………」
今後の任務に必要かと、こういった知識は漏れなく吸収していった。やることに関しては必ず学ぶ。その姿勢は、環境が変わっても変わらなかった。身についた習性は無自覚に行われている。
「…………」
ナイフ使いは1人、話すこともなく飛行機の中で過ごした。
日本へと戻ったナイフ使いはそのまま裏政府へと向かい、飛行機の中で作った報告書を作成して提出する。
「ご確認下さい」
「ああ」
報告書を受け取った紅蓮は、頷いてから口を開いた。
「ご苦労だったな。ゆっくり休め」
「いえ、私は休まずとも動けます。何か指示があれば従います」
「……今は特に無い。シロの様子でも見てきてやれ」
「承りました。失礼します」
ナイフ使いは一礼して部屋から出て行った。
「…………」
物事の吸収が早く、仕事が優秀で疲れを知らない。おまけに不眠不休無食無飲でも活動出来る存在。
手駒としてこれ以上の者は無いが、それに対して余りあるリスクがナイフ使いにはある。
少しでも感情を出せば、死を意識すれば、それで全てが終わる。
「…………」
未だ彼の扱い方が分からない紅蓮は、気持ちを持て余していた。
ナイフ使いは裏政府のビルの中で、医務室として扱われている部屋へと赴く。
白く清潔なその部屋には人の気配が薄く、利用者があまりいないことを実感させる。
机で作業をしていた外人の女性が、ナイフ使いが入ってきたことに気付いて顔を上げた。
「あら、ナイフマスター。おかえりなさい。帰ってたのね」
「はい」
「シロちゃん。ナイフマスターが帰ったわよ」
女性の声に、カーテンの向こうからシロが顔を出した。車椅子の車輪を回し、二人へと近付く。
「ありがとうございます、サフィアさん」
女性、サフィアへとお礼を言うと、ナイフマスターに目を合わせてニコリと笑う。
「おかえりなさい。ビャク」
「ああ」
対して、ナイフ使いは無表情で返した。
「今帰ってきたの?」
「そうだが」
「じゃあ、疲れたでしょう。休んだ?」
「いや、必要ない」
ナイフ使いはシロの車椅子を掴むと、そのまま押して部屋を出ようとした。
「もう。いってきます、サフィアさん」
「いってらっしゃい」
扉付近でシロが振り返り声を掛け、サフィアがそれに応じた。
下半身が動かないシロには車椅子が必須であり、医務室へ来ているのは経過観察の日課となっている。裏政府からすれば神化人間の構造を把握する目論見もあるのだろうが、別にシロは構いはしなかった。
ナイフ使いはシロを連れて中庭へときた。
シロの散歩も日課となっており、大抵シロが一人か、サフィアかナイフ使いが付き添いをしている。状態がもう少し落ち着けば近くの広い公園へと行ってもいいと話は出ている。
「ねぇ、ビャク」
「何だ」
「まだ、泣けない?」
ナイフ使いは1度目を閉じてから淡々と口にした。
「無理だ。そんな真似は出来ん」
「私の前だと大丈夫なんでしょう?」
「だとしてもだ。そんな事をする気は微塵もない」
それでシロが無事な保障はないし、感情を殺す事を絶えるのは危険だとも考えている。故に、ナイフ使いはシロの前でも感情を殺し続けた。それが辛いという思いすら、殺し続けた。
暫くの間、ナイフ使いとシロは無言で歩き続けた。車椅子の車輪の音だけが、静かに二人の耳に届く。
「……いつか」
シロは笑顔で振り返った。
「いつか、貴方が笑える日が来ると良いね」
その笑顔は、何処か悲しそうで。
そして、ナイフ使いは無表情で
「下らない」
一言だけ、そう返した。