神殺しは憮然とした表情で座っていた。
広い空間。無機質なその場所には、一つのドアしか見当たらない。そのドアから離れた一番後ろに簡易の椅子を立てて、神殺しがそこに座っている。その隣には、同じく簡易な椅子に座らされているシロが居た。
「……久し振りですね、神殺し」
「こんな形で再会するとは思わなかったよ」
神殺しとシロは過去に一度だけ顔を合わせたことがある。
昔の神殺しの実験。神の欠片同士の対戦で、神殺しが最後に相対したのがシロだった。シロはそれまで殺しをしたことがなく、何をさせるにしても大人しく殺されそうになる奇特な存在だった。貴重な神の欠片が殺されるのは勿体無いと、殺し合いを中断させる形でシロは生き残っていた。何を言ってもシロは殺しをしようとせず、相手に殺されそうになるので、神殺し相手なら戦うのではないかと対戦を組まれた。
結果、シロは結局戦おうとせず、そのシロに対して、神殺しもやる気が起きずに試合放棄。
お互いが試合を放棄する奇妙な決着となった。
「何故、戦おうとしない?」
試合後に神殺しは質問をぶつけた。大人には答えなかった本音を、シロは答えた。
「だって、痛いじゃないですか」
傷付けられたら痛い。
自分も、相手も。
だからやらない。
例え、自分が殺されようとも。
シロはあの環境下にあっても自身の意志を持ち、他人を大切に思っていた。簡単に自分を捨てるほどに。
「お前、変わってないな」
あの時のことを思い出しながら、神殺しはそう言った。シロは微笑んで返す。
「貴方も変わってないですよ。変わらず、自由ですね」
「そうかね」
神殺しは息を吐いて天井を仰ぐ。
「元気ありませんね?」
「元気というか、やる気が無い」
別に作戦を立てるのが悪いわけでもないし、一部とは言え、裏組織と裏政府が協力したのも良しとしよう。
だが
「無理だろ、これじゃ」
神殺しはこの作戦でナイフ使いを殺せるとも思っていないし、下手をすれば二重人格を出す可能性があることに頭を痛めている。
この部屋、この組織の建物全体に爆弾が仕掛けられている。周囲半径数キロはあっという間に消し飛ぶ火薬量だ。当然、ここにいる人間は無事では済まない。
神殺しは自身が無事に済むとは思っていないし、逃げ切れるとも思えない。
それでも、殺せはしないと確信がある。
かつての二重人格との敵対時、神殺しと神の杖はプラスチック爆弾を使い殺害を試みた。長い廊下に加え、すぐ真上で爆破させたにも関わらず、二重人格には攻撃を与えられなかった。衝撃を使って爆破を切り裂いたか、あるいは単純に二重人格の瞬間速度が上回っていたのか。どちらにせよ、少しも怪我を与えられていなかったのは確かだ。
爆弾の量が違うとはいえ、一度似たような手口で失敗をした神殺しには、これが成功するとは思えなかった。
爆弾がある事にはナイフ使いは簡単に勘付くだろう。それは二重人格の引鉄にならないにしても、二重人格には共有される。
「なぁ、シロ」
「何ですか?」
「お前、そこまでナイフ使いの事が大切なのか?」
浮ついた話ではなく、単純な疑問。
神化人間は全員二重人格に殺されかけている。シロも身に刃を突き刺された。
神殺しはナイフ使いには普通に接することが出来るが、二重人格を前にするとどうかは分からない。
ナイフ使いと二重人格を恐れていないのは、恐らくシロのみ。
「大切、なのでしょうか」
シロは首を傾げる。
「私は多分、彼に依存しているだけかもしれません」
「いいか、くれぐれも油断するなよ」
銃を持った見回りをしていた裏組織の男が、同じく見回りをしていた男に言う。一切肌を見せないほどに完全防備でいる男達は、兵士と言っても過言ではない。
「裏政府の情報は途絶えたが、来るとしたらすぐだろう」
「俺達の人生ももうすぐかな」
「縁起悪いこと言うなよ」
彼らとて爆弾の事は把握している。しかし、それは最終手段であるし、自分達が生き残れるのば幸いだろう。
しかし、彼等は裏組織の人間。当然、人権を無視した犯罪などにも手を貸している。それはつまり、表世界の常識に照らし合わせれば裁かれるべき存在であり、同情の余地はない。
「故に、躊躇いはない」
背後の壁が壊れ、そこから手が伸びる。首を掴まれた男はそのまま壁に引き摺られ、壁へとぶつかる。
「がっ……はっ……!」
壁にぶつかっても手は離れず、後ろへと力を加え続けられる。防護服のお陰で首はしまっていないが、小さな穴に無理やり引きずり込まれようとしている為、圧力により首周りがミシミシと嫌な音を立てていた。痛みのあまり逃れようともがくが、その小さな手は外れない。
もう一人の男が慌てて銃を構えるが、手以外に相手の姿が見えないので撃つ対象がない。
壁からもう一つの手が突き出され、壁を壊しながら男の頭が向こう側へと消えた。見えるのは男の首から下だけで、必死に逃れようと手足をばたつかせている。下手なホラー映画でも見ているような現実感のなさに一瞬だけ呆然とするが、我に返った男は男を此方に引きずり戻すために銃を捨てて体を掴む。だが、いくら引っ張っても、こちらに一向に動く気がしない。
びくりと、男の体が大きく跳ねる。
その後小さな痙攣を繰り返し、壁の向こうからの力が消えるのが分かった。
「…………」
ナイフ使いは人を殺せない。
それは分かってはいるが、今この体を引っ張れば、首がなくなっているのではないか。
そんな想像に駆られ、恐る恐る体を引き抜いてみる。
頭はあった。
ただし、ヘルメットが剥がされ、顔が剥き出しになっている。
声を出せないように首を潰され、開かれた口は歯が全てない。目玉が潰され、髪の毛も一本残らず引き抜かれていた。
「うわぁ!」
あまりの惨状に、体を離し尻餅をつく。同時に、壁が壊れ、向こうからナイフ使いが姿を見せた。
「監視カメラだったり、見張りだったり、余計なことばかりだな。サッサと本命の所まで行けば、お互い手間はかからんだろう」
ナイフ使いがしゃがんで男に目線を合わせる。
「こいつの様になりたくなければシロの所まで案内しろ」
男は震えた声で叫ぶ。
「お、お前!殺しはできないんじゃなかったのか!」
「殺してないぞ」
ナイフ使いは転がっている男の頭を軽く蹴る。横になった口から、血がどくどくと流れ出してきた。
「こいつは生きてる」
生きてる。これで生きている。これでもまだ、生きている。
男は心底震えた。これなら死んだ方がマシではないかと、自分もあんな風になってしまうのかと肝を冷やす。
「………………」
……死ぬのか、ここで。
いや、殺されないんだ、
あんな風になって生かされ続けるんだ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
「ぎぃあっ⁉︎」
唐突に右耳に激痛が走る。
「放心するなよ」
無感情な声と共に突き付けられたのは、己の耳だった。数拍遅れてヘルメットが地面に当たる音が廊下に響く。
何時の間にかヘルメットを取られ、右耳を引き千切られていた。そんなことに気付かない程放心していたのか。
……違う。気付けない程に、ナイフ使いが速いんだ。速過ぎる。何だこいつは。
正に人間の形をした化け物じゃないか。
「……分かった」
男は震える声で頷いた。
「案内しよう……」
男の胸にあるのは敗北感と恐怖。立ち上がろうとした時、今更ながら無線があったことを思い出す。応援があったことでどうにかできたとも思えないが、それを忘れる程にナイフ使いに呑まれていた。
「……お前は一体何なんだ」
「今更何を言っている。神化人間だ」
神化人間。
神の欠片。
ナイフ使い。
生命を産む営みは生物に共通する事柄である。しかし、人工的に作った生命は、自然の理から外れた存在。クローンだの人工生命だの、裏世界で生きて来た者達にとって、それは当たり前のことだった。
「…………」
……だけど、俺達はとんでもないものを生み出してしまったのではないのだろうか。
「依存?」
シロから出た言葉に、目を瞬かせる。彼女らしかぬ言葉だと神殺しは感じた。
「私は、ビャクや神の眼とは違う意味で異質でした」
戦いを拒絶し、死を受け入れようとし、漫然と生きてきた。他人を殺せと言われても首を振り、死体に触れることもしなかった。
本来ならば出来損ないとして処分される筈も、神の欠片ということで生き残った。生き残ったしまった。
「誰からも必要とされずに生きてきました」
命令に従わない神化人間は必要とされず、誰しもに見放されて。
そして、二重人格の事件が起きた。
「殺されるなら、それでも構わないのです」
シロは死を受け入れていた。
殺しを、死を、受け入れていた。
向かってくる破壊神を拒絶しなかった。
同じ白い存在は、真反対の鏡の自分を突き刺し、突き刺された。
「二重人格の制御。それが生まれて初めて私に与えられた役割でした」
何もなかった自分達。
空っぽだった存在は、互いに白の名を呼び合った。空白は、白によって埋められた。
「私はそれで満足していたのです。それだけで、私は私の欲を埋められました」
それだけで良かった。
それだけで、良かった筈なのに。
「それなのに、私は……」
唐突に神殺しの懐から雑音が鳴る。
神殺しは懐から無線を取り出した。
「こちら神殺し」
無線で連絡を受けた神殺しが何度かやり取りをし、了解と最後の連絡を終えると、シロへと振り返った。
「ナイフ使いが来たそうだぞ」
「……そうですか」
「意外か?」
「いえ、命令が下されたでしょうし、死ぬ確率があれば彼の意思でも来るでしょう」
意外と冷めた反応を返すシロに、神殺しはつまらないなと思いつつ話を返す。
「そうか?生半可な確率に縋りはしないと思うがな」
下手に死を意識させれば二重人格が目覚めるだけ。それは周知の事実であるし、ナイフ使い自身が理解している。
「いえ、口ではいろいろ言いますが、結局来ますよ」
「何故そう言い切れる?」
断言する口調のシロに、神殺しは首を傾げた。
シロが微笑む。
「自分を一番殺したいのは、ビャクだから」
瞳を静かに潤ませて、微笑んで答えた。