Knife Master《完結》   作:ひわたり

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離叛

神殺しと凪は離れた裏路地に居た。

一応、追ってはいないかと神殺しが確認している後ろで、凪がこっそりと離れようとした。

「待て」

走り出そうとした瞬間を見計らい、神殺しが凪の手首を掴む。

「くっ!離しなさい!」

「断る。あまり暴れるな、殺すぞ」

神殺しに殺す気は無い。こう言っておけば大人しくなるだろうという単純な脅しだ。先程、神殺しは裏政府の人間たちを簡単に殺した。信憑性はあるだろうと踏んでの発言だった。

「良いわ。また誰かに捕まるくらいなら、自由になれないのなら、死んだ方がマシよ」

ピクリと、神殺しが反応を示す。

かつて自分が望んだ自由という単語と、死んでも良いという発言に興味を持った。

「普通の生活に戻りたいのか」

「戻る?違うわ、普通の生活をしたいのよ」

凪の目に、一瞬揺らぎが見えた。

「私はずっとあの部屋に居た。物心付いた時からずっと」

「……何?」

「まともに人と顔を合わせて会話した事も全然ない。今の所、貴方が一番長い時間話しているくらいね。知識や情報は、本やテレビ、ネットが全てだった。それが私の全て」

閉ざされた小さな部屋。

あれが、凪の世界の全てだった。

窓から見える人波は手の届かない幻想で。どれだけ望んでも向こう側には行けなくて。

「でも、私は今解放された!もうあの中に戻りたくない!今この瞬間の自由が殺されるのなら、死んだ方が良いわ!」

「…………」

神殺しは無言で腕を捻る。

凪が痛みに呻き声を上げるが、瞳の強い光は損なわれない。

凪が本気で死んでも良いと考えているのだと理解する。

強気な態度や発言も、人に不慣れな臆病の裏返しと知った。

「お前にとっての自由とは何だ?」

予期しない問い掛けに、凪が眉を寄せる。

しかし、すぐに強気な光を戻し、堂々と言い放った。

「私が私らしくなれることよ」

ふむ、と神殺しが一つ頷く。

……体も一般人のそれと同じ。話していても特別性を感じられない。

何故、コイツを裏政府は隔離していたのか。何故、裏組織は俺を使ってコイツを捕らえようとしたのか。

「成程」

神殺しは凪に、初めて神化人間以外の人間に、興味を覚えた。

「良いだろう」

「え?」

「お前を匿ってやろう」

裏組織に引き渡すのではなく。

裏組織に返すのでもなく。

神殺しが身を預かると、彼はそう言った。

「何よ、何で?」

急な神殺しの心変わりを警戒する凪。

「そうだな、敢えて言うのなら……」

かつて自分も求めた自由。

二重人格により施設から脱出することに成功したあの時。

あの太陽の輝きを思い出す。

「俺の求めているものが見つかるかもしれないからだ」

手に入れた自由は、本当に望んだものだったのだろうか。

 

 

 

神殺しの依頼放棄。

それ自体は実は珍しくない。神殺しに限らず、神化人間達は自分の意にそぐわなければ放棄することも有り得た。それは裏を返せば、普通の人間が神化人間を抑えることができないことを意味しているのだが、今回の件でそれは関係ない。

「どんな任務を拒否したのか。内容が一切公開されていない」

岩の拳の言葉に、獣の爪が頭を掻く。

「情報屋にでも聞くか?」

「そこらの情報屋の話では裏政府管轄の施設に侵入したらしいが、それも定かではない。神の眼なら知っているだろうが、高額な対価を要求された為、結局知ることもできなかった」

それは神の眼が価値のある情報と判断したということだ。

ワケが分からないなと首を振る。

「駄目だ。さっぱり見当が付かん」

「見当が付くなら、神の眼だって高額な取引を要求しないだろうよ」

「アレじゃね?女の為とかじゃね?」

「そんな下らん理由なワケないだろうが」

実は獣の爪の答えは当たらずとも遠からずなのだが、そんな事は分かる筈も無かった。

「じゃあ、オレ達どうすりゃ良いんだよ」

先程、岩の拳と獣の爪に依頼が舞い込んだ。依頼は神殺しを捕らえることだった。そして、彼が所持した物を確保すること。

「依頼内容も結構曖昧だ。所持した物ってのは何だ?」

「恐らくは神殺しが依頼で手に入れたものを、渡さずにそのまま持ち帰ったのだろう。それが何なのか分からなければどうしようもないが、向こうも答える気はないのだろうな」

「へっ、都合の良い話だ。オレ達も任務放棄するか?」

「別に構わないけど。僕だって、神殺しとは戦いたくはない」

神化人間で最も恐ろしいのはナイフ使いである。二重人格は言わずもがな、彼の戦闘能力は頭一つ飛び抜けている。幼き日の彼の努力は自身を鍛えることとなり、衰えを知らない体は今なお健在である。

次に恐ろしいのは神殺しだ。

神の欠片でも戦闘タイプにあり、ナイフ使いに届かなくともその能力は凄まじい。

「擬似ナイフマスター戦として考えなくもないが、2人だけの戦闘は無謀過ぎるしな。そこら辺、裏組織も考えて欲しいものだ」

 

 

そんな風に裏世界に少し混乱を招いていても、神殺しは素知らぬフリをしていた。

今、彼らはある木造のマンションにいた。見た目は如何にもボロボロで、人が住んでいるのか疑わしい二階建ての建物。畳が敷かれた六畳間で、卓袱台の上に置かれた料理を前に、凪はちょこんと座っていた。

「…………」

凪の前にあるのはご飯と味噌汁と焼き魚、そして和え物。純和風な食事を前に、凪はジッと見つめたままだった。

「何してんだよ」

お盆に急須と湯飲みを乗せた神殺しがやってくる。

彼の声で我に返った彼女は、顔を上げて神殺しを見た。

「料理、作れるのね」

「まあな」

緑茶を淹れ、凪の前に差し出す。

「遠慮せずに食えよ。味は保証しないけど」

「……いただきます」

凪は手を合わせて、たどたどしく礼をした。

「はい召し上がれ」

「…………」

「?」

凪が顔を見てきたので、神殺しは何かと首を傾げる。凪は何でもないと首を振り、味噌汁を一口飲んだ。

「……美味しい」

「そうかい」

「美味しいよ」

少しだけ違和感を感じ、何気なく凪の顔を見る。

「……どうした?」

凪は、泣いていた。

声を上げるわけでも、体を震わせるわけでもなく、静かに涙を流していた。

「……何でもない」

零れ落ちるような声。

「何でもないの」

凪は泣きながら、涙を流しながら食事を続けた。

その光景を見て、神殺しは一つ理解した。

……誰かと食事をしたことも、こうしてマトモに会話することも、彼女には経験がなかったのだ。

それこそ本の世界のように。

夢物語のように。

手の届かないことで。

「…………」

これだけのことが、凪には救いなのだと、理解した。

「……救いか」

神殺しの呟きに、凪が疑問符を浮かべた。その反応を見た神殺しは、気にするなと言って、自分も食事を開始した。

……ナイフ使い。お前はどうすれば救われるのだろうな。

それは分かり切った答えだった。

死が、救いである。

死の先に何があるのかは知らない。

楽になれるのかもしれないし、今よりも苦痛を味わうことになるかもしれない。何もないかもしれない。

天国や地獄など、所詮生きている人間の迷い言でしかないのだから。

でも、だとしても、死ねば今よりも楽になれるのではないか。そう思えるのは生きている人間の傲慢であろうか。

凪は自由を望んだ。

神殺しも自由と生を願った。

神化人間達も、各々の願いがあるだろう。

それでも、ナイフ使いは何も願えない。

何もない。

無意味な生を過ごし、救いのない死を得るのだろう。

「ごちそうさま」

「お粗末様」

神殺しは食べ終えた食器を下げて洗い場へと行く。そのまま食器を洗っていると、後ろに来た凪が話しかけた。

「ねぇ、ここが貴方の家なの?」

「そうでもあるし、違うとも言える。色んな場所にこういう所を用意していてな。俺の居場所を特定できないようにしているんだ」

見た目はマンションだが、この中には誰も住んでいない。見せかけのマンションなのだ。

「ああ、そうだ」

水で濡れた手をタオルで拭き、ポケットからあるものを取り出して凪に渡す。小粒な小さな機械を受け取った凪は不思議そうな顔でそれを見た。

「何これ」

「発信機だ。怪しい所に行きそうだったら助けに行くから、自由行動してて良いぞ」

「そ、そう」

喜ぶのかと思ったが、意外と大人し目の反応が返ってきた。何故かと思考を巡らせ、当たりをつける。

「不安か?」

「……少し」

凪は外へ出たことがない。

いつも外を見るだけで、実際に歩き回るのはこれが初めてとなる。右も左と知らぬ中で自由にしていいと言われても困惑するだけだ。拘束され続けた人間が自由になるには時間がかかるのだ。

「じゃあ、ついていってやるよ」

どうせ暇だしなと神殺しが提案すると、凪はぎこちなく頷いた。

最初にあった強気な態度はやはり張りぼてのようで、今は気迫が感じられない。

「じゃあ、洗い物終わらせるから待ってろ」

「あ、手伝う」

凪はそう言って、神殺しの横に立つ。

洗い物さえ初めてな彼女はおっかなびっくりに食器に触り、早速落として一枚お皿を割ってしまった。

慌てふためく凪を見て、小さな子供みたいだと神殺しは思った。

何でもない光景が、そこにあった。

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