Knife Master《完結》   作:ひわたり

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約束

恵は混乱していた。

いつも通り部屋で大人しくしていると、ナイフ使いが唐突に入ってきた。何の用かと思えば手を引かれて勝手に歩き出す。転ばないように慌てて体勢を立て直しながら何処に行くのかと問えば、外へ、と簡潔な答えが返ってきた。

頭を傾げる暇もなく、恵はナイフ使いの冷たい手に引かれて裏政府を後にした。

誰とも擦れ違わなかったことに疑問を抱いていると、門の所でナイフ使いから何かを手渡される。布状の物を広げてみると、大き目の紺色のレインコートだった。外を見れば確かに雨が降っている。傘を差すか判断に迷う雨量ではあるが、天気予報で午後から荒れると言っていたのを思い出す。

レインコートを着ろということかと判断し、内心それくらい言葉にすれば良いのにと思いつつ、恵はレインコートを着込んだ。ナイフ使いはそれを確認すると、自分はフードだけを被る。

「ついてこい」

それだけ言うと先に歩を進めた。

今度は手を握らなかった。

「ねぇ、ナイフ使い……」

「話し掛けるな」

恵の言葉を遮り、ナイフ使いは進み続ける。恵は不満に思いながらもそれに従った。

「…………」

しかし、と辺りを見回す。

恵にとって久し振りの外。裏政府の庭には何度も出たことがあるが、裏政府から出たのは何ヶ月ぶりのことか。少しくらい感傷に浸りたいものだが、ナイフ使いの先導はそれを許してくれない。

大通りに来れば、様々な人間が所狭しと動いている。人混みに酔いそうになるが、意識の外へ追いやってナイフ使いの背中を必死に追った。

……このまま家に帰ってしまおうか。

そんな言葉がふと浮かぶ。

でもそれは、恐らく迷惑が掛かってしまう。何も知らないであろう両親を巻き込むわけにはいかない。自分が神化人間ということから分かる通り、両親は実の肉親ではない。それでも、恵からすれば本物の両親であり、家族である。心から愛している。

だから、今はまだ会えない。

「…………でも」

……でも、会いたい。

それが偽りのない、自分の心の声。

「……お父さん、お母さん」

気付けば、自分の足は止まっていた。視界には自分の足とコンクリートしか映っていない。立ち止まっている自分を沢山の通行人が邪魔そうに避けているのが気配で分かる。涙が溜まっている所為か、何もかも歪んで見えた。それでも泣くまいと我慢した。

我慢して

「泣いてもいいだろ」

そんな言葉が降ってきた。

雨の中、その声は不思議と真っ直ぐに耳に届いた。

視界に入ったのは、黒い姿。

恵の前に神殺しが立っていた。

「裏世界に来たのはお前の所為じゃない。両親や知り合いに心配を掛けてるのも、お前の所為じゃない」

雨晒しになっている神殺し。

流れ落ちる雨粒が涙のように見えた。

「シロが死んだのは、お前の所為じゃない」

お前は無関係で在り続けて良いのだと。

何の罪も無いのだと語った。

「だから、泣いてもいいんだ」

恵はレインコートのフードを目深に被り体を震わせた。

一度流れ出した涙は止まらず、ボロボロと頬を伝って零れ落ちる。地面の雨と混ざり合い、涙は足元で消えていった。

人の流れに沿うこともなく、二人はそこに立っていた。

「…………」

ナイフ使いは振り返らなかった。

振り返らない。振り返ってはいけない。立ち止まってはいけない。

二人と離れていく。

立ち止まれた彼らと、止まれないナイフ使い。

人を引き離し、一人孤独に雨の中を進む。雨脚が強くなり、バケツをひっくり返したような土砂降りとなった。数メートル先の視界も確認出来ない。傘を差していた人達も慌てて建物内へと避難する。誰もいなくなった通りを、ナイフ使いが一人歩み続ける。地面を叩く音が喧しく鳴り響く中、足音が小さく聴こえた。

一瞬、雨が血に見えた。

視界を覆うほど落ちる血液。地面は血の海となり、異臭を放つ。誰も居ない筈の空間を、何人もの子供の姿を幻視した。

それはかつて確かにあった光景。

二重人格として、多くの神化人間と研究員を殺したあの時の記憶。

ナイフ使いの赤眼を、一瞬だけ白色が揺らめいた。

それでもナイフ使いは進み続ける。その先が果てのない闇と知りながら。

「…………」

一つの影が通りにぼんやりと浮かび上がった。

傘を差した神の眼が立っていた。

ナイフ使いは一瞥もくれず神の眼の横に並ぶ。

「一週間後、深夜、此処で」

「了解」

最終決戦の日時。

ナイフ使いが死ぬか生きるか、それによって全てが決まる日。

「なぁ、ナイフ使い。お前は何故、神化人間が作られたか知ってるか?」

「知らんな」

「知りたいか?」

ナイフ使いは横目で神の眼を見た。雨粒の向こう、挑発するような神の眼の視線が此方に向いていた。

「……何故そんな話を?」

自分のことは置いておき、神の眼の心理を計ろうとする。

「なに、これが最後になるかもしれないからな。気紛れだ」

どうせなら俺達を生んだ元凶を知りたくないかと、神の眼が問う。

どうして神の眼がそんなことを知っているのか。それは彼の能力がある故だろう。本当にただの気紛れなのか。いつものことだが神の眼の真意は見えない。知識に貪欲という一点を除いて、彼の本質は知れない。

「良いだろう。聴かせてもらおう」

事の始まりの原罪を、今此処で。

神の眼が笑い、ナイフ使いは笑わない。

雨脚がまた一段と強くなった。

 

 

 

神殺しは恵を隠れ家に連れてきた。

そこはかつて凪と共に暮らしていた場所であった。偶に掃除はしていたが、凪が死んで以来、此処で寝泊りする事は無かった。その事を改めて自覚し、無意識に避けていたのかもしれないと思った。

「雨、大丈夫だったか?」

「うん、足はびしょびしょだけど」

靴と靴下を脱ぎ、座布団の上に座る2人。机を挟んで向かい合ったものの、自然と無言の時が続いた。暫くの間、雨が窓を叩きつける音が鳴り響く。

「……神殺し」

沈黙を破ったのは恵だった。

「何で私を助けてくれたの?」

それは予想できた質問であり、そして、未だ自分の中でもちゃんとした答えが出ない質問であった。

「多分、自己満足だ」

何度も自分に問いかけたことだ。

「俺は、誰も救えなかった」

誰も救おうとせず、自分の想いだけを探し彷徨ってきて。そうして生きてきて、凪と出会って。

彼女の死が、全てを変えて。

後悔した時には何もかも手遅れだった。

凪が死んだ。シロをこの手で殺した。そして、ナイフ使いを救うことは出来ない。

どんなに抵抗しても、運命に嘲笑われるように事は進んでいく。

「……その中で、唯一、お前だけを救えると。そう思えたんだ」

恵だけは。

巻き込んでしまった少女。自分がシロを殺してしまったばかりに余計な想いを背負わせてしまった。神化人間であり、普通の人間と変わらない存在。

関係があり、関係のない存在。

だから助けられる。だから、自分の免罪符とも成り得る。

「だから、これは俺の我儘だ」

誰かを救う事で、勝手に救いを求めた。たった一つの正しい行い。

死ぬ前に果たしたかった、自己満足。

「……ありがとう」

「礼はいらない。結局、俺の事情だ」

「それでも、ありがとう」

恵は神殺しの眼を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。それは心の底からの笑顔だった。だから、神殺しも笑うことが出来た。

笑い合う事が出来た。

「……短い間だが、此処にいるといい。このマンションは全部空部屋だから自由に使え。俺は別の部屋にいるから、何かあれば呼べば良いし、お前の護衛をしよう」

「……良いの?」

「お前を攫って助けようと思ったんだ。それくらいするさ」

恵は先ほどの言葉で、引っかかった単語を尋ねた。

「短い間っていうのは?」

「もうすぐ、神化人間同士の決戦が始まる」

それは裏世界の今後を決める鍵となる戦い。

「正直に言って、ナイフ使いが勝つ可能性が9割。だが、奴が勝つのなら、裏世界はおろか表世界まで壊されるだろう。二重人格が目覚めれば、無差別な殺戮が開始される」

成長した二重人格が暴れ回る。考えたくもない事だ。

「対して、俺と青の欠片達。ナイフ使いは殺しが出来ないから誰も死ぬ事はないが、五体満足ではいられないだろうな。それは勝っても負けても同じだ。仮に勝ったとしても、青の欠片達がどう動くかは分からん」

ナイフ使いを殺す為に生きてきた。それだけの為に生きてきたのが大半だ。その目標を成し遂げてしまった時、その先に何があるのか。

何もないのだろう。

そして、何か新しい物を求めるには手遅れだ。彼らの人生は、ナイフ使いに拘り過ぎた。

「俺が生き残ったら、裏世界を壊す。仮に俺が戦えない状態になっても、後は神の杖に託す。時間は掛かるだろうが、いつか必ずお前を自由にする」

一番の問題は二重人格であるのは間違い無い。どちら側が勝つにせよ、決戦後に神殺しは裏世界を壊す事は決意していた。

「決戦は一週間後。場所は此処だ。都会という場所を全部使い、ナイフ使いを殺す。だから、此処は戦場になる。その時に、お前は神の杖に保護をして貰え」

「…………」

恵は無力を痛感した。

ナイフ使いの言葉を思い出す。お前は何も出来ないのだと、何もしない方がいいと言われたのを記憶から呼び起こす。

恵は此処にいる事さえ出来ない。戦場となるこの場所にいる事は、神殺しへの負担となってしまうから。

だから、恵に出来ることは、ただ一つ。

「ねぇ、神殺し」

恵は手を前に差し出し、小指を突き出した。

「指切りしよう」

「指切り?」

唐突な提案に眼を丸くする彼に、恵は優しく微笑んだ。

「私には勝負がどうとか、全然分からないから。だから、単純なお願い。生きて帰ってきて、また会おう」

神殺し数回瞬きをした後、手を出して苦笑する。

「……決戦前の約束とか、映画だと死ぬのがお約束だぜ?」

「なら、例外を見せてよ」

「我儘な奴だ」

良いぜ、と小指を絡めた。

「また会おう。必ず」

「うん」

神殺しを死へ向かわせないように。

繋ぎとめるのが、彼女が出来る精一杯のことだった。

 

いつしか、雨は止んでいた。

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