雲が出てきた。
神殺しは空を見上げて、雪が降りそうだと思った。この辺りで雪が降るのは珍しいが、降らないこともない。やけに肌寒いのはただ単に気温が低いだけか。それとも、この戦いの予感のせいか。
満月が隠れ始めているが、周辺はあちこちで火の手が上がっている。先程あった都会が電気もなく、月明かりだけに照らされた幻想的な光景はなく、響く戦闘音と火の光がやけに現実感を呼び起こしていた。
ビルは姿を隠したり攻撃を避ける障害物でしかなく、広い土地を贅沢に使った戦闘。
飛んできた瓦礫の破片が神殺しの方へ飛んできて、彼の横を重い音を立てて削り取った。
また一つ爆発が起こる。
ビリビリとした空気の振動と、地の揺れを感じながら神殺しは立ち続ける。
神殺しはジッと、戦闘の様子を見続けた。
ナイフ使いが押され出した。
先程に比べ、ナイフ使いの双剣が使われていない。当然だ。青の欠片達は全員、急所を避けなくなった。神化人間の肉体は深手を負っても問題はない。しかし、それが複数になれば問題は変わる。生命を維持しているのが血液なのは、人間と同じだ。
血液を流し過ぎれば死に至るのも、また同じである。
ナイフ使いからすれば、彼らを殺す事は出来ない。
潰す手段は軌道を削ぐ足を奪うか、背骨にダメージを与えて体を動かなくさせるか。戦闘を行うことを不可能にすれば、決着が着く。しかし、その攻撃は死なないギリギリの攻撃とダメージだ。正に紙一重。無闇に攻撃を与えてしまえば死に至らせてしまう。
青の欠片という神化人間を相手に、ナイフ使いは手加減を強いられた。
「……!」
最早、迂闊に鎌鼬すら放てなくなったナイフ使いは、回避を続けながら一瞬の隙だけを窺うようになる。
時間を掛ければ掛ける程、凪の毒も効いてくるだろう。
「!」
近くで爆発が起きる。爆風を感じた瞬間、炎の中から毒の斧が姿を見えた。
炎で煌めく小型の斧を左右同時に振り下ろす。ナイフ使いは双剣を逆さに持ち替え、斧の軌道を綺麗にズラした。彼の顔に頭突きを叩き込む。背に向かってきていた鉄の拳を、流れるように双剣で受け流すと、体を反転させて蹴りを叩き込んだ。
攻撃を受けた2人は衝撃を逃がしながら距離を離す。そこへ割り込むように獣の爪と鉄の鎖がナイフ使いへと向かってきた。
連撃に加える連撃。
後方支援だった鉄の鎖や毒の斧も姿を見せ、攻撃に加わってきた。追い込まれているのは、青の欠片達も変わらない。
凪の毒、全員の連携、ナイフ使いの弱点。
これだけやっても、未だナイフ使いにダメージを与えられていない。焦りはないが苛立ちは募る。
終わりがないように思える攻防。
しかし、青の欠片達と神殺しは分かっていた。これは時間稼ぎであることを。ナイフ使いに凪の毒を少しでも多く与える為の時間稼ぎ。本音を言えば、青の欠片達は自分達が生き残れるとは思っていない。少しでも時間を稼ぎ、あわよくば殺せれば良い。それが最大であり、最高の構想である。その意味では、今生き残っているのは順調である。
だから、いけるかもしれないと、そう思い始めた。
全員が攻勢に打って出たのはその為だ。殆ど欲が無いように作られている神化人間達だが、青の欠片達は等しく殺意に囚われている。
ナイフ使いを殺す。
それだけの為に生きてきた。殺意が彼らを動かす。動く理由として、エネルギーとして、目標として動き続けた。
鎖が絡めようと動き、斧が器用に姿を見せ、拳が動き、鎌が振られ、爪が迫ってくる。
避けて、弾いて、躱して。
そして、ナイフ使いの動きが、一瞬鈍くなった。脳と体の乖離。反応が僅かに遅い。
……凪の毒か。
その一瞬を、ナイフ使いが初めて見せた一瞬を、見逃すわけにはいかない。
一番速かった鉄の拳が、ナイフ使いへ迫る。双剣も間に合わず、ナイフ使いは鳩尾に拳を受けた。
直前に衝撃を逃がす為に後ろへ跳んだ為、衝撃は半減される。しかしそれでも、ナイフ使いは数年振りにマトモな攻撃を体に受けた。痛みを感じる精神と肉体ではないが、そこには確実にダメージがあった。体に受けた衝撃が、攻撃を受けたことを如実に表している。
……いけるかもしれない。ナイフ使いを、殺せるかもしれない。
青の欠片達はそう考えた。考えてしまった。本当に一瞬だけだが、その思考に、願望に囚われてしまった。希望だけに目を向けてしまった。
だから気付かない。だから、失念した。
追撃を忘れてしまった。
自分達が考える時間があるということは、ナイフ使いにも考える時間があるということだ。完全に思考に囚われる時間が出来てしまったということだ。
緩んでしまったのだろう。久しぶりの攻撃を受けてしまったから。ずっとずっと溜め込んで、殺してきた想いを。長年隠した想いを、少しだけ、ほんの少しだけ、浮上させてしまった。
思ってしまったのだ。
「……ああ」
……やっと、死ねるかもしれない。
そう思ってしまった。
故にそれは致命的で、気付くのに時間は掛からない。死を受け入れようとしてしまったことを、自覚した時にはもう遅い。
ドクン、と鼓動が脈を打つ。
しまったと思った時には、既に片目は白く塗り潰されていた。確認するまでもない。意識の半分は、既にないのだから。
鼓動だけが、やけに大きく聞こえた。
嫌だと思えもしない。そんな思考は既にない。
自分が呑まれる感触を体に味わいながら、最後に、声にならない声で叫んだ。
逃げろ。
ドクン
「……⁉︎」
神化人間達が一斉に身を固めた。反射的なそれは、神殺しと神の杖にも起こる。
「……まさか」
神の杖の呟きに、玲奈は何が起きたかと首を傾げた。
「……っ」
神殺しは双剣を取り出すと同時に跳躍した。
間違える筈もない。神殺しからすれば、これで3回目の体験だ。分かっていたことで、予測していた事態であり、そして起こらずにあればと願ったことが起きてしまったのだ。
もう手遅れだ。
何故か、ナイフ使いの言葉が脳裏を過ぎった。
「…………」
青の欠片達は動けない。
体が動かない。
熱に浮かされたように脳は熱いくせに、体は氷に埋められたように冷たい。意識せずに肉体が震える。
白い姿がゆっくりと立ち上がる。
側から見れば隙だらけなその姿に、青の欠片達は動けない。脳は拒絶していたが、体は本能的に理解していた。
もう、手遅れだと。
奴がゆっくりと歩き始める。
まだ遅い。だから、まだなんとかなる。
それが焦りから出た結論だとも分からずに、獣の爪は武器を構えた。
獣の爪が粉々になって吹き飛んだ。
すり潰したかのような肉片が飛び散り、血が霧のように四散する。彼がいた僅かな痕跡である、幾許かの骨と、歪んだ武器の爪が虚しく音を立てて血に落ちた。
獣の爪がいた先のビルの壁が、音も無く砂のように散り散りとなり、静かに大穴を開けていた。
何が起きたのか。
だって、彼はまだ向こうで歩いていて。
毒の斧の視界の横に、白い何かが見えた。それが最後の記憶となった。
頭が綺麗に無くなった体は、一瞬後には影も無く押し潰された。毒の斧がいたビルが、半分以上が粉となって消し飛んだ。
破壊音も無く、静かに当たる石の音が、やけに鮮明に聴こえた。
「逃げろ!」
死神の鎌に届いた声は神殺しのものだった。理解するのに時間は掛からない。それでも、既に遅い。だって、目の前にはそれがいるのだから。真っ二つになる視界の中で、死神の鎌は見た。
ナイフ使いよりも感情のない、ガラス玉以上に透き通った、空っぽで何もない白い瞳を。
最後に思ったことは、父親への復讐心でもなく、ナイフ使いへの憎しみでもなく、何も出来なかった理不尽さでもなかった。
こうならなくて良かったと、心の底からそう思った。
神殺しが降り立つまでの短い時間。3つの命が、ほぼ同時に消えた。慈悲もなく、抵抗も出来ず、痛みもなく、
雲の切れ目から月が姿を見せる。
瞳の白い少年が、静かにそこに立っていた。