「……ああ、やっぱり、目覚めたか」
森林のどこか奥深く、神の眼は笑う。彼が初めて見せる、諦めたような寂しそうな笑み。飄々とした姿はなく、普通の人のように、当たり前に立っていた。
二重人格は神の眼でも抑えられない。因子はナイフ使いの脳に入り込んでいるが、既に人格が分散されている脳であり、同じ様な能力を持っているナイフ使いには効果が薄い。もう一度直接眼を見ればどうなるかは分からないが、そうなる前に殺されるだろう。単純に肉体能力はナイフ使いの方が上回っているからだ。神の眼は青の欠片達よりは強いが、神の欠片の中ではそれ程強くない。幼少期も戦闘から逃げてばかりいた為、実戦経験も実は少なかったりする。
だから、神の眼は決戦に参加することは鼻から考えていなかった。神化人間の事であるから興味はあるが、それよりも、自分の目的が最も大事である。死ぬ気はない。自分のコピーは無限にいても、己の存在は唯一であるのは変わりないのだから。
後の事はコピーが神化人間と世界の行く末を見てくれるだろう。
自分が関わる事はもうない。
「……じゃあな」
そして、神の眼は崖から飛び降りた。
落ちる音はせず、静かな微風だけが過ぎ去って行った。
そして、この世界から一人の存在が消えた。
二重人格は動かない。神殺し達の方を見もせずに、抜け殻のように立ち続けている。
「……何故動かない?」
岩の拳が独り言ぐらいの小さな声で疑問の声を上げる。
「奴の動きは前と同じだ」
神殺しは二重人格から目を離さずに答える。思い出すのは、初めて二重人格と戦った幼い時。
「ゆっくりと動いたと思ったら目の前にいたり、遠くに消えてたり、兎に角掴み所がない。それが奴の速さの秘密かもしれないが、検討もつかないな」
どうあれ、二重人格が素早く動く時と急激に止まる時があるのは事実だ。そこを上手く見極めなければならない。
「ナイフ使いから体を奪ったから、まだ身体も馴染み切っていないようだ」
「……?どういう事だ?」
神の杖の言葉に首を傾げる。
「奴が動く際、急激に殺気が膨れ上がった。本来の奴なら、殺気もなく近寄り殺せるだろう」
「……殺気か、成程ね。だから、皆少なからず直前には動けたのか」
それでも、防ぎ切れる時間はなかったし、対策もなかった。馴染み切っていないということは、まだナイフ使いに戻せる可能性があるということ。
……奴が完璧になった状態など、考えたくもない。
「眼が見えないからこそ、よく分かることだな」
「ああ。それで、どうする」
「やれることは一つだけだ」
全身の警戒を続けながら、作戦を提示した。
「岩の拳は兎に角移動し続けろ。お前では防御しても攻撃を防げない。攻撃を喰らわないように、逃げ続けるんだ」
岩の拳は黙ったまま頷く。自分のできることなど、それしかないと分かっていた。
「神の杖も同じだ。下手に攻撃しようとは考えるな。お前なら一撃を喰らってもまだ平気だろうが、二度はないぞ」
「了解」
攻撃は与えられるかもしれないが、衝撃波を操れることが前提となる防御は不可能だ。
「俺が、奴とやり合う。全員、互いにフォロー出来るように、近くも遠くもない適度な距離で動き続けろ」
了承の声を出そうとした瞬間、全員が反射的に動いた。
一瞬遅れて、先程いたビルの屋上に二重人格が現れた。
彼を認識した岩の拳は、自分の首が既に切られているのを自覚した。
「がぼっ!」
息も出来ず、血を吐き出す。
一瞬だった。
攻撃を受けたことも分からず、ギリギリで掠ってしまったことも理解出来ず、地面へ落ちていく。
「……かっ」
……本当に、此れだけで死んでしまうのか。
ここまで生き延びてきて、何が起きたかさえ分からず、一矢報いることも出来ず。
ああ、僕は、僕達は、一体何の為に……。
「…………」
お前は、何の為に……。
岩の拳の身体を、衝撃波が斬り裂いた。
武器と骨の欠片が虚しく地面へと落ちた。
「……くそっ!」
神殺しはビルの壁を蹴り、二重人格へと向かう。二重人格は宙を舞い、神殺しと刃を交わした。衝撃波がぶつかり合い、周りの窓が割れて壁に亀裂が走る。衝撃を殺し合った2人は重力に従い落下する。その間にも神殺しは刃を振るい、二重人格は全て受け流した。
神殺しは見る。
白い瞳を。
無機質な眼を。
人間味を一切帯ない表情は、ナイフ使いよりも何もない。荒く削り取った彫刻のように、何も写さないマスクのように、一つの物さえ感じさせない。
これが本物の無感情なのだと。
これが人間ではない存在なのだと、改めて思い知った。
「神殺し!」
神の杖の声と共に、二重人格に向かって瓦礫が降ってくる。
神殺しは二重人格とのぶつかり合いの衝撃を利用し、距離を離す。壁まで跳ぶと、再び上空へと駆け上がった。二重人格は瓦礫を粉にすると、彼とは反対にそのまま地表へと降りて行く。
神殺しが屋上へ着く頃には、互いの姿が見えなくなっていた。
神殺しは神の杖と背中合わせに立つと、辺りを警戒する。
「……静かだ」
聴こえる音は爆発によって炎上した炎の音だけ。燃えて天へと伸びる黒い煙の中に、眩い火の粉が浮かび上がっていた。耳に痛い程の静寂の中、冷や汗さえかけない状態が続く。
爆発音が轟いた。
それも一つや二つではない。離れた所や近い所まで、幾つもの場所で爆発が起きる。
「……あの野郎」
……毒の斧が設置した罠を全て破壊しやがった。
高かったビルが幾つもの折り重なるように、神殺しと神の杖が居るビルへと倒れてきた。逃げようとした時、足元から寒気を感じる。
2人は同時に真上へと跳んだ。足場がバラリと崩れ去る。遥か下に、白い姿があるのは想像に難くない。
神の杖と神殺しは互いに武器をぶつけ合う。神殺しは2人の体が弾かれるように衝撃を操作し、反動で別れあった。空気を切るように鎌鼬が下から通り過ぎ、倒れてくるビルの側面を斬り裂いた。
手頃なビルへと降り立った神の杖。態勢を立て直す前に、ビルが傾き始めた。目が見えないので分からなかったが、ビルの下半分が消えて無くなっていた。
神の杖は方向を考えずに跳躍する。立ち止まってしまえばやられてしまう。その予感に突き動かされながら、ビルからビルへと飛び移る。衝撃を操作出来ない神の杖は、跳ぶ度にコンクリートを穿った。彼の後には、ビルそのものが衝撃波により丸ごと破壊されていく。
道路へと降り立った神の杖を、二重人格が迫って来た。間に割いるように神殺しが降り立ち、迎え撃つ。
再び高速の斬り合いが始まった。一撃一撃が神殺しの手を痺れさせる。どれも必殺に等しい攻撃。ギリギリだと神殺し自身も分かっているが、ここで緩めたらそれこそ終わる。
遅れてやってきたビルの倒壊に乗じて、再び二重人格から離れようとした。跳躍した瞬間、神殺しは見た。
二重人格が、初めて構えを取ってたのを。
不味いと思った瞬間には遅かった。
幾つものビルが、紙束のように吹き飛ばされた。
それは当然、耐え切れる物ではなく、神殺しも巻き込まれた。
鎌鼬ではなく、衝撃波として放たれた攻撃はビルをバラバラに砕いて崩壊させる。瓦礫に巻き込まれながらも、神殺しは何とか態勢を立て直そうとして
「っ!」
頭上にいた、二重人格を見た。
振り下ろされる双剣。
碌に衝撃を操れないまま、攻撃を受け止めてしまった。
地面に大きな穴を作り上げて、神殺しは意識を手放した。