「ねぇ、神殺し」
神殺しはハッと目を覚ました。
目の前には不思議そうな顔をした恵がいた。
大通りは人が賑わっており、様々な人が入り乱れて歩いている。立ち止まっている自分たちを邪魔そうに避けながら、大勢の人が歩いていた。
「どうしたの?気分が悪い?」
出かけた時の変装をしている恵が問いてきた。
「……いや、俺は」
……俺は、何をしていたんだっけ?思い出せない。とても大切なことをしていた気がするのに。
「……俺が気分を悪くすることはない」
神化人間だから。
だから、俺は平気だ。
平気。
「……そう」
なら良かったと、恵は微笑んだ。変装をしていても、裏のない笑みが神殺しの目に映る。
「それで、何を食べるの?」
時間を見れば昼ごはんの時間である。神殺しは食べずとも平気だが、恵は違う。普通の人間だから、食べなくては生きていけない。
「そうだな、オシャレな店でも行くか?」
「別に私はカフェとかオシャレとか拘ってないよ」
「まあ、普段食えないような物でも行こうか」
会話の中で彼女という人物を知りながら、歩みを合わせて進んで行く。
少し高めのレストランへと入り、ウェイターへと注文をする。店に入った時点からややテンパっていた恵は、メニューを見て頓挫した。選ぶ際も神殺しに任せるとお願いされたので、2人分のコースメニューを頼むことにした。
「マナーは気にしなくて良いぞ」
「気にしちゃうよ、こんな所……」
恵がおっかなびっくりに料理に手をつけているのを、神殺しは笑いながら見ていた。そんな神殺しに、恵は頬を膨らませて抗議した。
「…………」
……デジャヴだろうか。
前にも、同じことをした気がする。
そう、確か、決戦の日が決まって……。
「神殺し」
思考を遮るように、恵の言葉が耳に届く。
「欲しい物があるんだけど、良いかな?」
「別に構わないが」
軟禁状態だった恵が金を持っているはずもなく、当然、何か欲しいなら神殺しに頼むしかない。
許可を出して頷く神殺しに、恵は嬉しそうに微笑みながらも、どこか複雑な感情を見せていた。
「どうした?」
それが気になって問い掛ければ、何でもないと恵は首を振り、料理に口をつけた。
それから2人は歩き回った。特に当て所のない道筋。寄り道も多く、2人して話ながら彼方此方へと進んだ。
何もない、平和な日常。
神殺しが求めてきたもの。
いつの間にか、そこにあったもの。
「……ああ」
……そうか、これは。この光景は。
決戦前に、恵と出掛けた、あの日の記憶。
「神殺し」
いつの間にか、周りの風景は消えていた。白い場所の中で、神殺しと恵だけが立っている。恵は普段の姿のまま、此方に手を差し出していた。
彼女の手の上には、飾り気のない黒いゴムの髪留めがあった。
「そんな物でも良いのか?」
「高い物は悪いと思ったし、これで良いの。……後ろを向いて」
神殺しは大人しく背中を見せた。少しだけ長い髪を、恵が髪留めで結った。
「……はい、出来た」
恵の手は、そのまま神殺しの背に添えられた。
「何でも良かったの。貴方を繋ぎ止められる物なら、何でも良かった」
「……こんなことをしなくても、俺は生きて帰ってくる」
そもそも。
「俺に生きていて欲しいのか?」
何人もの命を奪った殺戮者を。
これからも命を奪おうとしている殺人者を。
それでも、生きていて欲しいと、願ってくれるのか。
「……生きていてよ」
もう、誰も死ぬのは見たくない。
本当なら、ナイフ使いも救って欲しい。神殺しも、本当なら彼を救いたい。
でも、それは叶わぬ願いだから。
だから、せめて。
「貴方だけでも、生きて帰ってきて。私の約束を忘れないで」
安い物で良い。小さな物で良い。ただ、神殺しと恵の間に、繋がれた物があるなら。
「これで、私を思い出して。生きることを諦めないで」
「……ああ」
そう、まだ死ねない。
生きる理由が此処にあるから。
だから、戻らなきゃ。
「ありがとう、恵」
神殺しは一歩進み、恵は背中を押した。
髪留めのゴムが切れていた。
音にも感触にもならない、極些細な変化。
だが、それにより、神殺しは現実へと帰ってきた。
「……っ」
気絶していたのは数瞬か、数秒か。
身を起こし、意識を取り戻した神殺しの頭にあるのは、二重人格が何処から来るのかという警戒だった。
故に、気付くのが遅れた。
思考力を取り戻すのに時間が掛かった。
目の前の出来事を、自分の顔に掛かった血の感触を、理解出来なかった。
「……は?」
神殺しの目の前で、神の杖が立っていた。その体から、双剣を生やして。
「……ごほっ」
神の杖が自分を庇ったのだと理解する共に、二重人格が神の杖から双剣を引き抜いた。
鮮血が血の雨を降らす。
「ば……!」
神の杖の手が、口を開きかけた神殺しの服を掴み、頭上へ放る。
「……さようなら」
神の杖は別れを告げた。それが誰に向けてのものかは、本人しか知らない。
一瞬後、地面が衝撃によって数十メートル抉り取られた。様々なパイプや地下室、地下鉄が見え、覆い隠していた地面は粉となって消えた。
神殺しを庇い、更に攻撃をまとも受けた神の杖は、二度目の攻撃には耐えられなかった。
後には、死体も残らない。
ただ唯一、折れ曲がった杖だけが彼の存在が居たのだと示していた。
「馬鹿野郎!!」
神殺しの怒号は届かない。
……何故俺を庇ったのか。自分にだって、帰りを待つ人が居るのに。なのに、どうして。
感情では熱くなっているが、頭の冷静な部分では分かっている。
もう二重人格を止められるのは自分しかいないのだ。戦力として、神の杖が生き残るより、神殺しが生き残った方が良い。だからこそ、自分ではなく神殺しを優先した。
神殺しはいつの間にか全てを託され、全てを背負わされてしまっていた。
「……っ」
宙に浮いている間、神殺しは身動きが出来ない。迎撃は出来ると構えると、二重人格は全く予想外の行動をしていた。
神の杖の武器を、折れ曲がった杖を掴んでいた。
「……おい」
何をしようとしているのか。二重人格が動く目的は、何かを破壊するか、誰かを殺すか。
「……まさか」
今、すぐ近くに神殺しが居る。この僅かな時間、動けない神殺しよりも優先するもの。
他に動いているモノ。
逃げようと動いているモノ。
「……やめろ」
嫌な予感が過る。それが答えだと言わんばかりに、二重人格は杖をある方向へ向けた。
「やめろおおおおお!!!!!」
二重人格は杖を投擲した。
神の杖が出て行った破れたガラスの側。玲奈はゆっくりと立ち上がった。
いつまでも此処にはいられない。神の杖を止めることは出来なかったから。自分の目的は此処で終わってしまったのだ。なら、此処にいる理由はない。
後にやるべきことは、神の杖の意思を引き継ぐこと。
「だから、私は……」
生きなければ。
玲奈の身体を、飛翔した杖が貫いた。
大口径の銃弾のように飛ばされた杖は、通り過ぎただけで様々なモノを破壊した。玲奈の身体は無残に引き裂かれた。
ビルの最上階を鋭角に貫き、大気圏まで突破する。僅かに残った最上階の一部に、一人分の血痕が残された。
神殺しは壁へと足をつけた。これでもう、自由に動ける。
だが、もう遅い。何もかも遅い。
地面へと降り立つと、双剣を握り締めて二重人格の元へと進んで行く。二重人格は動かずに、神殺しの方を見ようともしなかった。
「……神の刃は、ビャクは、ナイフ使いは、確かに多くの人を殺してきた」
殺してきただけではない。教育と称され、様々な行為を行ってきた。
生きたままの人間の解体。拷問の仕方。人を殺す方法、殺さない方法。人体を壊すやり方。その他にも、沢山の事を教わってきた。
無邪気に、疑問も抱かず、全てを学んで実行した。
故に、彼は壊れてしまった。
「……でもな、殺した奴は、全員裏世界の人間だった」
だから殺して良いとは言わないけれど。でも、それでも。
「一般人を殺してなどいなかったんだ」
それを、こいつはアッサリと殺した。当たり前のように、彼女の生涯を奪い取った。
二重人格も自分の人格だと、彼はそう言っていた。でも、違うと神殺しは断言出来る。こんなにも簡単に人を殺せる存在が、同等であるものか。
「貴様の所為だ」
神化人間を殺したことを、玲奈を殺したことを、ナイフ使いは覚えているだろう。また人を殺したのだと理解して尚、感情を、自分を殺すのだろう。
神殺しが玲奈を連れてきてしまったこと。良かれと思ってやった事は、結果的に最悪の結末を描いてしまった。
自分の罪を感じながらも、それでも、思わずにはいられない。
お前の所為なのだと。
ナイフ使いでもない、お前の所為だと。
「貴様を殺す!!!」
衝撃がぶつかり合った。