織姫一派の取締   作:海城播磨

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※注意

この物語はヒューマンバグ大学様の二次創作であり、またフィクションです。

本作に登場する人物、企業、宗派、団体は実在のものとは一切関わりがありません。

苦手な方、違和感を覚えた方は無理をせずブラウザバックをお願いいたします。



琥珀色の一杯

陽光が街を去り、藍色の帳が降りる頃。

昼間の賑やかな喧騒を閉じ込めた『宝船』の入り口では、看板の文字が暖色系のネオンへと静かに切り替わる。

 

扉を開ければ、そこは昼の憩いの場とは一線を画す、静謐と洗練が支配する空間だ。

店内に流れるBGMは、軽快なジャズから、身体の芯に沈み込むような重厚なチェロの旋律へと変わっている。

 

カウンターの奥では、マスターの天蔵が、磨き抜かれたクリスタルグラスに巨大な丸氷を滑らせていた。

 

天「――お待たせいたしました。今夜の最初の一杯です。」

 

差し出されたのは、琥珀色の液体が美しい『オールド・ファッションド』。

自家製のシロップに漬け込まれたチェリーの赤が、抑えられた照明の中で宝石のように怪しく輝く。

 

星「……ふぅ。やっぱり、マスターの酒を飲まねえと一日を生きた気がしねえな。」

 

カウンターの隅、定位置に座る星彦が、キセルをふかせながらゆっくりとグラスを傾けた。

氷がグラスと触れ合い、「カラン」と澄んだ音を立てる。

その音さえも、この空間では贅沢な演出の一部だった。

天蔵は穏やかな笑みを浮かべ、手際よくカウンターを拭き上げくすりと笑う。

 

天「そう言っていただけると光栄です。星彦さんが不在の二年間、この止まり木を守り続けた甲斐がありましたよ。」

 

星「全くだ。外国の酒も嫌いじゃねえが、マスターの酒は重みが違う。弁護士してた時のアンタも見たことがあるが、マスターしてるアンタの方が俺は好きだぜ。」

 

天「おや、有難うございます。ですが自分は妻一筋ですので。」

 

星「そんな深い意味じゃねーよ。それに奇遇だな。俺も嫁一筋の女々しい奴だ。今後とも仲良くしていきたいもんだな。」

 

二人の間に、互いの真意を百も承知の上で交わされる、低く心地よい笑い声が響いた。

それは長い付き合いの戦友であり、同じ孤独を知る男同士の、言葉を超えた睦み合いでもあった。

 

この時間、他の面々はそれぞれの役割に徹している。

厨房では日向が夜の客に供する色鮮やかな前菜を静かに仕込み、フロアの隅では叶恵が山積みの大学の課題と格闘し、パントリーではギルハーツが明日用の氷を寸分の狂いもなく切り出していた。

まだ幼い莉寿は、酒場特有の毒に触れぬようバータイムの間は奥の居住スペースで過ごすのがこの店の不文律だ。

 

カラン、と入り口のドアベルが鳴り、静寂を破った。 夜の帳に誘われるように、一人、また一人と夜の住人たちが姿を見せる。

 

ネクタイを緩め、疲れ果てた表情でカウンターの端に座る初老の紳士。

一方で、全身を高級ブランドで固め、獲物を探すような鋭い眼光を隠そうともしない若者。

表の顔と裏の顔、その境界線が曖昧になるのが、BARタイムの『宝船』だった。

 

天「いらっしゃいませ。今夜のご気分はいかがでしょうか」

 

天蔵は、入ってきた客の足取りやコートを脱ぐ際の手つき、指先に染み付いた硝煙や高級香水の匂いから瞬時に「その日の一杯」を察し、柔らかな問いを投げかける。

その初老の紳士は、震える手で乱れたネクタイをさらに緩めると、絞り出すような声で応えた。

 

紳士「……一番、強いやつを。喉が焼けるような、嫌なことを全部焼き飛ばしてくれるようなのを頼む。」

 

天蔵はその一言で、彼が単なる仕事疲れではなく、引き返せない泥沼に足を突っ込んでいることを見抜いた。

おそらくは公金の横領か、あるいはそれ以上に救いのない裏切りか。

 

天「かしこまりました。では、『ニコラシカ』などいかがでしょう。飲み方に少々作法がございますが、今の貴方にはそれが必要な気がいたします。」

 

天蔵が流麗な手つきでブランデーを注ぎ、レモンスライスと砂糖をグラスの縁に載せる。

その静かな儀式のような所作に、紳士は毒気を抜かれたように見入っていた。

 

紳士は言われるがまま、レモンスライスの上に盛られた砂糖を口に含み、一気にブランデーを流し込んだ。

口の中でレモンの酸味と砂糖の甘みが、強烈なアルコールの熱と混ざり合う。

それは、彼が抱えてきた【後悔】という名の苦さを一時的に麻痺させるような、鮮烈な一撃だった。

 

紳士「……っ、げほっ……! はぁ……。熱いな。喉から腹まで、全部焼けたようだ。」

 

天「ええ。ですが、その熱さが引いた後には、少しだけ視界が晴れるはずです。人間、本当に辛い時はその辛さを上回る刺激でしか正気を保てないこともありますから。」

 

天蔵は、男の罪を断罪するでもなく、かといって安易に同情するでもない。

ただ、そこに存在する事実を肯定するように、静かに氷を砕いた。

 

一方、カウンターの奥でその様子を視界の端に収めていた星彦は、キセルの灰をトントンと落とすと、隣に立つ男に目を向けた。 高級ブランドを纏い、周囲を威圧するように座る若者。

その手首には、分不相応な金無垢の時計が光っている。

 

若者「……チッ。ジメジメしてんな。おい、マスター。俺にはそっちのオッサンみたいな湿気た酒じゃなくて、もっと派手なやつをくれ。成功者に相応しい、最高のシャンパンだ。」

 

天「左様でございますか。では、『ブラック・ベルベット』などいかがでしょう。ギネス・スタウトとシャンパンを合わせた、黒いベルベットのような滑らかさを愉しむ一杯です。もっとも、その深みを理解するには、少々の忍耐が必要ですが。」

 

天蔵の言葉には、棘はない。

だが、その瞳の奥には若者が隠しきれていない焦燥と、その背後にある血の匂いを完全に見透かした冷徹な光が宿っていた。

若者は、差し出された漆黒と黄金が混ざり合うグラスを乱暴に掴み、一口煽った。

 

若者「……あ? なんだこれ。シャンパンの華やかさが死んでんじゃねーか。もっとこう、金持ちが飲むような、わかりやすく高い味はねえのかよ。」

 

不満げに吐き捨て、カウンターを指先で叩く。

その無作法な音は、チェロの旋律を汚すノイズとして店内に響いた。

 

天蔵は、若者の無作法な音に眉一つ動かさず、むしろ慈しむような穏やかな微笑みを深めた。

その所作は、荒れ狂う海を鎮める凪のように静かだった。

 

天「失礼いたしました。お客様のような『新進気鋭の成功者』には、歴史の重みは少々退屈な味だったかもしれませんね。」

 

天蔵はそう言って、若者の前にあるグラスを音も立てずに下げた。

代わりに取り出したのは、装飾を削ぎ落とした、だが極限まで薄く仕上げられたクリスタル・グラスだ。

 

若者「あ? 歴史だあ? そんなもんより、俺は今この瞬間にどれだけ稼いで、どれだけいい思いができるかにしか興味ねえんだよ。」

 

天「ええ、その溢れんばかりの生命力、眩しいほどです。では、こちらなどいかがでしょう。リキュールは使いません。素材の良さと、一瞬の調和だけで成り立つ一杯です。」

 

天蔵の手が動く。

それは、迷いのない円運動。

ステアされるバースプーンが氷と触れ合う音すらも、先ほどの不快なノイズをかき消すように澄み渡っている。

 

天「カクテルの王、ドライ・マティーニ。ただし、私の打つこれは少々『キレ』が強すぎるかもしれませんが。」

 

差し出された透明な液体。 若者は鼻で笑い、それを一口喉へと流し込んだ。

 

若者「……ッ!? ぐ、あああぁっ……!!」

 

若者の顔が、瞬時に苦悶に歪んだ。

単なるアルコールの強さではない。

まるで研ぎ澄まされた刃をそのまま飲み込んだかのような、あるいは凍てつく冷気が喉を切り裂くような、鋭利な衝撃。

 

天「いかがですか。それは、多くの者が喉から手が出るほど欲しがり、そして手にした瞬間に身を滅ぼす、『権力』の味に似ていると言われております。」

 

天蔵の声は、どこまでも穏やかで心地よい。

だが、その瞳は若者の網膜を射抜くように固定されていた。

 

天「派手な泡や甘みは、すぐに消えます。しかし、本物の毒は、こうして静かに、それでいて確実に心臓へと届く。先ほどからその金無垢の時計を気にされているようですが、追い詰められている時ほど、酒の味は正直に出るものです。」

 

若者の指先が、目に見えて震え始めた。

その時計が見栄でしかない、自身とは不釣り会いな装飾品だということにマスターは完全に見抜いている。

 

星「おいおい、マスター。あんまり客をいじめてやるなよ。せっかくの酒が自白剤になっちまうぜ。」

 

カウンターの隅で星彦が、楽しげにキセルの煙を吹きかけた。

若者は、二人の間に漂う自身とは比べ物にならないほどの壁に気づき、椅子から転げ落ちるように立ち上がった。

 

若者「……っ、クソが! シケた店だ、二度と来るか!」

 

捨て台詞を吐き、若者は逃げるように店を飛び出していった。

ドアベルの音が止み、再びチェロの旋律が空間を満たす。

 

天「食い逃げならぬ、飲み逃げをされてしまいました。普段であれば逃亡なされる前に捕えているのですが、今回は不問にいたしましょう。いずれ、またここに来た際に請求すればいいのですから。」

 

天蔵は何事もなかったかのように、新しいグラスを磨き始めた。

先ほどまでの冷徹な光は消え、そこには再び慈愛に満ちたBARの店主の顔があった。

 

星彦は先ほどの一口しか飲んでいないマティーニを勿体ないとばかりに一気に飲み干す。

 

星「……カッ。相変わらず、アンタのマティーニはいつもの頭痛が消えていいもんだ。これじゃ若造が腰を抜かすのも無理ねえな。」

 

星彦は空になったグラスをカウンターに戻すと、喉を焼く余韻を愉しむように息を吐いた。

 

天「おや、星彦さん。あれは追い詰められた者には刃に感じますが、貴方のように覚悟を決めた者には、ただの心地よい刺激に過ぎないはずですよ。」

 

天蔵はいたずらっぽく微笑み、手際よくグラスを回収する。

逃げ出した若者が残していった不浄な空気は、天蔵がカウンターをひと拭きするたびに、浄化されるように消えていった。

 

_____________

 

 

夜が深まるにつれ、宝船に漂う空気はさらに濃密さを増していく。

時計の針が頂点を回る頃、客層は一日の疲れを癒やす者から、これから一日の本番を迎える者へと入れ替わっていた。

 

カウンターに座る顔ぶれは、実に奇妙な対照を描いている。

一人は、管轄の署で激務を終え、疲れを隠そうともせずにビールを煽る中年の刑事。

その数席隣には、顔に刻まれてある切り傷を隠しもせず静かに高価なウィスキーを嗜む極道の若頭。

そしてその間には、夜勤明けの看護師や原稿に追われる小説家が当たり前のように肩を並べている。

 

表の人間も、裏の人間も。

光の下を歩く者も、闇に潜んで生きる者も。

このカウンターに肘をつき、マスターが差し出す一杯を口にしている間だけは、己が背負う属性など何の意味も持たなくなる。

 

ここにあるのはただの酒と、それを飲み干す一人の人間という事実だけだ。

 

天「氷の加減はいかがですか?」

 

天蔵は刑事のグラスにチェイサーを注ぎ足しながら、極道の男にも静かに会釈を返す。

その公平な振る舞いは、ある種の絶対的な結界のようでもあった。

 

刑事「聞いてくれよマスター。ったく、どいつもこいつも口が固ぇんだ。被害届は出てるんだが、肝心の店に行くと『そんな客は知らん』の一点張りだ。巧妙に帳簿も隠してやがる…」

 

刑事は、空になったビールのジョッキをカウンターに重く置いた。

酔いと疲労が限界を超えているのか、数席隣に座る男の放つ隠しきれない「極道の殺気」にも気づいていない。

ましてや自分の組織のトップである警視庁の人間が、その背後でキセルを燻らせていることなど、夢にも思わないだろう。

 

天「それは災難でしたね。黒焉街といえば、最近は特に夜の帳が深いと聞き及んでおります。」

 

天蔵は、刑事の好みに合わせて二杯目のハイボールを差し出した。

炭酸の泡が弾ける音が、刑事の愚痴を優しく受け止める。

 

刑事「ああ、全くだ。特にあの『レッド・アイズ』とかいう店だ。被害者はみんな、気づいた時には数十万単位の請求書を掴まされてる。だが店員も客もグルなのか、誰も証拠になるような動画一つ撮らせやしねえ。……クソッ…。正義ってのは、こうも足元が不安定なもんなのかね、マスター。」

 

数席隣で、ウィスキーのグラスを弄んでいた極道の若頭が、ピクリと眉を動かした。

その眼光は鋭く、獲物の場所を特定した猟犬のそれだ。

だが天蔵はその不穏な動きを完全に場の一部として受け流し、刑事に柔らかな問いを重ねる。

 

天「そのお店、お酒の種類などは豊富なのでしょうか。それとも、特定の銘柄ばかりを勧めてくるとか?」

 

刑事「ん? ああ、そういえば…被害に遭った奴らは揃って『ヴィンテージのブランデーを勧められた』って言ってたな。名前は何だったか……確か、ナポレオンのなんとかかんとか……」

 

天「なるほど。希少なボトルを餌に、警戒心を解かせているのかもしれませんね。そのボトル、もし本物だとしたら卸元も限られてくるはずですが。例えば、輸入ルートが特殊な業者とか。」

 

刑事「卸元……? おお、そうか!そっちから洗えば足がつくかもしれねえな。流石だ、マスター。あんたに話すと、曇ってた頭が少しマシになる。」

 

刑事は視界の端で「正解」を提示してくれたマスターに感謝し、一気にハイボールを流し込んだ。

天蔵は微かに目を細める。

彼が情報を引き出したのは、単なるアドバイスのためではない。

その会話の内容は、カウンターの端で静かに耳を澄ませている狩人たちにも共有されているのだ。

 

極道の男は、最後まで何も言わず静かに代金を置いて店を後にした。

刑事もまた、少しだけ足取りを軽くして「明日こそは」と呟きながら去っていく。

 

カラン、とドアベルが鳴り、静寂が戻る。

 

天「さて、そろそろ店じまいにいたしましょうかね。明日の一杯のための仕込みもありますから」

 

星「アンタ武闘派じゃねーだろ?業者の方は俺とギルか日向とでも行ってやるから、アンタは完了報告だけ待ってろよ。『レッド・アイズ』とかいう店はそのうち潰れんだからさ。」

 

天「いえいえ星彦さん。自分はただ希少なボトルがどれほどの品物なのかを、お酒を提供する身では見てみたいだけなのですよ。」

 

天蔵はそう言ってクスリと笑うと、手際よくグラスの水分を拭い、棚へと戻し始めた。

 

天「それに、運動不足にならずに済むでしょう?」

 

星彦はキセルの灰を落とすと、深く、重い吐息を一つ吐き出した。

天蔵が言わんとしていることは明白だ。

 

星「わかったよ。だが、無理はすんな。アンタに何かあった時用に護衛は付けてやる。だが、制裁を加えるのは俺の特権なんでね。俺も同行させてもらうよ。」

 

天蔵は磨き上げたグラスを照明にかざし、その曇りなき透明度を確認すると満足げに目を細めた。

 

_______________

 

 

薄暗い黒焉街の一角。

潮風に錆びたコンクリートの倉庫内には、安っぽい香水と、隠しきれないアルコールの腐敗臭が漂っていた。

そこには『レッド・アイズ』の店主をはじめ、近隣のぼったくりバーを牛耳る下衆な面々が集まり、談笑していた。

 

「ヒヒッ……。あのナポレオンの偽造ボトル、面白いように食いつきやがるぜ。中身は数千円の安酒だってのによぉ」

「騙される方が馬鹿なのさ。正義だの警察だの、そんなもんはこの街の暗闇には届かねえんだよ」

「さらに言えばよぉ……この『密売ルート』は、お上も気づいてねえ法律の網の目よ。酒税法だろうが関税法だろうが、穴さえ突けばボロ儲けできる。正義感ぶった役人どもが鼻を垂らして寝てる間に、俺たちがこの国の血を吸い尽くしてやるのさ。ヒヒッ!」

「ヒヒッ! さあ、景気よく祝杯を――」

 

下衆な笑い声が倉庫の天井に反響し、男たちが偽造されていない本物のナポレオンをこの空間には不釣り会いな美しいグラスに注ごうとした、その時。

 

男がボトルの栓に手をかけた瞬間。 倉庫の重厚な鉄扉が、まるで紙屑のようにひしゃげ、凄まじい轟音と共に吹き飛んだ。

 

星「……お楽しみのところ悪いが、その酒、お前らの喉を通すにはちともったいなすぎるな。」

 

もうもうと立ち込める塵煙の中から、キセルの紫煙を吐き出しながら星彦が姿を現す。

その背後には、日向とタブレット端末を片手に優雅な足取りで進むギルハーツ。

そして中央には、仕立ての良いコートを羽織り一本の漆黒の杖を突いた天蔵が静かに佇んでいた。

 

「な、なんだお前らは!? サツか!?」

 

星「警察?あぁ、間違いじゃねぇな。だが、今夜ここに来たのは司法の番犬じゃねえ。テメェらみたいな不浄なゴミを片付けに来た、ただの掃除屋だ。」

 

星彦の言葉が終わるより早く、十数人の荒事師たちが一斉に襲いかかる。

だが、そこからは一方的な蹂躙だった。

 

星「オラァッ!!」

 

星彦の重戦車のような拳が、先頭の男の顔面を陥没させる。

骨の砕ける鈍い音が響く中、星彦は笑みを浮かべ、次々と外道たちをコンクリートの床へと叩き伏せていった。

 

その傍らで、ギルハーツは飛んでくる返り血すら避けるような優雅な所作で、並べられたボトルに次々と端末をかざしていく。

 

ギル「叶恵君。こちらのボトルのシリアルナンバー、及び偽造ラベルの印刷元と思われるロゴをスキャンしました。バックアップを送信します。至急処置をお願いします。」

 

叶『了解しました、ギルハーツさん。データ受信__即座に口座凍結と流通ルートの逆探知を開始します。三分で丸裸にしてあげましょう。』

 

一方で日向は天蔵の傍らを一歩も離れず、隙を突こうと回り込んでくる輩を抜刀すら必要としない体術と柄打ちで、塵を払うように処理していく。

 

日「マスターさんには指一本も触れさせませんよ。紳士の男性や女性を狙うなんて品もありません。」

 

日向の冷徹な牽制に、敵は蛇に睨まれた蛙のように硬直する。

天蔵は目の前で繰り広げられる暴力の嵐を、まるでお茶会でも眺めるかのように穏やかな瞳で見つめていた。

 

星「……さて、最後はお前だけだ。酒の密売ルートの張本人さんよぉ。」

 

星彦が血に濡れた拳を鳴らしながら、主犯の男を睨みつけた。

男は恐怖で腰を抜かしかけたが、目の前には凶悪な星彦。

逃げ道を探して視線を泳がせる。

裏口はすでに星彦が叩きのめした輩の山で塞がっている。

唯一、道が開いているのは――入口側に立つ、杖を突いた老人の前だけだ。

 

「ど、どきやがれこのジジイィ!! 死にてえのか!!」

 

男は懐から飛び出しナイフを抜き放つと、なりふり構わず天蔵へと突進した。

 

天蔵は、驚く風もなく、ただ静かに一歩踏み出した。

 

天「やれやれ…。今晩のお客様方は、相当酒癖が悪い。」

 

シュッ――!!

 

空気を切り裂く鋭い音。

天蔵の手元で、紳士の装飾品だと思われていた杖が目にも止まらぬ速さで男の顎を真下から跳ね上げた。

 

「が……はっ!?」

 

衝撃でナイフが宙を舞う。

天蔵は流れるような動作で杖を返し、男の膝裏、そして鳩尾へと、寸分の狂いもない点の衝撃を叩き込んだ。

それは力任せの暴力ではない。解剖学的な弱点を的確に貫く、洗練された護身の技。

 

天蔵が杖の石突きを「トントン」と床に鳴らすと、男は白目を剥き、跪くように崩れ落ちた。

 

天「足が悪いただの老人と思われましたかな。申し訳ございません。この年になると、無作法な客に教訓を授けるための『道具』が必要なこともありましてね。」

 

天蔵は、逃げようとした男の襟首を杖の柄で引っ掛け、まるで落とし物を拾うかのように引き寄せた。

 

星「カカッ! 相変わらずマスターのステッキ術はエグいな。弁護士時代、法廷の外で絡んできた荒くれもんをそれで全滅させてた頃から変わってねえ。」

 

天「人聞きの悪い。自分はただの平和主義者ですよ、星彦さん。」

 

天蔵はそう言って微笑むと、倒れた男の脇に転がっていた本物のナポレオンのボトルを、汚れないよう丁寧に拾い上げた。

 

天「さて、このお酒は救い出せました。星彦さん、帰るとしましょう。今夜は本物の味を知るお客様に、口直しの一杯を振る舞わなければなりませんから。」

 

月明かりの下、崩壊した倉庫を背に歩き出す四人。 天蔵の突く杖の音だけが、黒焉街の夜に規則正しく響き渡っていた。

 

______________________

 

 

夜の静謐なBARタイムを終え、数時間の仮眠を経て。

窓の外から差し込む陽光が、昨日までの毒をすべて浄化するように、店内の琥珀色を明るい木漏れ日へと塗り替えていた。

 

莉「……ん、ふわぁ……。おはよぉ……」

 

三階の居住スペースから、眠そうな声を漏らしながら莉寿が降りてきた。

その手には大事そうにかみしゃが抱えられており、まだ寝癖のついた前髪が、彼女の幼さを強調している。

 

莉寿がカウンターへ向かうと、そこにはすでに朝の顔に戻った面々が揃っていた。

 

ギル「おはようございます、莉寿さん。今日も朝日がお美しさを引き立てていますよ。」

 

ギルハーツはすでに完璧に整った給仕服姿で、朝一の仕込みであるレモンを優雅にスライスしている。

 

日「莉寿ちゃん、おはようございます。もう少しで朝ごはんが出来ますよ。今日の朝ご飯はフレンチトーストです。」

 

日向はエプロンの紐を締め直し、コンロに火をかけた。

甘い香りが莉寿の鼻をかすめ、お腹がグ~と鳴る。

 

天「おはよう、莉寿。よく眠れましたか?温かいミルクを入れてあげるから待っていなさい。」

 

カウンターの奥では、ネルドリップを丁寧に蒸らしていた。

漂ってくるのは、血や硝煙の匂いなど微塵もない、深く芳醇な珈琲の香り。

 

叶「マスターさん…僕にも目覚ましの一杯が欲しいです…」

 

叶恵はそんな面々とは対照的に沈んでいた。

深夜に行われた情報整理と口座ストップの他にも大学の課題がまだ残っていたからだ。

徹夜で終わらせたのはいいが、父である星彦の酒の付き合いで飲んだアルコールがまだ残っていて二日酔いである。

星彦とは違い、叶恵は下戸なのだ。

 

天「おや、叶恵君。顔色が優れませんね。二日酔いには珈琲よりも、こちらの特製トマトスープの方が効くかもしれませんよ。リコピンとビタミンが、星彦さんから押し付けられたアルコールを分解してくれます。」

 

天蔵は苦笑しながら、冷たい氷の代わりに優しく湯気の立つスープカップを差し出した。

叶恵は這いずるようにカウンターへ歩み寄り、スープを一口啜ると、ようやく人心地ついたように深く溜息を吐いた。

 

叶「……ありがとうございます、マスターさん。そういや父さんは…?」

 

叶恵はこの場にいない星彦の姿を探す。

いくら酒豪の父でも昨日のあの豪快さでは潰れたのかな?と思っていると

 

ギル「星彦さんなら、「酒が抜けた」と言って朝早くから出かけて行きましたよ。恐らく散歩という名の朝市のパトロールでしょう。流石星彦さんです。あれだけのお酒の量にも余裕の表情で、そして朝早くからも正義の心を貫くその姿勢。ボクは感激で涙があふれ出しそうでした。」

 

日「ギル君、感激するのはいいけれど、レモンのスライスがもうみじん切りみたく細かくなってきてるよ。それと、星彦さんなら昨日叶恵君がまとめてくれた資料を刑事さんのいる署に届けに行っておられますよ。」

 

日向がフライパンでフレンチトーストを鮮やかに裏返しながら、ギルハーツの言葉を補足するかのように話した。

 

叶「『終わったことは先延ばさずに報告して次』も一派の鉄則だもんね。そういうとこ律儀だな~。まだ夜勤の人達しかいないと思うのに」

 

叶恵はスープの熱気で少しだけ赤みの戻った顔を上げ、手元のタブレットを開いた。

深夜に自分が処理したデータの後追いと、今朝方の黒焉街の動静をチェックするためだ。

 

叶「『レッド・アイズ』が黒焉街にあるからもしかしてと思ったけど、やっぱりもう跡形もなくなってるね。昨夜の深夜、京極組の人達が乗り込んで、『レッド・アイズ』を完全に解体。ついでに周辺のぼったくりバーも軒並み沈めたみたいだ。元のお酒の業者は僕らの手によって解体された後だったから、京極組の方もスムーズだったんだろうね。」

 

莉「昨日来てたっていう極道の人じゃない??そりゃあ自分たちのいる街が荒らされるってなると動くよね。」

 

莉寿がスープに口をつけながら、事も無げに言った。

彼女にとって「極道が店を潰す」というニュースは、明日の天気予報を聞くのと同じくらい日常の一部になっている。

 

莉「あれ?おばあちゃんのグラス、今日はないんだね。いつもそこにあったのに」

 

莉寿は天蔵の後ろの棚の一角を指さした。

そこには天蔵の亡き妻である遺品であり形見の大切なグラスが置かれていたからだ。

 

天「グラスは本来、飾るためだけにあるものじゃないからね。今だけ少し使わせてもらってるんだよ。」

 

そう言って天蔵は手元にあるグラスに入った淡い黄色やクリーム色をした柑橘類の香りのする飲み物を飲み干した。

 

 

_____________

 

ところ変わってここは墓地。

墓地の冷たい空気は、朝日を浴びて少しずつ和らいでいた。

だが、そこだけは時が止まったかのような静謐さが支配している。

 

星彦は、慣れた足取りで一基の墓の前に立った。

そこには、力強い筆致で『七福』の二文字が刻まれている。

 

星「……よぉ。随分と朝早くから騒がせて悪いな。」

 

星彦はキセルを仕舞うと、懐から丁寧に包まれた一つのグラスを取り出した。

グラスの中には柑橘類の香りのする液体が入っている。

 

星「マスターからの、『お届けもん』だ。アンタらが二人で飲むときに必ず作ってたもんだぜ。」

 

星彦は、そのグラスを墓石の前に供えた。

透き通るような色合いの液体――それは、『コープス・リバイバー』。

「死者を蘇らせる者」という名を持つ、強烈で、それでいて清涼感のある一杯だ。

 

星「アンタの旦那さんは元気にやってるよ。勿論、莉寿も元気に育ってきてるよ。アンタが酒が好きだったからなのか、マスターまで酒が好きになっちまったんだぞ。元は苦手だったのにさ。」

 

グラスに注がれたカクテルが、朝日の光を浴びてキラキラと輝く。

 

星「俺はそんなしゃれてるカクテル言葉なんぞ知らなかったぞ。やっぱり、アンタたち夫婦には敵わねーな。」

 

立ち上がり、背を向けた星彦の足取りに迷いはない。 背後では、供えられた『コープス・リバイバー』が、まるで死者の魂にひとときの活力を与えるかのように、朝陽を受けて琥珀色の灯火を宿していた。




名前:七福 天蔵(しちふく てんぞう)
誕生日:11月11日
好物:炊き込みご飯
身長:177cm
年齢:58歳
喫茶バー「宝船」のオーナー兼マスター兼バーテンダー。カクテルの世界大会で優勝しまくって殿堂入りを果たしており、その腕前は本物。賭け事では負けなし、ただし奥さんにだけは一度も勝てなかったという。常に笑顔で落ち着いており、織姫一派の面々は家族も同然。
40歳までは腕利きで名の立つ弁護士として活躍していた。
弁護士を辞職した後は、奥さんの夢だった喫茶バーを二人で開業。朝から夕方までは喫茶店、夜はバーになる店「宝船」はこうして生まれた。
武闘派でも警察でもない織姫一派の非戦闘員だが、情報通で勘が鋭く年の功によるサポート役として一派に欠かせない存在。レスバも強く、言葉だけで相手を追い詰める力も持っている。
たまに外出時に携行する漆黒の杖はステッキ術の武器でもある。足が悪いわけではない。
常連客の顔ぶれは元軍人や政治家などの社会的に強い方々からドヤ街の強面まで幅広く、宝船という場所があらゆる人間を等しく迎え入れる空間であることの体現者でもある。
未亡人で現在の直近血縁者は孫の莉寿のみ。


『コープス・リバイバー』
直訳:「死者を蘇らせる者」
カクテル言葉:
「死んでもあなたと」
「二人の時間をもう一度」
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