船は
碼頭に下り立てば、遠く離れた場所からでも存在感のあった府の城壁が、見上げる程に高く
碼頭も府の最寄りらしい賑やかさで、街に入らずその場で商売をする屋台すら並んでいた。
「全員が全員、府に入るわけではなさそうだね」
他の船から下りたであろう商人の何人かは城壁の方面には向かわずに、それとは反対方向、遠くに見える街へと続く街道を行こうとした。街は
近くにいた老いた商人が言うには、
「もちろん府は稼げる。だがこのところ、武器の類を持っていると捕えられるらしいからな。護身用の短剣すらも危ないって話だ」
「本当に?」
「まあ、ただの噂だとは思うが、念には念を入れて府で商売するのはやめるのさ。商人ってのは臆病な方が長く続けられるものでね」
そう言い残して、老いた商人は五蓮県へと荷台を引いて行ったが、大多数の商人はやはり府に向かうようだった。
商人の言う噂が気にはなったが、
府は城塞都市である。東西南北の大門をくぐる以外に府に入る道はなく、各地から来た商人や僧侶、旅人などが行列を作って街道を埋めていた。
人垣越しに、巨大で真っ赤な門が見えた。発色からして
猛烈な人の波に沿って歩いていると、猫が何か不穏な気配でも嗅ぎ取ったのか、足元でふがふがと言った。
「え? 何? 門兵に単刀を奪われるんじゃないかって?」
猫は先の商人の話を気にしているらしい。
「存外に小心者の猫だね。仮に奪われたとしても、剣の霊力が持ち主を焼くかも。不気味がって捨てたのを、こっそり拾って回収すれば良い」
それを聞いて猫は呆れたように尾っぽを下げた。なんとも威厳のない仙である。
行列に混じって門を潜ろうとした時、門兵が夏を止めた。
「旅人か?」
「そうだよ」
門兵はじろじろと夏の体を見た。
「女1人で? 珍しいものだな……」
そして猫が毛を逆立てた。何か妙なことを働いたら、元の姿に戻って、その頭を
「長旅ご苦労。ゆるりとされるがよろしい。もうすぐ日暮れだ、早く宿を探した方が良い。賑やかだが治安は良くないぞ」
夏は念のために件の噂について尋ねてみる事にした。
「何の変哲もない単刀だけれど、腰に下げておいても良いかな?」
すると門兵は幾度か
「もちろん。護身用だろう? わざわざ取らんさ。女が手ぶらで一人旅なんかしていたら、それこそ危ない」
夏と猫を互いに目を合わせた。噂は噂なのかもしれなかった。
そして少女と猫は門をくぐる。
「さすがに
門の先は
道の両側には多様な店が並んでいた。
湯気を吐き出す飯屋に色とりどりの布を並べる布店、獣の肝や乾燥した植物を
遠く見えるのは
わからないことも多いが、とかく賑やか極まりなく、異国の音楽と祖国の音楽がないまぜになった何かが常に聞こえていて、夏が思い描いていた通りの
「心が躍る。
ひとまず夏は宿を探した。時刻は既に
「宿を取らないと広場で雑魚寝になる。
猫は別に構わないと言った風に尻尾をぶんと振った。
しかし
巡検とは
その上『これぞ好機』と言わんばかりにずんずんと寄ってくるので、夏は猫に話しかけた。
「門をくぐった時には目をつけられていたのだろうかね?」
「大人しくしておいて。悪目立ちはしたくない」
そして無骨な巡検2人は、夏を威圧気味に見下ろした。薄らと笑みを浮かべている。
「貴様、帯刀しているな」
「門兵には
「黙れっ! 見たところ商人ではなさそうだ。女1人で旅をしているのか?」
「そうだよ」
「嘘をつくなっ!
胡虜とは、北方
「来いっ! お前の身元を検める!」
巡検がぐっと夏の手を引っ張った。そのことで猫の体霊力が風を生み、小さく埃を舞い上げたが──。
「──小狸」
夏の真っ直ぐな瞳に静止され、小狸はバツが悪そうに後ろ足で
「何をしたわけじゃないんだ、直ぐに疑いは晴れるさ。あとでまた会おう」
そうして夏は両側から腕を取られて、半ば持ち上げられるような形で連れて行かれてしまった。
「いいかい、小狸。
その後、夏は
次いで単刀を含めて
夏は木格子の牢の中でごろりと寝転がった。
自分の他には
(あの巡検はずっと僕の後を着いて来ていたんだろうな……)
恐らくだが、彼らは門の側で立っていて、
しかし単刀を奪った巡検は無事だろうか。霊的な代物だから、俗世の人間が触れ続けたら
(というか、戸籍なんかどうやって調べる? 荷物の中には身分証もないし。今後のことを考えると、証となるものを持っておいた方が良いのかな)
格子牢の外で
そこまで色気を感じる体かしら、と夏が自分の体の線をなぞって確かめた時、
「おい、女!」
そして獄卒が声を上げる。夏を指差す。
「出ろ。もう一度お前の体を検め──」
言いさして、獄卒は背後を振り向いた。そして他の獄卒も一様に
誰が来たのだろうと彼らが頭を下げる先を見てみると、そこに1人の男が立っていた。
その男は
男は牢の扉を開けると、膝をついて三度
「度重なる無礼をおゆるしくださいませ、
婉姈とは
獄卒たちは目を丸くしていた。なぜ官吏が旅人に、しかも女に叩頭をしているのかと、理解できぬ様子だった。投獄されている未決囚たちも目をぱちくりと
さて、こうなれば夏は何か言わなくてはならなかった。
だから夏は少しばかり困ったような表情を浮かべて、
「
と声をかけた。
それで男はゆっくりと立ち上がり、じっと夏を見据えた。
「誰かと思えば
姓を
「訳あって今は安河府に身を置いておりまする。このような仕打ちをしておきながら、無礼を承知で申しますが、この出会いはまさに
夏は小首を傾げた。
「必死だね、余程のことかい?」
「一大事に御座いまする」
「今の僕は夏で通ってる。君もそう呼んでくれるなら、話を聞いても良いよ」