ただ少女と猫が旅をするだけ   作:Awaa

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曹佾

 

 曹佾(そういつ)が仙となる前は高官、しかも皇族であった。

 

 通り名である曹国舅(そうこっきゅう)国舅(こっきゅう)とは(すなわ)ち、皇后(こうごう)の兄弟を意味する。だから、宮廷文化に明るいこともあって、仙となってからも役人として働くことが多かった。

 

「どうして安河府(あんこうふ)に? ここ何百年かは朝廷に(つか)えていたろう?」

 

「安河府に良からぬ噂あり、西京(さいきょう)太華府(たいかふ)より監査役として赴任致しました」

 

 西京太華府は太国(たいこく)首都である。また、監査役は所謂(いわゆる)通判(つうはん)』と呼ばれる官職であった。

 

 (ごく)を出た夏は、曹佾の官廨(いえ)に通された。

 

 部屋の中は至る所で書物が山となっている。倒れた書物が床にまで侵食し、足の踏み場に困った。

 

 そして床に雪崩(なだ)れ込んだ書物の上に、毛長猫が一匹丸まっていた。小狸(シャオリー)だった。

 

(ねぎ)は控えた?」

 

「にゃあ」

 

 肯定。前回で()りたらしい。

 

 次いで曹佾手ずから茶を立て、(シア)と猫に出す。それはそれは馥郁(ふくいく)たる茶であった。船で飲んだ茶も高級な代物だと思うが、その比ではない。

 

「粗茶に御座います。安河では茶が取れませぬので」

 

(なんだ、粗茶か)

 

 別に立場に(こだわ)っているわけではないが、せっかく久しぶりに会えた同輩に粗茶を振る舞われると妙に残念なような気もした。……という考えが表情に出たのか、

 

「実のところ、朝廷から持ち出した貢茶(こうちゃ)です」

 

 献上された茶だということ。

 

「え? ああ、それは失敬……。顔に出ていたかな……」

 

 バツが悪くなって頬を掻く。

 

 そして曹佾は、み空色の単刀を(うやうや)しく手渡した。

 

巡検(じゅんけん)が奪った霊刀に御座います。無礼を働きましたこと、(ひら)にご容赦くださいませ」

 

「気にしてないよ。巡検はどうなった?」

 

「折からの驟雨(しゅうう)で雷に打たれて御座います」

 

 夏は肩を(すく)め、身の置き所がなさそうに瞳を上に向けた。

 

「それは申し訳ないことをした……」

 

天誅(てんちゅう)に御座いましょう。来世では真人間である事を願います」

 

 続けて曹佾は言う。

 

「この通り、府の政治はとうに腐り落ちました。多くの役人が勝手を働きまするが、衙役(けいさつ)賄賂(わいろ)を貰って取り締まりませぬ。商人や旅人の宝物を平気でくすね、美女を見つければ悪戯(いたずら)する役人まで現れる始末。行商人たちが和気藹々(わきあいあい)と商売をするから街の体裁が保たれている風ですが、水面下では既に手の施しようがなくて御座います」

 

「曹佾をしてそのように言わせるとはよっぽどだね。何か特別な原因でもあるの?」

 

(しゅ)が出て御座います」

 

 鴸とは凶兆の獣である。

 

 姿は(ふくろう)に似ている。体はそこそこ巨大で、翼を広げれば三十尺(さんじゅっしゃく)(約9メートル)はあった。

 

 一番の特徴は、腹のあたりから生え出た人間の手である。それで物を掴んだり、投げたり、或いは敵を引っ掻いたりするらしいが、珍しい獣だから詳しい生態は知られていない。

 

 そして、鴸が現れた都市では大量の官吏(かんり)が追放されると言われた。

 

「私が赴任するまでに多くの官吏が追放されていた(よし)。初めは知府(ちふ)に対する謀反(むほん)、それから役人の密か事(うわき)の露呈、過去の賄賂──、突然に悪事が暴かれ、府衙(やくしょ)は次々に官吏を追放するしかなかったようです。その分の穴埋めを行ったようですが、増えても下級役人ばかり」

 

 夏は眉を八の字にして茶をすすった。

 

「なるほど。官吏(かんり)を補充すると言っても、そう簡単には行かないか」

 

 官吏は基本、科挙(かきょ)と呼ばれる官僚採用試験を突破した者のみに限られる。

 

 科挙対策を通じて君子(くんし)とは何かを知り、八股文(ろんぶん)も書けて、政治にただしく意見する能力を(つちか)い、そこで初めて役人となる資格を得るものだった。

 

 一方で下級役人は科挙を突破したとも限らないから、割に簡単に代わりを用意できるものである。

 

「そりゃあ深刻だ……。曹佾も面倒な街に回されたね。相変わらず幸が薄い」

 

 夏が思うに、曹佾はいつも要らぬ苦労を背負い込んでいる気がした。長い付き合いではあるが、久々に会うと決まって何かに困っている。

 

 見た目は絶世の美男子だが、目の下には薄らと隈があって、体に纏う気配はどんより疲れ気味。いつも喋り方に元気がない。

 

 今にして思えば、仙になる前から常にげんなりしている様子だった。あれこれと面倒ごとに巻き込まれる性質(たち)なのだろう。優秀で誠実だとそうなりがちで、なんだか彼が可哀想に見えてきた。

 

「鴸を討伐すれば何とかなりそう?」

 

「一度、府衙(やくしょ)をあげて鴸を討伐しようと試みたことがあったようです。それで益荒男(ますらお)を集めてみたは良いですが、あの不気味な手に掴まれてしまって、次々に天空から地に落とされて御座います」

 

「あんまり想像したくないね」

 

「そこで婉姈(えんれい)様のお力をお借り出来れば──、と不躾(ぶしつけ)ながら考える次第に御座います」

 

(シア)。僕の名前は夏だ」

 

 すると曹佾は弱った様子で、

 

「夏……」

 

「呼びづらければ夏夏(シアシア)でも阿夏(アーシア)でも良い。そう呼んでくれることが条件かな」

 

「で、では阿夏(アーシア)、よろしくお願い致します」

 

 さて、鴸の行方は誰にもわからなかった。

 

 恐らくは遥か遠くに見える山々のどこかに潜んでいるのではないかと曹佾は推測するが、それを(しらみ)潰しに探してはキリがない。

 

 前に鴸を討伐しようと試みた時は、道士が土着のまじないを用いてそれを誘き寄せたらしい。しかし三日三晩の儀式を行わなくてはならぬ有様だったと聞くし、その為にもう一度誰かに人犧(いけにえ)を出させるのも億劫(おっくう)だ。

 

「そういう訳なので、今日は私が律令術(りつりょうじゅつ)にて鴸を呼びます。果たして本当に現れてくれるかは何とも言えませんが……」

 

 律令術とは『朝廷の法』と『森羅万象の秩序』を結びつけ、力に変える術である。即ち、天帝や神々の部局に助力を()い、その勅命や印璽(いんじ)(もっ)て魔を制することを指した。

 

 討伐の決行は暁前(ぎょうぜん)、夜明け前。所は官衙(やくしょ)庭院(なかにわ)とした。

 

 遠く、街は明るいが、官衙は闇に沈んでいる。

 

 静かだった。風もない。煌々(こうこう)と照る巨大な満月は天に張り付き、庭院の石畳は()()えと白く輝く。

 

霊符(ふだ)を燃やせば術が発動します」

 

 言って曹佾は黄色い札を取り出した。そこには霊字で、悪しき獣を呼ぶことに対し、天帝に(ゆる)しを乞う旨の言葉が書かれている。燃やせばその願いは天帝に届き、鴸が現れる──、のだと曹佾は言う。

 

「流石は科挙を突破した士大夫(したいふ)、準備に抜かりがない」

 

「そればかりで仙になりまして御座います」

 

 曹佾はちらりと夏を見遣った。

 

「……旅は楽しくて御座いますか」

 

「ん? どうして? 珍しいね、曹佾が私的な質問とは」

 

「少しばかり羨ましく思って御座います」

 

「羨ましい? 僕が?」

 

 夏はきょとんとして、

 

「僕はただ、自分が何者かを知りたかっただけだよ。その答えを知ることができれば、きっと、無価値な自分を変えることができるのだと思った。鬱屈とした旅路だ。人様に羨まれるようなものではないよ」

 

「いいえ、羨ましく思います」

 

 そうだろうか、と夏は小首を傾げた。

 

阿夏(アーシア)は自由です。変化を求めて風になったので御座います。もしかしたら私は、阿夏のように風になりたくて、仙になったのやも知れませんね」

 

 曹佾は淡白に言って剣を抜き、

 

火部聴令(かぶちょうれい)。──急急(きゅうきゅう)如律令(にょりつりょう)

 

 呪文を唱え、その切先に真っ赤な炎を宿らせた。

 

 次いで霊符を燃やした瞬間──。刹那(せつな)に空から巨大な影が急降下、夏がそれを認めた時には隣に曹佾は立っていなかった。遅れて烈風が砂埃を巻き上げる。

 

「あーあー……。曹佾が一瞬で攫われてしまった……」

 

 夏は夜空を見上げた。

 

 真っ白な月に鳥の影、(しゅ)である。その腕には官服の男がぷらんぷらんと捕まって見えた。

 

「こんな唐突に現れるとは思わなかった。天帝は仕事が早いが、空気を読むのがイマイチ苦手なようだね。──小狸(シャオリー)

 

 猫はむくりと立ち上がると、体を弓形(ゆみなり)にして伸びをした。

 

「追いかけよう。曹佾が高所から落とされる」

 

 猫の周りに風が巻く。夏が瞬きをする内に、それは雷を纏う大きな旋風(つむじかぜ)となって天を突いた。

 

 5秒、6秒、7秒──、旋風がほぐれて、中から9つの顔を持つ巨大な虎が現れた。開明獣である。

 

 開明獣は言う。

 

「仙は不死なんじゃねえの? 放っとけば?」

 

「寿命や病気がないだけで斬られれば死ぬし、高いところから落ちても爆ぜる」

 

 夏は開明獣に跳び乗った。

 

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