本日、
三烏烈日は稀な天候である。長くは続くことは少ないが、それでも
まだ
猫は尾っぽを下げて歩く。しばらくは頑張っていたが、ついに舌を出してはあはあと息をするようになり、途中から夏が抱きかかえた。
「重すぎるな。少しは痩せたら」
太ることこそ男の本懐だと思っているので、猫は無視をした。
さて、街道沿いに生えていた松の木は徐々にその間隔を広くして、さらに行くと
一帯は
夏は白い土の上を歩き続けた。どこまでも白い大地だった。四方、地平線の先まで白い大地が続く。吹き付ける風は熱気を孕み、僅かに潮の香を乗せている。
大地の白と天空の青の境界線がはっきりとしすぎていて、まるで異界に迷い込んだかのようだった。夏と猫を見ているのは天に輝く金烏だけで、
「この方向に進めば
猫はぜえぜえと息をしている。体の内から熱い塊が迫り上がってくる感覚まであって、今にも乾物になってしまいそうだった。
「そんなに辛かったら獣の姿に戻って、一気に空を駆けたら良い。歩くよりも早く街が見つかる」
猫は無視をした。もうそんな体力もない。
「こうなってしまう前に
「──ん? 街だ」
猫は顔を上げた。
「街が見えたよ。平沙県だ」
存在感ある街だった。
街の中央は高台になっているようで、そこに立派な
高台を取り囲むように家々があって、街全体は城壁でぐるりと囲まれているようだった。建物は白い土で出来ているのか、どれも眩しく太陽の光を反射していた。
門の側には掘もあるようだが、あれはもしかしたら、
塩を上手く抜いているのだろう、城壁の外には緑の
「凄い。こんな
夏はみずみずしい葡萄畑を越えて、大きな泉に渡された橋を行った。そして開け放たれた門扉の前で立ち止まる。普通であれば、ここに門番なりがいるばずだが……。
「何処にもいないな。幾らでも通行料を取れそうな街なのに、商売っ気がないというか、何というか……」
門を潜ると街中に塀が張り巡らされていて、道が細かく分けられていた。まるで迷路のようだった。
「過去に
猫はか弱くにゃあと鳴いた。そんなことはどうでも良く、早く水が欲しいらしい。
夏は塀の迷路を進んだ。右へ左へ、ぐねぐねと曲がりくねる道を行き、体感一刻(15分)ほどが経ったところで、ようやく広場らしい所に辿り着く。
実に美しい広場だった。
噴水の周囲にはこれまた見事な池があって、そこから水路が四方に伸び、水を流している。街を巡るのだろう。
広場を取り囲むように
整備された都市、水の楽園。金烏は建物の影をくっきりと落とす。
猫は尾っぽを立てて夏から飛び降り、池へと走って行った。慌てた様子でちゃぷちゃぷと水を飲み始める。そして、夏は辺りを見渡す──。
「──どうして人が1人もいないんだろう」
広場に点々とある出店には誰も立っていない。だが売り物であろう
平屋根の家々を覗いてみたが、中には誰もいないようだった。青い
もちろん外を出歩く人はおらず、何処にも
「変な街だ。誰かが夢見たような理想的な街並み……、生活の跡が何処にもない……」
夏は人を求めて街の中心へ、つまり道観へと行ってみることにした。そこならば道士がいてもおかしくはなかろう。
道観へと続く長い長い階段を上る。美しい
そして門扉は閉ざされておらず、やはりここも開け放たれていた。
「不用心だね」
石敷きの中庭へと進む。立派な大香炉から煙が立ち上り、芳しい香のかおりが漂っている。
回廊に囲まれた中庭、正面には極彩色に彩られた本殿。造りが三層の
「にゃあ」
猫が鳴いた。
「何? 喉が渇いた? あれだけ飲んでいたじゃないか」
「にゃあ」
飲んでも飲んでも喉の渇きが潤わなかったと言う。
「……」
それで夏は
「……僕たちのように違和感があって、道観まで上って来た人間もいるはずだ」
「いや、やっぱり、砂利にしては妙だ。音が軽すぎる」
しゃがみ、それを拾い上げる。指でつまみ、よくよく観察──。
「白骨だ」
とげとげと繊維が残っている部分もある。石であればこうはならない。
「僕たちは妙な所に迷い込んでしまったようだね」
何故そんなものが中庭に敷いてあるのか──。悪趣味であるとか、そういう次元ではない。何か、ワザとらしさを感じる──。
「
蜃とは幻を生む獣である。苦難に
「塀の迷路は街の中に入った人間を逃さないためかな。美しい街も、出来るだけ人間をその場に留めておくためだろう。いや、違うな……」
夏は砂利のようになった小さな骨を、指で砕いてぱらぱらと落とした。
「……救いを見せて、次いで違和感を抱かせて、最後には絶望させる。そうした人間の反応を見て楽しむ、下品な
夏は座り込む。
「小狸。つまり僕たちは餌らしい。力尽きたふりをしよう。これ以上反応が得られないと分かれば、遊びは終わり。襲ってくる」
猫はゆっくりとその場に寝そべった。
「蜃と言っても種類は二通り……」
蜃は『巨大な
「蛤だったら
ぐにゃり、と本殿が揺らめいた。続けざまに、がらり、と瓦が滑り落ちる。
「──来るぞ」
本殿全体が横に傾き、回廊の
落下する。落ちる先を見れば、五十の目を持つ不気味な
夏は宙空で体を
蜃は五十の目をぎょろぎょろと忙しなく動かすと、額から真っ黒な血煙が上がって、ぎゃあと金切り声をあげた。
その瞬間、道観も回廊も別殿も、噴水も水路も家々も、塀も城壁も、全てがガラガラと崩れ去り、理想的な街は瞬く間に消え失せて、夏は白い土の上に尻餅をついた。
「いてっ! な、何が起こった? 小狸?」
猫を探して周囲を見回し、5秒、6秒、7秒──、頭の上に猫が落ちてくる。
「……ああ、そうか。道観は高台にあったから、僕たちは落ちて来たわけだ」
夏の目の前に横たわるのは、10
蛟の額から血が漏れ出ている。ちるちると音を立てて、止まる気配がなかった。
「こんなに大きく育った蜃は見たことがない。何百年もの間、ここで旅人を狩っていたのかも」
夏は蜃の顔を蹴り、ぴくりとも動かないことを確認すると、曲芸のように剣を振るって血を払った。白い土に、ぴっと弧が飛ぶ。
足元を見れば、白骨が転がっている。人間のものばかりではなく、
そして周囲には何もない。地平線の先まで続く白い大地、天には三烏、真っ青な空、熱風。街の全ては幻──。
「行こう、小狸」
少女と猫は何事もなかったかのように旅を再開した。