母方の実家は地方の旧家だ。
以前、両親に連れられて赴いた時には、でん! と建つ大きな日本屋敷に目を丸くさせられた。
正月など節目の行事の際には親戚一同が集まるのが恒例になっており、その規模は「挨拶するだけでも大変なんじゃないかこれ?」となるほどである。
実家との関係について詳しく聞いたことはないものの──両親は戸籍を分け、家と距離を置いてはいるものの、姓は母方のものを使っている模様。
面倒くさいしきたりだのなんだのを嫌って、最低限の援助以外は断っているのだろう。
……と、いった記憶が雛瀬さんの来訪、というかヒロインポイントの使用により急に蘇ってきたわけで。
俺は「あ、そういうのありなんだ」と少し面食らった。
可愛い孫のためなら家の一軒や二軒ぽんと買ってくれそうな金持ちっぷりだが……この程度のポイント利用でそんな設定が許されるのか。
たぶん、実利益が設定どおりならある程度話を持っても問題ない、ってことだろう。
母の実家がどんなにでかくても、俺が受けられる恩恵は「たまにお手伝いさんが来てくれて」「習い事がちょっと増える」だけということだ。
なお、俺(莉緒)は幼稚園でわざわざ自慢したりしないので、れいかちゃんは俺のバックにでかい家がいることは特に知らなかった。
と、それはそれとして。
「よろしくお願いします、雛瀬さん」
ぺこりとお辞儀をすれば、雛瀬さんは「とんでもございません」と生真面目に答えてくれる。
「お嬢様や莉緒様のお世話をさせていただけるなど、光栄の至りにございます」
雛瀬さんはきっちりとレディーススーツに身を包んだ若い女性だ。
年齢は24歳、大学を卒業して2年、母の実家に仕えていたところ、今回の役割を命じられたらしい。
「お家に仕えるって……メイドさんみたいな感じ?」
「そうですね。家事全般も行いますし、執事、あるいは秘書のようにスケジュール管理や業務整理、家財の管理なども必要に応じて担当いたします」
「もう、お父様ったら……。必要ないって言ってるのに過保護なんだから」
「大旦那様はお嬢様のことを心配していらっしゃるのです」
正月に当主として挨拶した男性を、母は「お兄様」と呼んでいたので、大旦那様はその父、つまり俺の祖父だ。
母は「仕方ないな」という顔をして、
「それじゃあ、まずは莉緒の幼稚園のお迎えを担当してくれるかしら。卒園までもう少しだけあるから」
「かしこまりました。ところで、朝の送迎はよろしいのですか?」
「そっちは運転代行の契約が残っているから必要ないわ」
この返答にも、雛瀬さんは「かしこまりました」と即答したものの──どことなく不満そうなのが俺の心に残った。
「やれやれ、また面倒な相手が増えたみたいだ」
雛瀬さんが挨拶に来た日。
夜、一人でベッドに入った俺にクロが話しかけてきた。
「そういえば、今日は大人しかったな、お前」
「仕方ないじゃないか。あの雛瀬とかいう女、目も鼻もかなり良さそうなんだから」
「案外気に入ってくれるかもしれないぞ」
「得体のしれないものは排除するって捨てられるかもしれないね」
ありえないとは言い切れなかった俺は「あー……」と言葉を濁した。
「どうだい。小学校に入ったら、もう一度ボクをお守りにしてみては?」
「無理だって。またれいかちゃんみたいな子が出たらどうするんだ」
「また歩いて帰ってくる……ってわけにもいかないか。何度もやって噂になられても困る」
バロンとはしばらく付き合っている間にだいぶ和解し、このところ、強烈なじゃれ方はされなくなってきている。
クロが諦めてされるがままになっている部分も大きいかもだが。
「雛瀬さんは送り迎え中心みたいだし大丈夫だって。っていうか、面倒っていうのはそこなのか。人格的にはお前のお墨付きってことか?」
尋ねれば、ぬいぐるみゆえに表情の変わらない顔で俺を見つめ返してきて。
「さあ。そこはボクの関知するところじゃないからね」
こいつほんとそういうところドライだよな、と思いつつ、俺は「おやすみ」と目を閉じた。
◇ ◇ ◇
「莉緒様、お迎えに上がりました」
幼稚園が終わってしばらく、みゆちゃんたちと談笑していると雛瀬さんがやってきた。
「莉緒ちゃん、この人は?」
「初めまして。莉緒様の身の回りのお世話を担当させていただくことになりました、雛瀬と申します」
「わ。莉緒ちゃんのところ、お手伝いさんが来てくれることになったんだ」
「うん。わたしの送り迎えだけなんだけどね」
お手伝いさんの登場にみんなは「すごーい」と言ってくれる。
が、似たような人を雇っている家もけっこうあるせいか、意外と冷静な反応だ。
送り迎えでも両親以外の人が来る子がわりといる。
「先生方とのご挨拶も済ませましたので、莉緒様さえよろしければ帰宅いたしましょう」
「うん。それじゃあみんな、またね」
「うん、またね、莉緒ちゃん」
手を振って別れ、雛瀬さんと共に向かった先は園の駐車場。
そこには父のものでも母のものでもない、黒塗りの車が停まっていた。
外車ではないが、これ、けっこう高い車じゃなかったか? それにこの窓、まさか防弾仕様……?
「どうぞ、莉緒様」
「あ。ありがとう、雛瀬さん」
後部座席のドアまで開けてくれる至れり尽くせりっぷり。
シートには俺用にふかふかのクッションまで敷かれていた。
「これ、もしかして雛瀬さんの車?」
「四条家が所有する車の一台でございます。移動の関係上、お嬢様の車をお借りするよりも理にかなっておりましたので」
「そっか。うちに寄って車を借りて、だと手間だもんね」
いつもと違う車で移動するのは、なんだか不思議な感じだ。
不快ではない違和感を覚えつつ、俺は雛瀬さんに引き続き声をかける。
「雛瀬さんは、大学を卒業してからママの実家……えっと、四条家に就職したの?」
「就職、という意味ではその通りですが、私の家は両親も四条家にお仕えしております。ですので、物心ついた時にはもう、将来の就職先が決まっておりました」
「あ、そういうのもあるんだ」
「はい。以前、莉緒様がお越しになられた際にも、使用人の子供たちと顔を合わせられたかと思います。私もそのような形で、幼い頃からお嬢様や旦那様とお会いしておりました」
前行った時……その頃はまだ前世の記憶も目覚めていなかった頃だし、なにぶん人が多すぎて誰が誰だかあんまり覚えていない。
「ごめんなさい。たぶん、その時に雛瀬さんとも会ってるんだよね? ぜんぜん思い出せない」
「お気になさらないでください。一対一でご挨拶させていただいたことはございませんでしたので、その他大勢に過ぎなかったことでしょう」
お金持ちの家っていうのも大変だな……。
母が実家と距離を取った理由も少しわかる。でも、雛瀬さんの登場でぐっとお嬢様っぽくなってきたのも事実。
「雛瀬さん。本当はもっとママや、ママのお兄さん──伯父さんのお世話をしたいんだよね? わたしのために時間を使ってくれて、ありがとう」
ここははっきりさせておいたほうがいいと思って、お礼を言う。
彼女はあくまで「母の実家に仕えている」。
俺のお迎えをしてくれるのは俺が母の娘だからで、そうでなければきっと見向きもされない。
だから、敬意と感謝は持っていたほうがいいと、
「勿体ないお言葉です。ですが、莉緒様。莉緒様のお考えは少し違います」
「え?」
顔を上げると、バックミラー越しに一瞬、雛瀬さんと目が合った。
「私にとっては莉緒様も、大切な四条直系の血族。旦那様──ご当主様のお子様と同様、家の次代を担う方のお一人でございます」
ぴろん、と、音を立ててヒロインポイントが1加算された。