「大旦那様はそれはもう、莉緒様のことを大事にされております。莉緒様のお名前を口にされた回数は、私が知っているだけでも数えきれないほどです」
「わたし、おじいさまにほとんど会ったことないのに?」
祖父と言ってもまだ五十代。
黒髪かつご壮健で、いかめしい顔をして屋敷の奥のほうに座っていたような、ぼんやりした記憶がある。
すると、雛瀬さんは「あまり、私どもが口にすることではございませんが……」と眉を寄せた。
「大旦那様は、歳の離れた方に対する感情表現が苦手でいらっしゃるようです」
そう言う彼女もだいぶ生真面目な性格に見えるが。
「とにかく、遠慮などならさないでください。私はお嬢様と莉緒様、お二人にお仕えするために派遣されているのですから」
「うん、ありがとう、雛瀬さん」
俺はそう言って微笑み、雛瀬さんの気遣いに感謝した。
その上で、その言葉に含まれた意味を感じ取ってしまう。
「雛瀬さんは、パパのことは、嫌い?」
知り合ったばかりでそこまで踏み込むのはどうかと思ったものの、ここは子供の立場を利用し、思い切って聞いてしまう。
変わらずハンドルを握り前を向き続ける彼女は、けれどどこか戸惑った様子で「莉緒様は聡明でいらっしゃいますね」と呟いた。
「皆様のお世話をする上で支障をきたすつもりはございません。……その上で申し上げるのならば、私は個人的に、あの方には好意を持つことができません」
「……そっか」
姓は四条を選んだとはいえ、雛瀬さんからしたら、父は母をさらっていったようなもの。
「じゃあ、わたしはパパに似ちゃったのかも」
「……と、申しますと?」
「わたしね、将来は素敵なお嫁さんになりたいの。そのために今からいっぱい花嫁修業をしたいんだ」
しばらくの間、車内に沈黙が下りた。
そうしている間に家はだいぶ近くなってきている。
「お相手は、もう決まっていらっしゃるのですか?」
「ううん。でも、きっとこの世界のどこかに、わたしの運命の人がいるの」
この返答に雛瀬さんは明らかにほっとした様子を見せた。
「では、その方が莉緒様の従兄弟のお兄様、という可能性もありますね」
「うん。それは、そうかも」
既に会ってはいるものの、あまり覚えてないのでもう一度話してみないとわからない。
「莉緒様。四条家の血族として、勉学やお稽古へ励むことに嫌悪感はございますか?」
雛瀬さん、さすがに聞き方が難しすぎます。
幼女相手なの忘れてないかこの人、と思いつつ、俺は「ううん」と答えた。
「勉強も、習い事も、いっぱいしたい。その方が楽しいもん」
ヒロインの役目を全うすると決めた以上、全力でお金持ちのお嬢様をやる所存である。
すると、またしてもヒロインポイントの加算音。
「やはり、莉緒様は四条の血を強く引いていらっしゃいますね」
それ以降、俺と雛瀬さんとの距離は少し近くなったような気がする。
印象通り、必要のないことはあまり話さない人ではあったものの、こちらのやりたいことを尊重して静かに手助けしてくれる感じが心地いい。
幼稚園を卒園するまでのしばらくの間、俺は雛瀬さんからお迎えを受け続けた。
一人で車に揺られていると手持無沙汰になるので、家に着くまでの時間は英会話やバレエ、現代的なダンスの動画など、これからのための予習に使った。
そうして、あっという間に卒園を迎え、小学校の入学式。
◇ ◇ ◇
私立天音学園の初等部は付属幼稚園とは別の場所に位置している。
初等部、中等部、高等部は建物こそ別れているものの、すべて同じ敷地内。
通学路を走る車の窓からは徒歩で通学する、さまざまな年代の女子を見られた。
小中高で入学式は別日っぽい。
また、当然ながら男子は一人もいない。
「歩いて通ってる子もけっこういるんだね」
「そうですね。近隣住民もおりますし、進学を機に転居を行う家庭もあるでしょうから」
娘の学校の近くに引っ越し!? 金持ちか? ……金持ちだった。
適当に学校の近くで下ろしてもらい、雛瀬さんに「ありがとう」を言う。
「本当によろしいのですか? せめて校門までお見送りを──」
「大丈夫。あんまり近くまで行っちゃうと邪魔になっちゃうし、ここならいっぱい人がいるから」
雛瀬さんはこれから家に戻って、父と母を学園まで送ってくれる。
「かりこまりました。……では、行ってらっしゃいませ、莉緒様」
「うんっ。行ってきますっ」
真新しい制服を身に纏い、いざ、新たな一歩を踏み出す。
感受性が若返っているせいか、ついつい走り出したくなってしまう。
ぐっと堪えて、せめて早足。
高学年、中学生、高校生のお姉さん方が「わー、一年生だ、可愛い」という目でこっちに視線を送ってくる。
嬉しいような、照れくさいような、頬が熱くなるのを感じながら背筋を伸ばす。
それにしても、歩幅のせいか、ちょっとの距離がけっこう遠く感じるな。
「ここ、だよね」
『私立天音学園』と書かれたプレートの横に、大きな門。
敷地は一緒なのでどこからでも入れるものの、ここはいちおう初等部用の校門である。
ネット情報には「似たような門が三つあるので間違わないように」と書かれていた。うん、これは大人でも間違いかねない。
他にも小学生が入っていくのを確認しつつ、ゆっくりと門をくぐる。
綺麗に手入れされた桜並木。
残念ながら満開にはまだ早いものの、ひらひらといくらかの花びらが舞っている。
前世での入学式はどうだったか。
……親に監視されていないとあちこち走り出して、まったく落ち着いていなかった気がする。
すうっと息を吸い込むと、新鮮な空気が肺いっぱいに入ってくる。
緑のにおい、土のにおいもしっかり感じられるのは今の時代、なかなかの贅沢だ。
転ばないように地面を踏みしめながら歩き、昇降口へ。
──クラス分けの掲示がないのは若干残念である。
お嬢様学校ということで、誰がどのクラスになったかも部外秘。
そのため、自分のクラスは事前に郵送およびWebにて個人に通知されている。
幼稚園の内部進学組で作ったグループチャットの報告会によると、
「莉緒ちゃん! 一緒のクラスで本当に良かった」
「おはよう、みゆちゃん。わたしもみゆちゃんと一緒でほっとしちゃった」
そのほか、同じクラスだった子が何人か。
できるだけ各クラス均等に割り振られたようで、知り合いのいないクラスに一人送られた子はいない。
残りのメンバーは外部進学組、つまり初対面の子たちということになる。
気楽な内部進学組は、どことなく警戒というか「いいなあ、友達がいて」という目で見られている感じ。
せっかくなので彼女たちと目が合ったらにっこり微笑んでみる。
あ、目を逸らされた。
「みんなと仲良くなれるかなあ」
「莉緒ちゃん、すごい……。私、緊張してそんな余裕ないよ」
「大丈夫だよ、みゆちゃん。みんな同じ一年生だもん」
日本語も通じるはずだから最低限のコミュニケーションは取れる──と。
教室の一角で立ったまま話していた俺たちに、とん、と、小さな衝撃。
「ソーリィ」
視線を送れば、そこには青い目をした、人形のように可愛い子が、無表情に立っていた。