エリカ本人から了承をもらったものの、その後にはさらなる難関が待ち受けていた。
「あのね、ママ。お友達のところに遊びに行きたいんだけど、行ってもいい?」
そう、親の許可である。
普通の子より頭が良いとはいえ、俺(莉緒)はまだ小学一年生になったばかり。
朝の食事中に尋ねてみると、
「お友達のお家に? ご迷惑にならない?」
当然、母は娘を行かせることに難色を示した。
俺としてもそう聞かれてしまうと答えづらい。
「どんなにお行儀よくしてても、他の家の子が来たらきっと気を遣わせちゃうと思う……」
なんなら親子でなくてもいい。
年の離れた弟妹が家に友達を連れてきたら、別に自分でもてなさないとしても気にはなるだろう。
母は「そうよね」と頷いて、
「まだ、うちに来てもらうほうが気が楽なんだけど」
「それだと、学校が終わった後に集まるわけにはいかないよね?」
「うーん、そうね」
大人のいない家に他の家の子を招くのは、それはそれでやっぱり難しい。
基本、仕事で夕方くらいまで帰ってこられない母は、困ったように眉を寄せつつ、ちらりとうちの、というか四条本家のお手伝いさんを見た。
「放課後、お嬢様のご帰宅まで莉緒様のお世話ができれば良いのですね? であれば、本家と交渉いたします」
「いえ、そこまでしてもらうわけにはいかないわ」
母としては、できるだけ家の力は借りたくないのでそこは遠慮しようとする。
うーん、と、俺は考えた。
別に休日でもいいのだが、日にちが限られると予定をすり合わせるのが大変になる。
加えて言うと、友達の出迎えを毎回母にやってもらうのも負担になりそうで心苦しい。
いっそ、雛瀬さんが常駐してくれればいいのに。
……方法はまあ、あるにはある。
母の意向に逆らうことにはなってしまうが──俺は、視界の一部にウィンドウを表示すると、指を動かすことなく思考だけでそれを操作する。
ちょっとコツがいるが、慣れればこういうことも可能なのだ。
このところの生活でいくらかのポイントが溜まっている。そのうちの1点を使って、雛瀬さんが家に来られる時間を延長。
すると、
「では、私を莉緒様に雇っていただく、というのはいかがでしょう?」
まるで今思いついたというように、雛瀬さんが提案してくれる。
「雇うって、莉緒はまだ小学生よ?」
「承知しております。ですので、名目上だけそういたしましょう。……実を申しますと、大旦那様が莉緒様のお小遣い用にと用意した口座が、まるまる手つかずとなっておりまして」
また設定が生えた!
「……なるほどね。莉緒のお小遣いから雛瀬の給金を一部負担する、という形を取れば私も納得しやすいと」
「はい。恐れながら、莉緒様のお勉強のためにお手伝いさせていただきたく」
「勉強?」
首を傾げた母がこっちを見て、
「莉緒、お友達となにをするつもりなの?」
「英語の勉強だよ!」
言ったら、「そうなの」と笑顔になった。
親というのは、遊びに行く、と告げるよりも勉強しに行く、と告げるほうが好意的に受け止めてくれる生き物なのである。
「わかったわ。……これ以上、お金を受け取る気はないけれど、あなたの厚意を無下にするのもね」
「感謝いたします、お嬢様」
「ありがとう、ママ! お礼に今度、肩揉んであげるね!」
「ふふっ。ありがとう、莉緒。それじゃあ帰ったらお願いしようかしら」
なお、その日の晩に実際肩揉みを行ったものの──残念ながら、小一女子の腕力ではまったくの力不足だった。
「あー、そうそう。バロン、そこをもっと強く。そうそう、そんな感じで踏んで」
「わう!」
寝そべって愛犬に踏まれる母、とても気持ち良さそうな姿を見て、俺はちょっと負けた気分になった。
「もう、バロンったらずるい。わたしがしてあげたかったのに!」
「わう……?」
バロンは「そんなこと言われても」という顔になった。
◇ ◇ ◇
というわけで。
家を使う許可と、雛瀬さんに放課後も家にいてもらう算段は立った。
後は親同士で連絡が取られ──みゆちゃんは前もうちに来たことがあるということであっさりOK、エリカの家も「英語の勉強」という目的を伝えるとわりとすんなり了承してくれた。
実際に二人を預かることになるのは雛瀬さんだが、こういう場合、むしろ相手方としても、仕事でやってくれる人のほうが気が楽だろう。
子供同士仲が良くても親同士は別という場合もあるし、どうしても気を遣ってしまう。
「みゆ様、エリカ様、本日は私、雛瀬が責任を持って、莉緒様のお宅までお送りいたします」
「せ……せんきゅー」
「ありがとうございます。よろしくお願いします、雛瀬さん」
いつもの車内に、今日は制服姿の少女が三人。
幼稚園時代から何度も会っているみゆちゃんは慣れた様子で挨拶し、エリカはだいぶ緊張した雰囲気でたどたどしい英語を絞り出した。
はあ、と、息と共に外面を放り出した少女は、
「前から思ってたけど、莉緒ってけっこうお嬢様よね」
「わたしはふつうのおうちの子だよ。すごいのはうちのママ」
日本語で喋るとエリカ、めちゃくちゃ普通に日本人だな!?
あと、普通と言ってもかなり裕福な家柄──ぶっちゃけ、一般庶民から見たら十分お嬢様だったりはするが、それを言ったら病院経営してるみゆちゃんの家もお金持ちの家だし。
「エリカちゃん、普通にお喋りできるんだね。……あの、エリカちゃんのお父さんとお母さんは、どんなお仕事してるの?」
「ダディとマミーは通訳よ。マミーはお仕事減らしてるらしくて、家にいることが多いけど」
「なるほど。それで英語に憧れてたんだ」
納得しつつ頷くと、エリカはふん、と俺を睨む。
「憧れてるんじゃない。あたしは英語を喋るの。喋らないといけないの!」
だいぶ強烈な憧れ方だな、と思いつつも、俺は「そっか」と微笑んだ。
「じゃあ、しっかり勉強しないとね」
「う。……あの、やるって言っちゃったけど、英語ってそんなに簡単に覚えられるものじゃないじゃない?」
「もちろん。だから、早いうちからちょっとずつ勉強するんだよ」
これにはみゆちゃんも笑って頷いて、
「私もほんの少しくらいならわかるけど、莉緒ちゃんみたいに詳しくないから、勉強したいな」
「……いや、みゆはいいとして、莉緒はほんとなんなのよ。あんた、わりと普通に喋れるんじゃない?」
「ちょっとだけだってば。わたしだって、なかなか話し相手がいなくて困ってるんだから」
「莉緒様、僭越ながら、英語の練習相手でしたら私が務めさせていただきます」
「あ、そっか、雛瀬さん、秘書みたいなことすることもあるんだもんね! これからはけっこうお家にいてくれるし、お願いしたいな」
「かしこまりました。お安い御用でございます」
そんなことを言いながら家に到着し、リビングルームにみんなで陣取る。
尻尾をふりふりしたバロンにすり寄られたエリカは最初、悲鳴を上げて怯えたものの、彼が温厚で噛んだりしないことがわかるとすぐに気を取り直した。
雛瀬さんが三人分の紅茶を淹れてくれ、お菓子も用意してくれる。四条家の使用人はいったいどこまで教育されているのか、雛瀬さんのお茶は絶品だった。
「それで、どうやって勉強するの?」
「うん。文法とかやってもたぶん眠くなっちゃうと思うから、きっとこれがいいんじゃないかと思うんだ」
答えて俺はテレビをつけ、プレーヤーにブルーレイディスクをセット。
「字幕で映画を見て、なるべく英語も聞くようにしてみよ? そうしたらだんだん覚えられるかも」
「あ、そういうのなのね。それだったらできるかも!」
「うん。でも、お話に夢中になっちゃわないように気を付けないと」
なので、映画のチョイスはなるべく二人が一度は見たことがありそうなメジャーなやつにした。そのほうが話が頭に入っているので英語に集中しやすい。
こうして、俺たちの英語の勉強会は定期的に開催され、毎回映画を一本見ては、みゆちゃんとエリカを雛瀬さんが送ってくれる……というサイクルが定番になった。
成果は……正直、目に見えて上がるのはかなり時間がかかったものの、代わりに俺たちはかなりいろんな映画に詳しくなった。
あと、周りには「勉強会のついでに、エリカちゃんに日本語を教えた」ということにしたので、挙動不審だったエリカもおっかなびっくりコミュニケーションが取れるようになった。
『ヒロインポイント:₊1』