小学三年生になって。
俺は両親から、バロンを散歩に連れていく許可をもらった。
少しずつ身体が大きくなって、リードを手にしても振り回されにくくなった。これなら散歩に行っても大丈夫だろう、と。
ただし、誰か大人と一緒というのが条件だ。
「良かったね、バロン。今度はわたしと一緒にお散歩行こうね?」
「おん!」
バロンも尻尾をぱたぱた振って俺の顔を舐めてくれる。
雛瀬さんは、そんな俺たちを笑顔で見守って、
「ですが、莉緒様、くれぐれも勝手な行動は慎んでください。いつ、どこに、不埒な輩が潜んでいないとも限りません」
「うん。でも、さすがに心配しすぎじゃないかなあ……?」
日本はそこまで物騒じゃないぞ。
……と、思っていた俺だが、考えてみるとここは時に不条理の起こる世界。
ヒロインたる俺には物語的に美味しい事件が起こりやすくなっており、結果的に言うと、雛瀬さんの心配はまったく過剰ではなかった。
◇ ◇ ◇
「もう、バロン! あんまりはしゃいじゃだめだってば!」
「わう!」
お散歩がよっぽど嬉しいのか、俺がリードを握るとバロンはいつも元気いっぱいだ。
白いもふもふが自由気ままに動いているのは見るだけで心が和むものの、大型犬の制御はかなり体力を使う。
あんまり元気が余り過ぎている時は、一緒に来てくれている大人──主に雛瀬さん──にリードを渡して止めてもらうことも多かった。
「バロン? あまりおいたが過ぎるようならばお仕置きしましょうか」
「わ、わう~……?」
途端、びくっとしてしゅんとなるバロン。
「雛瀬さん、あんまりバロンをいじめちゃだめだよ」
「ご心配なく。しばらく正座させるか、食事の量を減らす程度です」
「そっか。痛くないならまあ、いいかな」
思ったより穏便だと頷いた俺に、バロンは「わう!?」とショックを受けた顔をしていたが。
次のお散歩の時にはもう、お仕置きのことは忘れているのが可愛い。
こうして俺は、散歩のたびにバロンの制御に四苦八苦することに。
……それから少し後、魔法少女になってからは「身体強化を散歩の時にも発動させられれば」と思うようになるのだが、それはまた別の話として。
学校に習い事に勉強会にと忙しい俺が散歩に行ける機会は少ない。
バロンの散歩は主に雛瀬さんが担ってくれており、それもあってバロンは別の人がリードを握ると新鮮で嬉しいようだ。
なお、外に出ると言っても、行くのは家からそう遠くない範囲のみ。
ご近所さんに「こんにちは!」と挨拶したり、たまにバロンを撫でてもらったり、他のわんこに「遊んで遊んで!」と寄っていくバロンをなだめたりしながらの道のりだ。
なので、人から声をかけられることはかなり多い。
動物好きとして、撫でたい気持ちはよくわかる。
よって、できるだけ申し出は断らないようにしていた。そのせいで時間がかかってしまうのは仕方ない。バロンも喜ぶし。
で、そんな人の中に、一人の若い男がいた。
近所の公園近くでたまに会う。犬好きなのか、会うと必ず撫でていいか聞かれるので、快くOKしていた。
「可愛いね」
そう言う時は必ず、人の目を見て話すという基本を押さえている。
この場合、飼い主ではなくペットのほうに言ってやってもいいと思うが。
「莉緒様。あの男にはお気をつけください」
雛瀬さんは、かなり最初の頃から彼を警戒していた。
「あの男の目にはいかがわしい色があります。そのうち何かしでかすかもしれません」
「ええと、なにもやってないうちからあまり疑うのもどうかなあ」
「何かあってからでは遅いのです」
彼女の言う事もわかるが、ぶっちゃけ雛瀬さんは男性嫌いの気がある。
男はいやらしいからと全員警戒するのはこう、元男として辛い。
俺はできるだけフラットな対応を心がけていたところ──何度目かの邂逅で「撮影させて欲しい」と言われた。
「いいですよ。好きなだけ撮ってください」
スマホを見たバロンはむしろ自分から「撮って撮って」と寄っていくレベル。
好きだけ撮ってもらうといいとにこにこしていると、彼はなぜか困った顔。
「あ、ええと、できれば一緒に写ってるのがいいんだけど」
ここまで来ると、さすがに俺も「……ん?」と思った。
もしかしてこの男、バロンじゃなくて俺が目当てか? いくら最近の子供は発育がいいと言っても、まだ小学三年生だぞ?
困惑していると、雛瀬さんがずいっと割って入り、
「犬は構いませんが、お嬢様の撮影はお断りいたします。……ちなみに、無断での撮影は肖像権の侵害にあたる可能性がありますが、もちろんご存じですね?」
「は、はい。もちろん」
あんまり男が怯えるので、俺はまた「やりすぎなんじゃ?」と同情した。
その同情が誤りであったことが発覚するのは、次に出会った時のこと。
その時、彼は大きめの楽器ケースを肩にかけていた。
黒くて格好いい感じのケースで、けっこう重いのか、下端は地面につきそうなくらい。
「お兄さん、楽器をやるんですか?」
「ああ、うん。そこの公園でやろうかと思ったんだけど、やっぱり迷惑かなって」
最近は騒音とかも厳しいからな……と、ピアノをやっている身としてしみじみ頷く。
うちはわりとお高めのマンションなので防音もしっかりめなので、大きい音でなければキーボードでの練習もできるが。
と、そこでいきなり雛瀬さんがまた割って入って。
「失礼ですが、これはなんですか?」
「え?」
彼女が掴んだのは件の楽器ケース。指さされた箇所──黒い外装のせいでわかりづらいが、ケースは一部が改造されており、そこから小さなカメラレンズが覗いている。
下の端のほうなので、うまくすれば女の子のスカートを撮影することが可能。
「っ!?」
盗撮!? わかりやすい悪意、というか性欲の向けられ方に、さすがの俺も慌ててスカートを押さえた。
同時になんとも言えない気持ち悪さ。
成長途上の女子としての潔癖さと、いやさすがに幼女趣味は二次元だけにしとけよという男としての反感が入り混じって、彼を見る目は猛烈に鋭いものとなってしまう。
「二度としないでいただきたい。いえ、二度とお嬢様の前に現れないでいただけますか? ……それとも、このまま警察に参りましょうか?」
「い、いえ、絶対にしませんから!」
必死に「すみませんでした!」と謝りながら逃げていく彼。
見た感じ、変な人には見えなかったのに……最初のほうから見抜いていた雛瀬さんが正解で、俺にはまだまだ人を見る目が足りなかったということか。
「……もしかして、わたし、こっそり撮られてたりもする?」
「私が同行している間は極力、カメラを向けられそうな角度を遮るようにしております。それと、本家では定期的に、お子様方の画像がWeb上にアップされていないか検索を」
「そこまでしてるんだ!?」
しかし、実際こうして欲を向けられてしまうと「やりすぎじゃない?」とも言えない。
終わってしまえば些細なこの事件を経て、俺は少し、女子として大人になった。