主人公のプロローグ
勉強も運動もそれなりに得意だが、飛びぬけてできる分野があるわけではなく。
何か、これだけは誰にも負けないという趣味があるわけでもない。
強いて珍しい身の上を挙げるとすれば、近所に住む同学年の幼馴染と、血縁上は従姉妹である義理の妹がいることくらい。
……親しい友人からは「お前みたいな奴がどこにでもいるか」と言われたこともあるが、このくらいの奴は探せばいるだろう、わりと。
なにせ一矢は悪い魔女に捕まって化け物にされそうになったこともある。
……なおさら「どこにでもいるわけがない」って? 解せぬ。
「………んっ」
そんな一矢の朝は、たいていのんびりと始まる。
なにか重要な用があれば起きられるのだが、そうではない時はついギリギリまで眠りこけてしまう。
するとたいてい、近くに住む幼馴染と同じ家に住む義妹が起こしに来て、
「遥姉さん、兄さんったら入学式なのにぐっすりだね」
「うん。しょうがないなあ、カズくんは。……今日はどうやって起こしてあげよっか?」
毎回あの手この手で安眠を妨害──もとい、遅刻を阻止してくれる。
せめて普通に起こしてくれと訴えても、二人はどこ吹く風。
起きない一矢が悪いのだと言われると強くは言えないのだが辛いところだ。
「そうだ! ね、ユズちゃん、耳貸してっ」
「はい。……えっ、と、それは、少し過激だと思うんだけど」
「いいじゃない。私たちももう高校生だもん。ね?」
「うーん、遥姉さんがそう言うなら、いいのかな……?」
果たして、高校の入学式であるその日の起こし方は「穏便」ではあった。
少なくとも痛くもうるさくもない。
そういう意味では一矢の希望を取り入れてくれたと言えるが……目覚めた瞬間、一矢は心臓が止まるかと思った。
左右に、柔らかな女の子の身体の気配。
少しでも身動きすればまともに触れてしまう、というか、現状でも微妙に接触している──なにせ、一人用のベッドに三人で寝ているのだ。
普段ならあまり意識しない、女の子の甘い匂いも至近から感じられるし、少女たちの息遣い、視線までもがあまりにも近い。
「あ、起きた。……おはよう、カズくん。早く起きて、ご飯食べないと時間なくなっちゃうよ?」
「おはようございます、兄さん。今日も良い寝顔でした」
幼馴染である
義理の妹である
キスさえできてしまいそうな距離感から、ウィスパーボイスで呼びかけてくる二人に、一矢は思わず真っ赤になり──。
怒鳴ったり、頭ごなしに叱るのも違うだろうと自制しつつも、ためいきがこぼれるのは抑えきれず。
「………頼むから、お前ら、もうちょっと自分を大事にしろ」
心からの願いを吐き出した。
◇ ◇ ◇
幸か不幸か、一矢と結弦の両親は仕事で家を空けがちであり。
二人が成長するにつれてその度合いはだんだんと高くなっている。
そのため、普段の家事は一矢と結弦で分担、昔からの顔馴染みである遥が善意で協力してくれる形で成立していた。
若い女の子が同い年の男子の世話を甲斐甲斐しく焼いている件については、遥の両親も一矢たちの両親もあまり気にしていない様子で。
『なんなら一矢と結婚してくれても』
などと冗談めかして口にすることさえあるので、その度にツッコミに困る。
ともあれ。
長年かけて培われてきた彼らの「普通の日常」が今日も今日とて過ぎていく。
朝食に関しては、一矢は「適当でいいだろ、トーストと牛乳とかで。なんなら抜いてもいい」派なのだが、女性陣が揃って「駄目、朝はちゃんと食べないと!」と主張するので、白米とみそ汁(豆腐に油揚げ)、焼いたソーセージと目玉焼きという由緒正しきメニューに。
「ところでカズくん、私たちの制服はどう?」
「兄さんってば、なにも言ってくれないのは寂しいんだけど」
若干急ぎめに食事を詰め込んでいた一矢は、言われて少女たちのいで立ちを再確認。
客観的に見ても可愛い年頃の女の子二人が纏うのは揃いの制服だ。
地域ではかなり有名な白いブレザー。
学力的にもかなりハイレベルなため、これを着ることは周辺地域の女子の間でステータスになっているという。
制服人気ではとあるお嬢様学校と一、二を争うと言われており……向こうは金持ちでないとなかなか入れないということで、庶民的にはこのブレザーがトップと言ってもいい。
「似合ってるよ。……って、試着するたびに言ってるだろ」
苦笑しつつ答えれば、遥たちは顔を見合わせてから「今日が本番なんだから」と文句を言ってきた。
地域有数の進学校に揃って入学できる事実と合わせ、この制服もだいぶ新鮮ではあったのだが、はしゃぐ二人がたびたび試着するせいですでに見慣れてきてしまった。
きっと、これなら入学式でも緊張しないで済むだろう。
「遥や結弦より可愛い子なんてそうそういないだろうし、今日一日、平常心でいられそうだな」
何気ないその一言は、どういうわけかかなり効いた。
「……そっか。ふーん、そうなんだ?」
「えへへ。兄さんったら、いつもそうやって素直ならいいのに」
いったいなんなんだと思いつつ朝食を平らげ、洗い物やらあれこれを済ませたら、同じく白が基調の男子用ブレザーを纏って家を出る。
今まで通っていた中学に比べると遠くはなるものの、道のりはすでにしっかり確認済みなので不安はない。
「親父たちも、入学式くらい帰ってきてくれればいいのにな」
「しょうがないよ。お仕事忙しいんだもん」
「そうそう。それに、うちのお父さんとお母さんはちゃんと来てくれるから、カズくんたちの分もしっかり写真撮ってもらお?」
中学までと同じく、三年でわいわい言いながらたどり着いた先には、どこか近代的なフォルムの私立高校があった。
その校門をくぐって歩くのは、真新しい制服を纏った少年少女たち。
それを見ていると、自分たちも彼らの一員になったのだとあらためて実感する。
それは、新しい始まりの予感を伴っていて。
「………あ」
まるで運命に導かれるように、一矢は、『その少女』に視線を奪われた。
古風な和のお姫様のように長く艶やかな黒髪。
凛とした雰囲気と柔らかさを併せ持つ端正な顔立ち。
理知と意志の光を備えた両の瞳。
ぴんと伸びた背筋、軽く張られた胸は幼馴染のそれを凌駕するサイズ。
ただ鞄を手に歩いているだけなのに、全身から品の良さを発散し──あるいは結弦たち以上に、白の女子制服を自分のものにしている。
とくん、と、胸が高鳴る。
多くの生徒が見惚れる中、少女は正門からの道をゆっくりと歩いていき。
それから──不意に、こちらを振り返った。
目が合った、と、思ったのは、錯覚だろうか。
ただ確実なのは、振り返った少女がにこりと、柔らかく微笑んだこと。
そして、胸の中の「始まりの予感」がさらに強くなったこと。
「あの子……」
どこかで会ったことがあるような。
そんな、本人に言えば口説き文句と勘違いされそうなことを思いながら、一矢は知らず、頬を真っ赤に染めていた。