彼女の瞳に吸い寄せられた俺は、異様な胸の高鳴りを覚えた。
精神干渉!?
声、におい、そして視線。すべてが心を惑わす『魅了』の力を帯びている。
彼女の目をずっと見ていたい、彼女の声をもっと聴きたい、彼女が欲しい、彼女に好いてもらいたいと心が勝手に叫びだす。
これは。
異能の一種を用いて精神の鎮静化を図らなければ、あっという間に堕とされていたかもしれない。
けれど、魅了が効いているのは俺だけではなかった。他の子たちも沙希を見つめてぽうっと頬を染めている。もちろん、みゆちゃんもだ。沙希の視線が俺に向けられているおかげで効果はだいぶましだろうが──。
唇を噛んだ俺はみゆちゃんたちに霊力を放って気絶させる。物理的な威力はない。一瞬、相手の気を散らすことで意識を落とす技だ。
これで、沙希と一対一で対峙できる。
魔法少女への変身と同時に結界を張って外部からの知覚を阻害。
睨みつけた転校生に、俺は。
「あなたは、もしや淫魔の類ですか?」
「あはは。うん、正解。やっぱり力を使うとわかっちゃうよね?」
くすくすと笑った沙希は、瞬時にその姿を変じさせた。
きわどいボンデージに身を包んだ、有翼の悪魔。より正確には、
「サキュバス」
「そ。だから、やろうと思えばさっきみたいにみんなをボクの虜にできるんだ。疲れるし、騒ぎが大きくなるからあんまりやらないけどね」
「なら、なにが狙いですか? まさか、わたしを虜にしようとでも?」
「その通りだよ。キミを堕としちゃえば、彼をボクのものにできそうだからね」
やはりそうか。本当の狙いは俺ではなく、
「どうして、藤間くんを狙うんですか?」
「好みのにおいがするから」
めちゃくちゃ率直な回答だった。
「あの子、すっごく美味しそうなんだよね。だから、ボクのことしか考えられなくなるくらいに狂わせて、枯れるまでずっと楽しみたいんだ。ね? 人助けだと思って、ボクに譲ってくれないかな?」
「そんなことを言われて『はいどうぞ』と言うと思いますか?」
蹴りを向ければ「おっと」とかわされる。ならばと例の遠隔打撃を用いようとするも──くらりと目眩がして、精神集中が乱れた。これでは発動せず、単に蹴りが空ぶっただけだ。
フェロモンの影響が今なお俺を蝕んでいる。
「譲ってくれないなら別にいいよ? 譲ってくれる気になるまで、キミもこの子たちも『狂わせる』だけだから」
「……あなたは、操られています。都築先輩がそうだったように、あなたも藤間くんとその周囲を引っかきまわすために『生み出された』のでしょう? 誰かのいいように使われても構わないのですか?」
「ん? ボクは別に、命令とかされてないよ? それはまあ、どうやって生まれてどうやって生きてきたのか、ちょっと曖昧だなーとは思うけど。でも、生まれてきた意味がわからないなんて、みんな一緒だよね?」
だめか。先輩が創造主の存在を知っていたのがむしろ例外、普通のヒロインは単に自分の人生を歩んできただけ。それじゃこの説得は効果が薄い。
「で、どう? 嫌ならボクに彼をちょうだい。でなければ……そうだなあ、この子から『堕とし』ちゃおうかな?」
言って彼女が撫でたのは、気絶しているみゆちゃんの頬。
「見た感じ、この子は女の子が好きっぽいんだよね。だから、ボクの魅了も効きやすいはず。まあ、最初は抵抗されるかもだけど、いっぱい気持ち良くしてあげればすぐ素直に──」
「その汚い手を離しなさい、下郎」
「ぐっ、あっ!?」
怒りが、魅了の効果を吹き飛ばした。俺は打撃の遠隔化なんて迂遠なことをやめて、念動で直接、沙希の腕をひねり上げる。細くしなやかな腕がみしみしと悲鳴を上げると、さすがのサキュバスも顔をしかめた。
「わたしを狙うだけなら構いません。藤間くんも、よほどの場合を除けば自分で対処するでしょう。ですが、その子に危害を加えるつもりならば、絶対に許しません。どんな手を使ってでもあなたを排除します」
「あはは、排除って。そんな簡単に人殺しができるわけ──」
「人を殺すのなんて簡単です。単に、その後の後始末が大変なだけ。四条の家ならば、妖魔を一匹殺した程度、簡単に処理できます」
誇張はしたが、まったくの嘘ではない。まだ高校一年生だっていうのに異能だの殺し合いだのでだいぶ殺伐としてしまっているのだ。俺も、莉緒として受けた訓練の記憶を持っている以上、人に手をあげることはわりと簡単にできる。
我が家が異能・怪異関連ならかなり融通をきかせられるのも本当。足りなければポイントを使って権力を強化するだけ。
たとえ俺の手が汚れることになっても、みゆちゃんやエリカには絶対に手出しさせない。
いざとなったら首を折る勢いで念動力を働かせていると、沙希はとうとう「わかった、わかったから!」と音を上げた。
「ごめんなさい! 謝ります! 許してください! だから殺すのだけは勘弁してください!」
「まさか、これだけのことをしておいて口約束で済むとでも?」
「誓う! 誓います! それならいいでしょ!?」
「それは誓約(ゲッシュ)を受け入れるということですか?」
「そうだよ!」
太古の英雄を破滅させる原因にもなったといわれる、ある種の制約。
「キミと、それから藤間一矢くん。二人からの同意がない限り、ボクは藤間くんにも、キミの友達にも手を出さない!」
沙希がそれを受け入れると、彼女の腹部にしるしが刻まれた。……ゲッシュは破ることもできるが、そうすると恐ろしい破滅が降りかかる。破れるけど破ったら死ぬ、くらいに考えておけばそんなに間違いじゃない。
解放された沙希は「あーもう、ほんとに殺されるかと思った」と息を吐いた。俺はなんだか呆れを抱きながら変身を解除する。
「まったく、そこまでして一人の獲物にこだわる必要があったのでしょうか」
「そんなこと言ったってさ、これから二十年くらい、定期的に最高のご馳走が食べられるんだよ? しかもタダで。そりゃ狙うでしょ」
「それは……まあ、かなり魅力的ですけれど」
説得されてどうする俺。
「友崎沙希さん。あなたは、自身の生まれに不明な点があると言っていましたね? それはどういうことか教えていただけますか?」
「あー、うん。ボクってさ、人間の両親から生まれたんだ。で、お母さんが『あなたはサキュバスよ』って教えてくれて、実際その通りだったんだけど。でも、じゃあなんでボクだけサキュバスなのかなって」
「他のサキュバスと出会ったことは?」
「ないよ、一回も。似たような奴らとは会ったことあるけど」
黒幕が設定を作りこまなかったから……というか、種族として成立するほどの数のサキュバスを世に放つにはポイントが足りなかったんだろう。だから、ネームドのサキュバスは存在してるけど、当人も同族に会ったことがない、なんていうことになる。
うちの四条家だって従兄とか桜以外の親戚はほとんど設定だけあるようなものだし。
「その生徒会長さん? は特異点がどうとか創造主がどうとか言ってたみたいだけど、キミが言いたいのもそういうこと? ボクが、そいつの都合のいいように生み出されてキミたちを狙ったって?」
「はい。少なくともわたしはそう考えていますし、なんなら、今からあなたの記憶や性格が、都合よく書き換えられる可能性もあると思っています」
すると沙希は憮然とした顔をして、呟いた。
「それは、さすがに面白くないかなぁ」