「本当に俺が一緒でいいのかな?」
「大丈夫ですよ。それとも、お祖父さまへの面会を先にしたかったですか?」
「い、いや! それだけは勘弁してくれ!」
何回かに分けて私物を雛瀬さんに運んでもらい、晴れて本日、実家に帰ることになった俺こと四条莉緒。
せっかくなので一矢にも一緒に来てもらった。
四条家に何度も足を運んでいるくせに、一般家庭を訪問するのに妙に緊張した様子。こっちは普通の家だって。
「今日はみんな家にいるはずですから、心配しなくても、変なことは起こりませんよ?」
「そ、そういう心配はしてないって! ……いや、期待はしてたけど」
「正直すぎますよ、一矢くん」
女の子からあれだけアプローチされてたら欲求不満になるのも当然だが。
「一矢様、どうかお気を楽に。一応、私もおりますので」
「ありがとうございます、雛瀬さん。でも、その一矢様っていうのはやっぱりどうしようも?」
「はい。莉緒様と交際なさるということは、いずれ私の、もう一人の主になられるわけですので」
我が家は我が家で藤間一矢包囲網を敷きつつある。
「というわけで、参りましょう」
雛瀬さんにオートロックを解除してもらい、少年を促す俺。
エレベーターで上がって、懐かしいような、いつもの光景のような、我が家の前に。
差し入れた鍵がかちっと音を立てて。
「ただいまー」
声をかけると、とととと、と、小さな足音が響いて、
「なー」
「うお!?」
小さな影が勢い余って俺を通り越し、少年の胸に飛び込んでいった。
アメショーのオスを見事キャッチした一矢はじたばたするそいつに「あれ」と目を瞬いて。
「こっちでも動物を飼ってるのか」
「ええ。名前はロインです」
騎士爵でサーだと安直なのでサー・ロインでロインだ。それは牛じゃないかって? 細かいことは気にしてはいけない。
「ただいま、ロイン。元気にしてた?」
「なー」
歓迎してくれたのか、初対面を警戒して来たのか、気の抜けた鳴き声。
と、今度はとてとてと足音がして、
「お帰りなさい、お姉ちゃん!」
「ただいま、陽向(ひなた)。いい子にしてた?」
今度小学校に上がる男の子を思いっきり抱きしめる。と、少年がびっくりしたような顔でこちらを見た。
「その子は、ええと、弟さん?」
「そうですよ。陽向です。六歳なので、けっこう歳が離れていますよね」
「お姉ちゃん、苦しい! 苦しいってば!」
じたばたともがいた弟は、ようやく俺の胸から脱出すると「陽向です」と挨拶した。
「藤間一矢です、どうぞよろしく。……って、莉緒。まだ小さいって言っても男の子にあれは止めてあげたほうが」
「えー。もうちょっといいじゃないですか。ねー?」
「お姉ちゃん、いつもこれだから恥ずかしい」
むう、男の子の扱いはなかなかに難しい。小さいうちから英才教育、もとい、女慣れさせておいたほうがあとあと困らないと思うのだが。
「もう、莉緒ったら。玄関で話し込んで上がったら?」
「お客様もいるんだろう? 早く紹介してくれないかい?」
「あ、ただいま、お父さん、お母さん」
ようやく顔を出した両親に挨拶すると、向こうも「お帰り」と返してくれる。
実家のような安心感──もとい、実家である。
「さあ一矢くん、どうぞ奥に。……一矢くん?」
ぽかんとした様子の少年は、じっと俺を見つめて呟くように言った。
「莉緒が、普通の女の子みたいに話してる」
「いったいわたしをなんだと思ってるんですか」
◇ ◇ ◇
「家では堅苦しいのは抜きって決めてるんです。あくまでもわたしはわたしですからね」
「私はそもそも反対だったのよ。なのに父がどうしてもって聞かないし、莉緒まで賛成するから仕方なく貸してあげてたの。聞いてくれる、一矢君?」
「は、はい。それはもちろん」
剣の神相手に一歩も引かず戦った少年が、彼女の母親相手にたじたじになっている。
「その、なんていうか。莉緒のお母さんって、なんだか普通の人だな」
「ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいわ。夫にも娘にも長いこと、お嬢様が抜けきってないって言われてたから」
母は一矢が来るからと手作りのお菓子をたっぷり用意してくれていた。お茶を淹れたりお皿を準備したりするのは俺も手伝う。
「藤間一矢君か。これから、どうぞよろしく。莉緒のことを頼むよ」
「は、はい。まだ交際段階ですが、責任を持って、莉緒さんと真摯に向き合うつもりです」
「うん、そうしてくれると嬉しいよ」
父は初めて出会った『娘の彼氏』なる生き物ににっこりと笑んで、
「莉緒が昔から憧れていた人だからね。僕達からどうこういうつもりはないんだ」
と、言われた一矢が少しほっとした顔になったところで。
「でも、莉緒を泣かせたり捨てるようなことがあれば、それ相応の覚悟はしてもらわないといけないからね」
「き、肝に銘じます」
目だけで「どこの家もこんな感じなのかな?」と訴えてくる少年に「うちは過保護なので」と苦笑して答える。
「でも、一矢くんも結弦さんに彼氏ができたら厳しいんじゃないですか?」
「あー。それは、結弦を泣かせるような奴だったら許さないかもな。でも、逆に安心して任せるかも」
血縁上は従姉妹とはいえ妹に迫られてるもんな……。
「でも莉緒。一矢君にはまだ敬語なんだね?」
「だって恥ずかしいもん」
「ふふっ。莉緒ったら、好きな人には見栄を張っておきたいのよね?」
「お母さん、だから恥ずかしいってば」
うん、やっぱり、ここにいるとリラックスできる。
しばらくお嬢様として気を張る生活をしていたから、帰ってこられて本当に良かった。
「一矢くんは、こんなわたしに幻滅しましたか?」
「まさか。ただ意外だっただけで、むしろ莉緒との距離が近づいたみたいで嬉しいよ」
「良かった」
素の自分を見せるのも、ここに連れて来た理由の一つだ。
「でも、普通にお話しできるようになるのはもう少し待ってくださいね?」
「ああ、うん。……いきなり普通に話されたら、俺は心臓が止まって死ぬかもしれない」
「お兄ちゃん、死んじゃうの?」
「ああ、男ってのはな。好きな女の子に甘えられるのにものすごく弱いんだ」
真顔でなにを弟に教えているんだ、この男。
◇ ◇ ◇
一矢が夕食に響きそうなくらいお腹いっぱいになったところで、俺の部屋も案内した。
少年はおおいに動揺した様子で「いいのか?」と聞いてきて。
「ほら、向こうの家でも必ず客間だっただろ」
「あちらの家ではお嬢様でしたからね。でも、ここではただの女の子ですから、お見せしても困ることはありません」
というか正式に付き合い始めたので、向こうの部屋も見る権利はある。
こっちの部屋は小さい頃から使っているせいもあって、向こうの部屋よりもだいぶ少女趣味だ。昔からのぬいぐるみコレクションとかもあるし、本棚には少女マンガなんかも並んでいる。
「ここが莉緒の部屋、か。なんか、莉緒らしいな」
「そうですか? 具体的にはどのあたりが?」
「具体的にって言われると難しいけどさ。……しっかりしているようで、悪戯好きなところもあって。ときどきすごく積極的で。そんなところかな」
なんか、すごく観察されているような気分になって、俺は頬を染めながら「そうですか」と答えた。
「ええと。一矢くん、とりあえずベッドにでも座ってください」
「え!? いや、クッションかなにかもらえれば。その、ベッドに案内されると変な気分になりそうだし」
「もう、両親も弟もいるんですからね?」
頬を膨らませる俺だったが、でもまあ、と思い直して。
「キス、くらいなら、構いませんけれど」
「っ」
一転、意を決したような表情になった少年が肩をぐっと掴んでくる。
俺はそれに応じて目を閉じ──彼の気配が近づいてきたところで、一矢のスマホが着信した。
「くっ。結弦から電話だ。どうせ『晩御飯どうするの?』とかだろ。こんなタイミングで」
「出て差し上げたほうがいいのでは?」
「……莉緒は、こんなところでやめられるのか?」
俺たちは着信音が鳴り響く中、そっと唇を触れ合わせて──すぐに離れた。
「晩御飯、食べていってくださっても構いませんよ?」
「いや、これ以上もう入らないって」
その後少年は、主に母の料理した中華三昧の夕食をたっぷり食わされた。