Chronicle: The Apocalypse
Chronicle: The Apocalypse
第四次世界大戦の武器は石と棍棒になるだろう。
かのアルバート・アインシュタインがそう言ったとされるのは、一九四九年のことだ。
第二次世界大戦の終結から四年。ドイツの東西分裂、核出力二二キロトンのRDS-1がソビエトで成功したことを皮切りに、ソビエト連邦率いる東側陣営と、アメリカ合衆国率いる西側陣営との冷戦が、激化の様相を呈する年であった。
そしてこの後の数十年間、世界は核兵器を用いた全面戦争と、それが齎す人類文明の破滅に怯えることになる。第三次世界大戦は、核兵器か、あるいは核を超える新たな大量破壊兵器が使われ、その末に人類文明は崩壊する。
ジェームズ・キャメロンのターミネーター2を思い浮かべてみるとよい。空に二つ目の太陽が現れる。網膜に焼き付く眩い閃光と共に、熱線と熱風が地上を舐め上げ、全てが吹き飛び、焼き払われる。その跡に残るのは人間と文明の焼け滓ばかりで、石ころと棍棒こそが唯一の武器になる。
そういう意味なのだろうが、今なら言える。それは全くの間違いで、ナンセンスだ。人類をいささか賢くかつ愚かに、脆弱でそしてタフに見すぎている。
第四次世界大戦も小銃と火砲の戦争だ。なぜなら我々は、今も、石と棍棒ではなく、小銃と火砲の戦争を続けているのだから。
◆
冷戦期、世界中をチェスボードにして米ソは代理戦争を繰り広げた。
朝鮮半島で、ベトナムで、アフガニスタンで──二つの超大国は直接対決を避けながら、キューバ危機を始めとする全面核戦争の危機を辛うじて回避し、やがて一九八九年のマルタ会談、一九九一年のソビエト連邦の崩壊を以って、冷戦は完全に終結した。
そんな幻想はすぐさま打ち砕かれた。
東西という巨大な枠組みは民族や主義主張や宗教といった小さな単位に分割され、米ソという抑圧と矛先を失った力は、内外へと無秩序に暴発した。低強度紛争、あるいは不正規戦争として。
冷戦後、ルワンダやボスニアを始めとする数多の内戦や紛争には、往々にして民族浄化──より詳細に言うのなら、大量虐殺が伴った。
冷戦の終結を境に戦争は変わったが、その最大の転換点は、やはり9・11だろう。
アメリカ同時多発テロ事件。
二〇〇一年九月十一日、ハイジャックされた二機の旅客機がワールド・トレード・センターのツインタワーに衝突し、他に
この事件を発端に、アメリカとイギリスの両国は実行犯のアルカイダ、そしてアルカイダを匿っているとされたアフガニスタンのタリバン政権に対し、実に十年を超える長期作戦、不朽の自由作戦を開始した。
確たる形を持たない、姿形のあやふやな敵との戦い。
冷戦の終結は古い戦争の終焉であり、同時に新たな戦争の始まりでもあった。テロリズムという共通の敵を前に旧東側を含む国々も参戦、有志連合が結成され、先進諸国はテロとの戦いに明け暮れることとなる。
世界の結束に宇宙人は必要なく、カラシニコフを持った殉教者で事足りたのだ。
◆
これまでに挙げたテロとの戦いと、それに伴う二〇〇〇年代から二〇一〇年代にかけての国際協調は、今日の世界に至る大破壊の発端となる大規模な小惑星衝突災害、通称〈フランシスの厄災〉が起こるまで続いた。
仮符号1997AC、発見者の名からフランシスと名付けられた小惑星。
それは太陽系外に由来し、衝突すれば大量絶滅が危惧される規模の巨大小惑星であると共に、岩石の集積によって形成されるラブルパイル天体であった。
フランシスは木星の公転軌道の内側に入り込むと、軌道を他天体との摂動で乱されながら地球に接近、世界がテロとの戦いに執心する最中に、地球のロシュ限界を突破した。
岩石が微小な重力で緩く結合した構造は脆く、地球との潮汐力によって無数の破片に分解された。
本来、地球を掠めて離れていく軌道を取ったはずのフランシスは、まるで一掴みの砂利を投げつけたかのように地球に襲いかかった。
この破片には、現在フランサイトとして知られる超アクチノイド元素が多量に含まれていたことが判明している。安定の島に属するこの超重金属のために、通常のラブルパイル天体と比べると、フランシスの密度は高く、つまり重く頑丈だった。それだけ破壊力は上がった。
地球の重力に引き寄せられた破片の挙動はいくつかの種類に分けられた。
一つはすぐに大気圏へと突入した破片。
一つは軌道上を周回しながら、やがて希薄な大気の抵抗で減速していき、約一ヶ月間に渡って落下した破片。
一つは軌道に捕獲され、ケスラー・シンドロームを引き起こして特に低軌道上の人工衛星を壊滅させながら、スペースデブリと共に今も軌道を封鎖している破片。
世界中が同時に大打撃を受けた。
巨大な小惑星が一つの地点に落ちるのではなく、小さな──尤も、大気圏を突破して一つの都市を消し去るほどの質量の破片が、世界中に無差別に落ちたのだ。
危惧された大量絶滅は起こらなかった。だが、同時多発的な被害のために復興のリソースは分散され、遅々として進まない復興、破片の落下によって生じた難民や気候変動、食糧危機といった諸問題、そして宇宙インフラの壊滅による情報伝達の断絶のために、やがて世界には〈外〉に原因を求める過激な極右排外主義が蔓延した。
フランシスの厄災からの復興期にして、第三次世界大戦の前夜、旧アメリカ合衆国で発生した反国際協調とブロック形成を推進するグレイヴス主義は、その最たる例だ。
二〇世紀の世界恐慌のそれを先鋭化させたような国際情勢の中、国際関係は修復不可能なまでに急速に悪化し、あちこちで起こった紛争は加速度的に規模を拡大、戦火は世界を包み込んだ。
既に世界中で紛争が起こっていたために、第三次世界大戦の始まりをどことするかには様々な見解がある。
だが、確実なことはある。二〇世紀全ての戦争を合わせても及ばない史上最大の総力戦は、核兵器の一斉使用か、あるいはそれまでには始まっていた。何処の誰が最初に撃ったかは未だ定かではない。おそらくこれからも判明することはないだろう。
まるで世界が発狂しようと示し合わせていたかのように、それは突然に始まったのだ。
最初の三週間で相当数の核兵器が使用された。
二〇一〇年における配備済みの核兵器は約七五〇〇発、その後のフランシスの厄災や国際情勢、老朽化による変化分を考慮すれば、大戦の直前には概ね五〇〇〇から六〇〇〇発程度になるだろう。
さらに、当時の情勢から四、五割が即時から短期間で投射可能な状態だったと仮定すれば、およそ二〇〇〇発から三〇〇〇発。
これはあくまでも試算的な数値で厳密なものではないが、そもそも当時の世界は何もかもを一緒くたにミキサーにかけたような混乱具合だったのだ。誰も厳密な数値など持っていないだろう。
その全てでないにしろ、四桁発の核兵器を投入して尚、その効果は期待されていたより限定的なものであった。
低軌道以上のスペースデブリを回避するため、弾道ミサイルの軌道は大部分が超低軌道以下となり大気による抵抗が著しく増大、誘導方式は壊滅した衛星に代わり弾頭の慣性航法装置に変更され、精度がキロメートル単位まで悪化したためである。各国が迎撃システムを地上主体で再建、致命的なものを確実に迎撃したことも一因に挙げられる。
核による直接的被害は限定的なものに過ぎなかったが、問題は高高度で迎撃や誤作動、あるいは意図的な原因で炸裂した結果、発生した
多くの兵器は、特に新たに開発された高性能な集積回路を搭載したものほど、繰り返し何度も降り注ぐEMPに、早々に無力化された。
核戦争は起こらない。核は抑止力の頂点として君臨こそすれど、使われず、使うことはできない。
かつて冷戦という最大の危機を乗り越えた人類は、楽観的にもそう考えていたのだ。
その手に起爆装置を握っていると信じ込み、されど足元に埋まったそれが、その実いつ爆発するかも分からぬ不発弾であることから目を背け。
兵器のハイテク化と共に謳われていた〈クリーンな戦争〉という神話は、EMPによって崩壊した。第三次世界大戦は、世紀を一つか二つ遡ったかのような、歩兵と小銃と塹壕と火砲による白兵戦が、全世界で繰り広げられた。
すなわち、政治的にも文字通りにも泥沼の戦争である。
◆
戦争とすら呼び難い狂気の応酬は四年に渡って続いた。世界を焼き尽くした後に勝者は無く、血と鉄の濁流が押し寄せた後には、焦土のみが残った。
フランシスの厄災と第三次世界大戦。一連の大破壊は、人類と文明を滅ぼすには足りなくとも、従来の体制を破壊するには十分すぎた。
文字通り死力を尽くし戦った国家というシステムはその力を失い、著しく衰退する一方、無数の命と資源と企業を喰い散らかすことで成長を遂げた九つの
戦後、黙示録とさえ呼ばれた大破壊からの復興を担うのは、国家をも凌駕する存在となったG9と、国家から主権の委託を受け──たとえその実態が、他の選択肢に死だけがある否応なしのものであれ、INUの正当性とはそこにある──、強力に再編された国際機関たる〈
それは
INUは国家に優越し、世界に秩序を再建するという大義のために存在する。
一七世紀に三十年戦争の講和会議で成立して以降、近代世界の大前提として維持されてきたウェストファリア体制。それぞれ主権を持つ国家から構成される世界は終焉を迎え、代わってINUとG9という、双頭のリヴァイアサンが跋扈するようになった。
敢えて名を付けるのなら、それは
◆
国連戦災復興局の計画に基づいて
秩序回復の名の下に普遍的な、あるいは普遍的とされる正しい論理を押し付けるのだ。その土地が、その民族が抱える事情など、INUにすれば些事である。
無論、今日多くの者が指摘するように、そのようなやり方は正しくない。だがもし、必ずしも配慮すべきだと断ずるのなら、こう考えてみるとよい。
君は日々、数百数千食の昼食を作る仕事をしている。
そこは世界で唯一の食堂で、そこで食べねばいずれ餓死する。何人かが「私グリーンピース嫌いなのよね。入れないでくれる?」と主張するのだ。ある何人かはスクランブルエッグを増やせ、ある者はベーコンを加えろと主張する。さらには個々人に味の好みがある。もう少し濃い方が僕の好みだ、薄い方があたしの好みね。
その要求には際限がない。君は彼らの要求全てに対応できるか?
必要なのは意思ではなく結果である。応えようという意気込みではなく完成した食事である。それも昼食の時間までに。
君の相手は数百数千なのだ。その上、君は超人でも、ましてや神でもない。ただの人間で、凡人だ。
パンと米の両方を用意するといった範囲での対応はできても、幾つもの種類のパンを用意することは不可能である。
世界はあまりに複雑だ。数えるのも億劫なほどの事情が、ほどいてやる気すら起こさせないほどに絡み合っている。解決するのは何年先になるだろうか? 十年か百年か、あるいは千年か?
INUにそんな時間はない。今、すぐに。
壊れかけた世界は、今、すぐに機能する秩序をもたらす存在を求めた。混沌の、戦争の、人間の狂気の行く末が、絶滅以外の何物でもないために。
畢竟、それは機能する秩序の有無の話だ。停止しかけている心臓に電気ショックを与え、無理矢理にでも動かし続けているようなものだ。INUのやり方が正しくないことと、それが現実的なやり方であることはなんら矛盾しない。
煩雑な世界を今すぐに完璧に統治できるとすれば、それは神だろう。人間の妄想と理想の産物たる神、絶対に間違わない慈悲深き独裁政権。無数の主体が存在しようが、神ならば完璧に調整してみせるだろう。それこそが神の条件であるが故に。
INUは現実と妥協の産物、平凡で無慈悲な独裁政権である。そこには限界があり、だからこそ、前提をある程度単純化し、物事の些末な枝葉を切り捨て、どうしようもないものは粉砕する。
理想論はその後だ。だが、それは一体何年後の話になるのだろう? 千年どころか百年先にすら、今の我々は生きていない。
そしてその時代遅れの帝国主義者めいた、あるいはそのものの傲慢に、反発が生まれないはずがない。いつの時代を見ても自明のことだ。
INUの存在意義は世界の秩序回復である。そして、反乱の起こるそのような地域こそ無秩序であり、PKFによる治安介入の対象である。
それが自らの体現する矛盾の産物であれ、INUには地域が自ら機能するようになるまで保護し回復させる義務がある。
このような状況には、イラクやアフガニスタンという前例が存在する。故に、それを踏襲した戦略が採用された。その主軸は二〇〇六年のFM3-24カウンター・インサージェンシー、旧アメリカ陸軍においてペトレイアス将軍により作成されたドクトリンである。
一つは
一つは
反乱勢力の人員や物資は主に現地の住民から調達される。現地住民による反乱勢力への協力を断ち、その一方で、反乱勢力そのものを撃滅する。これが現在、INUとG9が共同で世界中に展開する
INUによれば、これらは〈平和のための戦争〉である。図書館で歴史の本を読んでみるとよい。人類の歴史には、あまりにありふれた大義だ。そしてその結末もまた、歴史上、枚挙にいとまがない。