高度育成高等学校という場所は、
表向きこそ実力と知略を競わせる教育機関を気取っていやがるが、
結局のところ最後にモノを言うのは人間の根っこの部分――
つまり「暴力」だと、宝泉和臣はずっと思っていた。
どれだけ頭が良かろうが、どれだけ特別試験でポイントを稼ごうが、
どれだけ周囲から信頼されようが、
殴られた瞬間に恐怖で身体が竦むような奴は、その時点で下なのだ。
だからこそ最近の宝泉は、腹の底に妙な苛立ちを抱えていた。
退屈だった。
喧嘩が足りねぇ。
この学校に来てからというもの、周囲は妙に頭を使う連中ばかりで、
まともに殴り合いへ発展する機会が減った。
もちろん暴力沙汰そのものが消えたわけではない。
だが、それは宝泉が求めるものとは違う。
小賢しい駆け引き。
陰湿な心理戦。
裏で手を回して相手を追い込むくだらねぇゲーム。
そんなもんばかりだ。
宝泉は、もっと単純で、もっと原始的で、もっと分かりやすいものが欲しかった。
拳。
骨。
血。
痛み。
人間が恐怖に顔を歪める瞬間。
それを感じていないと、自分の身体が腐っていくような感覚があった。
「……クソつまんねぇな、この学校」
昼休みの廊下を歩きながら、宝泉は舌打ち混じりに呟く。
周囲の生徒たちは、その声を聞いただけで視線を逸らしていく。
相変わらずだ。
自分を見ただけでビビる。
それはそれで悪くない。
だが最近は、その反応すら刺激にならなくなっていた。
もっと強い奴が必要だった。
もっと殴り甲斐のある奴が。
そして、その頂点にいるのが綾小路清隆だということも、宝泉は理解している。
あの無表情野郎。
人を舐め腐ったみてぇな目をした男。
あいつだけは、まだ本気でぶっ壊せていない。
だからこそ、そこへ辿り着く前に、
自分の身体をもう一度「戦闘用」へ戻しておく必要があった。
鈍った感覚を研ぎ直す。
暴力の勘を取り戻す。
だったら手始めに必要なのは――雑魚狩りだ。
「……まずは肩慣らしだな」
宝泉の口元が、獰猛に歪む。
そして最初に頭へ浮かんだのは、二人の女だった。
堀北鈴音。
伊吹澪。
片方は学年でも有名な優等生。
片方は牙を剥く野良猫みてぇな不良女。
どっちもそれなりに喧嘩慣れしている。
ちょうどいい。
潰すには。
◯
放課後。
人気のなくなった校舎裏には、夕暮れの赤黒い光が長く伸びていた。
コンクリートの壁。
室外機の低い唸り。
遠くで聞こえる運動部の掛け声。
そんな空気の中、先に姿を現したのは伊吹だった。
「……アンタ、何の用よ」
露骨に不機嫌な声。
腕を組み、鋭い目で睨みつけてくる。
相変わらず気の強ぇ女だ。
だが宝泉からすれば、小型犬が必死に吠えている程度にしか見えない。
少し遅れて堀北も現れる。
「呼び出しに応じたわ。話は?」
こちらは冷静を装っている。
だが、宝泉の姿を見た瞬間、肩にわずかな緊張が入ったのを見逃さなかった。
なるほど。
完全に肝が据わってるわけじゃねぇ。
「クク……お前ら二人まとめて来るとは仲良しごっこかァ?」
「くだらない挑発なら帰るわよ」
「帰れると思ってんのか?」
空気が止まる。
宝泉は壁から背を離し、ゆっくり二人へ歩み寄った。
「最近よォ、身体がなまって仕方ねぇんだわ」
「は?」
「だから運動しようと思ってなァ。ちょうどいいサンドバッグ探してたんだよ」
伊吹の眉が跳ね上がる。
「あぁ?」
「お前らなら多少は楽しませてくれんだろ?」
その瞬間だった。
伊吹の拳が飛ぶ。
速い。
女にしちゃかなり速ぇ。
だが宝泉は首を少し傾けるだけで回避した。
拳が頬の横を掠める。
同時に堀北が低い姿勢で踏み込み、鋭い回し蹴りを放ってくる。
「私はあなたの暴力には屈しないわ!」
「へぇ」
宝泉は腕で受けた。
重い衝撃。
思ったより威力がある。
特に堀北の蹴りは、体重移動が綺麗だった。
ただし――軽い。
致命的に。
「こんなもんかよ」
宝泉は笑いながら、伊吹の腹へ膝を突き刺した。
「がっ……!」
空気が潰れる音。
伊吹の身体が折れる。
そこへ堀北がすぐさま追撃してくる。
判断は悪くない。
仲間が崩された瞬間に止まらず攻める。
だが、その程度で宝泉は止まらない。
横薙ぎの蹴り。
宝泉は真正面から受けた。
鈍い衝撃。
少し身体が揺れる。
「……っ!」
堀北の表情に驚きが走る。
効いていない。
いや、多少は効いている。
だが宝泉の身体は、その程度のダメージを無視できる。
「いい蹴りじゃねぇか」
次の瞬間。
宝泉の拳が、堀北の脇腹へめり込んだ。
ゴッ、と嫌な音が鳴る。
堀北の呼吸が止まる。
身体がくの字に折れ、そのまま数歩吹き飛んだ。
「堀北!」
伊吹が叫び、再び飛び込んでくる。
今度は低い。
足狙い。
宝泉の膝へ鋭いローキックが叩き込まれる。
確かに痛い。
だが、それだけだ。
「チッ……!」
伊吹は舌打ちする。
手応えが薄い。
宝泉はその顔を見て笑った。
「お前、いいなァ」
「……!」
「ちゃんとビビってんのに、それでも向かってくる」
そして次の瞬間、宝泉は伊吹の髪を乱暴に掴み、
そのままコンクリートの壁へ叩きつけた。
鈍い激突音。
「ぐっ……!」
伊吹の身体が崩れる。
そこへ堀北が背後から飛びかかる。
腕を取る。
関節を極めにきた。
だが宝泉は笑うだけだった。
「軽ぃんだよ」
力任せに腕を振る。
それだけで堀北の身体が宙へ浮いた。
小柄な身体が大きく回転し、地面へ転がる。
「かっ……!」
肺の空気を吐き出し、堀北が苦痛に顔を歪める。
宝泉は二人を見下ろした。
汗。
乱れた髪。
荒い呼吸。
だが、それでも二人の目は死んでいない。
特に伊吹。
口の端から血を流しながら、まだ睨んでくる。
その反抗的な目が、少しだけ宝泉を楽しませた。
「まだ来るか?」
「……ッ、舐めんな……!」
伊吹が再び突っ込んでくる。
その瞬間。
宝泉の拳が真正面から炸裂した。
顔面。
伊吹の身体が横へ吹き飛び、地面を転がる。
今度こそ立ち上がれない。
「伊吹さん!」
堀北が叫ぶ。
怒り。
焦り。
感情が乱れている。
もう冷静じゃない。
だから弱い。
堀北は一直線に飛び込んできた。
宝泉はそれを待っていた。
腹へ前蹴り。
衝撃で堀北の身体が止まる。
そこへ追撃の肘打ち。
頭部。
視界が揺れたのだろう。
堀北の身体がふらつく。
最後に宝泉は、その肩を掴み、地面へ思い切り叩き落とした。
コンクリートへ背中が激突する。
「……ぁ……」
短い声。
そして沈黙。
終わりだった。
校舎裏に残るのは、荒い呼吸音だけ。
宝泉は首を鳴らす。
「……悪くねぇ」
多少は汗をかいた。
多少は痛みもある。
だが、所詮はこの程度。
まだまだ物足りない。
宝泉は倒れた二人を見下ろしながら、ゆっくり笑みを深めていく。
「この調子で行くかァ」
身体は軽い。
暴力の感覚も戻ってきた。
殴る。
潰す。
勝つ。
やはり、それが一番気持ちいい。
綾小路。
龍園。
高円寺。
そして、この学校の強者ども。
片っ端からぶっ壊してやる。
そんな万能感にも似た高揚を抱えながら、宝泉は夕暮れの校舎裏を後にした。
まだこの時の彼は知らない。
自分がこれから先、本物の怪物たちに心を折られていくことを――。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。