ようこそ暴力至上主義の教室へ   作:戦竜

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第三話 VS七瀬翼

須藤健を倒した時の感触は、翌日になっても宝泉和臣の身体の奥に残っていた。

 

腹の内側に沈む鈍い痛み。

拳を受けた腕の重さ。

太ももに残る蹴りの痺れ。

 

どれも不快ではなかった。

 

むしろ宝泉にとっては、身体がまともに動き始めた証拠のようなものだった。

 

堀北と伊吹は肩慣らし。

須藤は少しだけ手応えがあった。

 

なら、次はもっと面白い相手がいい。

 

そう考えた時、宝泉の頭に浮かんだのは、同じ一年生の少女だった。

 

七瀬翼。

 

普段からどこか真面目で、妙に芯が強く、

宝泉のような人間に対しても簡単には怯えた顔を見せない女。

 

気に入らねぇ。

 

ああいう目をしている奴は、昔から嫌いだった。

 

暴力を見ても目を逸らさない。

自分の正しさを疑わない。

恐怖を感じていても、それを理由に膝を折らない。

 

そういう奴ほど、一度へし折ってやりたくなる。

 

だから宝泉は、放課後、七瀬を寮裏へ呼び出した。

 

人通りの少ない、建物の影になった場所。

 

夕方の風が吹き抜け、コンクリートの壁に木々の影が揺れている。

 

先に待っていた宝泉が壁に背を預けていると、七瀬は一人でやってきた。

 

「宝泉くん。話とは何ですか」

 

声は落ち着いていた。

警戒はしている。

だが怯えてはいない。

 

そこがまた腹立たしい。

 

「随分と冷てぇな。同じクラスの仲間だろうが」

「あなたがそういう言い方をする時は、ろくなことではないと分かっています」

「分かってんなら話が早ぇ」

 

宝泉は壁から背を離す。

 

「最近よォ、俺は強ぇ奴を探してんだ」

「……それで、私を呼び出したんですか」

「お前、そこそこ動けんだろ」

 

七瀬の目が細くなる。

 

「私は喧嘩をするつもりはありません」

 

即答だった。

 

宝泉は鼻で笑う。

 

「つまんねぇ返事だな」

「力で相手を従わせようとするやり方には賛同できません」

「賛同?」

 

宝泉はわざとらしく首を傾げた。

 

「誰がそんなもん求めたよ。

俺はただ、お前がどのくらい殴り甲斐があるか知りてぇだけだ」

「お断りします」

 

七瀬の声は揺れなかった。

その毅然とした態度が、宝泉の中の苛立ちに火をつける。

 

正論。

信念。

我慢。

 

そういう綺麗ごとを並べる奴は、

自分の身体に痛みが走った瞬間、たいてい目の色が変わる。

 

宝泉はそれを何度も見てきた。

 

「じゃあ、俺が先に殴ったらどうする?」

「やめてください」

「止めてみろよ」

 

次の瞬間、宝泉は踏み込んだ。

 

七瀬の表情が変わる。

 

反応は速い。

 

宝泉の拳が届く前に、七瀬は半歩横へ逃げ、腕で軌道を逸らしてきた。

 

軽い。

だが上手い。

 

力で受けず、角度を変える。

その動きだけで、宝泉はすぐに理解した。

 

こいつは須藤とは違う。

須藤は身体能力で突っ込んでくるタイプだった。

 

だが七瀬は、相手の力をまともに受けない。

 

位置。

間合い。

重心。

 

そういうものを見ている。

 

「へぇ」

 

宝泉の口元が歪む。

 

「やっぱり動けるじゃねぇか」

「私はあなたを傷つけたいわけではありません」

「だったら防ぐだけか?」

 

宝泉はさらに攻めた。

 

拳。

蹴り。

掴み。

 

七瀬はそれらを紙一重で捌いていく。

 

大きく避けすぎない。

 

必要最低限の動きで、宝泉の攻撃を外し、

時折こちらの肘や手首に鋭い反撃を入れてくる。

 

痛みは小さい。

だが狙いが嫌らしい。

 

関節。

筋。

呼吸の切れ目。

急所に近い場所。

 

本気で壊す気はないくせに、止めるための攻撃は的確だ。

 

「チッ……!」

 

宝泉は舌打ちした。

 

須藤より軽い。

圧倒的に軽い。

 

だが、やりづらさは須藤以上だ。

女だからといって侮っていい相手ではない。

少なくとも、昨日の須藤より戦い方を知っている。

 

七瀬の足が低く伸びる。

宝泉の膝裏を狙った蹴り。

 

少し体勢が崩れる。

 

そこへ七瀬が踏み込み、肩口を押さえながら宝泉の腕を取ろうとした。

 

投げる気か。

 

「舐めんな」

 

宝泉は腕力だけで振り払った。

 

七瀬の身体が軽く浮く。

その瞬間、宝泉は腹へ拳を入れた。

 

「っ……!」

 

七瀬の表情が歪む。

 

だが声は大きく上げない。

歯を食いしばり、すぐに後退する。

 

いい根性だ。

 

それがまた面白い。

 

「効いただろ?」

「……まだです」

「そうこなくちゃなぁ」

 

宝泉は笑った。

さっきまでの苛立ちは、少しずつ高揚へ変わっていく。

 

七瀬は強い。

 

ただ腕っぷしが強いわけではない。

暴力を怖がっていないわけでもない。

 

だが、その上で退かない。

 

自分の信念を守るために、宝泉の前に立っている。

だからこそ、壊し甲斐がある。

 

宝泉は再び距離を詰めた。

 

七瀬は後ろへ下がらず、逆に斜め前へ踏み込んでくる。

 

宝泉の懐。

 

一瞬、肘が肋骨の下へ入った。

 

「ぐっ……」

 

鋭い痛み。

浅いが、正確。

 

直後に七瀬は宝泉の腕を絡め、体勢を崩しにかかる。

 

動きが速い。

判断もいい。

 

だが――足りない。

 

体格。

筋力。

一撃の重さ。

その全部が足りない。

 

宝泉は踏ん張る。

地面を踏み割るように足に力を込め、七瀬の崩しを止めた。

 

七瀬の目が一瞬だけ揺れる。

 

その瞬間、宝泉は肩でぶつかった。

七瀬の身体が後ろへ飛ばされる。

 

壁際まで下がったところへ、宝泉が追う。

 

「防戦一方じゃねぇか」

「……それでも、あなたの好きにはさせません」

「まだ言うか」

 

宝泉は拳を振るう。

七瀬は腕で受け流す。

だが今度は完全には逃がさない。

 

連続で圧をかける。

 

一発一発を大きく、重く、避けても空気ごと押し潰すように振るう。

 

七瀬の動きは鋭い。

 

だが、回避するたびに少しずつ余裕が削れていく。

 

足が乱れる。

呼吸が浅くなる。

肩が上がる。

 

宝泉にはそれが見えた。

 

「どうした、七瀬」

 

拳が防御の上から叩き込まれる。

 

「正義感だけじゃ止められねぇぞ」

 

七瀬は歯を食いしばる。

 

その目はまだ折れていない。

 

だから宝泉は、さらに踏み込んだ。

 

七瀬の蹴りが来る。

低く鋭い。

 

宝泉は避けずに受けた。

 

痛い。

 

だが構わない。

 

その足を掴む。

 

七瀬の身体が一瞬止まる。

 

「捕まえたぜ」

 

宝泉はそのまま力任せに引いた。

 

七瀬の体勢が崩れる。

 

手をついて受け身を取ろうとするが、宝泉は逃がさない。

 

肩を掴み、地面へ押さえ込む。

 

七瀬はすぐに腕を差し込んで抜けようとした。

 

上手い。

 

だが力が違う。

 

「……っ!」

 

七瀬の顔に、初めて明確な苦痛が浮かぶ。

 

宝泉はその表情を見下ろした。

 

恐怖だけではない。

悔しさ。

怒り。

 

それでも諦めない意志。

 

なるほど。

 

いい目をしている。

 

「お前、やっぱり面白ぇな」

「宝泉くん……あなたは……間違っています」

「あ?」

「力で勝っても、人は従いません」

 

その言葉に、宝泉は思わず笑った。

 

「従わせる必要なんかねぇよ」

 

宝泉は低く言った。

 

「逆らう気を失くせば、それで十分だ」

 

七瀬の目が鋭くなる。

それでも彼女は諦めず、最後の力で体勢をずらし、宝泉の腕を外そうとした。

 

その粘りは本物だった。

 

もし相手が普通の生徒なら、七瀬は勝てただろう。

 

須藤のような力任せの相手にも、やり方次第では対応できるかもしれない。

 

だが宝泉は違う。

 

ただ力が強いだけではない。

 

喧嘩の場数が違う。

 

相手がどこで息を吐くか。

 

どこで力が抜けるか。

 

どの瞬間に諦めが混じるか。

 

そういうものを、宝泉は身体で覚えている。

七瀬の抵抗がわずかに鈍った瞬間、宝泉は一気に押し切った。

 

決着だった。

 

七瀬は地面に片膝をつき、荒く息を吐いている。

 

立とうとする気配はある。

だが身体がついてきていない。

 

宝泉は少し距離を取り、肩を鳴らした。

 

「終わりだな」

 

七瀬は悔しそうに唇を噛む。

 

「……私は、あなたのやり方を認めません」

「好きにしろよ」

 

宝泉は笑った。

 

「だが今日勝ったのは俺だ」

 

七瀬は何も言い返さなかった。

 

言葉では折れていない。

 

だが結果は変わらない。

 

その事実が、宝泉には心地よかった。

 

須藤とは違う楽しさだった。

 

須藤は重かった。

 

七瀬は鋭かった。

 

身体能力では須藤。

戦闘の技術では七瀬。

 

そう考えれば、この学校も捨てたもんじゃない。

 

まだまだ殴り甲斐のある奴がいる。

 

宝泉の胸の奥で、熱が膨らんでいく。

 

昨日よりもさらに強い高揚。

 

自分はまだ勝てる。

 

自分の暴力は、まだ誰にも止められていない。

 

堀北も伊吹も。

須藤も。

七瀬も。

 

全員、最後は地面に沈んだ。

 

だったら次は誰だ。

 

龍園か。

アルベルトか。

天沢か。

 

あるいは、あの綾小路か。

 

考えるだけで、喉の奥から笑いが込み上げてきた。

 

「ハ……」

 

七瀬が顔を上げる。

 

宝泉は空を見上げた。

 

夕暮れの色が、寮裏の壁を赤く染めている。

その赤が、まるで次の喧嘩を煽っているように見えた。

 

「ハハハハハハッ!」

 

宝泉の高笑いが、寮裏に響いた。

七瀬はその声を、苦しげな息の合間に聞いていた。

 

宝泉は振り返らず歩き出す。

 

身体は熱い。

拳は疼いている。

 

もっとだ。

 

もっと強い奴を潰す。

 

この調子で全部ぶっ潰す。

 

そう思いながら、宝泉和臣はさらに深い暴力の階段を、何の迷いもなく上り始めていた。




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