ようこそ暴力至上主義の教室へ   作:戦竜

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第六話 VS天沢一夏

アルベルトとの喧嘩から数日間、

宝泉和臣は珍しく次の相手へすぐには向かわなかった。

 

理由は単純だ。

身体が動かなかった。

 

肩は上がりきらず、脇腹には鈍い痛みが残り、

拳を握るだけで関節の奥が軋むような感覚があった。

 

あの巨体を倒した代償は、思った以上に重かった。

 

だが、それが不快だったわけではない。

 

むしろ宝泉は、その痛みを噛み締めるようにして過ごしていた。

 

アルベルトは強かった。

 

本当に強かった。

 

今まで潰してきた連中とは明らかに違った。

あいつに勝ったという事実は、宝泉の中の自信をさらに膨らませた。

 

同時に、身体が万全でなければ次の相手には届かないという、

苛立たしい現実も突きつけてきた。

 

次に狙う相手は決まっていた。

 

天沢一夏。

女だ。

だが、ただの女じゃない。

 

あの身のこなし。

 

あの余裕。

 

あの相手を玩具のように見る目。

須藤や龍園より強いのは間違いない。

場合によってはアルベルト以上かもしれない。

 

そう考えた時、宝泉の口元は自然と歪んだ。

 

女だからどうこうじゃない。

 

強いなら潰す。

それだけだ。

 

数日後。

 

身体の痛みがようやく引き、

拳を握った時に余計な鈍さが消えたと感じた朝、宝泉は天沢へ声をかけた。

 

「おい、天沢」

 

彼女は振り返ると、すでに何かを察したように笑っていた。

 

「なぁに、宝泉くん。怖い顔して」

「体育館裏に来い」

「へぇ」

 

天沢の目が楽しげに細くなる。

 

「もしかして、あたしと遊んでくれるの?」

「遊びで済むと思うなよ」

「強い男の人ってだぁい好き♡」

 

その言葉に、宝泉は鼻で笑った。

 

「なら満足させてやるよ」

 

放課後。

 

体育館裏は、校舎裏や寮裏とはまた違う空気を持っていた。

 

遠くから部活動の声が聞こえる。

 

床を蹴る音。

ボールの跳ねる音。

笛の音。

 

だが、この裏側だけは妙に静かだった。

 

天沢はそこに立っていた。

 

軽い足取り。

 

緊張感のない姿勢。

 

まるでこれから喧嘩をするのではなく、気まぐれな散歩でもするような顔。

 

それが宝泉の神経を逆なでする。

 

「随分余裕じゃねぇか」

「だって楽しみなんだもん」

「後悔すんなよ」

「宝泉くんこそ」

 

次の瞬間、宝泉は踏み込んだ。

 

最初から様子見はしない。

 

アルベルト戦で分かった。

 

強い相手に中途半端な攻撃をしても意味がない。

潰すなら最初から全力で圧をかける。

 

拳が天沢の顔面へ向かう。

 

だが、当たらない。

 

天沢の身体が、ふわりと横へ流れた。

避けた、というより消えたような感覚だった。

 

直後、宝泉の脇腹に鋭い衝撃が入る。

 

「ぐっ……!」

 

速い。

軽い一撃ではない。

 

細い身体から放たれたとは思えない重さがある。

 

宝泉は振り返りざまに拳を振るう。

 

天沢は笑いながら後ろへ跳ぶ。

 

「おっかないなぁ」

「チッ……!」

 

宝泉は追う。

 

拳。

蹴り。

掴み。

 

だが、天沢はことごとく回避する。

 

七瀬とも違う。

 

七瀬は最小限の動きで攻撃を捌いた。

 

天沢はもっと自由だ。

 

まるで宝泉の攻撃が来る場所を最初から知っているかのように、

わずかな差で外し、すぐに鋭い反撃を入れてくる。

 

肩。

肋骨の下。

太もも。

顎先。

 

一撃一撃が的確で、しかも重い。

 

女の力じゃねぇ。

 

少なくとも、宝泉が知っている普通の人間の動きではない。

 

「テメェ……」

 

宝泉は笑みを消した。

天沢は楽しそうに首を傾げる。

 

「どうしたの?もっと来なよ」

 

その声が、宝泉の中の闘争心に火をつける。

 

宝泉はさらに踏み込んだ。

真正面から圧をかけ、逃げ場を潰す。

 

天沢が横へ抜けようとした瞬間、宝泉は足を出して進路を塞ぐ。

 

一瞬、天沢の動きが止まった。

 

そこへ拳を入れる。

 

今度は当たった。

 

肩口。

 

だが天沢は大きく崩れない。

 

むしろ笑った。

 

「いいねぇ」

 

次の瞬間、宝泉の腹に膝が入った。

 

完全に見えなかった。

呼吸が止まる。

 

さらに首元を引かれ、体勢が崩される。

 

視界が回った。

 

気づいた時には、宝泉は地面に片手をついていた。

 

ダウン。

自分が、倒された。

 

一瞬、何が起きたのか理解が遅れた。

 

宝泉和臣が、先に地面へ落ちた。

 

堀北でも伊吹でもない。

須藤でも七瀬でも龍園でもアルベルトでもない。

 

天沢一夏が、宝泉を倒した。

 

「……っ」

 

胸の奥で、何かが鋭く軋んだ。

 

痛みではない。

屈辱だ。

 

天沢は少し離れた場所で笑っていた。

 

「ねぇ、宝泉くん。今の顔、ちょっと可愛かったよ」

 

その一言で、宝泉の中の何かが切れた。

 

「……舐めてんじゃねぇぞ」

 

低い声が漏れる。

 

身体を起こす。

腹は痛い。

呼吸も乱れている。

 

だが、それ以上に怒りが勝った。

 

ダウンしてから再び立ち上がるのに10数秒かかった。

もしこれが公式試合だったら宝泉は敗北していたことになる。

その屈辱的な事実が余計に神経を逆なでした。

 

「本気で潰す」

「うん。そういうの待ってた」

 

そこから先は、喧嘩というより削り合いだった。

宝泉はもう天沢を女として見ていなかった。

 

相手は強敵。

ただそれだけ。

 

拳を振るう。

避けられる。

反撃を受ける。

それでも前へ出る。

また拳を振るう。

今度は当たる。

天沢が笑う。

 

その笑みが、宝泉をさらに前へ進ませる。

 

何度も、何度も、攻撃は交錯した。

 

天沢の一撃は鋭く、宝泉の身体を確実に削っていく。

宝泉の一撃は重く、天沢の余裕を少しずつ奪っていく。

 

最初は笑っていた天沢の呼吸が、少しずつ乱れ始めた。

 

だが宝泉も同じだ。

 

アルベルト戦以上に神経を使う。

 

力で押すだけでは当たらない。

 

速さだけでも届かない。

 

相手の逃げる先を読み、反撃を受ける覚悟で踏み込み、

多少の痛みを無視して距離を潰すしかない。

 

「しつこいねぇ、宝泉くん」

「倒れるまでやるに決まってんだろ」

「そういうところ、嫌いじゃないよ」

 

天沢が笑いながら拳を繰り出す。

 

宝泉はそれを肩で受け、強引に間合いを詰めた。

 

脇腹へ拳。

入った。

 

天沢の顔から、初めて少しだけ笑みが薄れる。

 

「……へぇ」

 

宝泉は見逃さない。

効いた。

確かに効いた。

ならば続ける。

宝泉はさらに攻めた。

だが天沢も止まらない。

 

宝泉の拳を受けながら、彼女は鋭く打ち返してくる。

 

受けて、返す。

避けて、返す。

崩れても、戻る。

 

何度も繰り返すうちに、宝泉の体力は限界へ近づいていった。

 

足が重い。

腕も上がりにくい。

肺が焼ける。

それでも止まれない。

ここで止まれば負ける。

 

天沢も同じだった。

 

さっきまで軽かった足取りが、わずかに鈍っている。

 

呼吸が荒い。

 

髪が乱れ、目の奥の楽しげな余裕が消えかけている。

 

だが、それでも彼女は倒れない。

 

「……宝泉くん」

 

天沢が静かに言った。

その声から、笑いが消えていた。

 

「思ったより、ずっとしぶといね」

「あ?」

「ちゃんと強い」

 

その言葉を聞いた瞬間、宝泉は笑いそうになった。

 

だが笑う余裕はなかった。

 

天沢の目が変わっていた。

遊びではない。

完全に倒しに来る目だ。

 

次の瞬間、天沢が踏み込む。

 

速い。

今までよりさらに鋭い。

宝泉は反応する。

拳を受ける。

衝撃で腕が痺れる。

続く蹴りを半身でかわす。

 

だが、肩に当たる。

痛みが走る。

それでも宝泉は前へ出た。

 

天沢の攻撃が終わる直前。

ほんの一瞬、彼女の重心が浮いた。

 

隙。

 

本当に小さな隙だった。

 

だが、ここを逃せばもう次はない。

 

宝泉は全力で踏み込んだ。

 

足が悲鳴を上げる。

腕も限界だ。

 

それでも拳を振るう。

 

天沢は避けようとした。

だが、ほんのわずかに遅れた。

 

宝泉の拳が、天沢の胴へ深く入る。

 

天沢の身体が止まった。

宝泉はさらに肩で押し込む。

 

天沢が一歩下がる。

 

もう一撃。

 

腕を振るう力はほとんど残っていなかった。

 

だが、全体重を乗せた。

天沢の足が崩れた。

 

彼女の身体が、ゆっくりと地面へ落ちる。

 

倒れた。

 

天沢一夏が、倒れた。

 

宝泉はしばらく動けなかった。

立っているだけで精一杯だった。

 

呼吸が荒い。

視界が揺れる。

身体中が痛い。

 

勝った。

 

勝ったはずなのに、いつものように笑えない。

喉の奥から高笑いが出てこない。

 

それどころか、少しでも気を抜けば自分も倒れそうだった。

天沢は地面に倒れたまま、うっすらと目を開けていた。

 

そして、かすかに笑った。

 

「……やるじゃん」

 

その言葉に、宝泉は何も返せなかった。

 

返す余裕がなかった。

 

正直、負けたかと思った。

 

初めて地面に落とされた瞬間。

何度も反撃を受けた瞬間。

 

最後の最後まで、天沢の動きは読めなかった。

 

アルベルト以上の強敵だった。

 

少なくとも、宝泉の中で天沢一夏は、

間違いなく今まで戦った誰よりも危険な相手だった。

 

宝泉は荒い息を吐きながら、拳を握った。

 

指が震えている。

疲労か。

痛みか。

 

それとも、紙一重の勝負を終えた後の興奮か。

 

自分でも分からなかった。

 

「……辛勝、ってやつかよ」

 

そんな言葉が、口の中で転がる。

 

気に入らない言葉だ。

だが否定できない。

 

今回は圧勝ではない。

蹂躙でもない。

 

本気で危なかった。

 

それでも最後に立っていたのは宝泉だった。

その事実だけが、今の宝泉を支えていた。

 

宝泉はゆっくりと背を向ける。

 

いつものように笑い飛ばすことはできなかった。

だが、胸の奥には確かな熱が残っている。

 

勝った。

 

天沢一夏に勝った。

 

その重みを、宝泉は無言で噛み締めるしかなかった。

しかし同時に、心の奥のどこかで小さな違和感も芽生えていた。

 

アルベルトで限界に近かった。

天沢では、本当に負けてもおかしくなかった。

 

なら、その先にいる奴らは何なんだ。

 

八神。

高円寺。

綾小路。

 

名前を思い浮かべた瞬間、宝泉は無意識に拳を握り直した。

 

恐怖ではない。

 

そう自分に言い聞かせる。

 

ただの興奮だ。

 

まだやれる。

 

まだ勝てる。

 

宝泉和臣は、そう思い込むように体育館裏を後にした。

 

だがその背中には、いつもの獰猛な笑みはなかった。




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