ようこそ暴力至上主義の教室へ   作:EXTERMINATION

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第七話 VS八神拓也

天沢一夏との喧嘩で受けた傷が完全に引くまで、

宝泉和臣はこれまでよりも長い時間を必要とした。

 

アルベルトとの一時間を越える殴り合いの後でさえ、

数日もすれば身体はまた動き始めたが、天沢の攻撃はそれとは質が違っていた。

 

拳の重さだけならアルベルトの方が上だったかもしれない。

 

だが、天沢の攻撃は骨や筋肉だけではなく、身体の芯、呼吸の奥、

神経の細い部分にまで入り込んでくるような嫌な鋭さがあった。

 

腹の奥に残る鈍い痛み。

肩を回した時に走るひっかかり。

呼吸を深く吸った時に、肋骨の内側でわずかに疼く感覚。

 

それらが抜けるまで、宝泉は珍しく大人しくしていた。

 

いや、大人しくしているしかなかった。

 

無理をして次へ行けば、身体がついてこない。

 

それは分かっていた。

 

だが、じっとしている時間は宝泉にとって拷問に近かった。

 

自分の戦いは終わっていない。

 

堀北と伊吹を潰した。

須藤を倒した。

七瀬をねじ伏せた。

龍園を再び沈めた。

アルベルトとの力比べにも勝った。

天沢との紙一重の勝負にも、最後に立っていたのは自分だった。

 

ならば、次へ行くしかない。

 

もっと強い奴へ。

もっと高い場所へ。

 

自分こそが最強の喧嘩屋であると証明するために。

 

止まることは許されない。

 

そう思わなければ、天沢に初めて地面へ落とされた瞬間の屈辱が、

胸の奥でまだ熱を持っていることを認めてしまいそうだった。

 

数日後。

 

身体がようやく動くと判断した宝泉は、次の相手を決めた。

 

八神拓也。

柔和な笑み。

人当たりのいい態度。

 

一見すれば、喧嘩とは無縁の優等生。

 

だが、宝泉は知っている。

 

あの男は、ただの優等生ではない。

 

天沢と同じ匂いがする。

 

いや、天沢よりさらに奥が見えない。

 

笑っているのに、目の奥に温度がない。

相手を見ているようで、どこか別のものを測っている。

 

そういう奴だ。

 

寮裏へ呼び出すと、八神は時間通りに現れた。

 

「宝泉くん、何かご用ですか?」

 

いつもの柔らかな笑み。

 

丁寧な声。

 

校舎裏や体育館裏に呼び出された人間の態度ではない。

 

宝泉はその顔を見た瞬間、腹の底に苛立ちが湧いた。

 

「分かってんだろ」

「さあ。僕には心当たりがありませんね」

「喧嘩だよ」

 

宝泉は拳を鳴らした。

 

「テメェがどの程度か試してやる」

 

八神は困ったように眉を下げた。

 

「喧嘩ですか。あまりそういうことはしたくないんですが」

「ビビってんのか?」

「そう見えますか?」

「御託はいらねぇ。天沢より上か下か、今ここで見せろ」

 

その名前を出した瞬間、八神の笑みにほんの少しだけ影が差したように見えた。

 

だが、それも一瞬だった。

 

すぐにまた、柔らかな顔へ戻る。

 

「やれやれ」

 

八神は小さく息を吐いた。

 

「では、少しだけですよ」

 

その言い方が、宝泉の神経を逆なでした。

 

少しだけ。

 

まるで相手をしてやると言わんばかりだ。

 

「後悔すんなよ」

 

宝泉は踏み込んだ。

 

最初から全力だった。

天沢戦で学んだ。

こういう連中に様子見など意味がない。

 

中途半端な攻撃は当たらない。

 

ならば最初から、逃げ道を潰す勢いで叩き込む。

 

宝泉の拳が八神の顔面へ向かう。

 

だが、当たらなかった。

 

八神は半歩だけ動いた。

本当に、半歩だけ。

大きく避けたわけではない。

 

跳んだわけでもない。

 

ただそこに立つ位置を少し変えただけで、宝泉の拳は空を切った。

 

「……チッ」

 

宝泉はすぐに二発目を振るう。

 

八神はまた避ける。

 

三発目。

四発目。

 

蹴り。

掴み。

ラッシュ。

 

しかし、当たらない。

 

天沢のような派手な回避ではない。

余裕たっぷりに笑っているわけでもない。

八神はただ、必要な分だけ動いている。

 

最小限。

 

無駄がない。

 

そしてその無駄のなさが、宝泉にはひどく不気味だった。

 

「どうしました?」

 

八神の声が耳に入る。

 

「少し力みすぎではありませんか」

 

その直後、宝泉の脇腹に鋭い衝撃が入った。

 

「ぐっ……!」

 

軽い動作だった。

 

しかし痛みは深い。

 

息が詰まる。

 

宝泉は反射的に拳を振るうが、八神はもうそこにいない。

 

次は太もも。

続けて肩。

 

さらに顎先をかすめるような一撃。

 

全部が的確だった。

 

宝泉の身体がわずかに崩れる場所。

次の攻撃へ移るために必要な筋肉。

 

呼吸が切れる瞬間。

 

そういう場所だけを、まるで最初から知っているように打ってくる。

 

「テメェ……!」

 

宝泉は怒鳴りながら前へ出た。

 

力で押し潰す。

 

当たらないなら、逃げ場ごと潰す。

 

アルベルトにも、天沢にもそうしてきた。

だが、八神にはそれすら通じなかった。

 

宝泉が前に出る前に、八神はすでに横へいる。

宝泉が掴もうとする前に、手首の角度を外される。

宝泉が蹴りを放つ前に、軸足を崩される。

まるでこちらの動きが、始まる前から読まれている。

 

「大丈夫ですか?」

 

八神は平然と言った。

 

息一つ乱れていない。

 

「もうやめますか?」

 

その気遣うような声が、宝泉にとってはどんな罵倒よりも不愉快だった。

 

「ふざけんな……!」

 

宝泉は再び突っ込む。

 

拳を振るう。

腕を伸ばす。

肩からぶつかろうとする。

 

しかし、八神の身体には届かない。

 

逆に一撃、また一撃と、宝泉の身体だけが削られていく。

 

腹。

脚。

胸。

 

首筋の近く。

 

急所を完全に壊すのではなく、戦闘力だけを確実に奪っていくような攻撃。

 

短い時間のはずだった。

 

だが宝泉には、異様に長く感じられた。

 

気づけば呼吸は荒くなり、足は重く、腕は鈍くなっていた。

 

天沢戦の終盤に近い疲労が、もう身体に回っている。

 

早すぎる。

 

まだそんなに時間は経っていない。

 

なのに、満身創痍に近い。

 

「……クソが」

 

宝泉は片膝をつきかけた。

 

それを意地で止める。

倒れるわけにはいかない。

 

ここで倒れたら、今までの勝利が全部薄っぺらくなる。

 

最強の喧嘩屋だと証明するためにここまで来たのだ。

 

八神ごときに、柔らかい笑みを浮かべた優等生ごときに、

終わらされるわけにはいかない。

 

「まだやるんですね」

 

八神が静かに言う。

 

「当然だろうが……!」

 

宝泉は立ち上がった。

 

視界がわずかに揺れる。

 

だが目は死んでいない。

 

拳を握る。

痛みが走る。

それでも構える。

 

八神はその様子を見て、少しだけ首を傾げた。

 

「その精神力は評価します」

「評価だぁ?」

「はい。普通なら、もう立ち上がりません」

 

宝泉の奥歯が軋む。

褒められているはずなのに、屈辱しかなかった。

 

上から見られている。

 

完全に、格下として扱われている。

 

「ぶっ殺すぞ……!」

 

宝泉は最後の力で踏み込んだ。

 

全身を使った突進。

細かい技術など捨てた。

 

とにかく一発。

一発でも当てれば流れは変わる。

 

あの笑みを歪ませられる。

 

そう信じて拳を振り抜いた。

 

しかし、八神はその拳の内側へ入っていた。

 

近すぎる。

 

宝泉の拳が力を発揮するより前の距離。

そして、八神の一撃が宝泉の意識の隙間へ入り込んだ。

 

衝撃。

音が消えた。

身体の力が抜ける。

地面が近づく。

 

何かを考える前に、視界が暗くなった。

 

――次に宝泉が目を覚ました時、空が見えた。

 

寮裏の空。

薄く暮れかけた色。

冷たい地面の感触。

頬に触れる土の匂い。

 

自分が倒れているのだと理解するまでに、少し時間がかかった。

 

身体が動かない。

 

指先だけがわずかに震える。

 

呼吸はできる。

 

だが、立てない。

 

負けた。

 

その二文字が、頭の中に落ちてきた。

 

宝泉和臣は、負けた。

 

真っ向から挑み、攻撃を仕掛け、全力で潰しにいって、届かなかった。

 

アルベルトの時のようにギリギリで勝ったわけではない。

天沢の時のように紙一重で押し切ったわけでもない。

 

今回は、完全に負けた。

 

攻撃はほとんど通じず、相手は最後まで平然としていた。

 

八神拓也は、宝泉を相手にしてなお、余裕を崩さなかった。

 

「……クソ……」

 

声が漏れた。

 

悔しさが、喉の奥を焼く。

 

拳を握ろうとした。

 

だが力が入らない。

 

それがまた悔しかった。

 

こんな終わり方があるか。

 

自分は喧嘩で上がってきた。

 

暴力で証明してきた。

 

倒した数だけ、自分の強さは確かになっていくはずだった。

 

なのに。

 

八神の前では、その全部が届かなかった。

 

宝泉は地面に倒れたまま、奥歯を噛んだ。

 

敗北の味は、思っていたより苦かった。

 

胸の中で何かが軋む。

 

折れそうになる。

 

だが、完全には折れなかった。

 

悔しさの奥に、まだ熱が残っていた。

 

怒り。

執念。

 

次は殺すという、単純で原始的な感情。

 

それだけが、宝泉の目にまだ色を宿していた。

 

「……終わってねぇ」

 

誰に聞かせるでもなく、宝泉は地面の上で呟いた。

 

負けた。

 

それは認めるしかない。

 

だが、終わってはいない。

 

最強を証明する道は、ここで一度叩き折られた。

 

それでも、宝泉和臣という男はまだ地面の上で息をしている。

 

なら、まだ終わりではない。

 

悔恨と屈辱と痛みを抱えたまま、宝泉は暮れかけた空を睨み続けた。




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