ようこそ暴力至上主義の教室へ 作:EXTERMINATION
八神拓也に敗れた後、宝泉和臣はしばらく動けなかった。
身体の傷は時間が経てば癒える。
打たれた腹の痛みも、崩された脚の違和感も、
意識を刈り取られた瞬間の鈍い衝撃も、数日が過ぎれば少しずつ薄れていった。
だが、心に残ったものは簡単には消えなかった。
負けた。
真っ向から挑んで、負けた。
拳は届かず、攻撃は読まれ、最後には意識ごと断ち切られた。
八神は最後まで余裕だった。
それが何より腹立たしかった。
アルベルトの時のような、互いに限界まで削り合った勝負ではない。
天沢の時のような、紙一重の死闘でもない。
八神戦は、一方的だった。
その事実が、宝泉の胸の奥でずっと燻っていた。
だが、だからといって止まるわけにはいかない。
ここで足を止めたら、自分が本当にそこまでの男だったと認めることになる。
宝泉和臣という人間が、
ただ下の奴らを殴って調子に乗っていただけの雑魚だったと、
そういうことになってしまう。
冗談じゃねぇ。
まだ終われない。
自分の拳が届かなかった相手がいるなら、もう一度上へ行けばいい。
身体を戻し、勘を研ぎ直し、さらに強い奴へぶつかる。
そうやって自分の暴力を証明し続けるしかない。
そして次に宝泉が目をつけたのは、高円寺六助だった。
あの男は、最初から気に入らなかった。
唯我独尊。
ナルシスト。
何をしていても自分だけが特別だと信じて疑わないような態度。
周囲の人間を同じ人間として見ていないような、涼しげな目。
いつも余裕で、壮大で、無駄に芝居がかった振る舞い。
そのすべてが、宝泉の神経を逆なでする。
だが同時に、分かっていた。
高円寺六助はただの変人ではない。
あの身体能力は化け物じみている。
足の速さ。
跳躍。
反応。
筋力。
どこを取っても普通じゃない。
場合によっては、綾小路以上かもしれない。
そう思わせるだけの不気味さがあった。
だからこそ、やる意味がある。
八神に負けたままで終われない。
自分がまだ上へ行けるのか。
それを確かめるには、高円寺ほど分かりやすい相手はいなかった。
放課後。
宝泉は高円寺を校舎裏へ呼び出した。
来るかどうかは半分分からなかった。
ああいう男は、こちらの都合など気にも留めず、気分一つで動く。
だが意外にも、高円寺は現れた。
夕暮れの校舎裏。
冷たい風が抜ける中、高円寺六助は片手に小さな手鏡を持ち、
もう片方の手で髪を整えながら歩いてきた。
まるで呼び出された場所が喧嘩の場ではなく、
舞台袖か何かであるかのような顔だった。
「やあ、ゴリラボーイ」
高円寺は鏡越しにこちらを見た。
「私をこのような埃っぽい場所へ呼び出すとは、なかなか野蛮な趣味だねえ」
その声を聞いただけで、宝泉の拳が鳴った。
「相変わらずムカつく野郎だな」
「それは君の感性が私の美しさに追いついていないだけではないかな?」
「黙れ」
宝泉は一歩踏み出す。
「今日はテメェを潰す」
高円寺は鏡を見たまま、涼しげに笑った。
「弱者を甚振るのに興味はないねえ」
その一言で、宝泉の内側に火がついた。
だが、今度は怒りに飲まれなかった。
八神戦の敗北がある。
天沢戦の紙一重がある。
アルベルト戦の消耗がある。
高円寺は危険だ。
挑発に乗って雑に突っ込めば、それだけで終わる。
だから宝泉は、怒りを燃料にしながらも、頭の芯だけは冷たく保った。
絶対に勝つ。
そのために全力で挑む。
「なら、弱者じゃねぇってことを教えてやるよ!」
宝泉は地面を蹴った。
最初の踏み込みは、これまでのどの相手に対しても劣らない全力だった。
狙いは顔面。
高円寺の余裕ぶった笑みを、まず歪ませる。
拳が届く。
そう思った瞬間、高円寺の姿勢がわずかに変わった。
手鏡は持ったまま。
髪を整える手つきすら乱さず。
ただ、片足だけが滑るように動いた。
次の瞬間、宝泉の脇腹に衝撃が入った。
「ぐっ……!」
見えなかった。
蹴り。
そう理解した時には、宝泉の身体は横へ流れていた。
だが倒れない。
踏みとどまる。
すぐに反撃へ移る。
今度は間合いを詰めすぎず、拳と蹴りを混ぜて攻める。
しかし高円寺は、手鏡を持ったままだった。
片手は塞がっている。
上半身にはほとんど力が入っていない。
それなのに、宝泉の攻撃は届かない。
高円寺は足だけで捌いていた。
一歩下がる。
半身をずらす。
足裏で宝泉の踏み込みを止める。
蹴りで軸を崩す。
距離を測り、間合いを支配し、宝泉が力を乗せる前にすべてを外す。
八神とは違う。
八神は必要最低限の動きで、こちらの急所を的確に潰してきた。
高円寺は、もっと理不尽だった。
そもそも本気で戦っているように見えない。
こちらの土俵に立っていない。
まるで、子供が大人へ飛びかかっているのを、
退屈そうに足先でいなしているような感覚。
「テメェ……!」
宝泉はさらに踏み込む。
怒りを抑えながらも、圧を強める。
一発当てればいい。
一発でも入れば流れが変わる。
そう信じて攻め続ける。
だが、高円寺の髪は乱れない。
手鏡の角度すら大きく変わらない。
「ふむ」
高円寺は鏡の中の自分を見ながら言った。
「もう少し荒々しさに美学があれば評価できるのだが、
君の暴力は少々単調だねえ」
その瞬間、宝泉の脚が払われた。
地面が傾く。
転倒を避けるために片手をつく。
そこへ、高円寺の足が宝泉の肩を軽く押すように入る。
それだけで体勢が崩れた。
宝泉は地面に膝をつく。
屈辱。
まただ。
八神の時と同じように、自分の攻撃が届かない。
いや、八神以上かもしれない。
八神はまだ戦っていた。
少なくとも、こちらを倒すための動きをしていた。
だが高円寺は違う。
こいつは、宝泉を相手にしながら、まだ自分の髪を気にしている。
「ふざけんな……!」
宝泉は立ち上がる。
息はまだ切れていない。
身体も動く。
だが、心のどこかが少しずつ削られていくのが分かった。
力で負けるならまだいい。
殴り合って負けるならまだ納得できる。
だが、高円寺は殴り合いすらさせてくれない。
宝泉は再び突っ込んだ。
今度は直線ではない。
途中で歩幅を変え、拳を見せてから蹴りへ繋ぐ。
アルベルト戦や天沢戦で得た経験を総動員する。
だが、高円寺は涼しげだった。
宝泉の蹴りを、足首の角度だけで外す。
続く拳を、身体をほんの少し反らすだけで避ける。
そして軽く踏み込んだ足が、宝泉の腹へ入る。
強烈な蹴りではない。
だが正確だった。
呼吸が途切れる。
宝泉の身体が止まる。
そこへもう一撃。
今度は脚。
軸が折れる。
さらに肩口へ足先が触れる。
それだけで宝泉は後ろへ弾かれた。
「ぐっ……!」
地面に倒れかける。
だが、まだ倒れない。
倒れるわけにはいかない。
ここで倒れたら、本当に自分は終わる。
そう思っていた。
だが、高円寺は鏡を閉じることすらしなかった。
「まだ続けるのかね?」
その声には怒りも興奮もない。
ただ、退屈そうな確認だけがあった。
宝泉は奥歯を噛み締めた。
「当然だろうが……!」
最後の突進だった。
全身の力を込める。
アルベルト戦の痛み。
天沢戦の辛勝。
八神戦の屈辱。
今まで倒してきた全員の感触。
それらすべてを拳に乗せるつもりで、宝泉は前へ出た。
高円寺の顔面へ向けて、渾身の一撃を放つ。
だが届かなかった。
高円寺の足が、宝泉の踏み込みの根元を正確に潰した。
力が乗る前に、身体の軸が消える。
次に腹へ衝撃。
そして視界が下がる。
宝泉は地面に倒れた。
今度は立てなかった。
腕に力を入れる。
動かない。
膝を立てようとする。
力が抜ける。
呼吸だけが荒い。
高円寺の足音が近づく。
宝泉は地面から顔を上げた。
高円寺はそこに立っていた。
手鏡を持ったまま。
髪は乱れていない。
服もほとんど崩れていない。
息も上がっていない。
まるで、ただ少し散歩をしただけのような顔だった。
「ふむ」
高円寺は自分の髪を確認し、満足そうに微笑んだ。
「やはり私は今日も美しい」
その言葉が、宝泉の胸を深く抉った。
負けた。
また負けた。
しかも今度は、まともに相手をさせてもらえなかった。
八神以上の化け物。
そう認めるしかなかった。
宝泉は地面に倒れたまま、拳を握った。
俺はここまでなのか。
その問いが、一瞬だけ頭をよぎる。
堀北と伊吹を倒し、須藤を倒し、七瀬を倒し、
龍園を倒し、アルベルトに勝ち、天沢にも辛勝した。
だが、その先にいた八神と高円寺には届かなかった。
自分の暴力は、上には通じないのか。
自分は結局、下を叩いていただけなのか。
そんな考えが喉元まで上がってくる。
だが、宝泉はそれを噛み砕いた。
違う。
ここで終われるわけがない。
まだ一人残っている。
あの無表情で、何を考えているのか分からない男。
綾小路清隆。
あいつを倒す。
そのために始めた喧嘩だ。
八神に負けた。
高円寺にも負けた。
それでも、綾小路とやる前に終わるわけにはいかない。
宝泉は地面に倒れたまま、歯を食いしばった。
身体は動かない。
だが目だけは、まだ死んでいなかった。
「……終わってねぇ」
小さく呟く。
高円寺が聞いていたかどうかは分からない。
だが、宝泉にとってはそれで十分だった。
負けた。
完敗だった。
それでも、まだ終わらない。
宝泉和臣は、高円寺六助という理不尽な化け物に叩き伏せられながらも、
胸の奥に残った最後の火だけは消さずにいた。
綾小路清隆を倒す。
その一点だけが、地面に沈んだ宝泉の意識を、まだ辛うじて前へ向かせていた。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると幸いです。