ドキュメンタリー・オブ・ゴジラタワー 作:よよよーよ・だーだだ
主は、人の子らが築き上げる街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せになられた。
「見よ、彼らは一つの民、言葉もまた一つ。そして、これは彼らの始めにすぎない。これから先、彼らが企てることは、もはや妨げられはしないだろう。それなら我らは降りて、彼らの言葉を乱そうではないか。彼らの互いの言葉がもはや通じぬように」
主は人々を全地の面へと散らされたので、彼らは街を築くことをやめた。
それゆえに、この街はバベルと呼ばれた。主がそこで全ての言葉を
――『創世記』11章5-9節より
「ここに住んでもう二十年になりますかね。初めて来た時には、まさかこんなに長居するとは思っていなかったけど」
そう語りながら、土産物屋を営むダニエル=チャンは窓の外に聳え立つ塔を見上げた。
件のゴジラの形をした
完成した下半身は海沿いの平野に根を張るように構え、表面を覆う鱗の一枚一枚が人の背丈ほどある。足の爪は近くに立つと頭上を覆い、その影の中に土産物屋や屋台が並んでいる。ダニエルの店もそのうちの一つだ。
ダニエルに訊ねた。
――最初にゴジラタワーを見た時の印象は?
「圧倒されましたよ、正直なところ。あの大きさはやっぱり。これは何だと思った。脚の部分だけでもビル三棟分くらいはある。私が来た頃はまだ臍のあたりまでしか出来ていなかったけど、それでも十分すぎるほどの大きさで」
――今はどのくらい進んでいますか。
「胸のあたりまで来ているらしいです。腕もついた。右腕は去年から動き始めて、左腕はまだこれからみたいです。顔はまだ。顔が一番難しいって、工事の人が言っていましたよ。どんな顔にするかで、えらい議論になってるらしいです」
ダニエルがそう語るとおり、完成している部分と未完成の部分の境界ははっきりしている。造形の終わった胸部と、剥き出しの鉄骨が始まる上半分と。
――毎日眺めていると、どんな感じですか。
「朝起きると窓からゴジラの形をしたタワーが見える。晴れた日は上の方が雲に隠れたりする。不思議な眺めですよ、慣れても」
――お店ではどのようなものを売っていますか。
「色々ですよ。ゴジラの置物、キーホルダー、マグカップ……あとはタワーの写真を印刷したポストカードですね。タワーは毎年少しずつ変わるから、ポストカードも毎年更新している。たとえば去年のと今年のを並べると、腕が生えているかどうかが違う。それがまた売れるんですよね」
――それらはどうやって作られているんですか。
「ほとんど中国か、東南アジア製ですね。タワーのポストカードだけは地元の写真家が撮影したものを買い取ってウチで印刷していますが、置物とかキーホルダーは海外で作られたものを仕入れています。ゴジラの置物は本物のゴジラタワーとは色も形も違うけど、お客さんはあまり気にしない」
――本物のゴジラタワーと違うものを売っているのですか?
「ゴジラタワーの正式な模型は、ゴジラタワーの公式ショップでしか売ってません。ライセンスが要りますからね、ウチみたいな零細ではとても扱えません。だからまあウチでは東南アジア製のゴジラの置物を置いてるんです」
――売れるんですか?
「売れますよ。まあ、タワーの麓で買ったというのが大事なんでしょうね、お客さんには。何を買ったかより、どこで買ったか、来た記念に。だから買うんでしょう」
――ゴジラタワーについて、周りの人は何と言っていますか?
「議論はいろいろありますよね。あの反対運動の人たちとか、よく来てプラカードを持って叫んでいるじゃないですか、『ゴジラを侮辱するな』って。私はよくわからないですけど、ゴジラが怒るかどうかはゴジラに聞かないと分からないじゃないですか。まあ、聞いて答えてくれるのかどうかは別として」
――ゴジラを実際に見たことはありますか。
「一度あります。遠くでしたけど。海の方から来て、また海に帰って行った。あの時は店を閉めて逃げましたよ、当然ですが。被害はこちらには来なかった。運が良かった」
――ゴジラタワーについて、ダニエルさんご自身はどう思っていますか。
「そうですね……あって困ることはないかな。お客さんが来るから。さっき言ったようなゴジラの置物とか、キーホルダーとか、ウチの商品はよく売れます。完成したらもっと来るんでしょうか。どうでしょう、そもそもあれは完成するんですかね。私には分からないです。でも分からなくてもいいかな、とも思っていますよ」
ゴジラタワー反対運動を率いる巨神擁護機構の活動家:レイチェル=フォードは、週に三日、タワー前の広場で抗議活動を行っている。
この日も夕方まで活動を続け、カフェに現れた時にはプラカードをそのまま持参していた。プラカードには英語で「GODZILLA IS NOT YOUR MONUMENT」と書かれていた。
待ち合わせ場所に指定されたのは、タワーから三百メートルほど離れたカフェだった。席についてすぐ、タワーが見える窓際の席から背を向けるように座った。
――あなたはなぜ、ゴジラタワー建設に反対するのですか?
「ゴジラは偉大なる大自然の驚異だからです」
――大自然の驚異?
「はい、人知を超えた完全生物、人間の理解を超えた存在です。1954年、ゴジラが初めて東京に現れた時、人々は何を見たか。核の時代が生み出した、制御不能な自然の力です」
――つまり、ゴジラタワーは偉大なる神への冒涜だと?
「ええ、そのとおり。それを模して建造物を作るというのは、その驚異を人間の尺度に引きずり下ろす行為です。博物館の剥製と同じ。生きた力を殺して、飾る。侮辱、冒涜以外の何物でもありませんわ」
――ゴジラタワーに反対する理由は、他にも?
「もちろん。あのプロジェクトのせいで生活を追われた市民がどれだけいるか。建設用地はこの70年で当初の三倍以上に拡張されています。立ち退きを求められた住民、騒音と粉塵の中で暮らしてきた人々、観光客の増加による地価の高騰で家賃が払えなくなった家族。声を上げられない人たちが大勢います。私が抗議しているのはゴジラのためだけじゃない。この土地で暮らす人間のためでもあります」
そう言ってレイチェルは、持参していた自身の著書を紹介してくれた。
レイチェルは著書を三冊出版しており、うち一冊はゴジラタワー建造が周辺住民に与えた経済的影響を詳細に論じたものだ。地元の研究者や市民団体とも連携して活動しており、抗議の場には常に数人から数十人が集まる。
――歴史的な意義という観点ではどうですか。
「歴史的な意義?」
――ええ。ゴジラタワーの建設は70年も続いているものです。歴史的意義は深いのでは?
「ああ、なるほど……ゴジラタワーを構想した建築家、名前は何と言いましたか、まあとにかく彼が亡くなってから、もう何十年も経っています。あの人が1954年のゴジラ初上陸に直面したときに感じた衝撃、ゴジラを前にして、人間がいかに無力であるかを全身で受け止めた体験、それを建造物に刻もうとした最初の意志は、理解できます。狂気だとは思いますが、真摯な狂気だったのでしょう」
でも今は違う、とレイチェルは言う。
「今では生成AIに画像を学習させてデザインを出力し、3Dプリンタで造形した部品をはめ込んでいる部分もあるそうじゃないですか。最初の建築家が手で図面を引いた時代の話ではもうない、あれはもはや別の建造物です。政府や財団は歴史的意義を楯にしていますが、その文脈はとっくに途切れていると言えましょう」
――あなたの団体は『ゴジラタワーはメカゴジラと同じだ』とも主張されていますね。
「ええ。人間がゴジラを模して作ったもの、ゴジラの形をした人工物、その意味ではゴジラタワーとメカゴジラは同じです。メカゴジラが出現した時、ゴジラは何をしたか」
――たしかに、歴史上、これまで建造されてきたメカゴジラはその殆どがゴジラに破壊されています。
「ええ、そうです。メカゴジラだけじゃない、ビオランテやスペースゴジラ、オルガ、ZILLA……自分の姿や性質を模した異物をゴジラは本能的に脅威と見なす。ゴジラタワーが完成に近づけば近づくほど、その脅威は増す。あれが完成した時に何が起きるか、私たちには想像できるのです」
――具体的には、何が起こると?
「破局です。それもこれまでにない、とてつもないものになるでしょう。だから私たちは人類の未来のために言うのです、ゴジラタワーの建造を即刻中止して取り壊すべきだ、と」
――ただ、メカゴジラはゴジラと実際に戦った敵です。一方、ゴジラタワーはただ立っているだけの建造物で、状況が違うのでは。それに、70年間放置されてきたということは、ゴジラはゴジラタワーをさほど危険視していないとも考えられませんか。
「それは……」
『ゴジラタワーは必ずしも危険ではないのでは』という指摘にレイチェルは口を開いて答えようとしていたが、テーブルの上で両手を組み、しばらくそのまま言葉が出ないようだった。窓の外では遠くにタワーの下半身が見える。
やがてこう答えた。
「……それについては、今後の活動の中で検討していきたいと思っています」
ゴジラタワー建造の歴史を10年以上研究してきた郷土史家のハンス=ウィンターは、タワーから二キロほど離れた住宅街に暮らしている。書斎の壁一面に資料が積まれており、ゴジラタワーの手描きの設計図の複製が額に入れて飾られていた。
――ゴジラタワーを最初に構想したという建築家、セオドア=トッシュミットとはどのような人物でしたか。
「ヨーロッパ出身の建築家です。ウィーンで美術を学んだ後、建築の分野に移って、戦後まもなく日本に来ています。表向きの目的は伝統建築の研究でしたが、実際には日本の造形美術全般に強い関心を持っていた。木彫、石造、陶器……人間が手で形を作るという行為そのものへのこだわりがあった人だったようです」
――トッシュミットは、1954年に東京で本物のゴジラを目撃したそうですが。
「日記が残っています。財団が所蔵していますが、私は一度だけ閲覧を許可されました。東京にいた時のことを、彼はかなり詳細に書き残している。最初の上陸の日、彼は取材のカメラマンと一緒に都内にいた。逃げ遅れて、かなり近くで見てしまったらしい」
ウィンターはしばらく黙ってから続けた。
「ゴジラの東京上陸に際して、日記にはこうあります。『私はこれまで何千もの形を作ってきた。しかし今日、形とは何かをはじめて知った』と」
――その後、すぐに建造を始めたのですか。
「すぐではありません。設計に10年近くかかっています。最初の数年はひたすら素描と模型を作っていた。残っている模型を見ると、初期のものはゴジラの輪郭だけを抽出した抽象的な造形で、今のタワーとはずいぶん違うものです。何度も作り直しながら、だんだん具体的な形に近づいていった。最初に基礎工事を始めたのが1963年頃だと言われていますが、正確な記録が残っていないのです」
――なぜ記録が残っていないのですか。
「トッシュミットは記録をあまり残さない人でした。彼は天才肌で、設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみだったようです。残っているのは断片的な素描と、スケッチするために作った模型と、構想をまとめた日記だけ。財団は彼の死後に資料を整理しようとしましたが、『怪獣黙示録』の惨禍で相当な部分が失われていました」
――彼はいつ亡くなりましたか。
「タワーの脚の部分まで完成した頃ですね。つまり、現在あるタワーの大部分は、トッシュミットが生きている間には存在しなかったのです」
ウィンターは立ち上がり、壁に掛かった設計図の複製を指した。鉛筆の線が細かく走り、余白にびっしりと書き込みがある。
「これが彼の残した最も完全な設計図です。ただし、これも完成図ではない。顔の部分がほとんど描かれていない。彼がゴジラタワーの顔をどうするつもりだったのか、誰も本当には知らない。今タワーの顔をめぐって議論が続いているのも、そのせいです」
――財団化・国家事業化の経緯を教えてください。
「トッシュミットの死後、ゴジラタワーの建造はいったん止まりました。資金もなく、指示できる人間もいない。工事現場はそのまま放置されました」
――ところが、建造途中のタワーに人が来始めた?
「はい。最初は地元の人間が物珍しさで見に来る程度でしたが、やがて遠方からも来るようになった。途中まで完成したゴジラの脚が、ただそこに立っている。それ自体が奇妙な光景だったのでしょう」
そう言ってウィンターは当時の写真を一枚取り出した。それはとても古い写真で、まだ広場も土産物屋もなく、剥き出しの工事現場の中に巨大なゴジラの脚だけが立っている。周囲に人影はない。
――観光地化が進んだのはそれからだと?
「ええ。土産物を売る人間が現れ、写真を撮る人間が増え、気づけば観光地の体裁が整っていた。行政が動いたのはその後です。まず地元自治体が建造地周辺の整備に予算をつけた。道路を整え、駐車場を作り、案内板を立てた。建造そのものへの支援ではなく、あくまで観光インフラとしての整備です。しかしそこに予算がつくということは、タワーが公的な存在として認められたということでもあります」
そこで一度言葉を切り、ウィンターはコーヒーを飲んだ。
「財団が設立されたのはさらにその後です。複数の自治体と民間企業が出資する形で組織され、建造の継続が決まった。初代理事長はトッシュミットの弟子筋にあたる建築家で、師の意志を継ごうとしていた形跡がある。二代目以降は政治的な任命色が強くなり、建造の動機はトッシュミットのものとは別の文脈で語られるようになっていった」
――今の状況についてはどう見ていますか。
「トッシュミットが求めていたものと、今作られているものが同じかどうか、私には分かりません。同じだという証拠もないし、違うという証拠もない。彼がゴジラから何を見出して、何を作ろうとしていたのか、日記以外には手がかりがない。『形とは何かをはじめて知った』という言葉……というわけです」
ゴジラタワー財団の理事長室は、タワーの全景が見渡せる高層ビルの上階にあった。壁には財団設立時の記念プレート、自治体との協定書の額、来場者数の推移を示すグラフが並んでいる。
財団の理事長、フィリップ=ルソー・スドウはスーツ姿で現れ、握手をしてから着席した。
――財団の理事長として、ゴジラタワー建造の意義をどのようにお考えですか。
「我々は、このプロジェクトが持つ文化的・経済的な価値を非常に重要なものと位置づけています。ゴジラタワーはすでに70年近い歴史を持つ構造物であり、地域のアイデンティティとして、また国際的な観光資源として、多くの人々に認知されています。我々の使命は、その価値を次世代に引き継ぐことです」
――建造を始めたセオドア=トッシュミットについては。
「トッシュミットの先見性は、今日においても高く評価されています。彼がかつて抱いたビジョンが、現在のプロジェクトの礎になっていることは言うまでもありません」
――彼が何を作ろうとしたのか、あなたはどのように考えていますか。
「ゴジラという存在が持つ……普遍的な象徴性と申しますか。それを建造物という形で表現しようとした試みだったと認識しています」
――トッシュミットは1954年に東京でゴジラを目撃して、それが動機になったと言われています。
「そうですね、そのように聞いています」
――その体験が彼をどう変えたと思いますか。
「非常に……強烈な体験だったのでしょうね」
――最近では生成AIや3Dプリンタを建造に活用されているとのことですが。
「どちらも素晴らしい技術です。我々はこれを非常に前向きに捉えています。たとえばトッシュミットが残した断片的な素描を生成AIに学習させることで、設計の空白部分を高精度で補完できるようになりました。3Dプリンタによる造形も、職人の手作業では実現できなかった精度と再現性を可能にしています。これはプロジェクトにとって大きな前進です」
そう言ってフィリップは手元の資料を開き、数字を読み上げ始めた。年間施工面積は導入前の三倍、工期の短縮率、コスト削減の実績。言葉に詰まることがなかった。
さらに年間入場者数、経済波及効果、地域雇用の創出数、観光収入の推移……ゴジラタワー財団の功績を、フィリップは5分近く話し続けた。
――ところで、ゴジラタワーの顔の造形がまだ決まっていないそうですが、いつ頃決定する見通しですか。
「現在、専門家委員会において鋭意検討が進められています。非常に重要な決定ですので、慎重に進めてまいります」
――委員会は何年前から動いていますか。
「……12年になります」
――トッシュミットの設計図には顔の部分がほとんど描かれていなかったと聞きます。つまり、誰もどんな顔にすべきか分からないということでは?
「様々な解釈があり得ます。我々としては、各方面の専門家の知見を集めながら、最善の判断をしてまいります」
――ゴジラタワーの反対運動についてはどうお考えですか。反対を表明している団体もいますが。
「様々なご意見があることは承知しています。毎年、住民説明会を開催しており、対話の場を設けています」
――立ち退きを余儀なくされた住民の方々については。
「すべて法令に基づいた適切な手続きを経ています。補償についても誠実に対応してまいりました」
少し間があってから、フィリップは再び話し始めた。
「申し上げておきたいのですが、我々の財団は会計報告を毎年公開しており、第三者機関による監査も継続して受けています。すべての意思決定は適切なプロセスを経ており、健全な運営を維持しています。これは強調しておきたい」
部屋を見回した。記念プレート、協定書の額、来場者数のグラフ……この部屋にゴジラを象ったものは何もなかった。70年かけてゴジラの塔を建てている組織の長の部屋だというのに、ゴジラの姿をしているものは窓の外のゴジラタワーだけだ。
ふと訊ねた。
――ゴジラを実際にご覧になったことはありますか。
「……ニュースの映像では何度も」
――直接は?
「ないですね」
――一度も?
「ええ」
短い沈黙があった。フィリップは何かを言いかけてやめた。窓の外に建造途中のゴジラタワーが見えていた。
ゴジラタワーの造形に参加している彫刻家、シェーン=マッカーサーの作業場は、タワーの右脚の付け根にある仮設の小屋だった。
作業場に入ると石膏の粉の匂いがした。壁に工具が並び、棚には削りかけの鱗の原型が大小並んでいる。
シェーンはこちらが来ても顔を上げず、ゴジラの鱗の縁を細い
「少し待ってください。あと一箇所だけ」
五分ほど待ってから、インタビューは始まった。
――ここで働いてどのくらいになりますか。
「23年です」
――なぜゴジラタワーに?
「サグラダ・ファミリアにいた頃、声をかけてもらいました。来てみたら、やめられなかった」
――やめられなかった理由は?
「スケールが違う。サグラダ・ファミリアも大きいが、あちらは人間のための建物です。ゴジラタワーは違う。何のための建物か、正直なところ誰にもよく分からない。でもそれが面白かった、ただ純粋にゴジラを作っているような心地がして」
――普段はどのような作業をしていますか。
「鱗の造形です。主に胴体の表面を担当しています。一枚仕上げるのに、場所によっては三週間かかる。大きいものは一枚で畳二枚分ある」
――自分が仕上げた鱗がどこにあるか分かりますか。
「全部分かりますよ」
そう言って外に出た。タワーの左の脇腹あたり、やや下の位置を指さした。
「あのあたりが自分の仕事です。一番下の列だけ、縁の形が少し違う。最初の年に作ったものなので。今なら違う形にします」
――上手くなったということですか。
「上手くなったかどうかは分からない。私の中のゴジラが変わったのかもしれないし」
――ゴジラを実際にご覧になったことはありますか。
「あります。30年ほど前、ここから離れた港町で、海から出てくるのを見ました。当然逃げましたが、逃げながら振り返っていた」
――振り返った?
「やめられなかった。逃げながら、何度も振り返った。そうしているうちに、ゴジラがこちらの方向を向いた。目が見えた」
シェーンは少し黙った。
「……見られていると思った。本当に見ていたかどうかは分かりませんが、でも、あの目がこちらに向いた瞬間、見られていると感じた。その感覚が今でも手に残っています。『大自然の驚異』とはああいうことだと思いました。怖いより先に、ただ圧倒された。偉大なる自然の前に自分がどれほど小さいかということが、嫌というほど分かった」
――反対運動の方々は『ゴジラタワーはゴジラへの冒涜だ』と言っています。
「冒涜かどうかは分からない。ただ私はあの時、ゴジラに見られたと思った。その感覚を形にしたい。それが冒涜かどうかは、ゴジラが決めることだと思っています」
――生成AIや3Dプリンタの活用についてはどうお考えですか。財団は活用してゆく方針を打ち出している一方、反対する声もあるようです。
「生成AIの生成アートについて個人的には違和感はありますが、作家の手仕事に代わるものではありませんし、3Dプリンタは私も活用しています。どちらも便利な道具ですからね。トッシュミットの設計は完成していませんから、その空白を埋めるために出来ることは手を尽くすべきでしょう」
ただ、とシェーンは自分の手を見た。
「機械はゴジラを見たことがない。私にはある。それだけの話だと思っています」
――顔の造形についてはどうお考えですか。ゴジラタワーの顔の造形をどのようにすべきかについて、ずっと議論されているそうですが。
「目です。全部、目の問題です」
――どういうことですか。
「どこから見ても視線が合わなければならない。広場の端から見ても、三百メートル離れた場所から見ても。あの高さにある目が、地上の人間それぞれと結びつく。私がゴジラに見られたと感じたあの感覚を、逆から作り直すことが必要だと思っている」
――難しそうですね。
「ええ、だからこそやり甲斐がある」
――その考えは、あなたが造るゴジラタワーの造形に影響を与えていますか?
「…………。」
シェーンは少し間を置いてから、続けた。
「財団の委員会に一度呼ばれて、意見を言いました。それが採用されたかどうかは分かりません」
――どのような意見を?
「初代ゴジラが特にそうなんですが、目の焦点が少しずれているから、下から見上げるとどこから見ても視線が合う感じがするんです。AIが出してくる顔の案は、全部綺麗すぎる。本物のゴジラの顔が左右完全に揃っていたでしょうか。生き物の顔はそうじゃない。それを委員会に言いました」
――これはあなたにとって何のための仕事ですか。別のインタビューで、信仰、と言われたことがあると聞きました。
「信仰……かどうかは分からない。神様が何を考えているか分からないように、ゴジラが何を考えているかも分からない。ただ、あの目に見られた感覚を忘れたくない。それを石の中に入れたい。それだけです」
それからシェーンは小屋に戻り、
しばらくしてから、ふと顔を上げてタワーを見上げた。鉄骨だけが剥き出しになった首から上、まだ顔のない場所をしばらく見てから視線を戻し、また鱗を叩き始めた。
後半へ続く。
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