適応進化する少年、人外魔境で暮らします   作:プーリとベルト

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殺人を好む女


第9話

 周囲から向けられる視線には、余所者への好奇心と哀れみ、それに「上手く食い物にできないか」という値踏みが混ざっていた。

 

 そんな空気を割るように、一人の女が声を掛けてくる。

 

「あー、ちょっと良いかな失礼、失礼させてもらうよ……君、名前は?」

 

 喧騒へ溶け込むほど自然な声だった。それなのに、不思議と周囲の雑音だけが遠のいて聞こえる。

 

 アケムが顔を上げると、そこには白を基調とした外套を纏う女が立っていた。夜を溶かしたような長い髪を揺らしながら、彼女は柔らかな笑みを浮かべている。

 

 しかしその笑みとは裏腹に、周囲の空気だけがわずかに静まり返っていた。先ほどまで軽口を叩いていた男たちも、いつの間にか声量を落としている。

 

「アケム」

 

 素直に答えると、女は楽しそうに目を細めた。

 

「アケム。下の名前は?」

 

「無いよ。というか、分からない」

 

「へぇ」

 

 彼女は驚くでもなく、小さく頷いた。

 

「まぁ、そういうこともあるか……」

 

 その声音には妙な実感が滲んでいた。この街では、名無しも、捨てられた過去も、珍しくないのだろう。

 

 女はそのまま周囲へ視線を向けると、軽い調子で続ける。

 

「では、私はこの子を連れて行こうと思うんだが、よろしい?」

 

 その瞬間、場の空気がわずかに変わった。

 

 男たちは互いに顔を見合わせ、それから苦笑混じりに肩を竦める。

 

「バンディアさんが言うなら誰も止めねぇが……どうしたんだ?」

 

「まさか、やるのか?」

 

「いやいや」

 

 女は喉の奥でくすくすと笑った。

 

「そんな詰まらないことはしないよ」

 

 すると別の男が、ぼそりと呟く。

 

「へぇ……『殺人狂』ルシリア・ノクト・バンディアが、殺し以外で興味を持つのか」

 

 アケムはその二つ名を聞いても大きく反応しなかった。ただ、周囲の人間たちの気配だけが僅かに強張ったことは理解できた。

 

 しかしルシリア本人は、まるで気にした様子もなくアケムを見下ろしている。

 

「まぁ……彼がいれば、最高の殺しができそうだからね。協力してくれるかいアケム少年?」

 

「……誰かを殺すの?」

 

「はい」

 

 あまりにも自然な肯定だった。脅しでも冗談でもない。ただ今日の天気でも語るみたいな、穏やかな声音。

 

 アケムはしばらく黙ったまま彼女を見つめ、それから静かに問い返す。

 

「それって、誰かが苦しんだりするんだよね」

 

「そうかもしれません」

 

 ルシリアは微笑んだまま答えた。

 

「ですが、楽になる方もいるかもしれませんよ?」

 

 その言葉は、善意とも悪意とも断定できなかった。

 

 アケムは視線を落とし、少しだけ考える。下層へ落ちたばかりの彼には、帰る方法も、金も、頼れる場所も無い。それでも目の前の女が危険であることだけは、本能的に理解できた。

 

 だが同時に、彼女は自分へ手を差し伸べている。

 

「……分かった。とりあえず、貴女について行くよ」

 

 その返答に、ルシリアはふっと目を細めた。

 

「フフ、ありがとうアケム少年」

 

 彼女はそう言いながら、迷子の子供を連れて帰るみたいな自然さで歩き出す。

 

 周囲の人間たちは誰も止めなかった。ただ何人かだけが、「あーあ」とでも言いたげな顔で、銀髪の少年の背中を見送っていた。

 

 湿った配管通路を歩いていると、頭上の裸電球じみた照明が不規則に点滅し、そのたびにルシリアの影が細長く揺れる。

 

「ねぇ、アケム少年」

 

 彼女がふと振り返った。

 

「何で私がアナタに目をつけたか分かるかな?」

 

 アケムは少しだけ考える。

 

 下層へ落ちてから、彼はずっと周囲を観察していた。人の視線、呼吸、敵意、欲望。そして彼は、彼女だけが持つ異質さにも気づいていた。

 

「……何だろう。僕が警戒したから?」

 

 その答えに、ルシリアの口元がゆっくり吊り上がる。

 

「分かっていてついてきたのかい、君は?」

 

「だって、ついて来て欲しそうだったし。いきなり此処に来て、どうしたらいいか分からなかったから」

 

「ふーん、へぇ」

 

 彼女は心底愉快そうに笑った。

 

「まぁ、その通り。君は私を警戒していた。殺気どころか、気配すら出していなかった時点の私をね」

 

 普通の人間なら気づけない、と言外に含ませる声音だった。

 

「……危なそうだもん、バンディアさん。何というか、武器みたいだ」

 

 一瞬だけ、ルシリアの目が細くなる。その表情は、なぜだか少し嬉しそうに見えた。

 

「そうかもしれないね。実際、正しい評価だよ」

 

 彼女は歩きながら、何でもない調子で続ける。

 

「私は……人を殺すのが大好きだ」

 

 周囲では誰かが笑い、配管は蒸気を吐き続けている。

 なのに、その言葉だけが妙に静かだった。

 

 アケムはようやく理解する。自分が感じ取っていた異様さの正体は、彼女の極限まで研ぎ澄まされた殺傷能力という性能だったのだ。

 

「でもね、ルールを守るのも好きなんだ。異常者でも、度を過ぎれば排除されてしまうからね。この街は」

 

「R.A.I.D.とかに?」

 

「その通り」

 

 ルシリアは肩を竦めた。

 

「だから我慢してる。殺していい奴を、殺していい場所で、殺すだけに留めてる。偉いでしょ?」

 

 その問いは半分くらい本気だった。まるで子供が褒められるのを待つみたいに期待した顔をしている。

 

 アケムは困ったように瞬きをした。

 

「どうだろ。でも、褒めて欲しそうだから褒めようか?」

 

「プッ──」

 

 ルシリアが吹き出した。

 

「ハハハッ、連れないなぁ」

 

 彼女は額へ手を当てながら、しばらく楽しそうに笑い続ける。

 

「まぁ、それでも山ができるくらいは殺してるけどね、私」

 

「やっぱり危ない人だ」

 

「うん、危ないよ。悪人の敵ではあるけれど、正義や秩序の味方じゃあないからね」

 

 ルシリア・ノクト・バンディア。

 

『殺人狂』の二つ名を持つ純粋な人類。

 

 それでいて彼女は、どこまでも普通の顔で街を歩いている。人混みに紛れ、笑い、会話し、ルールを守りながら、その奥底に致命的な何かを飼っていた。

 

 アケムはそんな彼女を見つめながら、ふと理解する、この下層区域《アンダーシェル》には怪物がいる。

 

 だが怪物とは、必ずしも異形の姿をしている訳ではないのだと。

 

 

 

「さて、それではこれから……一旦帰って寝ましょうか」

 

「え?」

 

 アケムが思わず目を瞬かせると、ルシリアは少しだけ不思議そうな顔をした。

 

「おや、分かりづらかったですか? もう既に夜ですよ」

 

 言われて初めて、アケムは周囲の光景を見回した。下層は最初から薄暗く、ネオンや照明ばかりが明滅しているせいで時間感覚が酷く曖昧になっている。

 

「昼ご飯を食べて……いや、途中で意識が無かったから」

 

「それもありますし、孔へ飲まれた影響もあるでしょうね。異界に関する場所というのは、肉体や精神、それに時間感覚まで簡単に狂わせますから」

 

「そうなんだ」

 

「えぇ。上手く魔術で制御できれば、老化を抑えたり、自分の周囲だけ時間の流れを弄ったりも出来るらしいですが……残念ながら、私にはその手の才能はあまり無くて」

 

 ルシリアは肩を竦めながら笑う。

 

 そうして会話を続けているうちに、二人はいつの間にか人気の少ない配管路地へ辿り着いていた。騒がしかった通りの喧騒は遠ざかり、代わりにどこかで蒸気が漏れるような低い音だけが響いている。

 

 そしてルシリアは、通路の奥で立ち止まった。

 

「……着きましたね」

 

 アケムは視線を前へ向ける。

 

 そこにあるのは、ただの壁だった。

 

 古びた金属板と配管が重なり合っただけの、下層では珍しくもない景色。

 

 しかし、見れば見るほど奇妙な違和感がある。視線が滑るというか、形を認識しようとすると僅かに感覚がズレる。

 

「……これは、壁じゃない」

 

 アケムが静かに呟くと、ルシリアはほんの少しだけ目を細めた。

 

「おや、勘ですか? それとも視えているんでしょうか」

 

 彼女はそう言いながら、壁へ軽く手を触れる、すると金属板だったはずの表面が、カーテンの様に揺らいだ。

 

「これが私の家……まぁ、正確には一時的な拠点の入口です」

 

 そのままルシリアは何の躊躇もなく壁の中へ歩いていく、一瞬だけ迷いながらも、アケムは静かにその背中を追った。

 

 

「ようこそ、『殺人乙女』の城へ……あぁ、これは若い頃の二つ名なんですが。今では中々呼んでくれる人も居ませんね」

 

 壁の内側へ足を踏み入れると、そこには外の下層とは別世界みたいな静寂が広がっていた。

 

 通路は細いが妙に清潔で、床や壁には淡い魔術光らしき紋様が走っている。湿気と鉄臭さに満ちていた外とは違い、空気にはほんのり薬品と古紙の匂いが混ざっていた。

 

 ルシリアに続いてしばらく通路を進むと、不意に視界が開ける。

 

 

 異様なほど整理されている。棚に並ぶ薬瓶には一本ごとにラベルが貼られ、机の上に紙片一つ散らばっていない。

 

 壁際には無造作にナイフや拳銃らしき武器が掛けられていた。けれど血生臭さは無い。むしろ、病院や図書館に近い静けさがある。

 

「僕は大丈夫だけど、電気つけないの?」

 

 アケムがそう言うと、暗闇の中でルシリアが小さく笑った。

 

「付けますよ。おや、アケム少年も夜目が利くんですね」

 

「どうだろ……少し違うかも」

 

 アケム自身、上手く説明はできなかった。

 

 ただ、暗闇でも不自由なく見えている。いや、見えているという感覚とも少し違った。部屋の構造も、空気の流れも、人の位置も見ずとも把握できる。

 

 たとえ後ろを向いていても、目を閉じていても、大体の位置関係は掴めてしまう、その感覚は、視覚というよりも、もっと別の知覚に近かった。

 

「そうですか」

 

 ルシリアはぱちりと照明を点けながら振り返る、 淡い光が室内を照らし出し、その口元には興味深そうな笑みが浮かんでいた。

 

「まぁ、有用なら問題ありませんよ。色々と教えてくださいね、アケム少年の身体について」

 

 その声音は柔らかい。だが同時に、未知の獣を観察する狩人めいた響きも混ざっていた。

 

「じゃあ調べる? 僕の身体」

 

 アケムがあまりにも自然な調子でそう言うものだから、ルシリアは一瞬だけ目を丸くしたあと、堪えきれないみたいに小さく吹き出した。

 

「アハッ、そうですか。やって良いならやりますが、余りに無防備過ぎるのも困り物ですね」

 

「駄目だった?」

 

「いえいえ、むしろ私にとって都合が良過ぎて興奮しただけです。あぁ安心してください、興奮して殺したりはしませんから」

 

 ルシリアは柔らかく笑いながら、身に付けていた白い手袋を外していく。その仕草は妙に丁寧で、医者か研究者の診察にも似ていた。

 

「では、早速ですがお体に失礼しますね」

 

「…………」

 

「何かリアクションしても良いんですよ? 異性が身体に触れるんですから」

 

「異性が触れるから何かあるの?」

 

 きょとんとした顔で返され、ルシリアは数秒ほど黙り込んだ。

 

「……パークアドラへ来て日が浅いだけで、歴戦の改造人間か何かだと思っていたんですが、初心ですねぇ。いえ、これは無垢と言うべきでしょうか」

 

 そう呟きながらも、ルシリアの手つきには一切の淀みが無かった。

 

 彼女はアケムの肩へ触れ、そのまま首筋、腕、背中へと指先を滑らせていく。撫でるというよりは舐めるような動きだった。

 

 筋肉の付き方、骨格、皮膚の硬さ、熱の流れ、呼吸の間隔、その全てを一つずつ味わい記憶していくような観察。

 

 そこに殺意は無い、少なくとも今は純粋にアケムという存在の性能を測ろうとしている、それだけだった。

 

 だが逆に、その無機質な集中力こそが不気味だった。ルシリアの細い指先が脇腹へ触れた瞬間、彼女の目がわずかに細まる。

 

「……硬いですね」

 

「そう?」

 

「えぇ。鍛えている硬さではなく、もっと別系統です。皮膚の下に薄く膜でも挟まっているみたいだ」

 

 彼女は感心したように呟きながら、今度はアケムの手首を持ち上げた脈を測っている。

 

「おや?」

 

「変?」

 

「変ですね」

 

 ルシリアは面白そうに笑う。

 

「脈拍が妙に安定している。普通の子供なら、知らない女に身体を触られている時点でもう少し緊張するものなんですが」

 

「緊張はしてるよ」

 

「それでこれですか。ふぅん……」

 

 彼女の視線が、じっとアケムの瞳を覗き込む。

 

 部屋の空気が更に静かになった、獲物を見る目ではない。もっと純粋に、危険物を見極めようとする視線、しかしアケムは逸らさなかった。

 

 ただ静かに見返している。

 するとルシリアの口元が、ゆっくりと歪む。

 

「なるほど。これは確かに……面白い」

 

「何が?」

 

「いえ、もし私がアナタを悪意を持って調べたら。くすんで見えていたかもしれませんね」

 

「今のバンディアさん、殺す気は無さそうだから」

 

「そうですね、その理解は正確です。私は君の味方、アケム少年が社会から外れた怪物にでもならなければ、ね?」

 




プロフィール

破界対策局R.A.I.D.
異界災害、怪異出現、神格案件など、人類社会を脅かす超常事象へ対処する都市防衛機関。通常戦力では対応不可能な危険領域を専門とし、『紫の尾』『最強』『無敵』等他にも数名のトリプルワーズ以上の戦力を擁する。構成員は人類だけでなく、異界人や神格、亜人種まで幅広く、パークアドラにおける最後の防衛線として機能している。
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