怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第14話∶冠と騎士・狂人と子供

 

 

『鉄騎士』とアケムが相対していた頃、ルシリアは既に血冠城の中枢近くへ到達していた。

 

「思ったより容易いですね。まぁ、気は抜けませんが」

 

 そう呟きながらも、その歩みに淀みは無い。だが実際のところ、彼女は一瞬たりとも油断していなかった。ここまで辿り着けた理由は侵入経路の選定と事前準備が上手く噛み合ったからに過ぎず、城の主たる『黒冠』が無能だった訳ではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 城全体へ張り巡らされた血液の流れを感じる度に、その執念深さと警戒心が伝わってくる。常人なら侵入することすら不可能な防衛機構を構築し、その中心で王を気取っている男が、この程度のことで取り乱す筈もなかった。

 

 最後の防壁を突破するために幾つかの消耗品を使い潰しながら、ルシリアは静かに重い隔壁を潜り抜ける。

 

 その先に広がっていたのは巨大な培養区画だった。

 

 天井へ届くほどの円筒容器が幾本も並び、その内部では赤黒い液体が脈打つように循環している。床下を走る透明な管路には濃密な血液が流れ続けており、壁面へ刻まれた術式が拍動に合わせて淡く明滅していた。

 

 

 

「真っ赤ですね、これ全部が一人の血と思うと何というか、ゾクゾクしますね」

 

 建築物というより巨大生物の臓器標本を見せられているような光景だったが、ルシリアの表情は変わらない。そして部屋の最奥へ視線を向けた瞬間、彼女は小さく笑った。

 

「やはり、此処でしたか」

 

 中央には玉座があった。無数の血管と骨格を組み合わせて造られた異形の椅子。その周囲では血液の流れが幾重にも渦を描き、まるで王へ忠誠を誓う臣下のように足元へ集まっている。

 

 そして、その玉座へ腰掛けている男こそが『黒冠』だった。

 

 頭部を覆う黒い血塊の冠は以前見た写真よりも巨大になっており、肩から伸びる赤黒い脈管は玉座や床下の培養槽へ直接接続されている。既に城と一体化し始めていると言われても納得出来る姿だった。

 

『黒冠』──グラド・エゼルバインは、ゆっくりと目を開く。

 

「鼠が入り込んだと思えば……貴様か、『殺人狂』」

 

 低く響く声と共に、中枢全体の血液が脈打っている。しかしルシリアは怯むどころか、どこか嬉しそうに口元を緩める。

 

「えぇ、私です。貴方を殺しに来ましたよ、グラド・エゼルバイン」

 

 白手袋を嵌めた指先が静かにナイフの柄へ触れる。まるで旧友へ挨拶でもするような穏やかな声音だったが、その間の空気は既に何人も侵し難い雰囲気が漂っていた。

 

 

「三文字のお前がか?」

 

「ええ、三文字の私が貴方の足掻く様を、死に様を見に来たのです王よ」

 

「……はぁ、気色の悪い顔をする。変装であったとしても、その容姿は褒められたものだというのに」

 

「そうですか。はは、余り興味は無いですね。……では、そろそろ我慢の限界ですので、始めましょうか」

 

「ふん、噂に違わず狂っているな」

 

『黒冠』が玉座へ深く腰掛けたまま鼻を鳴らす。その声音には警戒が滲んでいたが、同時に長年培った自負も感じられた。

 

 この城は彼の王国だ。

 

 血液は壁を巡り、床を流れ、天井の奥で脈打ち続けている。その全てが彼の手足であり、感覚器官でもある。侵入者を迎え撃つには、これ以上ない戦場だった。

 

 だがルシリアは気にも留めない、彼女の赤い瞳は既に『黒冠』だけを映していた。周囲の培養槽も、膨大な血液も、城そのものも視界へ入っていないかのようだった。

 

 ただ一人、殺したい対象だけを見ている。それを理解した瞬間、『黒冠』の眉が僅かに動く。

 

「貴様は本当に理解出来んな。金も権力も欲しがらず、領地も部下も作らず、ただ殺す為だけに生きている」

 

「そうでしょうか? 悦楽に耽る為に努力し、結果を得る。それだけなのですが?」

 

「だから気色が悪いと言っている」

 

 吐き捨てるように言うと同時に、玉座の足元から血液が溢れ出した。

 

 赤黒い奔流が床を覆いながら広がり、巨大な蛇のように鎌首をもたげる。その量は既に人間一人がどうこう出来る規模ではない。

 

 しかしルシリアは笑った、心の底から楽しそうに。

 まるで待ち望んでいた舞台がようやく整ったかのように。

 

「えぇ、そうでしょうね。私は」

 

 白手袋を嵌めた指先が静かにナイフを抜き放つ。銀色の刃が培養槽の赤い光を反射し、その軌跡だけが異様なほど鮮明に浮かび上がった。

 

「殺すのが好きで好きで堪らないだけの異端者ですから」

 

 そして両者の周囲で膨れ上がった血液が一斉に牙を剥き、中枢全体を揺らす轟音と共にルシリアへ襲い掛かった。

 

(やはり二文字ですね、とんでもない能力です。しかし、分かりやすい隙は有る)

 

 奔流と化した血液は壁面や天井を伝いながら四方八方から殺到する。回避経路すら潰し尽くす圧倒的な物量だったが、その中心に座る『黒冠』の視線は僅かに一点へ集中していた。

 

 支配している血液の量が膨大であるが故に、制御にも意識の偏りが生じる。その瞬間、ルシリアの姿が掻き消えた。

 

 否、消えたように見えただけだった。呼吸を殺し、重心移動を消し、殺気すら沈め切ることで認識から零れ落ちたのだ。

 

 血流の濁流が彼女のいた場所を呑み込み、床や壁を砕きながら暴れ回る。しかし、その中心にいるはずの侵入者を捉えられない。

 

「何処だ」

 

「此処ですよ」

 

 玉座の真後ろ。白い外套が静かに揺れ、銀色の刃が音もなく首筋へ伸びる。しかし脊髄反射にも等しい速度で血液の壁が生成され、刃と首の間へ割り込んだ。

 

 甲高い金属音にも似た衝撃が響き、血の盾が深く切り裂かれる。それでも防ぎ切られ首には届か無い。

 

 ルシリアは小さく笑った。

 

「良い反応です」

 

 その声音には失敗への落胆など微塵も無かった。むしろ彼女にとって今の一撃は、王を殺すための観察に過ぎなかったのだから。

 

「離れろ、不敬者が」

 

 音すら置き去りに速度でその場に数多の血の槍撃が繰り出される。だがルシリアも溶け消える様に気配を断ち回避を行なって見せた。

 

 

 その後も血の奔流が中枢区画を埋め尽くす勢いで暴れ回る中、ルシリアはその隙間を縫うように駆けている。

 

 否、駆けるという表現すら正確ではない。彼女の動きは余りにも無駄が無く、まるで攻撃が来る前から軌道を知っているかのようだった。

 

 牙のように伸びた血槍が頬を掠め、床下から噴き出した血刃が外套の裾を裂く。しかしその全てが致命傷には届かない。

 

「避けているのではないな」

 

「えぇ。見ているのですよ」

 

 思考によって起こる動作は嘘を吐かない。どれほど巨大な術式であろうと、どれほど膨大な質量であろうと、それを操る意思が存在する限り僅かな癖は生じる。

 

 視線。意識。殺意。

 

 攻撃とは結局のところ使用者の思考の延長だ。ルシリアは『黒冠』を見ていた血液ではなく、その奥にいる男を。

 

 だから分かる。どの攻撃が本命で、どの攻撃が牽制なのか、どの瞬間に意識が逸れ、どの瞬間に集中しているのか。

 

 そして、どんな瞬間に恐怖しているのか。ルシリアは血槍を紙一重で避けながら、ふと楽しそうに口を開いた。

 

 

「ですが、フフ。貴方がダブルワーズの中で、で良かった」

 

「何だと?」

 

「格落ちで良かったと言ったのです」

 

 空気が冷えた、『黒冠』の背後で血液が大きく脈動する。

 

「現状を軽視し過ぎではないかね。お前の初撃は空振りに終わったのだ。お前が暗殺者なら失格だ、お前は殺人者だがな」

 

「それはそうかもしれませんね」

 

 ルシリアはあっさり頷いた。だが次の瞬間、その赤い瞳が獲物を見据える肉食獣のように細められる。

 

「グラド・エゼルバイン。『血』と『赤』を恐れ、下層の一角で王を気取る医者崩れ、同格の『鋼医』すら、此処より遥かに大きな城へ住まうというのに」

 

『黒冠』の眉がぴくりと動いた。

 

 その反応を見たルシリアは、まるで答え合わせでもするように静かに笑う。

 

「やはり覚えていましたか」

 

 彼女はゆっくりと歩きながら続けた。

 

「医療技術、肉体改造、延命研究。貴方が目指したものは元々そこだったのでしょう? 病を克服し、人を救い、死を遠ざける。少なくとも若い頃は」

 

 血液が唸る、しかしルシリアは止まらない。

 

「ですが才能が足りなかった。資金も足りなかった。結果も出なかった。周囲には貴方より優れた研究者が何人も居た」

 

 一歩ずつ距離を詰めながら、彼女はまるで解剖記録を読み上げるような口調で語る。

 

「だから貴方は救うことを諦めた」

 

 その言葉と共に『黒冠』の指先が僅かに震えた。

 

「死を克服出来ないなら支配する。人を治せないなら利用する。敬意を得られないなら恐怖で従わせる。貴方は王になったのではありませんよ。王の真似を始めただけです」

 

 空気が軋む、血液の流れが目に見えて荒れ始めていた。

 

「だから貴方は『赤』を恐れる。だから『血』を恐れる。だから自分より上を見たくない」

 

 その赤い瞳が細くなる。

 

「だって比較された瞬間、自分が王ではなく敗残者だったと思い出してしまうから」

 

 彼女は知っている、強者を殺す時に必要なのは力ではない、心を揺らすことだ。

 

『黒冠』は金銭を欲し、武力を欲し、権力を欲した。

 

 彼は他者との比較を嫌う。

 

 彼は上位存在の名前を出されることを何より嫌悪する。

 

「……だから何だ」

 

 言葉は取り繕っているが『黒冠』の声音からは余裕が消ええていた、それを聞いたルシリアは心底嬉しそうに微笑んだ。

 

「やはりそうですか、貴方は自分を王だと思い込みたがっている。ですが本質は違う」

 

 一歩。

 

「貴方は支配者ではない」

 

 二歩。

 

「征服者でもない」

 

 三歩。

 

「ただ喪失に怯え、死に怯え続けた人間です」

 

 その言葉と同時にルシリアの姿が消えた、『黒冠』の感覚が警鐘を鳴らす、血液が反応するより先に、白い影が玉座のすぐ傍へ現れた。

 

 

『黒冠』の瞳は怒りに染まっていた。

 

 直後、玉座そのものが爆ぜるように崩れ、周囲の培養槽から膨大な血液が逆流する。赤黒い奔流はもはや槍や刃の形ではなく、一つの災害として中枢区画を埋め尽くしながらルシリアへ襲い掛かった。もしコレが街に放たれれば数km四方の血河と化していただろう。

 

「黙れッ!! 黙れ、黙れぇっ!! これ以上私を語るなぁぁっ!!」

 

 怒号とともに血流が渦を巻き、その中心から無数の腕が生まれる。老人の腕、女の腕、子供の腕。奪い、取り込み、蓄積してきた血の記憶が歪な形となって牙を剥いた。

 

 しかしルシリアは笑っていた、血の腕が肩を掠め、足首へ裂傷を刻む。それでも彼女は後退せず、むしろ一歩踏み込む。

 

「その顔です、もっと、もっと生を貪ろうと抗って下さい、足掻いて下さい」

 

 銀刃が閃く、血液の壁が割り込み、凄まじい衝撃とともに火花が散った。それでも刃は止まらず、何層もの防壁を切り裂きながら『黒冠』の眼前へ迫る。

 

『黒冠』は咄嗟に身を逸らした。だがそれは最初の一撃の様に空振る事は無く、冠の一部から頬と切断される。赤黒い血塊と鮮血が宙を舞い、床へ落ちた。

 

「貴様ァァァ!! よくも、よくも私の肉体をォォォッッ!!!!」

 

 中枢全体がかつてなくドクンと脈打った。

 

 城そのものが怒っているかのようだった。壁面から血液が噴き出し、床下の管路が破裂し、培養槽の幾つかが砕け散る。理性より怒りが前へ出ている。

 

 それを見たルシリアは静かに目を細めた。

 

「えぇ、そうです。それで良い」

 

 王を殺すには力だけでは足りない、恐怖させ、焦らせ、怒らせる。積み上げた優位を自ら崩させる、彼女は既に、その工程へ入っていた。

 

 

 

 

 

 一方その頃、血冠城から離れた廃墟街では別種の轟音が響いていた。アケムの拳と鉄騎士の大剣が衝突し、衝撃波が周囲の建物を揺らす。

 

 鉄騎士セクタルは微動だにしなかった、巨大な甲冑の内側から響く低い声が静かに漏れる。

 

「見事だ。王の血を無効化したと聞いた時は誇張かと思ったが」

 

 アケムは数十メートル後方へ滑りながら足を止める。腕が痺れていた、これまで戦った相手とは重さが違う、技術も、経験も、積み重ねた年月も。

 

「『鉄騎士』アナタは……強い」

 

「当然だ、私は守るために鍛え続けた。才能だけで届く領域ではない」

 

「守るため……」

 

 アケムは小さく呟きながら拳を握り直した。その言葉は不思議だった。研究所で生まれ、利用され、壊し壊されるためだけに育てられてきた彼には、その一つの信念で自己を鍛える精神性に馴染みが無かったからだ。

 

 

「王が正しいとは言わん。だが、王に救われた者も確かに存在する。故に私は剣を取る」

 

「ッ!」

 

 巨躯からは想像もつかない速度で踏み込んだセクタルの大剣が振り下ろされる。アケムは咄嗟に横へ飛んだが、剣圧だけで背後の建物が真っ二つに裂けた。

 

 遅れて轟音が響き渡り、崩れ落ちる瓦礫の中をアケムは駆ける。だが鉄騎士は追撃を急がない。ただ静かに向き直り、その兜の奥から彼を見据えていた。

 

「少年、お前は何のために戦う」

 

 アケムは答えに詰まる。誰かを守るためではない。正義のためでもない。ただ帰りたいだけだ。元いた場所へ、知っている人々の元へ。

 

 それだけの願いを胸に抱きながら、彼はゆっくりと構えを取る。

 

「分からないよ。でも今は──進まなきゃいけない」

 

「ならば来い。迷いを抱えたまま、この壁を越えられるか試してみせろ!!」

 

 再び大剣が持ち上がる。だがアケムもまた地面を踏み締め、全身で脈打つ新たな力を感じながら前を向く。次の衝突が、廃墟街全体を巻き込む激戦の始まりであることを告げていた。




プロフィール

『鉄騎士』セクタル・ヴァン・グレイロード 

下層区域で名を馳せた用心棒であり、戦場よりもむしろ人々の生活圏で信頼を集めた人物だった。身寄りのない孤児や行き場を失った難民を保護し、用心棒として得た報酬の多くを彼らの生活維持へ充てていたことで知られる。圧倒的な戦闘能力を持ちながらも、その力を弱者の盾として振るう姿勢から『鉄騎士』の二つ名を得た。しかし現在は『黒冠』の配下として行動しており、その在り方に疑問を抱く者も少なくない。
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