怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
セクタルが踏み込んだ瞬間、大地が悲鳴を上げた。
振り抜かれた大剣は空気そのものを断ち割り、圧縮された衝撃が街路を削り取りながら迫る。
しかしアケムは恐怖に足を竦ませることなく、その軌道を見極めながら身を沈めた。頬を掠めた暴風が皮膚を裂き、熱を帯びた痛みが走る。
(剣の一撃、一撃が大砲……いやそれよりもっと鋭くて、大きい)
アケムは先ほどの一撃で弾けて舞う瓦礫を立体的に飛び移りながらセクタルの懐へ飛び込んだ。狙いは胴。剣を振るう為に僅かに開いた脇腹
アケムは全身の筋肉を軋ませながらグローブと共に拳を振り抜いた、その拳は確かな感触とともに命中する。鈍い衝撃が腕を伝い、『鉄騎士』の鎧から皮膚の下にある筋肉を越え、そのさらに奥へ届いたはずだった。
だが──。
「……え?」
殴ったのは自分のはずなのに、砕けそうになったのはアケムの拳だった。
硬いなどという次元ではなかった。全力で振り抜いた拳は巨大な鋼塊へ叩き付けられたような反動を返し、指先から肘まで激痛が駆け抜ける。
セクタルは一歩も揺らがなかった。視線だけを僅かに落とし、自分を殴った少年を見る。
「悪くない踏み込みだ」
静かな声だった。
だが次の瞬間、その巨体が動く、アケムは反射的に後方へ飛び退き、ほぼ同時に大剣が横薙ぎに振るわれた。
轟音とともに街路の石畳が吹き飛び、建物の壁面が紙のように裂ける。
回避できたのは偶然ではない、セクタルの重心移動を見て、振り抜く方向を予測し、身体が勝手に動いたのだ。
しかし避けたところで状況は何も変わらない、アケムは痺れる拳を握り締めながら息を呑んだ。
確かに当たった、全力で殴った。
それなのに傷一つ付いていない、鎧が凹んだ様子もなければ、呼吸が乱れた気配すらない。
目の前にいるのは人間の姿をした何かだった、それでもアケムは視線を逸らさない。相手を見ている、先を見ている。
「戦う事に迷っているが、闘争の意志は堅いか」
「……勝ち目があるからね」
「ほう、ならば。その目算、断ち切らせて貰う」
言葉と同時にセクタルが踏み込む。
今度は剣だけではなかった。巨体そのものが砲弾のように迫り、アケムの視界が一瞬で鉄色に埋まる。振り下ろされる刃を紙一重で躱しながら横へ流れる。しかし追撃が来る。
速い。
先ほどまでの豪快な剣ではない。巨大な剣身を信じられない精度で操り、斬撃が隙間なく重なってくる。
アケムは跳び、屈み、瓦礫を蹴りながら回避を続けた。
石畳が砕け、建物が裂け、鉄骨が弾け飛ぶ。
だが破壊の嵐の中で、本当に恐ろしいのは剣そのものではなかった。
セクタルが学習している。
一度見せた動きは二度と通じず、左へ流れれば進路を塞がれ、高く跳べば着地点へ刃が置かれる。
(これは……読んでいる見切っているのか、僕の動きを)
アケムの呼吸を、視線を、筋肉の動きを。
その全てを、それでもアケムは止まらなかった。
次の瞬間には崩れた看板を踏み台にして急加速し、死角へ滑り込む。さらに壁面を蹴って軌道を変え、予測を外しながら拳打と蹴撃を連続で叩き込んだ。
しかしセクタルは崩れない、硬いだけではない、動じない。衝撃が伝わっているはずなのに、その身体は山のように揺るがなかった。
「良い、反応速度も成長速度も異常だ」
大剣が閃く、アケムは反射的に身を捻った。
いつもの様に直感によるものだが回避できた。
そう思った、だが違った。
剣先が僅かに軌道を変える。
それは人間の反応ではなく、幾千幾万の実戦を経た戦士だけが持つ修正だった。アケムが避けた先へ刃が滑り込む。
血飛沫が舞った。
一瞬、何が起きたのか理解できない、視界が揺れ、遅れて激痛が脳を焼く。
「あ──」
右腕が宙を舞っていた。
肘の少し上から断ち切られた腕が回転しながら落下し、石畳へ叩き付けられ、鮮血が噴き上がる。身体が悲鳴を上げる、後方へ飛び退きながら傷口を押さえる。
傷口から噴き出す血が熱を持って頬へ散り、アケムの視界を赤く染める。激痛によって思考が白く弾け飛びそうになるが、それでも彼は叫ばなかった。
ただ歯を食いしばりながら後退し、切断面へ左手を押し当てる。血流は急速に収束し、切断面の肉が蠢く、失われた腕を取り戻そうとするように、骨と神経が脈打っていた。
「再生か」
「……うん、だから、まだ勝ち目はある」
息を荒げながらもアケムは笑った。だがその笑みは強がりだった。腕は戻る。傷も塞がる。けれど痛みは消えないし、失われた感覚が完全に戻るまでには僅かな時間が必要だった。そして何より、目の前の男はその僅かな隙を見逃すほど甘くない。
セクタルは大剣を肩へ担ぎながら静かに歩き出す。その一歩ごとに石畳が沈み込み、周囲の空気が重く張り詰めていく。
「ならば試そう」
低く響いた声とともに、その巨体が再び消えた。
アケムの背筋を凄まじい悪寒が駆け抜ける。反射的に身体を捻った直後、先ほどまで立っていた空間が轟音とともに吹き飛んだ。衝撃だけで身体が宙へ浮き、崩れた壁へ叩き付けられる。
それでも意識を失わなかったのは、生存への執念と進化し続ける肉体のおかげだった。
瓦礫の中から立ち上がったアケムへ、セクタルは追撃の手を緩めることなく踏み込んだ。大剣が振るわれるたびに空気が裂け、周囲の建物が悲鳴を上げるように崩れていく。
しかしアケムは先ほどまでのように大きく飛び退かず、身体を紙一重だけ傾けながら刃をやり過ごしていた。肩を引き、足先を捻り、呼吸の拍子を合わせることで致命の軌道だけを外していく。
その姿を見ながら、セクタルは静かに問い掛ける。
「何故そこまで生に執着する」
振り下ろされた一撃を身を沈めて避けながら、アケムは乱れた息を吐いた。
「帰りたい場所があるから」
直後に放たれた蹴撃の余波で吹き飛ばされながらも、壁を蹴って体勢を立て直す。
「会いたい人達がいるんだ」
再び迫る剣閃。その軌道を視線で追い、今度は半歩だけ横へずれる。先程までなら全力で飛び退いていた攻撃を、最小限の動きで回避していた。
「返したいものもあるし」
金属を叩くような轟音とともに拳を放つが、やはり鎧は揺るがない。それでもアケムは止まらなかった。
「手伝ってあげたい事もある」
その言葉に、セクタルの瞳が僅かに細められる。
「凡百の願いだな」
「そうだよ」
アケムは笑った。
「特別な夢とかじゃない。でも、それで僕には十分なんだよ、だって始めてのしたいことなんだから」
次の瞬間、セクタルの剣筋が変化する。今まで見せなかった角度からの斬撃が襲い掛かるが、アケムの身体は既に反応していた。筋肉が、神経が、視覚が、その技術を学び始めている。刃が動く予兆を読み取り、重心移動の癖を捉え、回避のために必要な動きだけを選び取る。
もちろん追いついてはいない。
速度に、経験に、技量に、体格に、堅さに
だが、それでも先程より近い、確実に近付いている。
セクタルはその事実を理解しながら剣を振るい続けた。
「なるほど、ならば、その凡百の願いがどこまで人を強くするのか見せてみろ」
轟音とともに再び大剣が迫る。確実な殺意、圧倒な剣気を伴って放たれた一撃は先ほどの衝撃波等ととは異なり直接アケムを両断しようと放たれた。
そしてアケムは、今度はその剛速の剣撃を半歩どころか僅か数センチだけ身体をずらしながら、その一撃を避けて見せたのだ。
「……ね?強くなってるよ」
「ふむ、この一撃を避けてみせるか、だが避けてばかりでは俺を仕留められらものでは無いぞ」
「やっぱり、足りないか貴方を倒すには」
そう、足りないのだより速く、より強く。
その一念だけがアケムの意識を支配する。
迫り来る大剣を紙一重で躱しながら、彼は自らの身体の内側へ意識を沈めていく。
切断された腕を再生した際に消費された組織、酷使によって裂け始めている筋繊維、衝撃に耐え切れず損傷した骨格。それら全てを感覚として把握しながら、同時に理解していた。
このままでは足りない、ただこのまま適応するだけでは届かない。
目の前にいる『鉄騎士』は、壊れた身体を元へ戻す程度で超えられる相手ではなかった、セクタルの大剣が唸りを上げる。
アケムは身を沈めながら回避し、その勢いのまま瓦礫を蹴って側面へ回り込む。だが剣は既に追って来ていた。まるで未来を知っているかのような正確さで軌道が重なり、胸部を浅く裂く、鮮血が舞う。
「腕を失う前に、その動きを身につけ、我が守り貫ける一撃有れば確かに勝ち目はあったかもしれんな」
「なら、腕を取り戻す、そして貴方の守りを破って見せる」
「やって見せるが良い、我が手は一切緩めぬがな」
確かに、その傷は流れ出る傍から塞がり始めていた。だが、アケムには身体に急速な回復を細胞の活性をもたらす再生薬はもう無い。
ならば作ればいい。
どうやるのかは分からない。だが彼の身体は元から人間の理屈で出来てはいなかいのだ、ならば出来る、出来るはずだ。
この身体は環境へ合わせて変化し、生き残る為に必要な機能を獲得する、だからこそ回復に必要なものすら自ら生み出せるはずだった。
骨髄が熱を帯び、内臓が軋みながら活動量を増していく、全身へ走る激痛とともに肉体が悲鳴を上げるが、アケムは止まらなかった。
セクタルの一撃を躱すたびに身体は学び、その学びに応えるように肉体が変化していく。
心臓が脈打つたびに身体の奥で何かが生成され、それが血流に乗って全身へ運ばれていく。
最初は上手くいかなかった、血流へ流し込まれた生成物は瞬く間に分解され、期待した変化は起きない。別の組成を試せば今度は筋肉が痙攣し、視界が暗転しかけた。
それでも身体は諦めなかった、失敗を記録し、その結果を反映し、次の形を試す。
一度ごとに僅かずつ精度が増し、数回の試行の果てに、ようやく求めていた反応が生まれ始める。
そして剣閃が再び迫る中、アケムは荒れ狂う呼吸を無理やり整えながら身体の内側へ意識を沈め続けた。痛みは消えない。むしろ増している。
伸びた骨が軋みながら形を整え、その周囲へ筋肉と神経が絡み付き、血管が枝を広げるように繋がっていく。凄まじい激痛に視界が滲むが、アケムは歯を食いしばりながら足を止めなかった。
大剣を躱し、瓦礫を蹴り、僅かな時間を稼ぎ続ける。その間にも再生は加速していく。学習し経験を積み上げ肉体が必要と判断した物質を自ら生み出し、それを惜しみなく消費することで、本来ならあり得ない速度で欠損が埋まっていった。
そうして、遂に肘の先まで形成されていた腕が指先まで一気に完成する。白く細い指が震えながら握られ、続いて力強く拳を作った、作ったのだ。
「再生速度が増した……いや、そうか身体そのものが人のそれとは違うのだな」
「そう、ズルみたいだよね」
「まさか、現状は貴様の変化の最中に仕留められなかったの俺の失態に他ならないだろう」
「そっか、そう言うなら全力で行くよ」
ゆっくりと息を吐く。感覚はある。動く。握れる。以前と変わらないどころか、血流に満ちたその腕には僅かながら以前以上の力すら宿っていた。
「来い、少年」
「うん」
次の瞬間、二人は同時に地面を蹴った。
プロフィール
トリプルワーズ
都市パークアドラにおいて三文字の二つ名を持つ者達へ与えられる呼称。実力、知名度、危険性のいずれか、あるいは全てが社会へ影響を及ぼす領域に達した存在であり、真の怪物あるいは変態共とも称される。中には単独で軍勢や災害に匹敵する戦力を持つ者も存在し、その活動は政治、経済、治安、異界対策など多方面へ影響を与える。都市住民の大半は直接・間接を問わず、彼らが関わった事件、事故、偉業のいずれかに触れた経験を持つとされる。