怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第16話∶我が王を

 二人が地面を蹴った瞬間、その場から音を置き去りにした。

 

 砕けた石片が宙へ舞い上がり、周囲の建物が震えるとともに、吹き荒れる衝撃波が街路へ新たな傷跡を刻んでいく。

 

 セクタルは理解していた。目の前の少年の肉体が、先ほどまでとは別物へ変貌しつつあることを。硬く、速く、そして靭やかに。さらにそれだけではなく、生存のために必要な変化を自ら選び取るかのような異様さすら感じ取っていた。

 

 激突。

 

 アケムの拳とセクタルの大剣が正面からぶつかり合い、甲高い金属音が周囲へ響き渡る。

 

 かつてグローブ越しに放たれていた拳撃ならば気に留める必要すらなかった。鎧へ届いた衝撃は肌の表面を緩く叩くだけで終わり、その奥へ届くことは無かったからだ。

 

 しかし今は違う、拳が接触した瞬間、鎧の内側へ重い振動が浸透するように伝わり、セクタルの筋肉へ僅かな圧力を残していた。

 

 大剣を振り抜きながらも、セクタルはその変化を見逃さない。

 

 力が増しただけではない。衝撃の伝達効率そのものが洗練されている。筋肉の収縮、骨格の連動、重心移動の精度、その全てが戦闘の最中に最適化され続けていた。

 

 アケムは剣閃を紙一重で躱しながら懐へ潜り込み、連続して拳を放つ。先ほどまでなら回避することだけで精一杯だった距離でありながら、今は攻撃と回避を同時に成立させ始めていた。

 

 そして幾度目かの激突の後、セクタルは大剣を振り抜きながら静かに口を開いた。

 

「相対した当初、お前の実力は四文字の中位か上位といったところだった」

 

 剣圧が街路を削り取り、アケムはその軌道を見切りながら身を沈める。

 

「反応速度は優秀だった。生存能力も異常と言っていい。そして何より、その成長性は三文字に届く可能性を秘めていた」

 

 次の瞬間、セクタルの巨体が迫る。アケムは横薙ぎの一撃を紙一重で躱しながら懐へ潜り込み、その脇腹へ拳を叩き込んだ。

 

 鈍い衝撃が響く、今度は確かに伝わった。僅かではあるが、『鉄騎士』の身体が後方へ流れる。その事実を確認しながら、セクタルは低く息を吐いた。

 

「だが今は違う」

 

 大剣が唸りを上げる。

 

 アケムは回避しながらも、その言葉の続きを待った。セクタルの眼差しは鋭かった。しかしそこには先程までの値踏みするような色は存在しない。

 

「認めよう、認めねばなるまい」

 

 剣を構えたまま、セクタルは真正面からアケムを見据えた。

 

「もはや貴様は俺に屠られるだけの少年ではない」

 

 その言葉とともに、空気が張り詰める。

 

「貴様は一人の戦士だ、俺を殺し得る程の」

 

 そして続く言葉は称賛ではなく、宣告に近かった。

 

「今この場に限り、俺は貴様をトリプルワーズ級戦力として扱う………少年よ名は何という」

 

 問い掛けは静かだった。しかしそれは敵へ向ける確認ではなく、認めた戦士へ向ける礼儀だった。

 

「アケム、僕の名前だよ」

 

「そうか、ではアケムよ、『黒冠』の騎士である『鉄騎士』セクタル・ヴァン・グレイロードのお相手を願おうか!!」

 

 

 その宣言が響いた瞬間、セクタルの何かが変わった訳では無い。元より『鉄騎士』に油断も慢心も無かった。

 

 しかし今この瞬間、セクタルは目の前の少年を弱者でも、正体不明の怪物でもなく、一人の戦士として見据えたのだ。

 

 セクタルが放つ斬撃は依然として必殺だった。大剣が描く軌跡は空間そのものを切り裂くかのような圧力を伴いながらアケムへ襲い掛かるが、少年の身体は既にその速度へ適応し始めていた。肩を沈め、足運びを変化させつつ刃先を外し、そのまま懐へ潜り込むと拳を振るう。

 

 

 だからこそセクタルもまた剣技を変化させていた、豪快な一撃で押し潰すのではなく、呼吸や重心移動を織り交ぜながら刃の軌道を幾重にも重ねていく。その剣は単なる武器ではなく、一つの完成された技術体系としてアケムへ牙を剥いていた。

 

 だが剣がアケムの頬を剣先が掠めれば、その直後には彼の拳がセクタルの胸甲へ叩き込まれ、セクタルが踏み込んで大地を砕けば、アケムは飛び散る瓦礫を利用して死角へ回り込む。

 

 攻防は絶え間なく続き、その余波だけで周囲の街並みが崩壊していく。拳を振るうたびに筋肉は効率化され、重心移動は洗練され、衝撃の伝達は鋭さを増していく。

 

 そして遂に、アケムの拳が『鉄騎士』の防御を僅かに上回り始めた。鎧へ叩き込まれた一撃によって鈍い振動が内部へ浸透し、セクタルの身体が半歩だけ後方へ流れる。

 

 その瞬間を逃さずアケムは追撃を仕掛け、左右から連続して拳撃を叩き込んだ。

 

 セクタルは即座に剣を差し込みながら距離を作るが、アケムはそのさらに内側へ潜り込む。

 

 以前ならばあり得なかった光景だった、確かに今、戦況だけを見ればアケムが押している。それでも『鉄騎士』は倒れない。

 

 長年積み重ねられた強靭な肉体と技術、そして戦士としての耐久力、忍耐、粘り強さがあまりにも高過ぎた。

 

(足りない)

 

 アケムは理解していた、このまま殴り続けても勝ち切れない。

 

 一撃、決定打となる何かが必要だった。身体の奥底で進化を加速させながら、彼は無意識にその可能性を探る。

 

 筋肉をさらに収縮させる方法、骨格を限界以上に連動させる方法、全身の力を一点へ集約する方法。

 

 頭の中では幾つもの可能性が浮かんでは消えていく。だが一番の問題は明白だった。

 

 放つ暇が無い。

 

 今のセクタルは一瞬の停滞すら許さない、隙を見せようものならその瞬間に首を刎ねられる、大技を構築する時間そのものが存在しなかった。

 

 その時だった、不意に二人の視線が同時に背後へ向く。

 

 正確には視線ではない。戦場を生きる者だけが持つ本能が、遠方で発生した異常を捉えていた。

 

 血冠城。

 

 下層区域の一角を支配する異形の城から、凄まじい圧力が放たれている。大気が震え、世界そのものが軋んだような錯覚さえ覚える。

 

 アケムは息を呑んだ。

 

 そしてセクタルは明確に表情を変えた。

 

 初めてだった、戦闘開始から一度も揺らがなかった『鉄騎士』の顔へ焦りが浮かぶ。

 

「……まさか」

 

 低く漏れた声には困惑が混じっていた、アケムにも分かる。あれはバンディアさんだ

 

 あの異常な殺気と狂気は忘れようがない。だが同時に、その相手が誰なのかも理解できた。

 

 『黒冠』グラド・エゼルバイン

 

 血冠城の主。

 

 そしてセクタルが仕える存在。

 

 遠く離れていても伝わってくる、二体の怪物が本気で殺し合いを始めている。だがアケム以上に状況を理解していたのはセクタルだった。

 

 彼の額に汗が滲む、もしも『黒冠』が本気を出したなら。もしも制御を捨てて戦ったなら、血冠城だけでは済まない。

 

 アンダーシェルそのものが戦場になる、何十万もの住民が暮らす下層区域ごと吹き飛びかねない。だからこそセクタルの瞳には、初めて『黒冠』に仕える騎士としてではなく下層の用心棒としての焦燥が宿っていた。

 

 セクタルの脳裏へ最悪の光景がよぎる、血冠城より溢れる血流の津波、逃げ惑う住民達、押し潰される路地。

 

瓦礫の下に埋もれる子供達。

 

そして、それら全てを赤黒い奔流が呑み込んでいく未来。

 

 

 その動揺を、アケムは見逃さなかった。

 

 血冠城から噴き上がる異様な圧力に意識を割かれたことで、セクタルの重心が僅かに後ろへ流れる。少年は迷わない。

 

 大剣が戻る軌道を見切りながら身を沈めるとともに、全身の力を一つへ束ねるように意識を集中させる。筋肉が悲鳴を上げるほど収縮し、骨格が軋みながら連動し、血流に乗って循環する異常な活力が四肢の隅々まで駆け巡った。

 

 それは技と呼べるほど完成されたものではなかった、拳法でも剣術でもなく、ただ生き延びるために進化を続けてきた肉体が、この瞬間に必要だと判断した動作だった。

 

(そういえば柴尾さんは技に名前を付けていたな、よく分からなかったけど)

 

(今なら少しだけ分かる気がする)

 

 踏み込む。

 

 石畳が砕け散る。

 

 アケムの身体が弾丸のように加速しながらセクタルの懐へ潜り込み、その拳が腰の位置で強く引き絞られた。

 

 次の瞬間、全身の連動によって生み出された力が一点へ集約される。

 

収束式(シンギュラリティ) 超克拳撃(ブレイク・スルー)!!』

 

 拳が突き出された。

 

 それはこれまでのような拳打ではない。

 

 筋力だけでも速度だけでもなく、足先から生まれた力が脚を通り、腰を回転させ、背骨を駆け上がり、肩から腕へ流れ込みながら収束し一切の損失なく解放された一撃だった。

 

 拳は胸甲へ命中する。

 

 鈍く重い衝撃音が響いた直後、空気そのものが爆ぜた。

 

 セクタルの瞳が僅かに見開かれる。

 

 鎧を越えて浸透した衝撃は筋肉を揺らし、骨格を震わせ、その巨体を初めて明確に押し動かしていた。

 

「これは――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 直後、蓄積された衝撃が一気に解放される。

 

 まるで巨大な砲弾が発射されたかのようにセクタルの身体が吹き飛び、街路を横断しながら崩壊した建物を次々と貫通していく。石壁が粉砕され、鉄骨が捻じ曲がり、瓦礫の津波が巻き上がるなか、その巨体は止まらない。

 

 数百メートルにも及ぶ破壊の軌跡を描きながら飛翔した末に、遥か後方にそびえる血冠城の外壁へ激突した。

 

 城壁が大きく陥没し、爆発にも似た衝撃が周囲へ広がる、その余波によって城を覆う赤黒い霧が揺らぎ、空気を震わせる怪物達の殺気が一瞬だけ乱れた。

 

 アケムは荒い息を吐きながら拳を下ろした。

 

 腕は痺れ、全身の筋繊維は焼き切れそうな痛みを訴えている。それでも彼の瞳は前だけを見据えていた、確かな手応えがあった。

 

「………早く、バンディアの所に行かないと」

 

 アケムは痺れる腕を無理やり握り締めながら駆け出した。全身は限界に近く、先ほど放った一撃によって急速な進化で補強された筋肉や骨格にまで負荷が蓄積していたが、それでも足は止まらない。

 

 血冠城から放たれる圧力はむしろ先ほどよりも強まっており、大気そのものが震えるような感覚とともに、遠方では赤黒い霧が空へ向かって渦を巻いていた。

 

 瓦礫と化した街路を飛び越えながら進む彼の背後で、不意に重い破砕音が響く。振り返れば、崩れた建造物の山を押し退けながらセクタルが立ち上がっていた。

 

 胸甲の中央には拳大の陥没が刻まれ、その周囲には蜘蛛の巣のような亀裂が広がっている。だがセクタルは追撃に踏み出さない。

 

 血冠城の方角を見据えながら深く息を吐き、その視線を再びアケムへ向けた。

 

「行け」

 

 短い言葉だった。

 

 アケムは思わず眉をひそめる。

 

「止めないの?……貴方は王の騎士じゃないか」

 

「そうだ」

 

 セクタルは迷うことなく頷いた。

 

「俺は王に恩がある。今の俺があるのも、あの方のお陰だ」

 

 その声には揺るぎない敬意が滲んでいた。

 

「なら――」

 

「だが俺が仕えた理由は、それだけではない」

 

 セクタルは遠くの街並みへ目を向ける、家々を、路地を、酒場を、工房を、そしてそこで暮らす無数の人々を思い浮かべるように。

 

「俺が剣を取ったのは、この街の日常を守るためだ」

 

 低く呟かれたその言葉に、アケムはようやく理解した。

 

「……そっか」

 

 少年は静かに頷く。

 

「貴方は『黒冠』に仕えてたんじゃなくて。『黒冠』から皆を守りたかったんだね」

 

 セクタルは答えなかった、否定も肯定もしない。

 

 だが、その沈黙だけで十分だった。

 

 しかし今、その沈黙を貫く猶予は無い血冠城の上空では怪物達の殺気が激突し、空そのものが悲鳴を上げている。

 

「アケム」

 

 倒れかけた身体を大剣で支えながら、彼はアケムを真っ直ぐ見据える。

 

「お前は言ったな。帰りたい場所があると。会いたい人がいると」

 

「うん」

 

「ならば、アケム。もしあの方が王ではなく、災害へ成り果てていたのなら、お前の凡百の願いのために――」

 

 一度だけ言葉を切る。

 

 それは王への裏切りであり、騎士として最も口にしてはならない願いだった。

 

「我が王を……殺してくれ」

 

 風が止まったような錯覚が走る、セクタルは静かに目を閉じた、限界を迎えていた巨体がゆっくりと崩れ落ちる。

 

 アケムはその姿を見つめた後、小さく頷いた。

 

「分かった」

 

 それだけを告げると、踵を返して血冠城へ向かって走り出した。

 

 






プロフィール

『鉄騎士』の能力 
・超人的な身体能力と卓越した戦闘技術

近接戦闘の達人であり鎧や肉体は異常なまでの耐久性を誇る、並大抵の攻撃では傷一つ付けられない。大剣による一撃は建造物を容易く破壊し、その巨体に似合わぬ精密な剣技と戦況分析能力によって格上すら追い詰める。さらに豊富な実戦経験から相手の癖や成長速度を即座に見抜き、戦闘中に最適な対応を選択するため、単純な力だけでなく技量と知略を極限まで磨き上げた歴戦の戦士。
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