怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第17話∶脈の尽きる時

 

 

 赤黒い血流が空を埋め尽くしながら唸りを上げる。その奔流は生物の血液というよりも、一つの災害そのものだった。

 

「消えろオオオオ!! 殺人狂ッ!!」

 

 ルシリアは崩れた城壁を蹴りながら血の槍を回避し、その直後には手首の返しだけで数本の短刃を放つ。投擲された刃は魔術式を展開しつつ血流の制御点を狙って突き進むが、命中した瞬間には呑み込まれるように砕け散った。

 

 その結果を確認しながらも、彼女は既に次の行動へ移っていた。死角へ回り込みつつ誘導と牽制を重ね、相手の視線を揺さぶりながら攪乱を積み上げていく。

 

 そうしてあらゆる殺害技術を織り交ぜながら『黒冠』の隙を探るが、その度に押し返してくるのは理屈を超えた暴力だった。

 

 血の津波が街区を削り取り、城郭を砕きながら押し寄せる、回避は出来る。誘導も出来る。

 

 殺せる形へ持ち込む手段も幾つか思い付いている、それでも足りない。

 

(一撃入れて、冷静さを無くし隙を大きくしたものの、これじゃあ駄目ですね。周りに被害を出し過ぎるの私のポリシーに反しますし……)

 

 ルシリアは空中で身体を捻りつつ降り注ぐ血刃を避け、そのまま外套の内側から銃器を抜き放った。撃ち込まれた弾丸は特殊術式によって加速され、『黒冠』の頭部へ直撃する。

 

 だが血が弾けただけだった。

 

 次の瞬間には失われた部位が再構築され、まるで何事も無かったかのように再生している。

 

 ルシリアは小さく息を吐いた、理解してしまったからだ、技術は上回っている、殺し方も知っている。

 

 経験ですら自分の方が豊富だろう。

 

 しかし目の前の怪物は、それらを踏み潰せるだけの暴力を持っていた。相手の暴力と拮抗する暴力が足りない、致命傷へ辿り着く前に、都市ごと呑み込める質量と出力が立ちはだかる。

 

 血流の奔流を躱しながら、ルシリアは静かに眉を寄せた。

 

 このまま続ければ勝てる。少なくとも殺す方法は幾つも思い付いている。本体の血液操作へ致命的な歪みを与える術式も組み立てられる。

 

 だが、そのどれもが問題を抱えていた。『黒冠』を追い詰めれば追い詰めるほど、この怪物は更なる出力を解放する。

 

 空を埋める赤黒い血流を見上げながら、ルシリアは小さく肩を竦めた。

 

「困りましたねぇ」

 

 呟きとともに血の大槍が振り下ろされるが、彼女は僅かな足捌きだけでその軌道から外れる。

 

 轟音とともに城壁が崩壊し、その衝撃によって周囲へ瓦礫が降り注いだ。

 

「貴方を殺すだけなら簡単なんですよ」

 

 まるで世間話でもするような口調だった。

 

「ですが、最大出力まで引き出してしまうと流石に被害が大き過ぎます」

 

 返答の代わりに血流が唸りを上げる。既にグラドの理性は薄れつつあった。ルシリアによって刻まれた傷が怒りを呼び起こし、その怒りが力を増幅させている。そして遂には自己の能力を際限無く奮う全能感とも言うべき快楽に呑まれてしまっていた。

 

 だからこそ彼女は理解していた。

 

 ここから先は危険だ。

 

 あと一歩踏み込めば『黒冠』は本能のまま暴れ始めるだろう。そしてそうなれば血冠城だけでは済まない。

 

 アンダーシェル全域が戦場になる。

 

 逃げ遅れた人々も、瓦礫の下に隠れた子供達も、運悪くその場にいただけの者達も、全てが巻き込まれる。

 

「私は悪人ですけどね」

 

 ルシリアは降り注ぐ血刃を避けながら苦笑する。

 

「流石に無関係な人を何万人も殺してまで勝ちたいとは思わないんですよ」

 

 その瞬間だった、遠方から何かが接近してくる気配を感じ取る。高速に一直線で迷い無く。ルシリアは血流の隙間を縫いながら視線だけをそちらへ向けた。

 

 崩壊した城壁の向こう側から、一人の少年が駆けて来る。

 

 全身は傷だらけで、服は裂け、血と埃に塗れている。それでも足は止まらず、その瞳だけは真っ直ぐ前を見据えていた。

 

 ルシリアは思わず目を丸くする。

 

「おや」

 

 血の嵐が吹き荒れる戦場の中で、彼女は楽しそうに口元を緩めた。

 

 そしてその言葉とほぼ同時に、『黒冠』の巨大な血流が新たな獲物を見付けたかのように唸りを上げた。

 

「ァァァアアアアア!!」

 

 血冠城を震わせる咆哮が轟く。その瞳がアケムを捉えた瞬間、赤黒い血流が一斉に牙を剥いた。

 

「奪ったな……!」

 

「我が物を……奪ったなァ!?」

 

 アケムは足を止めなかった。

 

『黒冠』が放った血流が生き物のように蠢きながら襲い掛かるが、彼はその全てを受け止めようとはしない。迫り来る軌道を見極めながら瓦礫を蹴り、崩れた外壁を足場にしながら血の嵐を縫うように駆け抜けていく。

 

 しかし濁流の様な攻撃の幾つかは避け切れず身体へ到達した。だがその瞬間、アケムの皮膚は急速に変質する。筋繊維と骨格が圧縮され硬質化した肉体が血刃の直撃を受け止める。

 

 金属を打ち鳴らしたような音とともに血刃が弾け飛ぶ。

 

 さらにアケムの体内へ侵入しようとした異常な血液へ自身の血流を接触させながら、その構造を崩し、活性を失わせていく。

 

 赤黒い血流は彼の身体へ絡み付くたびに勢いを失い、やがて力を失った液体となって地面へ散って言った。

 

 傷付きながらも進む。

 

 削られながらも止まらない。

 

 そうしてアケムは血の暴風雨を突破しながら、視線の先にいる『黒冠』とルシリアの姿を捉えた。

 

「アケム少年!」

 

 血の嵐を縫うように駆け抜けてきた少年の姿を認めるなり、ルシリアはどこか嬉しそうな声を上げた。

 

「約束通りきたよバンディアさん」

 

 アケムは飛来する血刃を身を捻って避けながら答える。直後、頭上から降り注いだ血槍が地面を穿ち、城壁の残骸を吹き飛ばしたが、二人はそれを当然のように回避しながら言葉を交わしていた。

 

「本当に『鉄騎士』に打ち勝って助太刀に現れるとは思いませんでしたよ。それはそうと──」

 

 ルシリアは横合いから迫る血流を躱しつつ、ふとアケムの両手へ視線を向ける。

 

「何?」

 

「グローブの片方を無くしてしまわれたのですか?」

 

「あ、ごめんなさい。腕ごと失くしちゃって」

 

「なる程、そうでしたか」

 

 ルシリアは納得したように頷きながら、足元を這う血流を軽やかに飛び越えた。

 

「なら後で腕と一緒に探しましょうか」

 

「うん」

 

 まるで買い物帰りに落とし物の相談でもしているような会話だった。

 

 だが現実には、二人の周囲では赤黒い血流が狂ったように渦巻き、巨大な城郭が崩壊を続けている。

 

 それでもルシリアは平然としていた。むしろアケムが生きて辿り着いたことを喜んでいるようですらある。

 

「しかし腕ごととは中々豪快ですねぇ」

 

「僕もそう思う」

 

「痛かったでしょう?」

 

「痛かった……というよりビックリした?」

 

「でしょうねぇ。その時の顔、少し見たかったです」

 

 そんなやり取りを交わした直後、二人の頭上を巨大な血の奔流が通過する。轟音とともに空気が震え、周囲の建物がまとめて押し潰された。

 

 しかし二人は同時に跳躍すると、その破壊の余波すら利用するように距離を詰めた。そしてルシリアは前方で蠢く赤黒い巨影を見据えながら、小さく笑みを深める。

 

「さてアケム少年。世間話はここまでにしましょうか」

 

 その瞳には殺人への愉悦の光が宿っていた。

 

「この困った王様を終わらせる方法を、一緒に考えるとしましょうか」

 

 ルシリアは飛来する血刃を紙一重で躱しながらアケムの隣へ並び、そのまま視線だけで『黒冠』の動きを追った。

 

「簡単な話ですよ。私はあの方を殺せます、ですが近付けません。近付こうとすると、この血の嵐が邪魔をするのです」

 

 赤黒い奔流が唸りを上げながら二人へ襲い掛かるが、アケムは拳を振るって進路上の血流だけを撃ち砕いた。衝撃によって霧散した血液が周囲へ散り、その僅かな隙間を縫うようにルシリアが前へ出る。

 

「ですからアケム少年には道を作って頂きます。全部防ぐ必要はありません。私が進むために必要な分だけ落として下さい」

 

「セクタルさんにも頼まれたしね、分かったよ」

 

 そう答えたアケムは地面を蹴るとともに速度を上げた。直後、空から無数の血槍が降り注ぐが、彼はその全てを迎撃しようとはしない。ルシリアへ届く軌道だけを見極めながら拳を叩き込み、蹴りを放ち、時には身体ごと割り込むことで血流を逸らしていく。

 

 その度に肉体は軋み、皮膚が裂け、骨が悲鳴を上げる。それでも彼は止まらなかった。

 

 ルシリアもまたアケムが開いた一瞬の隙を逃さず駆ける。崩壊する城壁を踏み越えながら短刃を投げ放ち、術式を刻み込みつつ徐々に距離を縮めていく。

 

『黒冠』はそれを許すまいと血流の密度をさらに増した。空そのものが赤黒く染まり、巨大な津波のような血液が二人を呑み込もうと迫る。

 

 だがアケムは咆哮にも似た息を吐きながら拳を振り抜き、目の前へ現れた血流を強引に打ち砕く。

 

 爆ぜた血飛沫の向こうで、ルシリアの口元が静かに吊り上がった。

 

「ええ、その調子ですアケム少年」

 

 アケムが命懸けで切り開いた、僅かな光の道を駆け抜ける。その果てに、ルシリア・ノクト・バンディアはついに『黒冠』の目前へと辿り着いていた。

 

「──ァァァァアアアア!!」

 

「来るな」

 

「来るな来るな来るな……!」

 

「余は王だぞォォォォ!!」

 

 血冠城全体を激しく震わせる咆哮。

 

 眼前では、赤黒い血流が未だ荒れ狂っている。しかし、先ほどまでの絶対的な制御は既に失われていた。怒りと激情によって乱れた血液は互いに干渉し合い、本来なら存在し得ない致命的な歪みを生み出している。

 

 その刹那の隙を、ルシリアの鋭い審美眼が見逃すはずもなかった。

 

 一本、二本、三本。

 

 彼女の手から放たれた短刃が、空間を切り裂く。投擲された刃は空中で複雑な幾何学模様の術式を展開しながら、血流の結節点へと正確無比に突き刺さった。

 

 瞬間、『黒冠』の巨躯が大きく揺らぐ。

 

 暴力的な血の奔流が暴れ狂うが、その破壊衝動はもはや以前ほどの脅威ではない。ルシリアは崩落する城壁を軽やかに蹴り、さらに距離を詰めた。

 

「おやおや、随分と無様ですね」

 

 血に塗れた巨体が、憎悪に満ちた瞳で彼女を睨み付ける。その眼差しには怒りも傲慢さも残っている。だが、今の彼は怒りで理性を失い、本能だけで暴れ回る哀れな獣。それが正体だ。

 

「貴方はもっと上手に死ねると思っていましたよ」

 

 ルシリアはゆっくりと歩みを進める。

 

 迫り来る血刃を紙一重で避け、飛来する槍を冷徹に切り落としながら。その足取りは、まるで自ら処刑台へ向かう執行人のような静けさを湛えていた。

 

「私は、悪人という者は嫌いではありません。……貴方もそうです」

 

 短刃を握る指先に、僅かな力が込められる、既に敵の肉体に撃ち込まれていた無数の刃が、共鳴するように怪しい光を放ち始めた。

 

 起動する術式。それは肉体を傷つけるためのものではない。血液操作という、その存在の根幹をなす異能そのものを内側から解体するための術式だ。

 

 何千、何万という命を屠ってきた果てに彼女が編み出した──怪物殺しの技術、その一つ。

 

「ですから」

 

 ルシリアは、酷く静かに微笑んだ。

 

「どうか死に顔を私に見せて下さい」

 

 次の瞬間、すべての術式が完全に駆動した。

 

『黒冠』を構成していた赤黒い血流が、内側から一気に崩壊を始める。巨大な血の津波は形を失い、空を覆い尽くしていた奔流が、まるで激しい雨のように戦場へと降り注いだ。

 

「全力で足掻き──」

 

 

 

「違う!! 違う違う違う違う!! 、余の血だ!! 余の力だ!!」

 

 グラドが吠える。

 

「従え!! 従えと言っているだろうがァァァ!!」

 

 霧散していく力を必死に繋ぎ止めようとするように。王として、怪物として、最期の瞬間まで抗おうとするように。だが、無慈悲な術式は止まらない。血液は次々と壊死し、制御を失って瓦解していく。

 

「ただの肉塊となるその様を」

 

 巨体が崩れた、膝をつき、城壁を砕き、腕が落ち、夥しい血が零れ落ちる。かつて王と呼ばれた絶対的な存在は、見る影もない血まみれの肉塊となって地面に伏した。

 

 ルシリアはその姿をただ見下ろしていた、どこまでも穏やかな表情で。まるで慈愛に満ちた聖母のような優しさすら浮かべながら。

 

「死に貴賤無く、陽も何時か消えゆく、そういうものですから」

 

 静かに告げる。

 グラドの瞳から、急速に光が失われていく。

 

 その最後の瞬間、王は何を思ったのか。誰の姿を思い浮かべたのか。それは誰にも分からない。ただこの世界か彼の脈動が静かに、確実に途絶えた。

 

 世界が、急速に静寂を取り戻していく、降り続いていた血の雨が止み、崩壊しかけていた血冠城から不気味な魔力が抜けていく。

 

 その光景の真ん中で、ルシリアは小さく息を吐いた。胸の奥が、焼けるように熱い。心臓が早鐘を打っている。

 

 全身を満たしているのは、勝利の達成感でもなければ、生き残った安堵でもなかった。もっと純粋で──そして、決定的に歪んだ感情。

 

 死が、今ここに完成した。

 

 一つの生命が、終わりという至上の形へ辿り着いたのだ。その至高の過程を見届け、その儚い瞬間をこの目に焼き付けることができた。

 

「……ふふ」

 

 口元が自然と緩む。抑えようとしても、溢れる感情を止められない。それは圧倒的な悦楽であり、快感だった。

 

 彼女は死を愛している、誰かの美しい終わりを。生命が消え去るその刹那に見せる、最も眩い輝きを。

 

 だからこそ今、ルシリア・ノクト・バンディアは、世界で誰よりも幸福だった。血に濡れた廃城の中心。

 

 かつての王の骸を前にして、彼女はまるで極上の宝物を見つけた少女のように、静かに、そして心から嬉しそうに笑っていた。




プロフィール

『黒冠』グラド・エゼルバイン

下層区域の一角を支配した血冠の王。かつてはアンダーシェルで悪徳医師として暗躍していた男だが、自らが生み出した怨嗟と報復を恐れた末、己の肉体へ禁忌の改造を施した。その結果、自身の血液を無制限に操作する異能を獲得。都市一つを滅ぼしかねない圧倒的出力と血液を媒介とした精神操作によって無数の強者を従えた。『鉄騎士』セクタルは唯一血液の精神操作関係なく主従関係で合ったが互いの心が通じ合うことは無かったとされる。
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