此処は海上都市パークアドラ。
大国家規模の面積、百を超える種族、怪異、神格が入り乱れる
日常の中に異常が入り込むのは、この街では何時ものことであった。
「棺桶?」
波打ち際に打ち上げられた巨大な黒い箱を前に、眉をひそめる。どう見ても木製ではない、金属でもない。未知の無機物を前にユイナ・キサラギは兄に声をかけた。
「ルカ兄、これ絶対ヤバいやつでしょ」
少し後ろで立ち止まっていたルカ・キサラギは、すぐには答えなかった。視線は箱ではなく、周囲に向けられている。
波の流れ、砂の乱れ、痕跡、運ばれてきたものか、置かれたものか。
「ユイナ、下がれ」
「え、なんで」
「いいから」
短く固い一言。軽口を叩きかけていたユイナは、わずかに口を閉じ仕方ないと一歩後ろに下がる。
ルカは相変わらず落ち着いた口調で、目を再び箱に向ける。二人はこの街の一般住民だが、必要最低限の自衛の縮小携帯武器と簡易魔術式の護符くらいは身につけている。そうでなければ、この都市では暮らせない。
「いや、でもルカ兄…………ちょっと待って。なんか音、しない?」
「分かってる」
波音の合間に、機械のような電子音が紛れていた。
ピーピー。
『周辺環境把握──空間異常測定──輸送物の生存に問題無し。開放します』
箱の蓋が滑らかに開き、白い蒸気が溢れた。
そこから現れたのは──
褐色の肌、銀色の長い髪を持つ、白い服と黒のズボンを着た少年。その目は驚きより、混乱より、もっと淡々とした空白を映していた。こちらを観察しているようでもあり、同時に周囲すべてを警戒しているようでもある。
「…………あなた達は?」
「わ、私達?」
ユイナが少年の質問に跳ねるように一歩後ずさる。
「僕を買った人ですか?」
「み、見つけただけ! 見つけただけです! 買ってないから!!」
「それで、お前は何だ?」
ルカの問いに、ユイナが「ちょっと!」と肘でつつくが無視をする。
「…………えっと? 分からない。僕は誰だろう?」
ルカはゆっくりと膝をつき、少年と目線を合わせた。
「なんだ記憶喪失か?」
「それは違うかな。色々覚えてるよ僕は」
「……そうか」
「それに名前もある。アケム。僕はアケム」
「そうか名前は覚えてるのか」
ユイナが少しだけルカの後ろ身を乗り出した。
「えっとアケム……くんは、ここがどこか分かる?」
「分からない」
「……だよね」
ユイナは肩を落とした。
アケムは口を開く。
「いつものようにしてたら、買い手がついたって言われて……気づいたら、あの箱の中だった」
ルカとユイナの顔色が変わる。
人身売買、亜人種や異界人の密輸。
加工品の商品化すらこの都市でよくある話なのだ。
だが目の前の少年は、ただの被害者というには妙に落ち着いていた。動き方に無駄がない、姿勢が綺麗で芯にしっかりと軸がある。
ルカは数秒、沈黙した。たまたま妹のわがままに付き合い海辺まで来たのに面倒事は拾い込みたくは無かった。
「ねえルカ兄、放ってくの?」
「……」
答えない。
ただ、もう一度アケムを見る。敵意はない様に思う見た目は幼い子供だ16のユイナより少し背が低い。
そして──この街で放置すれば、死ぬか、もっと悪いことになる可能性は高い。
「はぁ……来い」
「え?」
「連れて帰る」
「ほんと!?」
「しょうがないだろ、子供を見捨てるほど、俺は人間落ちぶれちゃ居ない。まぁだが面倒事になったら警察に引き渡す良いな?」
「うん、分かったルカ兄」
「??」
ルカが立ち上がり、少年にも来る用に手招いた。
「とりあえず家だ。事情を聞いて。服とかも用意しねぇとな。ここに留まると別の問題が起きるかもしれんしな」
「……いいの?」
「まぁ、ちょっと怖いけど……放っておけないしね」
ユイナが苦笑する、アケムはそれに応える様に少しだけ表情を柔らかくした。その笑みは控え目だが年相応で
彼は──二人への警戒を解いた
「こっちがユイナ、俺がルカだ、ま、よろしくなアケム」
「ありがとうルカ、ユイナ」
その背後で、黒い棺の残響装置が最後に電子音声が静かに鳴る。
『輸送先への到達を確認。
監視工程──継続。売却先への定時連絡──継続』
誰もその声の意味を理解できないまま、三人は人外魔境の雑踏へと歩きだした。
浜辺を離れ、三人は海上都市パークアドラの中心街へと入っていく。
そして目の当たりした浜辺の大通りは、どこか海底のような陰影を街路に落としていた都市そのものを何かが覆っているような。
「ほらアケム、遅れるなよ。人が多いから」
立ち止まったアケムをルカが呼ぶ横でユイナが明るく手を振っている。だが人が多いといっても、その半分は、厳密には人ではない。
肩から触手をぶら下げた男。
皮膚が硝子質になり、中で液体が流れている女性
関節の角度が明らかに人間のそれではない二足歩行の獣
半身が機械でできたサイボーグの子供
軽く浮遊しながら移動する魔術系の異族
背中に羽根のある青年がタバコ片手に自販機を蹴っている
アケムは歩みを止め、思わず見入ってしまう。
「……ここは、何というか、凄いね」
「え? あぁ、なるほどな、そりゃこんなの見るのは初めてか」
ルカは振り返り、少しだけ気の毒そうに説明した。
「元々は海底開発用の巨大移動都市だったが、前の大戦で国家合同管理してたのが元の国が一斉に吹き飛んでからは……ほら、こういう有様なんだよ、まぁ俺も昔の事になると、そこまで詳しい訳じゃないが」
「今日はまだマシな方じゃない? 人が溶けてるとか、異界化した無機物に手足が生えて歩いてるとか無いし」
ユイナは街に入ってから元の調子に戻ったのか何事も無いように言いながら、何処で買ってきたのか揚げ串を買ってかじっていた。
「アケムもいる?」
「いや、ちょっと今は良いかな……お腹空いて無いし」
「そっか、お腹空いたら言ってね〜」
「ま、毎日、毎分、毎秒どれだけ危険でも、住む奴は住むし、死ぬ奴は死ぬ。そんな場所なんだよ、此処は」
「そだね、私たちもう慣れてるけど……アケムは、大丈夫?」
「……うん。いや……」
言葉が途切れた。景色に圧倒されているわけではない。
戦場に似ているのかもしれない。
しかし戦場ではない。なのに息がわずかに詰まる。
人々の呼吸、靴音、未知の魔力、遠くで鳴る金属音、路地裏の獣の唸り、多種多様な種族が放つ臭い──すべてが身体の隅々に至るまでの細胞の沈静化を阻害させる。
何も始まっていないのに、全身が緊張してしまう。アケムは小さく呟いた。
「……怖い、わけじゃない。でも……体が勝手にこわばって……大丈夫だよ、二人がいるしね」
「別に私達が居てもこのパークアドラがおかしいのは普通だよ! むしろ私たちが変なんだって!」
「ああ、俺たちはもうこの都市に慣れてるからな。異常だろうと異界だろうと、だいたい日常の一つってことで無視できる。とは言っても慣れたからって強いわけでも無いけどな……」
「ね、運が悪かったら1秒後に死ぬよね」
そう、ユイナが言い終えると同時──
通りの先で、何かが弾けた。
ガンッ! ガシャァァン!!
金属がひしゃげる音と、悲鳴。そして次の悲鳴が、獣の咆哮にかき消される。
「はぁ平穏だと思ったら……何処からだ?」
「この時間帯でこれって、珍しいね」
ユイナが串を捨て、腰のコンパクトな護符ホルダーに手を伸ばす。アケムは音の方向に一歩踏み出すと、無意識に身構えた。
「何かが……暴れてる?」
そしてようやく三人は大通りにいる何かを捉えた。
そこにいたのは獣のようで人のような鉄の獣人。
路地の壁を爪で叩き割りながら、涎と黒い霧を垂れ流していた。その様子は苦しげで、無理矢理四肢を駆動させられているような歪な印象を受ける。
「ありゃ違法パーツでもドラッグ代わりに着けやがったか?」
「とりあえず逃げようルカ兄」
「そうだな鎮圧されるまで、て、おい近づいて来てねえか? アレ」
「………………」
その光景を、アケムはじっと見ていた。それは恐怖に怯えるだけの無力な少年の目ではない。それは恐れながらも目の前の事柄を如何にして対処するかという思考の元に観察する、一つの生物の目付きだった。
プロフィール
・パークアドラ
海上に築かれた、人類最大規模の超巨大都市。
無数の層状都市区画や超高層建築群によって構成されており、都市そのものが一つの世界に近い。統治体系は公的機関・企業連合・自治機構・神格協定による多重管理によって行われ。地球人類や亜人、異界人、機械生命、怪異、神格存在までが共存しており、暴力・商業・宗教・娯楽・科学・魔術の全てが極端な形で発達している。
「存在出来るものは、だいたい存在する」
とまで言われる混沌都市。