怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
店を後にした二人は、人々で賑わう街路を並んで歩いていた。昼下がりの陽光がガラス張りの高層建築に反射し、その眩しさに目を細めながらも、アケムは絶えず周囲へ視線を巡らせている。その様子を横目で眺めていたルシリアは、不意に何かを思い出したように小さく指を鳴らした。
「そう言えば、アケム少年は壊れた端末を持ち歩いていますよね」
「うん、というか知ってたんだ」
「ええ。相手の服の上から所有物を見極める程度の観察はお手の物ですので」
さらりと言ってのけるその言葉に、アケムは少しだけ呆れたような顔をする。しかしルシリアは気にも留めず、そのまま話を続けた。
「下層では通信網そのものが不安定でしたし、仮に修理してもまた壊れる危険性がありました。ですが中層なら話は別です。設備も技術者も揃っていますし、今なら修復を試みる価値は十分にありますよ」
「直せるかな」
「さあ、それは状態次第ですねぇ。ただ、もし無事に直ったなら──」
ルシリアは楽しげに目を細める。
「案外、修理が終わった直後にルカさんやユイナさんから着信が入るかもしれませんよ?」
その言葉に、アケムの足がほんの僅かに止まった、考えもしなかった可能性だった。
下層へ落下した時に壊れた端末は、彼にとって単なる機械ではない。ルカやユイナとの繋がりを残した数少ない品だった。
「……そうか」
胸の奥が少しだけ熱くなる。
もし二人も自分を探しているのなら。
もし何度も連絡を取ろうとしていたのなら。
そう思うだけで、自然と歩調が速くなった。
「修理できる場所、知ってる?」
「ええ。端末はパークアドラではかなり一般的なアイテムですからね。何処でも直せますよ」
「何処でも?」
「はい、何処でも。修理機械が設置されている場所に料金を投入すればあっさりと。専門店へ持ち込む必要すらありません。
そう言いながらルシリアは通りの先を指差した。
アケムがその方向へ視線を向けると、街路の一角には自動販売機にも似た白い筐体が幾つも並んでいる。飲料や食品の販売機かと思ったが、近付くにつれてその用途が異なることが分かった。破損した端末を差し込み口へ入れた男が数分ほど待った後、修復された機器を受け取って立ち去っていく。
「本当に機械だけで直してるんだ」
「ええ。故障診断から部品交換、内部データの復旧まで自動で行います。流石に完全破壊されていれば難しいでしょうが、アケム少年の端末なら十分見込みはあると思いますよ」
その言葉に、アケムは無意識のうちに服の内側へ手を伸ばした。落下の衝撃で罅割れた端末の感触が指先へ伝わる。アケムはその罅割れた端末を取り出し、白い修復機の投入口へそっと差し込もうとした。
「──―失礼」
不意に、肩へぽんと軽い手のひらが置かれた。
心臓が跳ねる。気づけなかった。一切の警戒網が機能しなかった。近づく足音も、衣擦れの音も、気配の揺らぎすら皆無。まるで最初からそこに立っていたかのような自然さで、一人の青年がアケムたちに親しげな笑みを向け、佇んでいた。
ほんの一瞬前まで、そこには確実に誰もいなかったはずなのに。
「アケムさん、ですよね」
青年は、どこまでも人当たりの良い、爽やかな笑みを浮かべながら問いかけてくる。
「……誰?」
アケムが警戒を孕んだ目で一歩退がると、青年は軽く会釈をしつつ、物腰穏やかに胸元へ手を当てた。
「申し遅れました。破界対策局R.A.I.D.所属、シノミ・ソウジと申します」
その名が青年の口から滑り落ちた瞬間、隣にいたルシリアの碧眼が僅かに細まり、笑みの深みが変わった。
「これはこれは。まさか中層のこんな場所で、かの高名な『影踏師』にお会いすることになるとは思いませんでしたよ」
「光栄ですね。まさか貴女のようなの方に、名前を覚えていただけているとは」
二人は穏やかに言葉を交わしている。にもかかわらず、アケムの肌はピリピリとした不快な悪寒を感知していた。
目の前の青年は笑っている。話し方も柔らかく、敵意は見当たらない。それなのに、存在の根本的な部分が決定的に、人間離れした歪な空白に満ちていた。
「何か用?」
アケムが率直に尋ねると、シノミは困ったように肩を竦めた。
「いえ、用という程のものではありません。とりあえず昨夜件を含め、本人確認を兼ねてお顔を見に来ただけです」
「昨夜の件?」
「血冠城崩壊の件ですよ」
あまりにも自然な口調だった。
まるで天気の話でもするような軽さだったが、アケムの指先は無意識に端末を握り締める。ルシリアはそんな様子を横目で見ながら、小さく首を傾げた。
「それだけのために、わざわざ?」
「それが……まあ本来、私が動く案件ではないのですが同僚に頼まれたのと単純に私の手が空いていましたので」
そう答えたシノミは修復機へ視線を向けると、そこで初めてアケムの持つ端末に気付いたような顔を見せる。
「修理ですか?」
「うん」
「それは今日でなければ駄目でしょうか?」
アケムは首を傾げる。その反応を見ながら、シノミは少しだけ真面目な表情になった。
「現在、この辺りの情報網は妙に騒がしいんです。治安維持局だけではなく報道機関も動いていますし、生態企業の調査部門も動いています。それに私達ですら把握出来ていない連中まで何かを探している気配がある」
そう言いつつ彼は視線だけをルシリアへ向けた。
「お二人とも、少々注目を集め過ぎましたから」
「それは困りましたねぇ」
「本当に困っているようには見えませんが」
「気のせいですよ。私はいつだって、か弱く平穏を愛する旅行者ですから……本当ですよ?」
再び、穏やかな、しかし互いの喉元を狙い合うような笑みが交わされる。だが、その会話の意図を汲み取ったアケムは、修復機へ差し込もうとしていた手を静かに止めていた。
「修理すると何かあるの?」
「端末の修復記録が残ります」
シノミは即答した。
「普段なら誰も気に留めないゴミのようなデータです。しかし今の状況でそれを行えば、網を張っているハイエナどもに、貴方達が『今どこで息をしているのか』を追跡する完璧な糸口を与えることになる可能性がある」
「なるほど。それは確かに面倒ですねぇ」
「でしょう?」
「でしたら今日のところは止めておきましょうか」
あまりにもあっさりと引き下がるルシリアに、アケムは少しだけ寂しそうな、残念そうな顔をした。早く直して、ルカたちに連絡を取りたかった。
しかし彼女は、そんな少年の肩を優しく、諭すようにパタパタと叩く。
「急がば回れ、ですよ、アケム少年。大切な二人へ繋がる細い糸だからこそ、最も慎重に、最も安全に手繰り寄せるべきです」
「うん……分かった」
名残惜しさを胸の奥に押し込み、端末を服の内側へと仕舞い直す。それを見届けたシノミは、心底安心したように目を細めて微笑んだ。
「賢明な判断です。少しだけ息を潜めて待っていてくださいね。アケムさん」
言葉の終わりとともに、シノミは一歩だけ、後ろへ下がった。ただ、それだけだった。アケムの視界から彼の姿が完全に消失していた。走り去った残像も、遮蔽物に隠れた気配もない。
目を離した一瞬の間に、気付けばそこに居なくなっていた。思わず周囲を見回したアケムだったが、人混みの何処にも青髪の姿は見当たらない。
「……居ない」
「ええ」
ルシリアは苦笑しながら頷く。
「だから私はあの方が少し苦手なのですよ」
「敵じゃないんだよね?」
「少なくとも今は味方寄りでしょうね」
そう言いつつ彼女は雑踏の向こうへ視線を向ける。
「ですが『影踏師』がわざわざ警告しに来たということは、他にも私達を探している方々が居るということです。まあ、しかし本音を言えば直しても良かったのですが。わざわざ忠告して貰いましたし、今回は従いましょう」
「じゃあ、これからどうする?」
「そうですね、私達の追跡者にシノミ氏の様な方が他にもいると、アケム少年の体質も関係無く正体を掴まれくる頃合いでしょうし、今は隠れながら事を運んだ方が良さそうです」
ルシリアはそう言いながら、何気ない仕草で周囲を見渡した。その視線は穏やかだったが、実際には通行人一人一人の服装や歩調、視線の向きまで観察しているのだろうとアケムには何となく分かった。
「さっき言ってた、他にも探してる人たちって?」
「さて。報道屋か、アケム少年の身体か、それとも私の首に興味のある方々か。どれも面倒ですねぇ」
肩を竦めるルシリアだったが、その直後にふと足を止めた。
「……おや」
「どうしたの?」
「右前方三十メートルほど。灰色の帽子の男性です」
「……いるね」
「見てはいけません」
「分かった」
「尾行を見つけた時に振り返るのは三流です。相手に『気付かれた』と教えてしまいますので」
二人は速度も変えず、そのまま雑踏の中を進んでいく。周囲では大型広告の映像が空中へ投影され、買い物客たちの笑い声が絶えず響いている。そんな賑わいの中へ紛れ込みながら、ルシリアは何事もないように話を続けた。
「ちなみに今の一人は報道関係者でしょうね」
「分かるの?」
「胸元のカメラと、靴底の減り方です」
何を見ればそんなことが分かるのか理解出来なかったが、ルシリアが断言する以上は本当なのだろう。
その時だった、前方の大型モニターに、再び血冠城崩壊のニュース映像が流れ始める。
『続報です。昨夜発生した大規模災害について、現場周辺で目撃された銀髪の少年の行方は依然不明となっており──』
人々の視線が自然と画面へ向かう。
アケムも思わず足を止めかけたが、その肩をルシリアが軽く押した。
「見ない方が良いですよ」
「でも……」
「自分の顔を探している人間ほど、自分の顔を見てしまうものですから」
アケムは僅かに唇を結んだが、それでも素直に頷いた。自分では気付かなかったものの、ニュース映像へ目を向けた瞬間、確かに足が止まりかけていたからだ。
「……難しいね」
「ええ。追われる側というのは案外忙しいものです」
ルシリアはそう言って笑うと、何気ない調子のまま進路を変えた。大型モニターの前を避けるように、商業施設と商業施設の間を抜ける遊歩道へ足を向ける。その動きは自然そのもので、周囲から見れば目的地へ向かう途中で少し遠回りをした程度にしか映らない。
しかし数十秒ほど歩いたところで、ルシリアは小さく肩を竦めた。
「増えましたねぇ」
「増えた?」
「ええ。左後方に一人。前方のカフェに一人。そして向こうの広告塔の下に一人です」
「そんなに?」
「報道関係者だけなら可愛らしいのですが」
そう言いつつ彼女は視線を向けることなく続ける。
「残念ながら、そうではなさそうです」
アケムは何も言わなかった。しかし胸の奥で、研究所に居た頃から染み付いた感覚がゆっくりと目を覚まし始めていた。
見られている。監視されている敵意とまでは断言出来ないが、値踏みするような視線が雑踏の奥から幾つも伸びてきている。
それは獣が獲物を探す時の気配によく似ていた。
「アケム少年」
「うん」
「もし今から私が走り出したら付いて来られますか?」
「来られるよ」
「良い返事です」
ルシリアは満足そうに微笑みながらも、その碧眼だけは全く笑っていなかった。
「なら少し予定変更ですね。本来なら宿を確保してから情報屋へ向かうつもりでしたが、先に安全な場所へ移動しましょう。私達に興味を持った方々が増え過ぎました」
その時だった。
アケムの耳が、遠くから聞こえてくる会話の一部を拾う。
「──銀髪の少年だ」
「映像と一致率は──」
誰かがそう呟いた瞬間、ルシリアは小さく溜息を吐いた。
「どうやら思ったより時間が残されていなかったようですねぇ」
そして彼女は優雅な笑みを浮かべたまま、まるで散歩の続きを楽しむかのような口調で告げる。
「さあアケム少年。かくれんぼの時間ですよ」
次の瞬間、二人は人波の中へ溶け込むように歩調を速めた。
その背後では、報道機関の記者が端末を構え、企業調査員らしき男が誰かへ通信を送り、さらにその遥か後方では、一般人には決して見えない視線が静かに二人を追い続けていた。
まだ誰も仕掛けてこない。だがそれは、獲物へ飛び掛かる準備を整えているだけだった。
プロフィール
異界
地球上の常識や法則から外れた空間の総称。異星、宇宙空間、異次元、並行世界、神域などを包括する広義の概念であり、「異界」という一語だけで無数の世界を指し示す。環境や時間の流れ、生物体系、物理法則すら地球と異なる場合が多く、未知と危険の象徴として扱われる。パークアドラは特に異界との境界が薄い地域として知られ、定期的に異界との接続現象が発生するため、異界由来の技術や文化、さらには住民そのものが流入し、新たな住人が増えることも珍しくない。