怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
ルシリアが歩調を僅かに早めると、アケムも無言でその隣へ並んだ。二人は急いでいるようには見えない速度を維持しながらも、人の流れが濃い場所を選ぶように抜けて行く。
商業施設から流れ出る買い物客や観光客の集団が絶えず交差し、その隙間へ紛れ込むたびに背後から向けられていた視線の幾つかが途切れていくのを、アケムは肌で感じていた。
「右へ曲がります」
ルシリアが何気なく告げると同時に二人は広場を外れ、飲食店が軒を連ねる細い通路へ入る。焼いた肉の匂いと香辛料の刺激が漂う空間では、店先へ並ぶ客たちの声が反響し、周囲の音を曖昧に溶かしていた。
「減った?」
「半分ほどは、人混みの突破に慣れていない方々が脱落したようですね」
そう語るルシリアの横顔は穏やかだったが、その視線は絶えず動いている。
「残りは?」
「慣れている方々です」
答えながら彼女は通路の奥に見える立体歩道へ目を向けた。
「アケム少年」
「うん」
「これから少しだけ迷路を歩きます。迷子にならないでくださいね」
「ならないよバンディア。僕は慣れるのが早いから」
「その返事、頼もしいですね」
その言葉とともに二人は立体歩道へ上がり、人波の向きを利用するように複雑な経路を辿り始めた。エスカレーターを途中で降り、連絡橋を渡ったかと思えば再び地下へ潜り。その移動は一見すると無計画だったが、アケムには何となく意図が理解出来た。
追跡者へ正確な移動経路を与えないためだ。
実際、背後から感じていた視線は少しずつ減り続けている。
しかし完全には消えなかった。むしろ最後まで残った者達の気配だけが、逆に濃くなっていく。
「まだ居るね」
「ええ、むしろ本命はここからでしょう、報道屋は餌に群がる鳥です。ですが狩人は獲物が疲れるまで待ちます」
その時だった。
アケムの耳が遠方の異音を捉える。雑踏の喧騒に紛れるほど小さい音だったが、それは確かに聞き覚えのある機械音だった。
「ドローンだ」
「よく聞き取れましたね流石です、三機。建物の影に隠しながら追ってきてるようですね」
アケムは反射的に空を見上げそうになったが、寸前で堪えた。
「見ない方がいい?」
「その通り、百点をあげましょう」
褒められながらもアケムは嬉しくなかった。囲まれ逃げ場を探られ観察されている。胸の奥で細胞がざわつき何かが引っかかる様な不快さ彼の中で湧いている
「……何か嫌だな、この状況」
ぽつりと零れた本音に、ルシリアは少しだけ表情を柔らかくした。
「当然ですよ、誰だって追われるのは嫌です」
「バンディアさんも?」
「私ですか? 私は……楽しいというのが本音でしょうかこれくらいは遊びの範疇ですよ」
「遊びか……慣れてるんだね」
「はい、まあこれくらいは」
そのまま二人は大型モールのガラス張りの通路を渡りつつ別棟へ移動し、さらに人通りの多い広場へ出る。吹き抜け構造の空間には噴水や立体広告が設置されており、休日を楽しむ家族連れや買い物客が絶えず行き交っていたが、ルシリアは周囲へ注意を払いながらも足取りを緩めなかった。
「さて、そろそろ逃げるだけでなく現状を打開する為に行動をしましょうか」
「打開?」
「知り合いに会いに行きます」
「そう……どんな人なの?」
「有名人ですかね。少なくとも私よりは良い意味で」
「それ全然参考にならないと思うけど」
「おやおや、辛辣ですね」
ルシリアはくすくすと笑いながら歩き続ける。
街並みは徐々に変化していた。観光客向けの店舗や娯楽施設が減る一方で、高級ブランド店や大企業の支社ビルが目立ち始める。歩道は広く整備され、街路樹の配置にすら計算された美しさが感じられた。
頭上では追跡してるものとは別の警備用ドローンが規則正しい軌道を描きながら巡回しており、周辺にいる人々も先程までの商業区とはどこか雰囲気が異なる。派手さよりも品格を重視した服装。
騒がしさよりも落ち着きを好む会話。アケムにはよく分からなかったが、確かに場所の空気が変わっていた。
「此処は高級ホテルや企業迎賓館が集まる区画です。治安も設備も一級品ですよ」
「住む人も違うんだ」
「ええ。お金持ちも居ますし、大企業の重役や著名人も利用します。表向きは非常に平和な場所ですね」
「表向き?」
「裏側まで平和な場所など、この街には余り存在しませんので」
そう言いながらルシリアは遠方を指差した。視線の先には巨大なホテルがそびえていた。
白を基調とした外壁は陽光を受けて輝き、上層部分には浮遊庭園まで設置されている。周囲の建築物も十分巨大だったが、その建物だけは一段格が違うように見えた。
「此処です」
「大きいね」
「そうですね、中層でも五本の指に入る高級ホテルですよ」
二人が近付くにつれ、ホテル前で待機している案内係や警備員の姿も見えてくる。だが不思議なことに、彼らはルシリアを見るなり微かに表情を強張らせた。
それは恐怖というほど露骨ではない。しかし明らかに見覚えがある反応だった。
「……知り合い?」
「ええ」
「嫌な知り合いじゃない?」
「失礼ですねぇ。私は非常に礼儀正しい常連ですよ」
「常連なんだ」
「過去に三回ほど殺人事件へと巻き込んだだけですよ」
「それ常連じゃなくて要注意人物じゃないかな?」
「しかし、許可は貰いましたし私も高ぶりを抑えきれなかったので……」
そんな会話をしながら、そのまま正面入口へ向かおうとした時だった。
ホテル上層部の巨大なガラス窓の一つがゆっくり開き、誰かがこちらを見下ろしている気配が生じる。
距離は数百メートル以上離れている。
普通なら顔どころか人影すら判別出来ないはずだった。しかしアケムの感覚は、その人物が自分達を正確に認識していると告げていた。
「見られてる」
「でしょうね、私の知る限り、最も善良で、最も面倒見が良く、そして最も働き過ぎなホテル支配人ですから」
「普通の人?」
「クワトロワーズのお一人ですよ」
「……そんな人がホテルの支配人やってるの?」
「はい、『商売大公』と同格とまでは行きませんが。戦闘力無しでクワトロワーズに至った稀有な例の一人です」
そう言いながらホテルの入り口を潜る、すると其処は既に外から見えていたロビーではなかったロビーへ入った感覚は確かにあった。
しかし回転扉を潜った直後、アケムは思わず足を止める。
磨き上げられた大理石の床も、吹き抜けの天井も、受付の姿も存在しなかった。代わりに広がっていたのは静かな執務室だった。
大きな窓から午後の光が差し込み、壁際には本棚と観葉植物が整然と並んでいる。高級感はあるが過度な装飾は無く、どこか落ち着きを重視した空間だった。
「……移動した?」
「そうですね、このホテルは彼女の城の様なものですので」
「凄いな……」
「アハハ、中々可愛い子を連れてきたじゃないルシリア」
「でしょう? 久々の良き出会いですよアケム少年は」
そこにいたのは長い黒髪を後ろで纏めた女性だった。年齢は三十代にも四十代にも見えるが、不思議とそのどちらとも断言出来ない。柔らかな微笑みを浮かべているにもかかわらず、部屋全体が彼女を中心として整えられているような感覚があった。
威圧感ではない。ただ、この空間の全てが自然と彼女の管理下へ収まっているような奇妙な安心感だった。
「初めまして、アケム君。私はシェリア・ディ・ラナ。このホテルの支配人をしているわ」
「初めまして」
「礼儀正しいのね」
「そうかな? 分かん無いや」
その時、眼を逸らすようにしたアケムの視線が窓の外へ向く。先程まで見えていたホテルの景色が広がっている。しかし距離感がおかしかった。高層階にいるはずなのに、街全体がまるで手を伸ばせば届きそうな近さで存在している。
しばらく眺めていると、シェリアが楽しそうに口を開いた。
「気付いた?」
「何か変だと思って」
「変で正解よ。この部屋はホテルの中にあるけれど、正確にはホテルの中だけには存在していないの」
「……?」
意味が分からず首を傾げるアケムへ、ルシリアが補足するように笑う。
「彼女のホテル設備の一つです。簡単に言えば、この部屋は何処にでもあり、何処にも無いんですよ」
「あらあら、随分簡単に説明しちゃうのね」
シェリアは小さく笑いながら立ち上がると、そのまま窓際へ歩み寄った。そして街並みを見下ろしながら穏やかな声音で続ける。
「まあ、詳しいホテルの説明は後にしましょう。それより先に片付けるべき問題があるわ」
「ホテルの周辺にいる人達のこと?」
「そう。報道関係者が二十一名、民間調査員が七名、それから身元を隠している方が三名」
「もう、そんなに細かくわかってるんだ……」
「私の土地、私のホテルですもの、『高楼淑女』のね」
シェリアが肩を竦めながら微笑むと、ルシリアは楽しそうに口元を緩めた。
「まあ私の方が文字が少ないですけどね」
「アナタみたいに物騒な力は持って無いから当然でしょ?」
「それはそうですね……さて匿って貰いながら一つ、二つ頼み事が有りまして」
「代金はある?」
「勿論、この件が終わればアケム少年の情報を『報道伯』に売って構いませんよ」
「あら、それは……悪くないわね」
「それって大丈夫なの?」
「遅かれ早かれですから、私のせいですが最早アケム少年は有名人一歩手前ですので」
「ええ、今の中層は貴方達の話題で持ちきりよ」
「そうなの?」
「鉄騎士と戦い、黒冠の城から生還している時点で十分有名人ね」
「別に目立ちたかった訳じゃないんだけどね、僕はバンディアさんは知らないけど」
「まあ彼女はそういう人だから」
「そういうとは?」
「内緒よ、それより頼みごとを教えて頂戴」
「仕方有りませんね、頼みごとは二つです。一つはアケム少年の探し人を見つけて頂くこと、もう一つは私達を追っている方々の情報ですね」
「後者は知ってどうするの?」
「私の首を狙っている方々は良いのですよ。私の嗜好が原因ですし、そういう関係性も嫌いではありませんので。ですが、アケム少年の身体を狙っている方々は話が別です」
ルシリアの口元へ穏やかな笑みが浮かぶ。
「『殺人狂』としては格好の獲物になりますので」
「基準を満たせば殺すってことね」
「はい。まあ、それ以外なら脅しで済ませますよ」
「そこは疑っていないわ。狂っているけれど、冷静なのがアナタでしょう?」
「光栄ですね」
シェリアは小さく息を吐きながら端末の画面を撫でる。すると机上へ幾つもの光窓が展開され、文字列や映像が次々と浮かび上がった。
「探し人の方は少し時間が必要ね。けれど追跡者に関しては既にある程度把握しているわ」
「流石ですね」
「私のホテル周辺で騒がれるのは困るもの」
光窓の一つへ視線を向けながら、シェリアの表情が僅かに引き締まる。
「報道関係者二十一名は問題ないわ。大半は好奇心で動いているだけ。でも民間調査員の七名は少し質が違う」
「どんな方々です?」
「依頼を受けて動いている人達よ。それも複数の依頼主から」
「僕を探してる?」
「それも有るし、ルシリアの首狙ってる奴らも居るわ……とは言ってもアケム君の命や身体の心配は薄い」
「つまり残る後三人が」
「そう、アケム君の身体を狙ってる組織からよ。実験材料や身元不明なのを良いことに利用しようとしてる奴らね」
「捕まればモルモットか奴隷ですかね」
「恐らくはね」
「……そっか、そう言う奴らもいるんだ」
「あら、そんなに驚いて無いのね」
「まあパークアドラは何でも受け入れる場所って聞いたから。そう言う人達もいるよなって」
「そうね」
シェリアは穏やかに頷きながらも、その瞳だけは僅かに細められていた。
「受け入れるということは、善人も悪人も集まるということ。理想家もいれば犯罪者もいるし、英雄もいれば怪物もいるわ。だからこそ、この街は発展したのだけれど」
「さて、では……組織についての情報を貰っても構いませんか? ちょっとご挨拶に行きますので」
「はいはい、それで探し人の方は誰を探してるのかしら?」
「中層にルカ・キサラギとユイナ・キサラギという人物を」
「うん、探してるんだ」
「どう言う方々?」
「何だろう、普通の兄妹?」
「普通、ね。確かにこの街では珍しい評価かもしれないわ」
「そうかな。ルカは面倒見が良いし、ユイナはよく喋るし。変なところもあるけど、ちゃんとご飯食べて、喋って、お金が欲しくて……何というか普通って言葉が似合うと思ったんだ」
その言葉を聞きながら、シェリアは静かに端末へ指を滑らせる。
「なるほどね。貴方にとっては、強いとか有名とかじゃなくて、一緒に暮らした人達なのね」
「うん」
短い返事だったが迷いは無かった。
ルシリアはその様子を眺めながら楽しそうに目を細める。
「だから私は面白いと言っているのですよ。アケム少年は怪物や英雄に囲まれても、最後に探すのがそういう人達ですから」
「良いことじゃない」
「ええ、とても」
シェリアは柔らかく頷いたあと、空中へ浮かぶ光窓の一つを開いた。そこには幾つもの情報が流れていたが、やがて彼女の視線が一箇所で止まる。
「あら」
「どうかした?」
「いえ……少し予想外だっただけ」
シェリアは表示された情報を数秒見つめたまま黙る、その沈黙だけでアケムの胸が嫌な音を立てた。
「見つかった?」
「ええ、居場所の痕跡は見つかったわ」
僅かに表情が変わる、そう言いながらシェリアは表示された情報を読み進める。
「ルカ・キサラギとユイナ・キサラギ、二人とも中層での生活記録は確認出来るわ。でも数日前から足取りが途切れている」
部屋の空気が僅かに静まる、アケムは無意識に拳を握った。
「危ないの?」
「断定は出来ないわ。ただ、自分から姿を隠したようにも見えるし、誰かに隠されたようにも見える」
シェリアはそこで言葉を切り、ゆっくりとアケムへ視線を向けた。
「でも安心なさい。少なくとも死亡記録も、事件被害者としての情報も出ていないわ」
その一言に、アケムの肩から少しだけ力が抜けた。だがその瞬間を狙ったかのように一つの連絡がシェリアに届き、部屋に表示された。
『アケム君へ 非常に身勝手ながら君に街に住まうための最後の試練を用意した ルカ・キサラギとユイナ・キサラギの身の安全は試練の対価として保証する 観象連盟より』
「観象連盟……つまりルカとユイナを隠したのは喜泣公?」
「恐らくそうでしょうね、いや。ですが連絡の仕方が妙ですね。前回の置き手紙は見ましたよね?」
「見たけど」
「あれは喜泣公バンサルとしっかり書いていたでしょう、彼は単独で動く時はしっかりそう明記します」
「つまり、今回は前言ってた喜泣公以外の観象連盟の誰かからの……」
「挑戦状でしょうね、いや喜泣公も含まれているかも知れませんが単独では無いでしょう」
「嫌な予感しかしないわね」
シェリアが苦笑すると、ルシリアも珍しく同意するように頷いた。
「ええ。何せ『喜泣公』だけでも十分に厄介なのですよ。それが連盟名義となると、『星見』や『狂賢』のような方々まで関与している可能性がありますので」
アケムは表示された文章を見つめながら、小さく息を吐いた。
「試練って、何をさせるつもりなんだろう」
「分かりません。ですが一つだけ確かなことがあります、アケム少年が断るという選択肢を、向こうは最初から考慮していないということです」
「そうだね、だってルカとユイナが人質なんだから」
そして、その発言と共に、また一つ連絡届く空中へ投影された画面が切り替わり、一つの座標情報と共に短い文章が表示された。
『明日正午。アケムのみ参加可。案内人は不要。全身全霊をもって挑むべし』
プロフィール
・シェリア・ディ・ラナ
中層屈指の高級ホテルを統べる支配人にして、『高楼淑女』の異名を持つクワトロワーズの一人。戦闘能力を持たずして二つ名を付けられた稀有な一例であり、その管理能力と情報収集能力は街でも最高峰。彼女の支配するホテルは単なる宿泊施設ではなく、一つの独立した領域として機能している。温厚で面倒見が良く、多くの人々から信頼を集める一方、街の裏事情にも精通する実力者である。