怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第22話∶前方に敵影確認

 

 

 パークアドラ中層区域(ミドルベルト) 中規模事件現場

 

 

「フグぅ、一仕事終わライオン」

 

「手伝いましょうか? 獣噛さん」

 

「ムササビっ!! その声は我が友シノミではないトラ!?」

 

「はい、シノミ・ソウジです。接触してきましたよ。これで周囲の余計な介入は抑えながら。ルカさんとユイナさんの保護にも動いてくれるはずです」

 

「ニャフ、それは助かメレオン。それより少年はどうダッグ?」

 

「ええ。かなり成長しています。少なくとも隣に立つ『殺人狂』と並んでも読み取れる気配が遜色ない程度には……もちろん、人の姿のままで、ですが」

 

「よバッタワン。それなら青年と少女さえ無事なら、一先ず目的は達成ネコ」

 

「後はアケム君自身が観象連盟の試練を越えられるか、ですね。下手にR.A.I.D.が介入すれば、被害が広がる可能性もありますし」

 

「ワフ……シノミはどうなると思ウリボウ?」

 

「……さあ、正直分かりません」

 

 シノミは小さく肩を竦める。

 

「ですが、彼が善き側へ歩もうとしているのなら──無事であってほしいとは思っていますよ」

 

「……そうカイ」

 

「もっとも、観象連盟が相手です。無事に帰って来られるだけでも、十分な成果かもしれませんね」

 

 

 

 翌日。

 

 静かな執務室へ柔らかな朝の光が差し込み、窓の向こうでは中層区域の街並みがゆっくりと目覚め始めていた。アケムは窓辺に立ったまま大きく息を吸い込み、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに満たしながら、静かに広がる景色を見つめ続ける。

 

「眠れましたか?」

 

 背後から掛けられた穏やかな声に振り返ると、ルシリアがいつもと変わらぬ柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

 

「うん、少しだけだけど」

 

「それだけ眠れれば十分ですよ。今日の試練は、寝不足で挑んで良いような代物ではありませんから」

 

 そう語りながら彼女はゆっくり歩み寄り、アケムの肩へ穏やかな視線を向ける。

 

「緊張していますか?」

 

「……少し」

 

「正常です。それで良いのですよ」

 

 優しく返される言葉に、アケムは照れ隠しのように頭を掻きながら苦笑した。

 

「バンディアさんなら緊張しないのかと思ってた」

 

「しますよ」

 

「そっか、バンディアさんもするんだ」

 

「未知そのものは嫌いではありませんが、命を落とす可能性がある場所へ向かう時は、流石に私も気を引き締めます。もっとも、私は常日頃から、今日死んでも不思議ではないと考えながら生きていますけれどね」

 

「ちょっと意外かも」

 

 そんなやり取りが交わされる中、部屋の扉が静かに開き、湯気の立つ紅茶を片手にシェリアが姿を見せた。

 

「二人とも、おはよう」

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

「朝食は済ませたわね? 出口の準備は既に終わっているわ」

 

 シェリアは紅茶を机へ置きながら端末へ軽く触れると、幾つもの光窓が空中へ展開され、それぞれに監視映像や周辺情報が映し出されていく。

 

「周辺監視も問題なし。報道関係者は正面玄関に張り付いているけれど、貴方達がそこを使うことはないものね」

 

「流石です」

 

「これも商売だから、手は抜かないわよ」

 

 肩を軽く竦めた彼女は、そのまま真っ直ぐアケムへ向き直り、優しい眼差しを向けた。

 

「怖い?」

 

 問い掛けられたアケムは少しだけ視線を落とし、胸の奥にある本音を隠さず言葉にする。

 

「……怖いよ。ルカとユイナに、もう二度と会えなくなるかもしれないって思うと」

 

 その返事を聞いたシェリアは小さく頷きながら穏やかに微笑み、どこか母親のような柔らかさを滲ませる。

 

「そう答えられるなら大丈夫。ちゃんと帰りたい場所がある人は、その場所へ戻ろうと最後まで足掻けるものだから」

 

 少しだけ間を置いてから、彼女は窓の向こうへ視線を向ける。

 

「このホテルは宿泊客を無事に迎え入れて、気持ち良く送り出す場所なの。だから貴方も例外じゃないわ。帰ってきた時は、また笑顔で迎えるから」

 

「……ありがとう、ラナさん」

 

 アケムが素直に礼を告げると、シェリアは満足そうに頷きながら一歩だけ身を引き、その隣でルシリアも静かに口を開いた。

 

「さて、アケム少年」

 

「うん」

 

「恐らくですが、この件が終われば、私達はしばらく別々の道を歩むことになります」

 

 少し意外そうに目を瞬かせるアケムへ、ルシリアは穏やかな笑みを崩さないまま続ける。

 

「私にも片付けるべき仕事がありますし、アケム少年も帰りたい場所へ戻れば、新しい日常を歩き始めるでしょう」

 

「また会える?」

 

「勿論ですよ。この街は広いようで案外狭いものですし、私は面白い方との縁を、自分から手放す趣味はありません」

 

 その答えを聞いたアケムは少しだけ安心したように笑ったあと、ゆっくりとルシリアを見つめ返す。

 

「……ねえ、バンディアさん」

 

「何でしょう?」

 

「下層区域でバンディアさんに会えて良かったとは、今でも思えないよ」

 

「それは少々傷付きますね」

 

「でも」

 

 アケムは一度言葉を切り、静かに息を吐いてから真っ直ぐ彼女を見据えた。

 

「もし僕が、本当に碌でもない存在になった時は……その時はバンディアさんに殺されても良いって思ってる」

 

 穏やかな空気が、その一言だけで静かに張り詰める。

 

 ルシリアは驚いた様子を見せることもなく、ただ青い瞳を細めながらアケムを見つめ返していた。その眼差しには喜びも悲しみもなく、目の前の少年がどれほど真剣な思いでその言葉を口にしたのかを確かめるような静けさだけが宿っている。

 

 やがて彼女は小さく微笑み、どこか困ったように肩を竦めた。

 

「それは、大変。魅力的なお誘いですね」

 

「うん、僕が思ったことをバンディアに伝えるならこうかなって」

 

「……望外の喜びなのですが、一つだけ約束してください」

 

「何を?」

 

「アケム少年、アナタは最後まで、人で在ろうと足掻いて下さい。そしてこの約束を破り道を外れた時、私はアケム、貴方を殺します」

 

「……うん」

 

 その言葉を聞いたアケムは静かに頷き、小さく息を吐いた。

 

 ルシリアもまた満足そうに微笑み返すと、窓から差し込む朝の光へ視線を向けながら、穏やかな口調で続けた。

 

「それでは、また会う日まで」

 

「またね、バンディアさん」

 

 アケムはシェリアとルシリアへ最後に一礼を交わすと、静かにホテルを後にした。支配人だけが扱える裏口から街へ出たため、昨日ホテルの周囲にいた報道関係者の姿はどこにも見当たらず、朝の街並みは拍子抜けするほど穏やかな空気に包まれている。

 

 それでも胸の奥には妙な静けさが広がり、これから始まる試練を思い浮かべるたび、鼓動だけが少しずつ速さを増していた。

 

 頭へ叩き込んだ地図と座標を確かめながら中層区域を歩き続ける。休日らしい賑わいは変わらず続き、露店からは焼き立ての料理や甘い菓子の香りが漂い、頭上では警備用ドローンが規則正しく巡回していたが、昨日までなら興味深く眺めていた景色はどれも心へ入り込んで来ない。

 

 ただ歩みを進めるたび、自分だけがこの街の日常から少しずつ遠ざかり、見えない境界線を越えていくような感覚だけが胸の内側で静かに膨らんでいった。

 

 やがて人通りの少ない広場へ辿り着き、頭の中の地図と現在地が完全に重なる。周囲を見渡しても誰かが待っている様子はなく、広場を囲む建物も人々も普段と何一つ変わらない。

 

 

 しかし呼吸を整えながらもう一度正面へ視線を戻した時、空間は前触れもなく変化した。

 

 そこに広がっていたのは中層でも下層でも見たことのない世界。ホテルも広場も高層建築も消え失せ、見渡す限り荒涼とした大地だけが静かに広がっている。

 

「これは……異界?」

 

 乾いた大地が果てしなく続き、その先では紫色を帯びた岩山が幾重にも連なっている。空には雲一つ存在しないにもかかわらず、青とも黒とも判別出来ない色彩がゆっくりと揺らぎ、まるで巨大な水面を見上げているような違和感を覚えた。

 

 振り返っても、そこにパークアドラの街並みは存在しなかった。吹き抜ける風には草木の匂いではなく、乾いた鉱石と鉄を擦り合わせたような金属臭が混じっており、その風が頬を撫でるたび、身体の奥に眠る細胞が僅かに震えた。

 

 その感覚は恐怖とは少し違っていた。警戒と好奇心、そして説明の付かない懐かしさが入り混じり、自分でも理解出来ない感情が胸の奥で静かに渦を巻いている。アケムは無意識のうちに拳を握り締めながら周囲へ意識を巡らせる。

 

「やあ、Code73。いや、今はアケムと呼んだ方が良いかな」

 

 声へ視線を向けると、乾いた大地の向こうに一人の女性が静かに立っていた。

 

 年齢は二十代後半から三十代ほどだろうか。肩口で切り揃えられた灰色がかった黒髪は乱れ一つなく整えられ、装飾らしい装飾は何一つ身に着けていない。

 

 灰を基調とした簡素な外套に細身の黒衣という実用一辺倒の装いは、研究者とも医師とも判別が付かず、その姿からは己を飾ろうとする意思すら感じられない。

 

「……誰?」

 

「私かい? 私はアンル・ディオン。あの都市では『狂賢』なんて呼ばれているよ」

 

 その名を聞いたアケムは表情を変えることなく相手を見据えたまま、小さく息を吐いた。

 

「観象連盟のダブルワーズの一人……」

 

「そうだね、まぁだからと行って私や『星見』が。アイツラより上の立場かというと違うんだが」

 

 アンルは肩を竦めながら淡々と答えると、アケムは彼女を睨みながら言葉を発する。

 

「……それで、本題は?」

 

「なるほど、雑談は嫌いかい?」

 

 僅かに口元を緩めたアンルは、その笑みとは裏腹に冷め切った声で続けた。

 

「もしそうなら気が合うな。私も無駄話は好きじゃないんだ。喜泣公の生命賛歌なんて、聞いているだけで空虚の極みだからね」

 

「失礼だなぁ」

 

 穏やかな声とともにアンルの背後の空間が揺らぎ、一つの影が歩み出てくる。

 

「来たか、バンサル」

 

「待たせてしまったかな」

 

「ああ、待った挨拶だけ済ませて早く本題に行こう」

 

「もちろんさ」

 

 影は柔らかな笑みを浮かべながらアケムへ向き直り軽く一礼した。

 

「私はバンサル。喜泣公バンサルだ。覚えていてくれたかな?」

 

「うん。久しぶり……なのかな」

 

「そうだね。直接会ったのは街へ来た初日に会って以来だからね」

 

 穏やかなやり取りとは裏腹に、アケムは二人の間合いも立ち位置も崩さず、その僅かな視線の動きまで観察していた。

 

「……それで、二人を倒せば試練は終わるの?」

 

 問い掛けると、バンサルは苦笑しながら首を横へ振る。

 

「それでも試練にはなるだろうけれど、今日は違うよ」

 

「実は、もう一人いる」

 

 アンルが短く告げると、バンサルも頷きながら空を見上げた。

 

「この異界を用意した『盤楽王』マナリという人物がいるんだ。ただ本人は姿を見せる気がないらしくてね。あまり長く喋っているとアンルに睨まれてしまうから、本題へ入ることにしよう」

 

 実体を捉えられない影が、こちらを見据えている。

 

 瞳など見えるはずもない。それでもアケムは、「見られている」と確信していた。

 

 そして、その影は静かに口を開く。 

 

「アケムくん、実験に協力してくれ給えよ」

 

 アケムは二人の表情を順番に見つめ返しながら僅かに首を傾げ、その言葉の意味を確かめるように静かな声で問い掛けた。

 

「……実験って、それが試練なの?」

 

「そう理解して貰って構わないよ」

 

 バンサルは柔らかな笑みを崩さないまま頷くと、どこか楽しげな声音で続ける。

 

「もっとも、私達は君を傷付けたい訳でも壊したい訳でもない。ただ確かめたいだけなんだ。君という存在が、どこまで人であり、どこから怪物なのか。その境界をね」

 

「随分と回りくどい言い方をするね」

 

 アンルが淡々と口を挟み、退屈そうな視線をアケムへ向ける。

 

「要するにCode73、お前の今の限界を測る。それだけの話だ。肉体も精神も思考も、その全てを観察しながらな」

 

「……僕を観察するためだけに、こんな場所まで連れて来たの?」

 

「その認識は半分だけ正しい」

 

 バンサルは穏やかに首を横へ振りながら空を見上げると、揺らぐ空の色彩を眺めつつ静かに言葉を重ねる。

 

「君は既に、多くの偶然を積み重ねてここまで辿り着いた。ルシリアに見出され、鉄騎士と拳を交え、それを打ち倒し。そして黒冠と出会い、生き延びた。そして私は、もう少し時間を掛けて君を観察するつもりだったんだが……まぁ我慢出来なくなったのさ」

 

「だから観象連盟が動いたと?」

 

「そうだ。喜泣公だけに、新たな人類種を弄る権利を与え続けるのが癪だったからな」

 

「身勝手だな……もし、断ったら?」

 

 問いに答えたのはバンサルだった。

 

「断る自由はあるさ。ただし、その選択をした時点で、君はルカ・キサラギとユイナ・キサラギの元へ辿り着けなくなる。それでも構わないというなら、私は止めない」

 

「そっか……うん、アンル、バンサル」

 

「何かなアケムくん?」

「どうしたCode73」

 

「お前達は敵か」

 

 アンルは黙ったまま目を細め、バンサルだけが静かに笑った。

 

「あぁ、そうだ我々は敵、君の日常を身勝手にも奪い取り蹂躙し、そして君に試練を与える好奇心の怪物だとも」

 





『影踏師』シノミ・ソウジ
R.A.I.D.に所属する現場工作員にして、卓越した潜入・追跡能力を誇るトリプルワーズ。自身の存在感や気配を極限まで希薄化し、影へ溶け込むような隠密行動を得意とする。冷静沈着かつ温厚な性格で、任務中も常に状況全体を俯瞰し、不要な衝突を避けながら目的達成を優先する現実主義者。R.A.I.D.内部でも高い信頼を集める調整役であり、表舞台よりも裏方として組織を支える存在である。

獣噛柴尾とは数年の付き合いであり動物語を完璧に理解している。また甘党で、任務帰りは必ず和菓子を買う姿を目撃されている。
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