怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第23話∶賢しらな敵

 アケムが僅かに腰を落とした瞬間だった。バンサルは楽し

げな笑みを崩さないまま、その片手をそっと天へ掲げる。

 

 刹那、虚空へ幾重もの魔術式が狂い咲くように展開された。光線、火炎、氷刃──属性すら統一されない魔術が四方八方から襲い掛かる。

 

 雷撃と風刃が逃げ道を潰し、衝撃波が回避先を叩く、アケムは捻り、跳び、屈み、時には拳で逸らしながら致命傷だけを避け続けた。

 

 だが、それでも肉体の摩耗は防ぎきれない。避け切れなかった火炎が肩の皮膚を焼き、不可視の風刃が頬を深く裂く。圧縮された衝撃が腹部を打ち抜くたびにアケムの呼吸は乱れ、身体の各所からドクドクと熱い血と痛みが噴き上がっていった。

 

「素晴らしいね。すべてを完璧に避けようとしない判断は正しいよ」

 

 魔術の密度はさらに跳ね上がる。バンサルが神代の魔術と科学兵装を違和感なく融合させて放つ光弾は、まるで意思を持つかのように途中で軌道を大きく変化させ、アケムが先読みして回避した先へと自然に回り込んでくる。

 

 一方でアンルの魔術は、術式を展開した痕跡すら感じさせないほど無機質だった。空間そのものから突如として発生し、アケムの死角や着地地点を寸分の狂いもなく正確に撃ち抜いていく。

 

(……速い)

 

「違うな、お前が追い付けていないだけだ」

 

 アンルが淡々と告げると同時に、足元の岩盤から無数の鋭利な杭が突き上がった。アケムは咄嗟に地を蹴って跳躍し、その直撃を免れる。しかし、その滞空を待っていたかのように、バンサルの放った雷槍が空中で派手に炸裂した。

 

 全身を激しく痺れさせる雷撃が骨の髄まで突き抜ける。着地姿勢が僅かに乱れた。その一瞬の隙を、アンルが見逃すはずもなかった。

 

 無慈悲に放たれた魔力弾がアケムの脇腹へまともに叩き込まれる。弾け飛んだ身体は、岩肌を幾度も激しくバウンドしながら、乾いた荒野の大地へと無様に転がり続けた。

 

「ぐっ……、ガハッ……!」

 

 口内へ一気に鉄の味が広がる。それでもアケムは泥に塗れた腕に力を込め、無理やり身体を起こした。乱れる呼吸を喉の奥で噛み殺しながら、前方の二人を真っ直ぐに見据える。

 

「立ち上がるか。良いね、それでこそ観察する価値がある」

 

 再び大気を震わせるほどの魔力が膨れ上がり、一切の容赦なくアケムへ降り注ぐ。焼け付く筋肉と軋む骨格。アケムはその悲鳴を脳内で無視しながら、その瞳だけは、決して二人から逸らさない。痛みを刻まれるたびに、僅かずつ、ほんの僅かずつ、相手の癖や呼吸、攻撃の繋ぎ方をその脳細胞へ焼き付けていく。

 

(魔術を解析する? ……いや、無理だ。そもそも系統が掴めない。あの『黒冠』の時と違って、この二人に関する前情報が少な過ぎる。じゃあ身体能力を上げる? それも違う。身体は戦いながら勝手に適応してくれている。手数を増やす? それとも観察を優先する? ──いや、それだけじゃ届かない。今の僕の体じゃ、あの領域には届かないか……なら)

 

 思考へ意識を割いた僅かな時間、空間を裂きながら現れた風刃がアケムの肩口を浅く切り裂いた。その痛みを脳が認識するより早く、足元に展開された魔術陣から、ゴウと奔流の炎が噴き上がる。

 

 アケムは瞬時に身体を捻り、熱線の直撃だけは避けた。しかし、吹き荒れる熱風が剥き出しの腕と頬を無惨に焼き焦がす。さらに着地した先では、あらかじめ配置されていた圧縮衝撃波が待ち構えていた。アケムは両腕を交差させ、肉を引き裂くような衝撃を受け流しながら、大きく後方へと退がった。

 

「……いや、駄目だろ。人のまま、帰らないといけないのに」

 

 思わず漏れた弱音のような呟き。それに、バンサルは心底嬉しそうに目を細めた。

 

「ハハッ、その通りだよ。人質を救うためとはいえ、そんなに簡単に今の自分を投げ捨ててはいけない」

 

 対照的に、アンルは表情一つ動かさぬまま淡々と告げる。

 

「私は構わないがね。現状のお前では性能差が大き過ぎる。この場で己を最適化し、怪物へ歩みを進めるのは極めて合理的な選択だ」

 

「……」

 

「約束でもあるのか」

 

 短い問いだった。アケムは答えなかった。ただ、脳裏をよぎったのは殺人鬼の別れ際の言葉。

 

 ──最後まで、人で在ろうと足掻いて下さい。

 

 アケムは静かに拳を握り直した。乱れた呼吸を深く整えながら、目の前の二人の怪物を真っ直ぐに見据える。

 

「……帰ったら、また会うって約束したんだ」

 

 その返答に、バンサルは心底愉快そうに口角を吊り上げた。

 

「素晴らしい。そういう足枷こそ、生命を最高に面白くする」

 

 アンルも僅かに頷き、その細い指先で無数の術式を空中へ重ね始めた。

 

「なら証明しろ、Code73。その誓いを抱えたまま、我々の領域へどこまで手を伸ばせるのかを」

 

 言葉が終わるより早く、幾重もの魔術が色も属性も異なる輝きを放ちながら空間を埋め尽くした。それぞれが互いを補完し合うように、複雑な幾何学の連鎖を描いていく。

 アケムはそれらを見つめながら、初めて、迫り来る「攻撃そのもの」を見るのをやめた。代わりに、二人の立ち位置、重心の移動、微かな呼吸、そして空気の底を流れる魔力の癖へ──全神経を集中させる。

 

(魔術を見るんじゃない……読むべきなのは、この二人自身だ)

 

 迫る雷撃を紙一重で躱し、その勢いのまま横へ転がると、直前まで立っていた場所に巨大な氷柱が轟音を立てて突き立つ。さらに背後から無数の光弾が追い縋り、前方では見えない刃が空間を断ち切るように待ち受けるが、アケムは二人の視線だけを執拗に追い続けた。

 

(バンサルは戦いを楽しんでる。だから攻撃の密度は高くても、必ず僕を観察する間を作っている。一方でアンルは違う。徹底的に無駄がない。僕の逃げ道を潰すように、あらかじめ術を置いている……なら、この二人はお互いの魔術を見てから撃ち合ってるんじゃない)

 

 その瞬間、胸の奥でバラバラだったピースが微かに繋がった。

 

(違う……二人とも、お互いを見てすらいないんだ。最初から相手が何を撃つか完全に分かった上で、自分の魔術を完璧に噛み合わせている)

 

「未来予知……いや、違う。予測か」

 

 アケムが小さく呟くと、バンサルは満足そうに微笑みながら軽く指を鳴らした。

 

「その通り。『殺人狂』や『鉄騎士』も使っていた技術だよ。未来を視てるんじゃない。途方もない経験と演算、そして冷徹な観察を積み重ね行動を予測してる。君も無意識には使っているだろう。直感と演算を半々に混ぜながら、相手が次に何をするかを読んでいるはずだ」

 

 アンルは感情の起伏を見せぬまま言葉を重ねる。

 

「違いは規模だ。お前の予測は眼前の相手を読む程度。我々は、この戦場全体を演算している」

 

 乾いた声とともに指先が僅かに動き、何もない空間から幾重もの術式が新たに浮かび上がる。

 

「つまり、お前がこれから取る行動、その選択肢、その反射、その思考。そのすべてがおおよそ我々の演算範囲内、手のひらの上ということだ」

 

「ねぇ、アンル。そういう台詞って、普通は負けフラグじゃないの?」

 

「黙れ、この程度の情報を明かしただけで崩れるほど脆弱なら、私はとっくの昔に死んで灰になっている」

 

「それもそうか」

 

 バンサルは穏やかに笑いながら頷く。

 

「知識は勝敗を決めない。それを扱う者の質が勝敗を決める。だから私は教えるんだよ。さあ、理解した上で、懸命に生きてくれアケムくん」

 

 直後、空気が爆発するように震えた。アンルの術式とバンサルの魔術が、互いを一切妨げることなく完璧に重なり合う。炎が風によって爆発的に収束し、雷が氷を伝って伝播し、光が影へ潜り込んで死角から飛び出す。

 

 アケムは迫り来る魔術の濁流を見つめながら、胸の内で静かに一つの結論へ辿り着く。

 

(……予測されていることが問題じゃないんだ)

 

 雷撃を躱した先へ、当然のように炎が配置されている。炎を避ければ圧縮された衝撃が待ち、衝撃を受け流した瞬間を狙って風刃が首筋を掠める。どれも一手先ではない。二手、三手、その遥か先まで読まれたうえで、世界の側から網を張られているのだ。

 

(近づけなければ、有効打は無い。避け続けるだけじゃ、身体がどれだけ適応を続けても少しずつ押し切られる。それだけの絶対的な差がある……いや、違う。差じゃない。僕の中に、未知が多過ぎるんだ。僕は魔術を詳しく知らない。術式も理論も理解していない。──でも、魔力そのものなら違う。流れや濃さ、その揺らぎの把握なら、僕の感覚でも出来る!)

 

 迫る光弾を身を沈めてやり過ごし、そのまま地面を激しく蹴って横へ跳ぶ。直後まで立っていた場所を無慈悲な雷光が貫き、遅れて吹き荒れた衝撃が身体を大きく揺さぶった。それでもアケムは、反撃の機会を探すことを切り捨てず。二人の周囲で渦巻く魔力、その一点だけに意識を研ぎ澄ませていく。

 

(……術式を見てからじゃ意味がない。完成した魔術は速過ぎる。見るなら、その前。生まれる瞬間だ)

 

 バンサルの周囲では、膨大な魔力が幾つもの極彩色を帯びながら自在に組み替えられ、神話の魔術と近代の科学技術が境界なく溶け合っている。

 

 一方で、アンルの魔力は恐ろしいほど静かだった。静かであるにもかかわらず、一切の停滞がない。まるで血液が全身を巡るように淀みなく循環し続け、その流れの途中から、術式だけが呼吸のように自然発生している。

 

(速いんじゃない……魔術を組み立てる時間が、そもそも存在していないんだ)

 

 その本質的な理解へ至った瞬間、アケムの頬を風刃が掠め、鮮血が宙へ散った。それでもアケムの瞳は閉じない。痛みすら思考の外へと強引に押しやりながら、二人の魔力の脈動だけを追い続けた。

 

(魔力は嘘をつかない。どれだけ魔術が複雑でも、使う前には必ずエネルギーが流れる。なら、そこを感知すれば──)

 

「甘いな。その程度の戦略の見通しでは、点数すらやれん」

 

 突如として、空間の魔力流動の法則性がぐにゃりと歪んだ。

 

(ブラフが混じり始めた……!? いや、それだけじゃない。流れの一部が完全に隠されてる。これじゃ読み切れない──)

 

「ほら、アケムくん。背中がお留守だぞ」

 

 楽しげな声とほぼ同時に、背後の空気が微かに震えた。アケムは反射的に身体を捻りながら地面を蹴る。しかし、その土壇場の判断すらも演算の範囲内だった。

 

 逃れた先で待っていた圧縮衝撃波が容赦なく炸裂する。全身の骨を軋ませながら、アケムの身体は再び大地へ激しく叩き落とされた。

 

 転がる勢いを利用して立ち上がろうとした瞬間、その足元へ幾何学的な術式が幾重にも浮かび上がる。炎と氷、雷が互いを阻害することなく連鎖して襲い掛かった。焼けた皮膚へと凍気が情け容赦なく食い込み、痺れた筋肉へ衝撃が重なるたびに、身体の反応速度は確実に鈍っていく。

 

「流れだけを読む発想は悪くない。だが、それは魔力が素直に流れるという前提に立っている甘さだ、演算する相手に素直に演算材料だけを与えるほど、私は親切ではない」

 

「アンルは答えを隠すのが上手くてね。私は逆に、見せたくなる性分なんだ」

 

 穏やかな笑みを浮かべたままバンサルが術式を重ねると、色も理も異なる魔術同士が、まるで一つの不気味な生命であるかのように結び付いた。複数の属性が途中で性質を変えながら、軌道さえ書き換えて迫ってくる。

 

 その圧倒的な複雑さに呑まれそうになりながらも、アケムは歯を食いしばって視線だけは逸らさず、迫る魔術よりも二人自身を凝視し続けた。

 

 攻撃を読むことは出来ない、魔力の流れも誤魔化される。それでも、二人は必ず魔術を放つ。そして放つという肉体の行為には、どれほど僅かであっても、意思の始動が介在する。

 

 そう確信した瞬間、バンサルの肩がほんの僅かに沈み、アンルの視線が数歩先の虚空を捉えた。アケムの超感覚がその微かな違和感を捉える。魔力ではなく、肉体が先に動いた。

 

 その僅かなラグを頼りに、半歩だけ強引に身体をずらす。直後、先程までアケムの胸があった位置を、音もなく透明な刃が通り抜けた。遅れて、遙か背後にあった巨大な岩山が、静かに斜めへと滑り落ちていく。

 

 掠めた確実な死を前にしても、アケムの瞳から恐怖は少しずつ薄れ始めていた。

 

(相手が手札の全てを見せない以上、それに合わせて受動的な適応を繰り返すだけじゃ足りない。だったら──今見えているその技術ごと、力ずくで奪う!)

 

 アケムは静かに深く息を吐いた、自分は魔術を使えない。術式も組めない。魔力を属性へ変換する術理も知らない。

 

 だが、それでも、自分には一つだけ確かな武器がある。己の肉体と、その肉体から放たれる純粋な一撃だけは、世界の誰にも奪えない。

 

 アケムは迫り来る魔術の群れへ向けるのではなく、あえて、何も存在しない虚空へ向かって、全力の拳を振り抜いた。

 

 凄まじい轟音とともに解き放たれた拳圧は、襲い掛かる魔術の一部を真正面から吹き散らした。それだけではない。周囲に満ちていた魔力の流れそのものへ物理的に干渉し、目には見えない力の奔流へと、決定的な歪みを刻み込んだのだ。

 

「魔力の流動へ直接、物理衝撃を与えたか。悪くない着眼点だ」

 

 アンルは乱れた空間を見つめながら淡々と呟き、すぐさま魔力循環を書き換えていく。先ほどまで一本の河のようだった流れは、幾つもの渦を伴って複雑に枝分かれし、互いを補い合うさらに強固な構造へと変化した。

 

「だが、一度通じた手が二度目も通じる保証はない」

 

 それでも、アケムの思考は止まらない。乱れた魔力を見つめ、拳を振るう角度をミリ単位で修正し、力を伝える深さを変え、衝撃を流す方向まで少しずつ組み替えていく。

 

 一度目は、ただ純粋に叩く。

 二度目は、その流れを押し流す。

 三度目は、生まれた渦へ巻き込むように滑らせる。

 

 拳を振るうたび、魔力という不確定な存在への触れ方だけが、恐ろしい速度で洗練されていく。

 

 それは魔術を盗む行為ではない。世界へ干渉するための力の伝え方そのものを、目の前の二人から、狂おしい純度で学び取っていた。

 

「……面白い、本当に面白いね」

 

 バンサルが、心底感心したように穏やかに笑う。

 

「術式ではなく、魔力操作そのものに適応し始めてるのか」

 

 アンルもまた、初めてその瞳に僅かな興味を示すように目を細めた。

 

「効率は最低。精度も粗い。だが、方向性だけは正しい」

 

 その言葉とともに彼女の指先が小さく跳ね、空一面を埋め尽くすほどの、文字通りの絶望的な数の術式が再び展開された。

 

「ならば単純な話だ。この数を、お前はどう凌ぐ?」

 

 炎、雷、氷、風、光、呪い。幾百もの魔術が、一斉にアケムという一点だけを狙って解き放たれる。

 

「一つ一つがお前を確実に殺し得る威力を持っているとだけは、通告しておく」

 

(ッ……!! あれを迎撃するなら、一点に集める収束式じゃ駄目だ。威力を一点へ集めれば、必ず数の漏れが生まれる。今必要なのは、その逆。衝撃そのものを爆発的に広げて、ぶつかった魔力ごと、次の衝撃へ変換する──!)

 

 全身へ巡るエネルギーを流動させ拳へと集中させる。同時に、アケムは一歩を深く踏み込みながら、虚空へ向かって拳を連続して撃ち放った。

 

「──拡散式(インフレーション)連鎖殲撃(チェインリアクション)!!」

 

 炸裂した拳圧は、単発の一撃では終わらなかった。最初の衝撃が周囲の魔力に触れ、その反発が次の衝撃を誘発する。さらに砕け散った魔力が新たな拳圧へと共鳴し、ネズミ算式に連鎖的な爆裂を繰り返していく。

 

 

 荒野一帯へと幾重もの凄まじい衝撃円が重なり合い、迫り来るはずだった数百の魔術群は、アケムに届く遥か手前で次々と暴発し、空中で跡形もなく崩壊していった。

 

 爆音と閃光が視界を白く覆い尽くす中、バンサルは嬉しそうに口角を吊り上げ、アンルもまた、僅かにその眉を驚きに動かした。

 

「……僅か数分で、この戦闘経験を自分の技へと昇華したか」

 

「やはり君は、私達の予測を遥かに超えて面白いじゃないかアケムくん!!最高だよ!」

 

 その歓喜に満ちた声を聞きながら、アケムは静かに拳を握り直した。

 




狂賢 アンル・ディオン

 観象連盟に所属するダブルワーズの一人。叡智と神秘の探求を何よりも尊び、そのためであれば世界も他者も、そして自らの命さえ研究材料と見なす異常な探究者。知識を得る代償として幾度も肉体を失っているが、それすら探求の過程に過ぎない。

 独自に構築・発展させた魔術体系を自在に操り、魔術の簡略化・高速化において現代最高峰と評される。特に独自魔術は術式構築の工程を極限まで圧縮しており、思考と同時に発動するタイムラグゼロの魔術を実現させている。
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