怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
露店街の一角に建つその店は、木造と金属を組み合わせた半屋台式の食堂だった。
店先は大きく開かれ、通りを歩く人々から厨房の様子がそのまま見える造りになっている。鉄板では肉が豪快な音を立てて焼かれ、隣では巨大な寸胴鍋から香辛料の効いた湯気が立ち昇る。
魔術で冷却された保存箱には異界産の魚介や野菜が整然と並び、注文が入るたび調理担当達が手際良く食材を捌いていた。
客層も実に様々だ。
昼休憩中の建設作業員、露店街で働く商人、旅行者、人間だけでなく獣人や機械生命体、角や翼を持つ異形の者まで、一つの店で同じ料理を囲んでいる。
高級料理を提供する店ではない。しかし、安く、早く、腹一杯食べられることから近隣では評判が良く、昼時になれば席は瞬く間に埋まり、店の前には長い列が出来る。
アケムが働き始めたのも、そんな活気に満ちた店だった。そして賑やかで騒がしかった昼時は過ぎて行き時間は3時前後となっていた。
「お疲れ様、お昼時も過ぎたし、少し休憩してきな」
「はい、お疲れ様です」
アケムは髪が入らないように被っていた帽子を外し、首元の汗を軽く拭ってからエプロンを丁寧に畳むと、店の隅へ用意された棚へ静かに掛けた。
皿洗いから始まり、配膳や仕込み、簡単な調理補助まで、働き始めて数日の間に様々な仕事を教わった。忙しい時間帯は息をつく暇もなく身体を動かし続けることになるが、不思議と嫌だと思ったことは一度もない。誰かに指示を受け、その役割を果たし、店を訪れた客が満足そうな表情で帰っていく。その積み重ねが仕事なのだと頭では理解できるようになってきたものの、それによってお金を受け取るという感覚だけは、まだ実感として結び付いていなかった。
研究所にいた頃は命令へ従うことが当たり前であり、成果を上げても報酬など存在しなかった。必要な物は環境すら与えられるだけだった、自分が何かをして対価を得るという経験そのものがなかったのである。
「どうした? ぼーっとして。賄いか? それはちょっと待ってくれよ、すぐ用意するから」
店主へ声を掛けられ、アケムはゆっくりと顔を上げた。
「いえ、働くって不思議だなって思ってました」
「不思議?」
「はい。頑張ったらお金が貰えるんですよね。でも、まだ実感がなくて」
その言葉を聞いた店主は少しだけ目を丸くしたものの、やがて穏やかに笑った。
「最初はそんなもんさ。働く理由なんて人それぞれだからな。生活のためだったり、家族を養うためだったり、好きなことをするためだったり、人によって違う」
「僕は……」
アケムは言葉を探すように視線を落とした。
自分は何のために働いているのだろうか。ルカからは『自分が食べる分くらいは自分で稼げ』と言われた。その時は素直に頷いたものの、命を懸けて戦うことしか知らなかった自分にとって、皿を運び、料理を運び、客へ笑顔を向ける日々は、まだどこか現実味の薄い出来事だった。
それでも、仕事を終えて家へ帰ればユイナが「今日はどうだった?」と楽しそうに尋ね、ルカは「慣れてきたか」と気軽に声を掛けてくれる。その何気ない会話を思い浮かべると、胸の奥へ小さな温もりが灯るのを感じた。
「……でも、悪くはないです」
自然と零れたその一言に、店主は満足そうに頷いた。
「それなら十分だ。仕事なんて案外そんな理由で続くもんだよ。ほら、どうぞ。冷める前に食ってこい」
「はい。ありがとうございます」
アケムは軽く頭を下げると、店の休憩スペースへ向かって歩き出した。
アケムが休憩用の小さなテーブルへ腰を下ろすと、しばらくして店主が大きめの木皿を運んできた。香ばしく焼き上げられた肉と湯気を立てる炒め野菜、それに白米と具沢山のスープまで添えられた賄いは、店で提供している料理と変わらないほどの出来栄えだった。
働いている最中は漂う香りにも気を取られなかったが、こうして目の前へ置かれると空腹を刺激され、アケムは小さく「いただきます」と呟いてから箸を伸ばした。
口へ運んだ肉は柔らかく、噛むほどに旨味と香辛料の香りが広がる。炒め野菜も程よい歯応えが残されており、異界産の野菜らしい独特の甘みが肉の味を引き立てていた。
ふと視線を上げると、休憩室の壁へ大きな色鮮やかなポスターが貼られていることに気付いた。青空の下で様々な種族が笑顔を浮かべ、その背後には巨大な展示施設と見たこともない建造物が並んでいる。
そして中央には大きく力強い文字で『パークアドラ万界博覧会』と記され、その下には『世界は一つじゃない』という言葉が添えられていた。
「店長、これって何ですか?」
アケムが尋ねると、店主は仕込みをしながら振り返り、ポスターへ目を向けて笑う。
「おっ、興味あるか。それはもうすぐ始まる万界博覧会の宣伝だよ。この都市じゃ数年に一度の大イベントでな、異界や企業、研究機関に冒険者、職人まで世界中……いや、世界そのものを越えて色んな連中が集まる祭りみたいなもんさ」
「世界そのものを越えて……」
アケムは改めて『世界は一つじゃない』という一文を見つめた。その短い言葉は、この都市で暮らし始めてから何度も目にしてきた異形の人々や異界由来の文化を思い起こさせる。
「その言葉には、何か意味があるんですか?」
「あるとも。この街じゃ異界なんて珍しくもないだろ? 世界は地球だけじゃないし、人間だけが生き物でもない。価値観も文化も技術も、それぞれの世界で全然違う。だからこそ、お互いを見て知ろうってのが博覧会の理念なんだ」
店主は包丁を動かしながら穏やかな口調で続ける。
「観光客はもちろん、商売人に研究者、それに腕自慢も大勢来る。新しい商品が生まれることもあるし、異界との交易が決まることもある。中には人生が変わるような出会いをする奴もいるらしい」
アケムは静かにスープを一口飲み、その温かな味わいとともに店主の言葉を胸の中で反芻した。自分がいた研究所だけが世界の全てだと思っていた頃には想像もできなかったほど、この都市は広く、数え切れない世界と繋がっている。
「まあ、気になるなら行ってきたらどうだ? 事前に言ってくれたらシフトは空けるぞ」
「分かりました、考えておきます」
そんな会話をしながらアケムは賄いを食べ終えると、食器を丁寧に洗い場へ返し、短い休憩を終えて再び店へ戻った。昼時ほどの慌ただしさは落ち着いていたものの、午後も客足が途切れることはなく、露店街を訪れた買い物客や仕事帰りの職人達が次々と店へ立ち寄っていく。
注文を受けて料理を運び、空いた皿を下げながら厨房の様子にも気を配り、足りなくなった食材があれば仕込みを手伝う。数日前まで何をすれば良いのか戸惑っていた動きも、今では自然と身体が覚え始めており、店主や先輩達から飛ぶ指示へ迷わず応えられるようになっていた。
やがて西日が建物の隙間から差し込み始める頃になると、店内の混雑も少しずつ落ち着きを見せ、店主は帳簿を閉じながら軽く息を吐いた。
「よし、今日はここまででいいぞ。初めての一週間にしちゃ十分働いてくれた」
「分かりました、お疲れ様です」
アケムが深く頭を下げると、店主は引き出しから小さな封筒を取り出し、そのまま彼へ差し出した。
「今週分の給料だ。まだ見習いだから多くはないが、ちゃんと働いた分だぞ」
封筒を受け取ったアケムは、その軽さを確かめるように両手で持ちながら静かに見つめる。命令へ従うだけだった日々には存在しなかった。働いた証が今は自分の手の中にある。その事実をすぐには理解しきれなかったものの、胸の奥へじんわりと温かい感覚が広がっていく。
「ありがとうございます。大事に使います」
「全部貯め込むのも良いが、たまには自分のためにも使えよ。働く楽しみってのは、そういうところにもあるからな」
店主の言葉へ素直に頷くと、アケムは制服を着替えて店の外へ出た。夕暮れの露店街は昼間とは違う賑わいを見せ始めており、仕事を終えた人々が屋台へ集まり、香ばしい匂いと笑い声が通りを満たしている。
異形の種族達が肩を並べて酒を酌み交わし、旅人達は土産物を眺めながら歩き、遠くでは大道芸人の周囲へ子供達が輪を作って歓声を上げていた。
その光景を横目に歩きながら、アケムはポケットへしまった封筒を一度だけ確かめるように軽く触れ、小さく息を吐く。研究所では与えられるだけだった生活が、今は誰かの役に立ち、その対価を受け取る日々へ変わっている。
まだこの生活に実感は薄いが、それでも帰ればルカとユイナが待っていると思うと、自然と足取りは少しだけ軽くなり、夕焼けに染まるパークアドラの街並みを眺めながら、アケムは静かにキサラギ家への帰路を歩いていった。
そして、もともと二人で暮らしていたキサラギ家で三人が無理なく生活できるようにするため、アケムはバンサルから貰った大金のほんの一部をルカと相談して使い、一つ大きな買い物をしていた。
それは異界発生式の拡張居住ユニットだった。玄関から続く廊下の壁面へ設置することで、その向こう側へ新たな居住空間を展開できるという代物であり、見た目以上に広い一室を生み出せる。
以前ルシリアの拠点で見た異界空間ほど広大ではないものの、戦闘を行うためだけの無機質な造りではなく、最初からベッドや机、収納棚、小さな書架など生活に必要な家具が一通り備え付けられており、一人で暮らすには十分すぎる環境が整えられていた。
狭い居間へ布団を敷いて眠ることもできたが、ルカとユイナが気兼ねなくこれまで通りの生活を送れるようにしたいという思いもあり、アケムは迷うことなくそれを選んだ。
「ただいま」
玄関を開けると、部屋の奥から包丁がまな板を叩く軽快な音と、何かを炒める香ばしい匂いが漂ってきた。その温かな空気に迎えられながら靴を脱ぐと、台所からひょっこりとユイナが顔を覗かせる。
「おかえり、アケム! 今日もお疲れ様!」
「ただいま、ユイナ。今日はユイナがご飯作る日だっけ?」
「うん、楽しみにしててね」
「分かった」
柔らかな笑みを返しながら居間へ向かうと、ソファへ腰掛けていたルカも顔を上げた。
「おう、お疲れ。仕事はどうだった?」
「忙しかったけど、楽しかったよ」
「なら何よりだ」
短い言葉だったが、その声音には安心したような色が混じっていた。
アケムは上着を脱ぎながらポケットへ手を入れ、今日受け取ったばかりの封筒を取り出すと、テーブルの上へ静かに置いた。
「これ」
「ん?」
「今週のお給料」
ルカは封筒とアケムの顔を見比べ、小さく目を丸くした。
「もう貰ったのか」
「うん。ちゃんと働いた分だって」
封筒を見つめるアケムの横顔はどこか不思議そうでもあり、嬉しそうでもあった。その複雑な表情を見て、ルカは口元を緩める。
「初任給ってやつだな。どうだ、自分で稼いだ金ってのは」
少しだけ考え込んだアケムは、素直な気持ちをそのまま言葉にする。
「まだ実感はあんまり無い。でも、少しだけ嬉しい……かや?」
「そっか、なら良かった」
台所で鍋をかき混ぜながら聞いていたユイナも嬉しそうに笑い、火加減を調整すると手際よく皿へ料理を盛り付け始めた。香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がり、それにつられるようにルカも立ち上がって食器を並べ始める。
アケムも自然とその手伝いへ加わり、三人で食卓を整えていく時間は、今ではすっかり日常の一部になっていた。
夕食を囲みながら今日あった出来事を話していると、不意にアケムは昼間に店で見たポスターを思い出した。
「そういえば、今日お店で万界博覧会の話を聞いたんだ」
ルカは箸を止め、少しだけ懐かしそうな表情を浮かべる。
「もうそんな時期か。今年も結構盛り上がりそうだな」
「二人は行ったことあるの?」
そう尋ねると、ユイナは嬉しそうに何度も頷いた。
「もちろん! 私、小さい頃に一回連れて行ってもらったことあるよ! すっごく楽しかった!」
「覚えてるのか?」
「全部じゃないけどね。でも、大きな異界の生き物とか、空を泳ぐ魚とか、すっごく綺麗な宝石を作る職人さんとか、色んなものがあって一日じゃ全然見て回れなかったんだ」
思い出を語るユイナの瞳は期待に満ちており、その様子だけでも博覧会が特別な催しであることが伝わってくる。
ルカも湯飲みを手に取りながら静かに続けた。
「観光目的で来る奴も多いけど、商談や研究発表、新技術の公開なんかもある。異界企業も参加するし、普段じゃ絶対見られない連中も山ほど来るぞ」
「そうなんだ」
「パークアドラ最大級のイベントだからな。この都市に住んでるなら一度くらい見ておいて損は無い」
アケムは昼間に見上げた『世界は一つじゃない』という言葉を思い返していた。研究所で過ごしていた頃は、自分の世界は狭く閉ざされていた。
しかし今では働くことを知り、人と食卓を囲み、街を歩き、多くの人々と出会っている。その延長線上にある博覧会という催しは、自分の知らない世界をさらに広げてくれる場所なのかもしれない。
そんな様子を見ていたユイナは、少し身を乗り出しながら明るい声を弾ませる。
「ねぇ、せっかくだし三人で行かない?」
「三人で?」
「うん! アケムも興味あるんでしょ?」
アケムは少しだけ考えてから頷いた。
「……確かに、興味はある」
「だったら決まり!」
嬉しそうに笑うユイナとは対照的に、ルカは腕を組みながら苦笑する。
「気が早いって。あの博覧会、人がとんでもなく集まるからな。行くなら日程も決めなきゃいけないし、アケムは仕事の都合もあるだろ」
「あ……そうだった」
店主がシフトを調整すると言っていたことを思い出し、アケムは静かに頷いた。
「お店の人に相談してみる」
「そうしろ。それに俺も仕事が入る可能性があるし、ユイナも同じだ。三人とも予定を合わせてからの方がいい」
ユイナは少しだけ残念そうに肩を落としたものの、すぐに気持ちを切り替えるように笑みを浮かべた。
「じゃあ予定が合う日に行こう! 私、アケムに色んな場所を案内したい!」
「ありがとう」
その言葉へ自然と笑みを返しながら、アケムは温かな食卓を見渡した。少し前まで、自分には未来の予定を誰かと話し合うという経験すらなかった。何をするかではなく、誰と行くのかを考える時間が、胸の奥へ静かな温もりを残していく。
窓の外では夕焼けがゆっくりと街並みを藍色へ染め始め、遠くから聞こえてくる露店街の賑わいが夜の訪れを告げていた。万界博覧会の開幕まで、あとわずか。その祭典はまだ知らない出会いと出来事を乗せながら、少しずつパークアドラへ近づいていた。
名前 獣噛 柴尾
年齢 推定 百歳以上
身長 174cm前後 (変動あり)
体重 非公開 (本人も把握していない)
立ち場 R.A.I.D.職員
通称『紫の尾』
家族 不明
種族 亜人種?
言語 発声可能な言語は習得済み
性別 不明(現在は男性体)
髪色 紫
目の色 薄紫
外見的特徴
獣耳と紫色の尾を持つ奇妙な青年。派手なコートと大量のアクセサリを好み、護符、牙、小型端末、動物モチーフの装飾品などを常に身につけている。目つきや仕草は軽薄で騒がしいが、時折捕食者めいた鋭さが覗く。
好きな物∶昼寝、食事
嫌いな物∶動物虐待、長時間労働
趣味∶ネットサーフィン
能力 不明