怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
食事を終えたヴァール一向は、露店街の喧騒を背にゆっくりと通りを歩いていた。夕暮れにはまだ少し早く、人と人外が入り混じる大通りには買い物客や観光客の笑い声が絶えない。
「どうだったかな、この街のご飯は?」
先頭を歩くグラウが気さくに振り返る、ヴァールは携えていた手帳を開き、万年筆を走らせながら満足そうに頷いた。
「実に興味深かった。味はもちろんだが、調理法も面白い。魔術と機械技術を自然に組み合わせ、異界産の食材を日常へ落とし込んでいる。文化とは食卓から最もよく分かるものだな」
「ははっ、そんな感想を言う子供は初めてだよ」
一方、ティニは静かに周囲へ視線を巡らせながら主人の少し後ろを歩いていた。
「ヴァール様、歩きながらの筆記は危険です」
「心配するな。周囲の障害物は把握している」
その様子を横目に見たグラウは苦笑する。
「お嬢さんも苦労するねぇ」
「日常ですので」
グラウは再び笑いながら通りの先を指差す。
「さて、この辺りから先は商業区だ。博覧会も近いから、人も店ももっと増えるぞ」
その言葉を聞いたヴァールの瞳が僅かに輝く。
「それは楽しみだ」
彼の視線は露店ではなく、その軒先へ止まる翼を持つ小動物や、街路樹を這う透明な甲虫、空を泳ぐように飛ぶ異界の鳥へ向けられていた。
「生物だけでも観察対象には困らないな……この都市は、まるで一冊の生きた図鑑だ」
「それでこの先はどう致しますか? ヴァール様」
「そうだなどうするか…………あ、そうだ折角だし時間なら、ここで別れても構わないんだが、一つ頼みを聞いてもらっても良いか?」
ヴァールは少しだけ申し訳なさそうにそう切り出した。
「何かな?」
グラウは気負う様子もなく首を傾げる。
「この都市にある虫専門店へ行ってみたいんだ。ティニは脚の多い生物が苦手でな。一人では付き合ってもらえそうにない」
「…………」
名指しされたティニは否定も肯定もせず、ほんの僅かに視線を逸らした。その無言が何よりの答えだった、グラウは思わず吹き出す。
「ああ、本当に苦手なんだ」
「護衛対象に危険が及ぶ可能性があるなら、いかなる生物にも対処いたします」
淡々とした口調でそう言ったあと、一拍置いて付け加える。
「ですが、趣味として観察する必要性は理解しかねます」
「つまり仕事なら平気、趣味では遠慮したいってことか」
「その認識で問題ありません」
ヴァールは苦笑しながら肩を竦めた。
「理解は示してくれるんだが、店内までは付き合ってくれなくてな」
「ティニさんは脚の多い生物の何処が苦手なんだい?」
「……見た目と動き方です」
珍しく言葉を選ぶティニに、ヴァールとグラウは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
「なるほど。虫専門店みたいな場所なら、端末で検索すればすぐ見つかると思うよ」
グラウは携帯端末を取り出しながら続ける。
「ただ、僕が案内役として必要かどうかは分からないけどね」
「必要だ、生物を観察する上で、自分以外の視点というものは非常に重要なんだ。同じ対象を見ても、人によって着目する点は違う。私は形態や生態へ目が向くが、他者は危険性や美しさ、あるいは価値を見ているかもしれない」
そう言いながら、胸元の手帳を軽く叩く。
「その差異こそが、新しい発見へ繋がる」
グラウは感心したように眉を上げた。
「観察っていうより、研究者の考え方だね」
「さてな、だが生物を知るには、生物だけを見ていては足りない。生物を見た人間まで含めて観察しなければ、本質は見えてこない」
真剣な表情で語る少年を前に、グラウは思わず苦笑する。
「君、本当に子供か?」
「見た目通りだ」
そんな二人のやり取りを聞きながら、ティニは静かに溜め息を吐いた。しかし、直ぐに彼女は端末を操作し始める。
「虫類専門店を検索します。ですが、私は入口で待機しますので、その点だけはご了承ください」
「護衛も大変だねぇ」
グラウは苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
「それでも一緒に来るあたり、本当に良い護衛だ」
「職務ですので」
短く返すティニの声音は変わらなかったが、その横顔を見ていたヴァールは小さく笑みを浮かべる。
「そう言いながら、オレが興味をもった事は出来る限りの範囲で手伝ってくれるんだ良い従者だろう?」
そんな会話をしながらティニが端末へ表示された地図を確認しながら歩き始めると、目的の店は現在地からそれほど離れていないことが分かった。露店街を抜けた先にある商業区の一角で、古くから異界生物や昆虫を専門に扱う店として知られているらしい。
案内表示へ従って歩くにつれ、通りの雰囲気も少しずつ変わり始め、飲食店の立ち並ぶ区画から、専門店や工房が軒を連ねる落ち着いた街並みへ移り変わっていく。
硝子張りの店内では間工具職人が細かな細工へ没頭し、隣では異界植物を扱う花屋が鮮やかな花々を並べ、その向かいでは古びた標本店が骨格標本や鉱石を所狭しと飾っていた。
ヴァールは歩みを緩めるたびに視線をあちこちへ向け、気になったものを見つけるたび手帳へ短く書き留めていく。その様子を見ていたグラウは感心したように口を開いた。
「本当に何でも記録するんだね」
「記憶は曖昧になるが、記録は裏切らない。後で見返せば、その時には気付かなかった共通点が見つかることもある」
「なるほどねぇ。僕なんか気になったことは頭に入れて終わりだから、その辺りは研究者とは違うな」
「忘れることも生物の特性だ。それを補うために文字があり、知識は積み重なっていく」
ヴァールはそう答えると、小さく笑みを浮かべながら万年筆を閉じた。その横顔には年齢相応の幼さよりも、未知を前にした純粋な探究心が色濃く表れている。
やがて三人は、一軒の落ち着いた店構えの前で足を止めた。木製の看板には繊細な文字で『昆虫標本・生体販売 エントモロジ』と刻まれており、ショーウインドウの中には色鮮やかな甲虫や蝶の標本が美しく並べられている。その一方で店内の奥には生体用と思われる飼育ケースが幾つも積み重ねられ、淡い光を放つ茸や小型の異界植物が静かな照明代わりになっていた。
店を目にしたヴァールの表情は隠しようもなく明るくなり、思わず一歩前へ踏み出す。その姿を見届けたティニは、小さく息を吐きながら入口の脇へ立った。
「私はここで待機しております。御用がありましたら、すぐにお呼びください」
「ありがとう。長居はしないよう心掛ける」
「いえ、気にせず。満足行くまでお楽しみ下さい」
僅かに諦めを含んだ返事だったものの、その声音には主人を案じる優しさも滲んでいた。グラウはそんな二人のやり取りを見て穏やかに笑うと、店の扉へ手を掛ける。
「それじゃあ、少しだけ未知の世界を覗いてみるか」
鈴の澄んだ音が静かに鳴り響き、二人は昆虫たちが息づく小さな世界へ足を踏み入れた。
店内へ足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように遠ざかり、静かな空気が三人を包み込んだ。壁一面には大小様々な標本箱が整然と並び、虹色の翅を持つ蝶や、金属光沢を放つ甲虫がまるで時を止めた芸術品のように飾られている。
その一方で、奥に設けられた棚には生体を収めた飼育ケースが幾重にも積み重ねられ、湿度や温度を保つための魔導装置が静かな駆動音を響かせていた。淡く発光する異界植物が照明代わりとなり、店全体へ柔らかな緑色の光を落としている。
ヴァールは店へ入った途端、目を輝かせながら標本棚へ歩み寄ると、一つひとつを食い入るように眺め始めた。美しい色彩に見惚れるというより、翅脈の形状や脚部の構造、触角の節の数を細かく観察している様子であり、その視線は生物学者が論文を読む時のような鋭さを帯びている。
「これはすごい……地球種と酷似しているようで、胸部の構造が僅かに違う。飛翔筋の配置まで異なっているな……うん、やはり飛び方も別物なのか?」
小さく呟きながら手帳を開き、迷いなく万年筆を走らせる姿を見て、グラウは思わず感心したように息を漏らした。
「普通は綺麗だとか格好いいとか、そういう感想が先に出るものだと思っていたけど、本当に見ている景色が違うんだね」
「確かに美しい模様や特徴的な動作も生物が生きて行くために取得したものだが……芸術品として見たことは無いかもな」
ヴァールはそう答えながら標本箱の前から離れ、生体が収められた飼育ケースへ視線を移した。ケースの中では掌ほどもある蒼い甲虫がゆっくりと樹皮を歩き、その背中では結晶のような翅が照明を受けて幻想的な輝きを放っている。
「生きている姿は標本では分からない。歩き方や餌の食べ方、警戒した時の反応まで観察して初めて、その生物を理解したと言える」
その言葉を聞きながらグラウもケースを覗き込み、しばらく甲虫の動きを眺めてから小さく笑った。
「僕には、のんびり歩いているようにしか見えないな」
「それも立派な観察結果だ、先入観を持たずに見た感想は意外と重要なんだ。知識が増えるほど、人は見たいものだけを見るようになることがある」
その時、店の奥から年配の店主が静かに姿を現し、少年の言葉へ興味深そうな視線を向けた。
「坊や、その歳でそこまで言える客は珍しいな」
落ち着いた声を掛けられたヴァールはゆっくりと振り返り、一礼を返す。
「すまん。余りに興味深い生物ばかりで、つい独り言が多くなってしまった」
店主は柔らかく笑みを浮かべると、少年が書き込んでいる手帳へ目を向けながら頷いた。
「構わんよ。この店は、生き物が好きな者に来てもらうために開いている。気になることがあれば、何でも聞いてくれ」
「なら、何十匹か虫を飼いたいのだが。育成や繁殖方法のご教授を頼めるか?」
店主はその言葉を聞くと一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに商売人らしい穏やかな笑みを浮かべた。
「もちろん可能ですよ。飼育方法については種類ごとにまとめた資料もお渡しできますし、初めて飼われる方には餌や温湿度の管理まで説明しています。繁殖を考えておられるなら、雌雄の判別や産卵環境も含めてお教えしましょう」
「それは助かる」
ヴァールは興味深そうに頷きながら、並べられた飼育ケースへ改めて目を向ける。
「屋敷への輸送も可能か?」
「ええ。市内でしたら当店で配送いたしますし、市外や国外でも専門の生体輸送業者と提携しております」
「素晴らしいな。生体を扱う店として理想的だ」
満足そうに呟くヴァールの横で、グラウは思わず苦笑した。
「何十匹って言っていたけど、本当にそんなに飼うつもりなのかい?」
「当然だ。一種類だけでは比較にならない。同じ科でも食性や縄張り意識、繁殖行動は大きく異なる。複数種を同じ条件で観察してこそ、共通点と相違点が見えてくる」
迷いなく答えるその姿に、店主は感心したように何度も頷いた。
「坊やは昆虫好きというより、生き物そのものが好きなんだね」
「好きという表現が正しいかは分からない。ただ、生物という存在は知れば知るほど奥深い。だから私は観察をやめられない」
その静かな言葉には飾り気がなく、純粋な探究心だけが宿っていた。店主はそんな少年を見つめながら微笑み。
「でしたら、きっと気に入っていただける子達がおりますよ」
「見せてくれ───」
店主に案内されて店の奥へ進むと、表の売り場よりも一段静かな飼育室が広がっていた。大小様々な飼育ケースが整然と並び、それぞれに異なる温度や湿度が保たれている。
樹液を舐める甲虫、苔の上で羽を休める蝶、落ち葉へ巧みに身を隠す擬態種、さらには淡く燐光を放ちながら枝を歩く異界種まで、生息環境ごと再現された空間の中で穏やかに暮らしていた。
ヴァールは店主の説明へ何度も頷きながら、気になった種が現れるたびに質問を重ね、その答えを一つ残らず手帳へ書き留めていく。
餌の種類や脱皮周期だけでなく、寿命や縄張り意識、繁殖期の行動まで興味は尽きることがなく、店主もまた、それほど熱心な客は滅多にいないのだろう、途中からは商売というより同じ趣味を持つ者同士の会話を楽しんでいるような表情になっていた。
グラウは二人のやり取りを眺めながら苦笑を浮かべる。
「ここまで話が続くとは思わなかったよ」
「知識とは、語れば語るほど新しい疑問が生まれるものだ」
ヴァールはそう答えながらも視線は一匹の甲虫から離さず、その歩幅や触角の動きまで観察している。ティニは入口付近で静かに待機していたものの、時折店内を覗いては主人が夢中になっている様子を確認し、小さく安堵したように息を吐いていた。
気付けば時計の針は大きく進み、店内へ差し込む光も夕暮れ色へ変わっていた。
ヴァールは最後にいくつもの飼育用品と生体、それに標本や専門書まで購入すると、配送手続きを済ませて満足そうに店を後にする。
店を出たグラウは両手を頭の後ろで組みながら笑った。
「いやぁ、何となく分かってたけど、お金持ちなんだねぇ君は」
「そうか? 必要な物を揃えただけだぞ」
「その感覚がすごいんだけどね」
ヴァールは歩みを緩めると、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「しかし、流石にお前から時間を奪い過ぎたな。礼をしてここで解散としよう。何か欲しい物はあるか?」
突然の申し出にグラウは少し考え込み、それから困ったように笑う。
「お礼、お礼かぁ。正直、休日にこうやって街をぶらぶら歩けただけで十分楽しかったんだけどね」
そう言って一拍置くと、何かを思い付いたように人差し指を立てた。
「そうだ、もし一つ頼めるなら、次の万界博覧会に来れるなら来てくれないか?」
「元より行く予定だったが、同行して欲しいということか?」
「いや、僕は会場側の人間として参加する予定なんだ。もし会場で見掛けたら声を掛けてくれよ。要らないかもしれないけど、護衛ってことにすれば少しくらい仕事を抜けられるかもしれないし」
冗談めかして笑うグラウに、ヴァールも口元を僅かに緩める。
「分かった。見掛けたら必ず声を掛けよう」
「約束だよ」
グラウは軽く手を振ると、人混みの中へゆっくりと歩き去っていった。その背中を見送りながら、ヴァールは小さく息を吐く。
「面白い人物だったな」
「ええ。初対面にもかかわらず警戒心が薄く、人当たりも非常に柔らかい方でした」
少し離れた場所で待機していたティニが静かに歩み寄り、自然と主人の隣へ並ぶ。
「ただ、あの方は油断しているようには見えませんでした。隙があるようで、常に周囲を観察しています」
「ティニもそう感じたか」
ヴァールは満足そうに微笑む。
「人というものは実に興味深い。生物として観察してみれば、強さを誇示する者もいれば、それを隠そうとする者もいる。グラウは後者だ」
手帳を閉じると、ヴァールは夕暮れへ染まり始めた街並みを見渡した。
「さて、今日は宿へ戻ろう。まだ初日だというのに、この都市は期待以上だ」
「承知しました」
ティニは短く頷くと主人の半歩後ろへ付き従う。二人は賑わいを増していく商業区を後にしながら、予約していたホテルの帰路についた。
プロフィール
現界
一般的には地球全土を指す。しかしその範囲は単なる物理世界に留まらず、異界との境界領域や狭間に存在する不安定な空間も含まれる。現界は無数の異なる世界と接続する接点であり、魔力・概念・異質な存在が流入することで、時に奇跡や災厄を引き起こる。