獣が這い出した路地裏には、油と血、そして焦げた臭いが淀んでいた。剥がれた皮膚の下で金属骨格が軋み、背骨へ増設された違法駆動部が赤熱しながら脈打っている。
片目には濁った生体光、もう片方には冷たい照準レンズ。呼吸のたびに、焼けた肺から漏れ出すような黒い霧が噴き出していた。
「下がって、アケム! アレは
ユイナの叫びが背を打った。しかしアケムは足を止めず、一歩だけ前へ出る、怖くないわけではない。むしろ全身は嫌というほど危険を訴えていた。
心拍は急速に跳ね上がり、視界の端がわずかに狭まっていく。それでも恐慌は訪れない。
そもそも彼の中には、余計な感情と呼べるものが決定的に欠けている、いや元から無かったのかもしれない。そして同時に、後ろの二人が助けを求めていることだけは、不思議なほど明確に理解できていた。
「逃げるぞ。ああいうのには関わらないのが一番なんだよ」
ルカの声は冷静だったが、その奥に滲む焦燥をアケムは聞き取っていた。それでも振り返らないまま、彼は短く言葉を返す。
「大丈夫だよ」
本人が一番そうではないと理解していながら、それでも言葉だけを残して踏み込んだ。二人が誰かに守ってほしそうだったから。
次の瞬間、獣人が咆哮した。地面が爆ぜ、砕けた路面の破片が弾丸のように周囲へ散る。
獣は跳んだ、重質で硬質な身体でありながら、しなやかなその加速は音速すら凌駕していた。
(──速い。でも、制御しきれてる感じじゃない)
アケムは身体を横へ滑らせ、そのまま地面を転がる。直後、凄まじい風圧が頬を叩き、遅れて背後の建物へ激突した衝撃が壁を粉砕した。その壁に埋まり一瞬だけ生まれた隙を逃さず、アケムは迷いなく懐へ潜り込む。
近づき視線が向くのは背部の増設機関だった。明らかに後付けされた異質な構造、赤熱した内部から黒い何かが全身へ循環し、その余剰が霧となって口元から噴き出している。
(ルカが違法パーツって言ってたけど……たぶん、あれだ)
一瞬だけ思考が走る。しかしその迷いを許すほど相手は鈍くない。獣人の首が、人間ではあり得ない角度へ捻じ曲がり、照準レンズが正確にアケムを捕捉した。
「ッ──!」
鉄の獣人の口から黒い閃光が迸る。轟音とともに空気が裂け、背後の街灯の上部が蒸発した。
アケムは咄嗟に身を沈め、滑り込むように回避する。熱線が頭上をかすめ、銀髪の先端を焼き切った。遅れて押し寄せた熱気に皮膚がチリつく。
普通なら到底避けられない速度だったが、彼の身体は思考より先に反応していた。生物的直感による回避。そして先ほどの衝突で周囲の建物が警戒態勢へ移行したのか、熱線は背後の建物を貫通せず壁で減衰している。周囲、そして目の前の獣の観察。
(光線と圧倒的膂力……でも右脚だけ、少し不安定だ)
推測と同時に、彼の細い身体が死角へ潜り込む。そして燃えるような鉄の身体に肘を叩き込んだ。
轟、と鈍い衝撃音が響く。それは少年の一撃とは思えない重さ。もし同じ威力をコンクリートへ叩き込めば、砕け散るのは壁の方であろう打撃。しかし獣人の巨体はわずかに揺れただけで、装甲に浅い歪みを刻んだ程度だった。そのうえ肘が熱に焼けている。
「……硬いな。戦車みたいだ」
次の瞬間、尾のように伸びた外部ケーブルが鞭のように唸る。アケムは反射的に腕を交差させたが、凄まじい衝撃とともに身体が吹き飛び、道路から数メートル上空に浮き上がる。
ケーブルの一撃により裂けたアスファルトが摩擦熱で白煙を上げる。しかし今回は、わずかに狙いからそれていた。右脚の駆動部から火花が散り、赤熱した装甲が軋んでいる。
地面に落下した後アケムはすぐさま立ち上がる。腕は痺れていたが、骨までは届いていない。
「アイツ、アレで無事なのかよ……いや、そんなことより警官とかはまだか!?」
「アケム!! もういいってば、死んじゃうよ!!」
ルカとユイナの声は戦闘音の中でも彼に届いていた。しかし少年は止まらない。鉄の獣人の攻撃を掠らせ、致命傷だけを避けながら、身体を焼き、裂かれ、それでも少年は動いていた。
逃げれば標的が二人へ向く。それだけは避けなければならない。その単純な判断だけで身体を動かしている。
そして何度目かの爪がアケムの肩を裂き、血飛沫が舞う。熱と冷たさが同時に駆け抜け、血に視界が遮られた一瞬の再び直感が警鐘を鳴らした。
(不味い──来る!!)
鉄の獣人の背部機関がさらに赤熱し、推進力が限界まで跳ね上がる。赤い軌跡を引きながら放たれた突進は、回避不能の速度でアケムの腹部へ叩き込まれる。
衝撃とともに身体が浮き、次の瞬間には壁へ激突して跳ね返される。アスファルトへ転がった瞬間、肺が潰れたように呼吸が止まり、喉奥から鉄臭い液体が込み上げた。
「ぐっ……!」
今度は違う。内側まで深く壊された感覚があった。視界が揺れ、全身に力込めようにも動かない箇所があった。
その時、後ろのアケムが退かないことを察し死ぬかもしれないと感じた彼女が物を投げた。
「アケム! コレ!!」
ガラスの砕ける音とともに何かが飛来し、液体が全身へ降りかかる。薬品臭が鼻を刺し、傷口へ触れた瞬間、焼けるような激痛が全身を駆け抜けた。
「飲む暇がないから浴びて!」
傷を治す為の再生薬剤。熱は強まり、意識が一瞬だけ白く染まる。だが、その苦痛の中で鼓動が深く脈打ち、血流が加速する。視界は鮮明になり筋肉の反応速度が鋭く変化していく、外傷修復と同時に細胞活性を強制的に引き上げる。
身体が、加速していた。
再び迫る獣人の動きが、先ほどよりわずかに遅く見える。いや、相手が鈍ったのではない。アケム自身の知覚性能が引き上げられているのだ。足裏から伝わる接地感覚が異様なほど鮮明になり、相手の駆動軸のズレや重心移動までもが理解できる。
「よし、まだやれる」
そして少年は、鉄の獣人の構造的な弱点を、今度こそ明確に捉えていた。
場面は変わる
浜辺とも大通りの喧騒とは無縁の薄暗い一室。外界の光を遮断した空間の中央には、海岸へ漂着したものと同一の黒い輸送ケースが静かに安置されている。表面を走る微細な発光線が脈動し、内部機構が現在も稼働していることを示していた。
室内にいる複数の影は無言のまま、壁面へ投影された映像を見つめている。そこには鉄の獣人と交戦するアケムの姿が映し出されていた。
身体を裂かれ、吹き飛ばされながらも、なお戦闘行動を継続する少年の様子を、監視装置は淡々と記録し続けている。
やがて本来の買い取り手に届いた事を確認したケース内部から電子音声が起動し、機械的な抑揚で報告を開始した。
『研究Code73。適応型進化素体。
対象は異界人と地球人類の混血体の一個体。極限環境下において継続的な自己適応能力を示し、非致命領域の損傷、環境変化、外的負荷に対して段階的進化反応を見せる。
確認済み適応範囲は、適応抑制状態で高濃度汚染環境、急性外傷、精神負荷への耐性、他戦闘技能向上、声質、肉体の変化など多岐に及ぶ』
映像内では、薬剤を浴びたアケムの瞳が僅かに焦点速度を変化させていた。解析表示が反応速度上昇を数値化していく。
『また対象は他者感情を感覚的に知覚し、無意識下で精神波長を同期する傾向を持つ。これにより環境集団への擬態的適応、および対人ストレスの低減が可能としている。
しかし未経験領域への即時適応には限界を確認』
映像が切り替わる。
極寒環境。
高放射線区域 異界生物との接触試験
高圧水没環境 都市型戦闘区域
そのすべてで、少年は生存していた。
『本個体は生体改造、機械化、外部強化処置による産物ではなく。自然進化、および異界交雑によって発生した新規人類系統に分類される。
地球人類基準における正式分類は現在未設定。
仮称──混成適応種』
電子音声が一瞬停止する。
そして次の記録が再生された。
『外界環境における生存試験を、適応抑制状態にて累計五百三十二回実施。結果────
全試行において生存を確認。なお死亡率九十八パーセント超過環境下においても、対象は最終的適応を達成。
また売却後の個体は注文通り適応抑制処置は除去済みである、報告は以上とする 現界異類研究機関オグィレフト』
暫くの沈黙の後、室内の誰かが話し始める。
「あの獣人くんを私自ら改造して良かった。しっかり壊れないじゃないかアケムくんは」
別の人物は、モニター越しに銀髪の少年を見据えながら、呟いた。
「別に否定しないけれど、段階を踏むべきじゃないかしら?」
「なるほど。『狂賢』の君がそう言うなら、恐らくその通りなのだろうね。だが生命というものの素晴らしさを見るためには……いや極限でなくとも万物は等しく輝いてるとは思うが──」
映像の中では、血を流しながらなお立ち上がるアケムの姿が映り続けている。それを見つめる狂賢と呼ばれた女は、視線を画面から外さないまま会話を続ける。
「生命賛歌にしては、随分と実験動物を見る目ね? 『
「否定はしないともアンル。私は常に感動しているのだよ。壊れ、変わり、進化し、それでも生き延びようとする。実に美しい」
喜泣公は口元を緩める。その笑みは穏やかですらあったが、どこか一般の感性から決定的に逸脱していた。
「……で、どうするの。この戦闘が終われば接触する?」
「そうだね。彼にも会ってみたいし、あの善良なる拾い人たちにも挨拶をしたい。せっかく私へ喜びを届けてくれたのだから、礼は尽くさねば失礼だろう?」
「貴方が喜びを語ると、どうにも言葉が薄っぺらく聞こえて良くないわ」
「はは、それはまた実に喜ばしく、そして手厳しい指摘だ」
喜泣公は愉快そうに肩を揺らした。その間にモニターの中では、アケムが完全に不意を突かれて発射されたと思われる光線を避けながら鉄の獣人へ攻撃を当てていた。
「だけど、予想以上。抑制状態が解ければここまで到達するとはね」
「同意するよ観測の価値があるものだよ。未完成というものにはね」
室内に微かな笑い声が響く。
そして舞台は少年少女青年に戻る
先ほどまで通りに満ちていた悲鳴も、既に遠くへ退いていた。人々は建物の奥へ逃げ込み、あるいは危険区域そのものから離れている。残されたのは、なお暴れ続ける鉄の獣人と、それに対峙するアケム。そして、彼を置いて逃げることのできなかったルカとユイナだけだった。
そしてアケムもまた、二人が背後にいるからこそ、逃げるという選択肢を既に捨てていた。
獣人の背部機関が再び赤熱する。内部圧力の上昇とともに蒸気のような黒い霧が吹き出し、次の突進へ移ろうとした、その瞬間だった、アケムは機を狙う。
これまでの動きから、赤熱化直後にごく短い硬直が発生することを既に読み取っていた。少年の身体が低く沈み、そのまま側面へ滑り込む。直後、獣人の駆動が一瞬だけ鈍る。
そこへ蹴りを叩き込んだ。背部機関の基部へ直撃した衝撃に、金属が悲鳴のような音を上げる。さらに間髪入れずもう拳を合わせる。獣の身体がようやく怯みを見せた。
そして角度とタイミングが噛み合う。アケムは獣人を狂わせている違法パーツらしき箇所へ、今度は打ち込むのではなく手を滑り込ませた。
指先へ伝わる異様な振動。内部で何かが脈打ち、黒い液体を循環させている。獣人の動きが、わずかに乱れた。
──ここだ、直感が確信へ変わる。
アケムは叩かない。骨格と金属装甲のわずかな隙間へ指をねじ込み、そのまま体重を預けるように強引にひねった。
装甲の隙間から火花が散る。
赤熱しているはずの機関に触れているにもかかわらず、想像していたほどの熱は感じない。確かに熱い。皮膚は焼け、煙も上がっている。それでも、その熱量はアケムの肉体を拒絶し切れなかった。
指先が内部へ食い込む。彼はそのまま違法増設されたパーツそのものを抉り取るように装甲を引き剥がした。
金属が裂け、黒い液体が噴き出す。
さらにワイヤーを掴み、回路を引きちぎる。
そして露出した脈動する黒い核。
人工心臓にも似た異形の機関だった。拍動するたび、黒く熱した液体を脊椎へ送り込み、獣人の全身へ過剰な出力を循環させ続けている。まるで暴走そのものを維持するためだけに作られた臓器と少年は感じ取る。
獣人が絶叫した。それは咆哮というより、核の露出への拒絶反応。その時にも核は不安定に脈動し、黒い液体を噴き散らしながら暴走的に拍動を繰り返す。
鉄の獣人はアケムを引き剥がす様に暴れ身体をボロボロと崩しながら、アケムを掴まっていた場所が脆く崩れた勢いのまま地面に放り出す。
無防備に成ってしまった少年に獣人の腕が振り下ろされる。ただアケムを叩き潰すためだけに放たれた質量の暴力。喰らえば頭蓋が叩き割れるかもしれないユイナが悲鳴を上げる、その横に兄は居なかった。
(クソっ間に合わねぇ──!)
ルカの脳裏に最悪の光景がよぎる。だが考えるより先に身体が動いていた。腰の護符束を掴み、無理やり魔力を流し込む。
「と、まっれぇ!!!!」
護符が焼けるように発光し、幾何学紋様が空間へ固定される。薄い光膜の結界がアケムの頭上へ展開された。
直後に衝撃が走り。結界表面が悲鳴のように軋む、紋様が一瞬で罅割れる。完全には止めきれない。しかしその数泊の守り確かにトドメに繋がった。
刹那の時間、それだけでアケムには十分だった。
彼は蛇のように獣人の身体を這い上がる、そして背部に身を沈め、そのまま露出した核へ指を深く差し込んだ。
熱い。触れた瞬間、これまで以上に焼け付くようなが感覚が手にこべり付く。しかし皮膚が炭化或いは鉄の獣人に溶け合う前に別の感覚が内側で働き始める。過剰な熱伝導が急速に鈍化し、熱による損傷そのものが抑え込まれていく。
黒い液体が脈打つたび、指先へ不快な振動が伝わる。
それでもアケムは手を離さない。
「……止まれ」
そう祈るように呟き、引き抜いた。
粘り気を伴った感触とともに、核が肉と金属の奥から強引に抉り出された。直後、黒い液体が噴き上がる。
獣人の身体が大きく痙攣し、背骨へ沿っていた違法駆動部が火花を撒き散らし、赤熱していた装甲が急速に暗く沈んでいく。
振り下ろされるはずだった腕も途中で軌道を失い、重さだけを残して地面へだらりと垂れ下がった。
アケムは反射的に距離を取り、転がるように獣人から離脱した。荒く息を吐きながら、手の中を見る。
先ほどまで鼓動していた黒い核は、既に脈動を失い始めており。ただの熱を失った黒い塊へ変わりつつある。その直後だった。轟音とともに膝をつき倒れた獣人から漏れたのは、もはや獣の唸りではなかった。掠れた、人間の呼吸音。
生体光の片目が弱々しく瞬き、もう片方の照準レンズは空回りするように焦点を失っていく。
違法パーツによって無理やり引き上げられていた出力は消え去り、そこに残ったのは、違法改造によって歪みきった肉体だけだった。
「……終わった、のか?」
ルカが掠れた声を漏らす。展開していた結界は既に砕け、護符も半分以上が焼き切れていた。冷や汗が頬を伝う。
正直、助かると思っていなかった。アケムが戦い始めた瞬間から、ずっといつ死ぬかを見ていた。だが目の前の少年は、傷だらけになりながら、それでも立っている。
ルカは小さく息を呑む。
(何なんだよ……コイツ)
恐怖は確かにあった。人間離れした身体能力も、再生薬を使ったにせよ傷の治り方も、獣人相手に怯み切らなかった精神も、全部がおかしい。
だがそれ以上に──
「アケム!!」
ユイナが駆け出す。
その声に振り返った少年は、ようやく戦闘の緊張が切れたようで血塗れのまま困ったように笑っていた。
「……なんとか、なったみたいだね」
その笑みにどうしようもなくコチラも安心してしまいやれやれとルカは深く息を吐き、額を押さえた
プロフィール
名前 アケム・■■■■■■
(この世界の言語では無い)
年齢 10代後半位
身長 可変
体重 可変
立ち場 元パークアドラ外の実験体
家族 異界人 地球人類
言語 母語以外のほぼ全ての言語を習得済み
性別 【現在】男
髪色 銀
目の色 灰
外見的特徴
現在は敵意・警戒心を誘発しにくい方向へ本能的に見た目が固定されている、目つきや雰囲気からは悪意や敵意を感じ取れない。
好きな物 ルカ、ユイナ
嫌いな物 喪失感
趣味 知らない場所の散策
能力 適応型進化素体
汎ゆる非致命環境に適応し、身体を進化させて行く。
また他者の感情を感覚的に読み取って合わせたり、自身で身体の能力を成長拡張することも可能だが、それには経験が必要。新たな人類とも言えるアチラとコチラの世界の混雑種。改造ではなく人類の進化の産物。