怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
「……動かねぇだろうが、念を入れとくか」
ルカは低く呟きながら、残っていた護符を起動する。空中へ淡い幾何学的な紋様が浮かび上がり、薄い結界が獣人の周囲を覆った。
獣人の体躯は、もう動かない。照準レンズにも再起動の光は戻らず、黒い霧も既に止まっている。路地裏へ残されていたのは、油と血、それらが焦げた臭いだけだった。
それを確認したルカが、ようやく小さく息を吐く。
一方でアケムは、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
だが膝がわずかに揺れる。呼吸は荒く、鼓動も異常なほど速い。それでも視界だけは奇妙なほど澄み切っていた。
身体は重かった。立ち上がろうとすると膝が揺れ、肺の奥が焼けるように痛む。それでも傷口から流れていた血は既に止まり始めており、焼けた皮膚の下ではむず痒いような感覚とともに肉が繋がっていくのが分かった。
先ほどまで全身を満たしていた異様な高揚も急速に薄れている。代わりに押し寄せてくるのは、静かな疲労だった。
──戦いが終わった。
身体がそう理解し始めた瞬間だった。
「アケム!」
駆け寄ってきたユイナが、勢いのまま彼の腕を掴み、そのまま強く引き寄せる。
「うわっ、ユイナ……」
「バカ……! 本当にバカ……!」
声は怒っているようだったが、肩は小刻みに震えていた。抱き締める力も妙に強い。
どうしてそんな反応になるのかアケムにはよく分からない。それでも、自分が傷付いたことを悲しんでいるらしいことだけは理解できた。
「私より小さい子供のくせに、何やってんのよ……!」
「ごめん。でも……身体が勝手に動いちゃって」
アケムがそう答えると、ユイナの手にさらに力がこもる。今さらになって、アケムが本当に死ぬかもしれなかった光景が脳裏へ過ってきたのだろう。
焼けた道路。吹き飛ばされる身体。血の匂い。獣人の腕が振り下ろされる瞬間。もしルカの結界が間に合わなければ、もし一歩ずれていれば。
そんな想像が遅れて現実味を帯び始め、ユイナの表情を強張らせていた。
二人の隣までに来たルカは身をかがめ血と煙で汚れた少年の顔を真正面から見据え、その瞳の焦点を確認するように静かに問いかける。
「身体は大丈夫か、歩けそうか?」
「大丈夫、だと思う」
「動かしたら痛んだり、動かない場所とかは無いか」
「無いかな」
「そうか……なら良いが」
正直ルカは少年を既に一般的な人類とは見ていない、だがこの街で自由にやれる程に強い存在とも思っていない。少年の身体を見る、敗れた服の隙間から傷が見える。しかしそのほとんどが既に塞がっている。
そして初めて視線をアケムの手元へ落とす。
掌には、先ほど引き抜いた黒い塊がまだ残されていた、違法パーツの核。熱は失われつつあるにもかかわらず、それはまだ微かに脈動の残滓を抱えているようにも見えた。青年の眉がわずかに寄る。
「……それ、捨てろよ。良くわかんねぇからな」
この街では、理解できない物に執着するべきではない。その感覚だけは、長くパークアドラで生きてきた経験として骨身に染みついていた。アケムは黒い塊を見下ろす。
少年は何も言わず静かに手を開いた、黒い核が地面へ落ちる。鈍い音が、静まり返った路地裏へ小さく響いた。
(まあ、良く分からんねぇって点ならコイツも同じなんだが……此処で分かれるか?……アケムお前は何なんだ?だが、とりあえずやる事は後始末か)
遠くでは、なお都市の喧騒が続いている。それなのに、この通りの一角だけが妙に静かだった。破壊された壁面と焼けたアスファルトだけが、つい先ほどまでの暴走の痕跡を残している。
「さて、もう行こっか──」
「待て。とりあえず救急は呼ぶ」
「えー……」
露骨に嫌そうな声を出しながらも、ユイナは一応足を止める。
「死なれたら後味悪いしな。それに……アケムが殺ったって扱いになると面倒だ」
「あー、確かに。でもこの人、お金持ってるかな?」
「持ってなかったら、それ相応の医療機関に回されるだろ。無料で診てくれる場所もあるし」
「そういう場所って医療費分働かないと出られない所じゃなかいっけ?」
さらりと返された会話を、アケムは少し離れた場所から静かに聞いていた。
(知らないことが、一杯だな……此処は)
ルカは端末を取り出し、小さく息を吐きながら打ち込んで行く。
「破壊規模は小。通報分類は……自発鎮静っと」
「自発って言っていいの? アケムが止めたんだけど」
「いいんだよ。大量破壊兵器使ったわけでもないしな」
そんな軽口を交わしていると、遠くからサイレンの音が近づいてくる。海風に乗った低い振動音が、静まり返った路地へゆっくりと流れ込んだ。
その時だった、倒れていた獣人の指先がわずかに動く。
ギチ、と金属が擦れる音が響いた。
「……生きてるね」
ユイナが呟き、ルカはどこか安堵したように肩の力を抜く。獣人の瞼がゆっくり開く。先ほどまで濁っていた赤い光は消えており、そこに残っていたのは混乱と疲弊だけだった。
「……ここ、は……」
掠れた声で呟きながら、自分の腕を見下ろし、壊れた周囲へ視線を巡らせる。そして最後に、その目がアケムで止まった。
短い沈黙。
やがて獣人は、苦しそうに言葉を絞り出す。
「……俺は……やったか?」
ユイナは少しだけ視線を逸らし、それから答えた。
「今回は死傷者は出てないよ。ちょっと怪我人は出たけど、私の連れにもね」
その言葉を聞いた瞬間、獣人の強張っていた表情が、わずかに緩む。
「良かった……俺は、殺してなかった……」
ちょうどその頃、救急車の青白い光が路地へ差し込み始めていた。ルカはなるべく刺激しないよう穏やかな声を出す。
「大丈夫だ。医療機関には回される。ちゃんと正気なら……また日常に戻れるだろうさ」
「……そうか」
それ以上、獣人は何も言わなかった。
到着した救急隊員たちは、暴走後の機械化症例に慣れているのか、必要以上に騒がず淡々と処置を進めていく。拘束具付きの担架へ慎重に固定される間も、獣人に抵抗する様子はない。
ただ、搬送される直前。
彼はわずかに顔を動かし、アケムへそっと告げた。
「……何となく覚えてる。止めてくれて……ありがとな」
救急車が走り去ると、路地は再び静けさを取り戻した。ルカは大きく息を吐き、ぱん、と手を叩いて空気を切り替える。
「よし。片付いたな。じゃ、今度こそ帰るぞ」
「そうだねー……疲れた」
ユイナも気の抜けた声で頷く。
アケムも小さくそれに続こうとした──その瞬間だった。
溶けた街灯の影、その向こう側に、誰かが立っている。
黒いコートを纏った細い影。
そして、ゆっくりと拍手が鳴った。
一つ、二つ。
「見事だ。実に興味深かったよ」
眼前は奇妙極まりない状況のはずなのに、その対象から放たれる声は不思議と耳に馴染んでしまう、恐ろしいほど落ち着いた響き。
「次は、もう少し難度を上げようか」
「……誰?」
影はチラリとアケムの方を見た気がした。その瞬間、アケムの背筋へ初めて明確な予感が走る。
──これは偶然じゃない、見られている。
この存在は、最初から僕を観察している。
潮風が路地を吹き抜ける。救急車のサイレンは既に遠ざかり、街は何事もなかったように再び呼吸を始めていた。
それなのに、この通りの一角だけ、空気の密度が決定的に違っていた。見えない何かが、空間ごと薄く歪んでいる。
そして、アケムは気づく。これほどの騒ぎでありながら、周囲に野次馬が一人も集まらなかったのは、恐らく目の前にいる存在の『影響』なのだと。
アケムは無意識に一歩前へ出た。
「下がって」
鉄の獣人と対峙した時と同じ行動だった、その反応に影は小さく感心したように息を漏らす。
「そう言えば君は……環境だけでなく、周囲の意志にも適応するのだったね」
柔らかな声だが、しかし性別も年齢も曖昧で、人間らしい輪郭が掴めない、影はアケムを見つめながら、どこか愉快そうに続ける。
「私の知る君なら、もっと効率的だった。あそこで他人を守る選択はしなかっただろう、他人を守ろうとするなんて……実に素晴らしい変化だよアケムくん」
その言葉に、ルカが鋭く前へ出る。
「お前、何者だ。コイツの何を知ってる?」
「ああ、私については気にしなくていい。アケムくんのパークアドラ到着に際して挨拶をしに来たおかしなモノだと思ってくれたまえよ」
影は穏やかにそう告げる。ふざけているようにも聞こえる台詞だった。だが、その声音には妙な説得力があった。冗談めいた言葉を口にしているはずなのに、誰一人として笑う気にはなれない。
「君達は彼を保護してくれればいい。それで十分だ。私はあまり環境へ手を加えない主義でね。良心ある市民の元で生きるアケムくんがどう変化していくのかを観察したいだけなんだ」
「観察って……何それ、普通に怖いんだけど」
「その困惑と警戒、とても良い反応だ。では後ほど別の機会を用意した時に会おう。あぁ安心したまえ。相応の対価は送ろう、君達が彼を拾ったことを後悔するような状況にはしない」
影は穏やかに笑う。
「少なくとも私は、そのつもりだ。では、またねアケムくん。ルカ・キサラギ。ユイナ・キサラギ」
瞬きほどの間だった。次の瞬間には、そこにもう影は存在していなかった。足音もない。風の揺れもない。ただ街灯だけが、何事もなかったかのように路地を照らしている。
やがてユイナが、ぽつりと呟いた。
「……夢とかじゃないよね?」
「違うな、ああいうのは大抵は実在する。クソっ……変なのに絡まれて目を付けられた」
(しかし、アイツのセリフ……もし俺達がアケムをわざと遠ざけたり、離したらどうする気なんだ?)
この都市で一般市民の命は軽い。選択一つで簡単に命が散る。先ほどの相手は、間違いなくその気になれば自分たちなど容易く殺せる存在だった、最悪だ。
だが同時に、あの影はアケムを保護しろとも言った。もし本当にそうなら、少なくともアケムがいる限り、自分たちへ積極的に害を向ける気は無いのかもしれない。
(ユイナにはこの考えは聞かせられないな)
ルカが思案を巡らす一方アケムはしばらく動かなかった。あの影から感じたのは、敵意でも悪意でもない。むしろ、好意に近かった。だからこそ分からない。
暴走していた獣人の方が、まだ理解できた。苦しみ、制御を失っていただけだ。だが、あの存在は違う。混乱する感情が理解を拒む
「……行こう」
沈黙を破るように、ルカが口を開く。
アケムはわずかに視線を伏せた。
「……良いの? 僕がついて行っても」
「今更だろ」
ルカは呆れたように返す。
ユイナも肩をすくめた。
「まあ、厄ネタなのは確定したけど、アケムくん自身が厄災って感じじゃなさそうだし」
「……でも僕は」
「だから良いんだよ」
ルカは遮るように言った。
「一回助けてもらったんだ。なら一回くらい恩を返す。それで十分だろ」
その言葉に、アケムはほんの少しだけ目を見開く。
それから静かに頷いた。
「……分かったよ。ルカ」
「ったく……ガキが」
ルカは頭を掻きながら背を向ける。これ以上、この場に留まる理由はなかった。三人は再び、夜のパークアドラの雑踏へ歩き出す。
アケムは二人の背中を見る。本来なら、ここで別れる理由はいくらでもあった。得体の知れない存在だと知られた。危険な何かに目を付けられていることも分かった。
それでも二人は追い払わなかった、理由は上手く理解できない。けれど胸の奥に残る感覚だけは、試験終了後に与えられる評価とも、生存確認の報告とも少し違っていた。
だからアケムは足を速める、置いて行かれないようにと。
プロフィール
名前 ルカ・キサラギ
年齢 22歳
身長 181cm
体重 72kg
立場 パークアドラ一般市民、雑務請負業
家族 ユイナ・キサラギ(妹)
言語 現界共通語、商業区スラング、簡易異界語
性別 男
髪色 黒髪
目の色 暗い茶色
外見的特徴
無精気味の黒髪と眠たそうな目付きが特徴の青年。表情変化は少なく、第一印象はやや冷淡。疲労感のある空気を纏っている青年。
好きな物:安売り総菜、純文学
嫌いな物:賭博、睡眠不足
趣味 中古端末弄り、読書
名前 ユイナ・キサラギ
年齢 17歳
身長 160cm
体重 51kg
立場 パークアドラ一般市民、雑務請負業
家族 ルカ・キサラギ(兄)
言語 現界共通語
性別 女
髪色 焦げ茶
目の色 琥珀色
外見的特徴
明るい表情と感情豊かな反応が印象的な少女。服装はカジュアル寄り。小柄だが行動力は高く、親しみやすい雰囲気を持ち、人外相手でも比較的すぐ打ち解ける。
好きな物 流行りのスイーツ、写真
嫌いな物 暗い空気、不機嫌な時の兄
趣味 絶景スポット巡り、変な買い物