適応進化する少年、人外魔境で暮らします   作:プーリとベルト

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インビジブル・ゲスト


第3話

「……動かねぇだろうが、念を入れとくか」

 

 ルカは低く呟きながら、残っていた護符を起動する。空中へ淡い幾何学紋様が浮かび上がり、薄い結界が獣人の周囲を覆った。

 

 獣人の体躯は、もう動かない。照準レンズにも再起動の光は戻らず、黒い霧も既に止まっている。路地裏へ残されていたのは、油と血、それから焦げた金属臭だけだった。

 

 それを確認したルカが、ようやく小さく息を吐く。

 

 一方でアケムは、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

 

 だが膝がわずかに揺れる。呼吸は荒く、鼓動も異常なほど速い。それでも視界だけは奇妙なほど澄み切っていた。

 

 全身を震わせていた筋繊維が徐々に落ち着き始め、薬品によって無理やり引き上げられていた代謝が、少しずつ正常域へ戻っていくのが分かる。

 

 焼けた皮膚の表面では、じくじくとした熱を伴いながら組織の再構築が進行していた。深く裂けた肩の傷も完全には塞がっていないものの、既に出血は止まりつつある。

 

 だが、それ以上の回復は鈍い。薬品の効果が切れ始めているのだ。先ほどまで全身を満たしていた戦闘時の高揚が急速に引いていき、代わりに肺の奥から冷たく静かな疲労感が広がってくる。

 

 ──戦いが終わった。

 

 身体がそう理解し始めた瞬間だった。

 

「アケム!」

 

 駆け寄ってきたユイナが、勢いのまま彼の腕を掴み、そのまま強く引き寄せる。

 

「うわっ、ユイナ……」

 

「バカ……! 本当にバカ……!」

 

 震えた声だった。

 

 怒っているのか、泣きそうなのか、自分でも整理できていないような声音。

 

「私より小さい子供のくせに、何やってんのよ……!」

 

「ごめん。でも……身体が勝手に動いちゃって」

 

 アケムがそう答えると、ユイナの手にさらに力がこもる。今さらになって、アケムが本当に死ぬかもしれなかった光景が脳裏へ戻ってきたのだろう。

 

 焼けた道路。吹き飛ばされる身体。血の匂い。獣人の腕が振り下ろされる瞬間。もしルカの結界が間に合わなければ、もし一歩ずれていれば。

 

 そんな想像が遅れて現実味を帯び始め、ユイナの表情を強張らせていた。

 

 

 二人の隣までに来たルカは身をかがめ血と煙で汚れた少年の顔を真正面から見据え、その瞳の焦点を確認するように静かに問いかける。

 

「身体は大丈夫か、歩けそうか?」

 

「大丈夫、だと思う」

 

「動かしたら痛んだり、動かない場所とかは無いか」

 

「無いかな」

 

「そうか……なら良いが」

 

 

 正直ルカは少年を既に一般的な人類とは見ていない、だがこの街で自由にやれる程に強い存在とも思っていない。少年の身体を見る、敗れた服の隙間から傷が見える。しかしそのほとんどが既に塞がっている。

 

 

 そして初めて視線をアケムの手元へ落とす。

 

 掌には、先ほど引き抜いた黒い塊がまだ残されていた、違法パーツの核。熱は失われつつあるにもかかわらず、それはまだ微かに脈動の残滓を抱えているようにも見えた。青年の眉がわずかに寄る。

 

「……それ、捨てろよ。良くわかんねぇからな」

 

 この街では、理解できない物に執着するべきではない。その感覚だけは、長くパークアドラで生きてきた経験として骨身に染みついていた。アケムは黒い塊を見下ろす。

 

 少年は何も言わず静かに手を開いた、黒い核が地面へ落ちる。鈍い音が、静まり返った路地裏へ小さく響いた。

 

 遠くでは、なお都市の喧騒が続いている。それなのに、この通りの一角だけが妙に静かだった。破壊された壁面と焼けたアスファルトだけが、つい先ほどまでの暴走の痕跡を残している。

 

「さて、もう行こっか──」

 

 そう言って立ち上がりかけたユイナを、ルカが軽く腕で制した。

 

「待て。とりあえず救急は呼ぶ」

 

「えー……」

 

 露骨に嫌そうな声を出しながらも、ユイナは一応足を止める。

 

「死なれたら後味悪いしな。それに……アケムがやったって扱いになると面倒だ」

 

「えー……」

 

 ユイナはもう一度、倒れた獣人を見下ろした。

 

「あー、確かに。でもこの人、お金持ってるかな?」

 

「持ってなかったら、それ相応の医療機関に回されるだろ。無料で診てくれる場所もあるし」

 

「医療費分働かないと出られない所じゃなかったっけ、そこ」

 

 さらりと返された会話を、アケムは少し離れた場所から静かに聞いていた。

 

(知らないことが、一杯だな……此処は)

 

 命が助かるかどうかより先に、支払いの話が出る。

 

 価値観の順番が違う。だが冷たいわけではないのだと、彼には何となく分かっていた。恐らく、この街ではそれが普通なのだ。

 

 ルカは端末を取り出し、小さく息を吐く。

 

「破壊規模は小。通報分類は……自発鎮静っと」

 

「自発って言っていいの? アケムが止めたんだけど」

 

「いいんだよ。大量破壊兵器使ったわけでもないしな」

 

 その言葉にユイナは吹き出すように笑った。

 

 そんな軽口を交わしていると、遠くからサイレンの音が近づいてくる。海風に乗った低い振動音が、静まり返った路地へゆっくりと流れ込んだ。

 

 その時だった、倒れていた獣人の指先がわずかに動く。

 ギチ、と金属が擦れる音が響いた。

 

「……生きてるね」

 

 ユイナが呟き、ルカはどこか安堵したように肩の力を抜く。

 

 獣人の瞼がゆっくり開く。先ほどまで濁っていた赤い光は消えており、そこに残っていたのは混乱と疲弊だけだった。

 

「……ここ、は……」

 

 掠れた声で呟きながら、自分の腕を見下ろし、壊れた周囲へ視線を巡らせる。そして最後に、その目がアケムで止まった。

 

 短い沈黙。

 

 やがて獣人は、苦しそうに言葉を絞り出す。

 

「……俺は……やったか?」

 

 ユイナは少しだけ視線を逸らし、それから答えた。

 

「今回は死傷者は出てないよ。ちょっと怪我人は出たけど、私の連れにもね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、獣人の強張っていた表情が、わずかに緩む。

 

「良かった……俺は、殺してなかった……」

 

 ちょうどその頃、救急車の青白い光が路地へ差し込み始めていた。ルカはなるべく刺激しないよう穏やかな声を出す。

 

「大丈夫だ。医療機関には回される。ちゃんと正気なら……また日常に戻れるだろうさ」

 

「……そうか」

 

 それ以上、獣人は何も言わなかった。

 到着した救急隊員たちは、暴走後の機械化症例に慣れているのか、必要以上に騒がず淡々と処置を進めていく。拘束具付きの担架へ慎重に固定される間も、獣人に抵抗する様子はない。

 

 ただ、搬送される直前。

 彼はわずかに顔を動かし、アケムへそっと告げた。

 

「……何となく覚えてる。止めてくれて……ありがとな」

 

 救急車が走り去ると、路地は再び静けさを取り戻した。ルカは大きく息を吐き、ぱん、と手を叩いて空気を切り替える。

 

「よし。片付いたな。じゃ、今度こそ帰るぞ」

 

「そうだねー……疲れた」

 

 ユイナも気の抜けた声で頷く。

 

 アケムも小さくそれに続こうとした──その瞬間だった。

 溶けた街灯の影、その向こう側に、誰かが立っている。

 

 黒いコートを纏った細い影。

 そして、ゆっくりと拍手が鳴った。

 

 一つ。

 

 二つ。

 

「見事だ。実に興味深い」

 

 穏やかな声だった。奇妙なはずなのに、不思議と耳に馴染んでしまう落ち着いた響き。

 

「次は、もう少し難度を上げようか」

 

 ユイナが露骨に顔をしかめる。

 

「……誰?」

 

 影はチラリとアケムの方を見た気がした。その瞬間、アケムの背筋へ初めて明確な予感が走る。

 

 ──これは偶然じゃない、見られている。

 この存在は、最初から僕を観察している。

 

 潮風が路地を吹き抜ける。救急車の赤色灯は既に遠ざかり、街は何事もなかったように再び呼吸を始めていた。それなのに、この通りの一角だけ空気が違う、見えない何かが、空間ごと薄く歪んでいる。

 そしてアケムは気づく。

 

 周囲に野次馬が集まらなかったのは、恐らく目の前の存在の影響なのだと。

 

 アケムは無意識に一歩前へ出た。

 

「下がって」

 

 鉄の獣人と対峙した時と同じ行動だった、その反応に影は小さく感心したように息を漏らす。

 

「そう言えば君は……環境だけでなく、周囲の意志にも適応するのだったね」

 

 柔らかな声だった。しかし性別も年齢も曖昧で、人間らしい輪郭が掴めない。

 

 影はアケムを見つめながら、どこか愉快そうに続ける。

 

「此処へ来る以前の記録では、君はもっと冷徹で効率的だった。人間性の薄い個体だったはずだ。他人を守ろうとするなんて……実に素晴らしい変化だよ」

 

 その言葉に、ルカが鋭く前へ出る。

 

「お前、何者だ。コイツの何を知ってる?」

 

「ああ、私については気にしなくていい。アケムくんのパークアドラ到着に際して挨拶をしに来たおかしなモノだと思ってくれたまえよ」

 

 影は穏やかにそう告げた。ふざけているようにも聞こえる台詞だった。だが、その声音には妙な説得力があった。冗談めいた言葉を口にしているはずなのに、誰一人として笑う気にはなれない。

 

 

「君達は彼を保護してくれればいい。それで十分だ。私はあまり環境へ手を加えない主義でね。良心ある市民の元で生きるアケムくんがどう変化していくのかを観察したいだけなんだ」

 

 ユイナは完全に不審者を見る顔になっていた。

 

「観察って……何それ、普通に怖いんだけど」

 

「その困惑と警戒、とても良い反応だ」

 

 影は穏やかに笑う。

 

「では後ほど。ああ、生活費については気にしなくていい。君達には相応の対価を送ろう」

 

 そして最後に、静かに告げた。

 

「じゃあね、アケムくん。ルカ・キサラギ。ユイナ・キサラギ」

 

 瞬きほどの間だった。次の瞬間には、そこにもう影は存在していなかった。足音もない。風の揺れもない。ただ街灯だけが、何事もなかったかのように路地を照らしている。

 

 しばらく沈黙が落ちる。

 

 やがてユイナが、ぽつりと呟いた。

 

「……夢とかじゃないよね?」

 

「違うな」

 

 ルカは即座に首を振る。

 

「ああいうのは、だいたい実在する。クソっ……変なのに絡まれた」

 

 アケムはしばらく動かなかった。あの影から感じたのは、敵意でも悪意でもない。むしろ、好意に近かった。だからこそ分からない。

 

 暴走していた獣人の方が、まだ理解できた。苦しみ、制御を失っていただけだ。だが、あの存在は違う。混乱する感情が理解を拒む

 

「……行こう」

 

 沈黙を破るように、ルカが口を開く。

 

 アケムはわずかに視線を伏せた。

 

「……良いの? 僕がついて行っても」

 

「……今更だろ」

 

 ルカは呆れたように返す。

 

 ユイナも肩をすくめた。

 

「まあ、厄ネタなのは確定したけど、アケムくん自身が厄災って感じじゃなさそうだし」

 

「……でも僕は」

 

「だから良いんだよ」

 

 ルカは遮るように言った。

 

「一回助けてもらったんだ。なら一回くらい恩を返す。それで十分だろ」

 

 その言葉に、アケムはほんの少しだけ目を見開く。

 

 それから静かに頷いた。

 

「……分かった。ありがとう、ルカ」

 

「ったく……ガキが」

 

 ルカは頭を掻きながら背を向ける。これ以上、この場に留まる理由はなかった。三人は再び、夜のパークアドラの雑踏へ歩き出す。




プロフィール

名前 ルカ・キサラギ
年齢 22歳
身長 181cm
体重 72kg
立場 パークアドラ一般市民、雑務請負業
家族 ユイナ・キサラギ(妹)
言語 現界共通語、商業区スラング、簡易異界語
性別 男
髪色 黒髪
目の色 暗い茶色

外見的特徴
無精気味の黒髪と眠たそうな目付きが特徴の青年。表情変化は少なく、第一印象はやや冷淡。疲労感のある空気を纏っている青年。

好きな物:安売り総菜、純文学
嫌いな物:賭博、睡眠不足
趣味 中古端末弄り、読書

名前 ユイナ・キサラギ
年齢 17歳
身長 160cm
体重 51kg
立場 パークアドラ一般市民、雑務請負業
家族 ルカ・キサラギ(兄)
言語 現界共通語
性別 女
髪色 焦げ茶
目の色 琥珀色

外見的特徴
明るい表情と感情豊かな反応が印象的な少女。服装はカジュアル寄り。小柄だが行動力は高く、親しみやすい雰囲気を持ち、人外相手でも比較的すぐ打ち解ける。

好きな物 流行りのスイーツ、写真
嫌いな物 暗い空気、不機嫌な時の兄
趣味 絶景スポット巡り、変な買い物
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