適応進化する少年、人外魔境で暮らします   作:プーリとベルト

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朝のキサラギ家


第5話

 

 

 生物的更新という名の、数百年分にも等しい変化を圧縮した夜を終え、アケムは静かに目を開けた。

 

 時刻はまだ早朝であり、部屋の中には淡い朝光が差し込み始めている。アケムの外見に変化はほとんど現れていない。それは彼自身が現在の姿に大きな不便を感じていないからであり、必要性を認識していない以上、肉体もまた無意味な変異を選ばない。

 

 そしてアケム自身も、起床後に向上している身体性能を特別なこととは捉えていなかった。彼にとっては、呼吸や心拍と同じく、ただ生存のために当然行われる反応に過ぎなかったからだ。

 

 窓際へ立ったアケムは、そのまましばらく都市の景色を見下ろしていた。

 

 朝のパークアドラは、夜とは異なる騒がしさを持っている。物流用ドローンが幾つも頭上を横断しつつ輸送経路を飛び交い、空中広告は夜用の派手な発光色から柔らかな朝向けの配色へ切り替わっており、都市が目覚めている、という感覚とは少し違った趣きを感じ取る。

 

 むしろ止まることなく動き続けていた巨大な機構が、朝という時間帯によって僅かに表層へ浮かび上がってきたような光景だった。

 

 その時、背後で布の擦れる音がした。

 

「……ん」

 

 自室で眠っていたルカが身を起こし、そのまま半分閉じたような目でリビングへ姿を現す。寝癖で乱れた黒髪を掻きながらぼんやり室内を見回していた彼は、窓際に立つ銀髪の少年を見つけた瞬間だけ動きを止めた。

 

「……おっ」

 

 短い沈黙が落ちる。

 

「あ、そういやそうだった。あっぶねぇ、通報しかけた」

 

 昨夜の出来事を思い出したらしい。ルカは眠気の抜け切らない顔のまま目元を擦り、それから気の抜けた調子で欠伸をかみ殺す。

 

「おはようアケム」

 

「おはよう」

 

 自然に返された朝の挨拶に、ルカはほんの少しだけ目を細めた。

 

 昨日拾ってきたばかりの、正体不明の少年。それがまるで以前から同じ家で暮らしていたかのように普通に朝の挨拶を返してくる。その妙な状況に、彼は少しだけ可笑しさを覚える。

 

「早いな、お前」

 

「起きた」

 

「そりゃ見れば分かる」

 

 小さく笑いながらルカは立ち上がり、そのまま洗面所へ向かっていく。しばらくすると奥から流水音が響き始め、顔でも洗ったのか、やがて先ほどまでの眠たげな空気を少しだけ振り払った表情で戻ってきた。

 

「腹減ってるか?」

 

「うーん、あんまり」

 

「そっか。まぁ、とりあえず食っとけ」

 

 ルカが冷蔵庫を開くと、白い庫内灯がまだ薄暗い室内へ淡く広がり、棚の中には卵、加工肉、安価な栄養飲料、使いかけのソース類その他よく分からないモノ色々、それでもルカは慣れた手付きで必要な物を取り出してきびきびと朝食の準備を始める。

 

「食える時に食うの、この街じゃ割と大事だからな」

 

 肩を軽く回しながらそう呟いたルカは、パンを後ろの機器に手早く3枚突っ込み再び加熱プレートを見つめ直す

 

 

「昨日色々あり過ぎたしな……変なガキ拾うわ、暴走体と遭遇するわ、トリプルワーズが家賃十年分以上投げ込んでくるわ……」

 

 半ば独り言のようにそう漏らした後、彼は少しだけ振り返ってアケムを見た。

 

「まぁでも、お前が普通に起きてて安心したよ」

 

 その言葉に、アケムは僅かに首を傾げる。

 

「……変?」

 

「いや、起きたら変な怪物とかになってたら怖いだろ?」

 

「それは、確かにそうかも」

 

 加熱プレートの上で油が細かく弾け、卵の焼ける匂いがゆっくりと部屋へ広がっていく。その音を聞きながら、アケムは昨夜の出来事を静かに思い返していた。

 

 鉄の獣人との戦闘。路地裏へ現れた黒い影。そして喜泣公という存在。まだ理解できないことばかりだったが、その中でも一つだけ、妙に頭へ残っている単語があった。

 

「そういえば、トリプルワーズって何なの?」

 

「ああ、そうだったな。ユイナ起きるまでまだ時間あるし、ついでにこの都市の話も含めて説明するか」

 

 そう言いながらルカは椅子を引き、テーブルへ簡単な朝食を並べ始めた。湯気の立つスープに、軽く焼かれたパン。それから卵と肉を適当に炒めた料理が皿へ盛られていく。どれも特別豪華ではないが、生活の匂いがする食事だった。

 

「まず前提として、パークアドラってのは普通の都市じゃねぇ」

 

「それは……何となく分かる」

 

 アケムが素直に頷くと、ルカも苦笑混じりに「だろうな」と返した。

 

「元々は海底開発用の超大型移動都市だったらしい。まあ、らしいって話だけど」

 

「らしい?」

 

「古すぎて記録が滅茶苦茶なんだよ。前の大戦でかなり吹っ飛んでるし、都市そのものも増築と改造を繰り返し過ぎて、今じゃ誰も全体構造を把握してない」

 

 ルカはそう言いつつ椅子へ腰を下ろし、フォークを手に取った。

 

「で、今は見ての通りだ。何でも流れ着く。合法も違法も混ざって増殖し続けてる」

 

「ゴミ捨て場みたいだね」

 

「半分は正解だな。でも同時に、この街は可能性の街でもある。外じゃ生きられない奴でも、ここなら何とかなる場合があるんだよ。それで、その中で特に有名になったり、危険視されたりすると、二つ名が付く」

 

「名前とは違う?」

 

「違うな。肩書きとか通称に近い。本人が名乗るってより、周囲が勝手に呼び始める感じだ。後、この街じゃ二つ名は短いほどヤバいって認識がある」

 

「短いほど?」

 

「情報密度が高いってことだ。長い二つ名は、自称とか説明文みたいなのが混ざる。『リヴァイアサン・コード』とか、『異界回遊する旅人』とか、そういう長いやつな」

 

「長いね、知らない人にも分かりやすいけど」

 

「そう言うのは名乗ると要約しろって言われるぞ、ダサいからな」

 

 ルカが真顔で言うものだから、アケムは少しだけ考え込み、本当にそういう文化なのだと理解する。

 

「五文字以上は探せば割といる。有名人とか実力者とか、企業の広報用ネームも多い。四文字になると一気に知名度が跳ね上がって、クワトロワーズなんて呼ばれたりもするな」

 

「その上が、トリプルワーズ?」

 

「そう」

 

 

「三文字二つ名を持ってる奴らの総称だ。ここから先は都市有数の危険人物とか実力者扱いになる。大人なら大体知ってるし、直接じゃなくても何かしら被害や騒動に巻き込まれてることが多い」

 

 そして少し嫌そうな顔になる。

 

「『裁断者』、『黒医師』、『紫の尾』、『霧王子』……あと昨日の『喜泣公』もその辺だな。三文字持ちは大体、変人か化け物だ」

 

 アケムは静かにその単語を頭の中で反芻した。昨夜の黒い影の穏やかな声と、観察するような視線が思い出される。

 

「その上がダブルワーズ。二文字だ」

 

 そこまで言った時、ルカの声色が少しだけ変わった。

 

「ここまで来ると、名前そのものが災害扱いになる。『械王』、『黒冠』、『深界』、『狂賢』……そういう連中だな。都市側も下手に触れないし、本気で暴れたら区域一つ消える」

 

「危ない人達しかいないの?」

 

「いや、味方側もいる。『無敵』とか『最強』が有名だなR.A.I.D.で働いてる、R.A.I.D.はまぁ破界対策局って言うんだが、とりあえずは強い警察みたいなもんだな、相当の緊急事態でも無ければ出張らないが」

 

「じゃあ、一文字は?」

 

 その問いに、ルカはすぐには答えなかった。数秒ほど沈黙し、視線だけを少し伏せる。それからようやく、小さく息を吐いた。

 

「……正直、あれはもう人ってカテゴリで考えない方がいい『死』、『夢』、『空』、『剣』そういう存在なんだよ」

 

「存在?」

 

「能力がどうとか、強い弱いとか、そういう話じゃなくなる。世界の法則側に片足突っ込んでるような奴らだよ。確認されてるだけで18個体存在するって話だ」

 

「18しかいないんだ」

 

「被害みた奴らは十分多いって言ってるぞ」

 

 ルカは苦い顔を浮かべつつ肩をすくめる。

 

「封印されてるのもいるし、『三』とか『遊』とかはみたいな奴らは片方はカジノでディーラーしてるし、もう片方は遊園地作って引きこもってる」

 

「社会に馴染めてる?」

 

「まあ……カジノと遊園地そのものが異界みたいなもんだから、実質そこに閉じこもってるだけとも言えるけどな」

 

 

「閉じこもる……」

 

「ほら、此処に座れ俺の部屋から椅子持ってきてるからな、俺が食えねぇだろ」

 

 

 アケムは言われるがまま座るとルカの様子を見ながら自身の前に置かれたパンを口へ運んだ、焼かれた表面の香ばしさと、内部の柔らかな食感。それを咀嚼する。パークアドラ初のマトモな食事は本当に何から何まで普通な一食だった

 

 そして聞いた話を頭でまとめて感想を口にする。

 

「……パークアドラって危ない場所なんだね」

 

 率直な感想だった。しかしルカはすぐには頷かず、しばらくスープの湯気を見つめてから、小さく息を吐く。

 

 

「ま、その分ある程度の異常には寛容だし。何より理解者や受け入れようとする奴もいる」

 

「僕を家に泊めたルカやユイナみたいな人ってこと?」

 

「今さらかよ」

 

「昨日は、流れだったから」

 

「まぁ確かに勢いはあったな……」

 

 ルカは苦笑しながら頭を掻き、そのまま椅子へ深く座り直した。

 

「そうだな、少なくとも昨日見た限りじゃ、ちゃんと人助けしようとしてただろ」

 

「……そう、だったのかな」

 

 アケムは少しだけ視線を伏せる。自分では守りたいという感情を完全には理解できていない。ただ、あの時は二人が危険に晒される未来を避けるべきだと判断し、身体が勝手に動いていた。それは僕から湧き出たモノというより───

 

 そんな彼の様子を見ながら、ルカはふっと小さく笑う。

 

「ちゃんと行動して助けてくれるアケムを俺はいい奴と思ってるよ、だから家に入れたし───」

 

 その時、不意に奥の部屋から何かが落ちる音が響いた。続けて、寝ぼけたような呻き声のような音が聞こえてくる。

 

「あー……起きたな」

 

 ルカが半笑いで呟いた直後、寝室の扉がゆっくり開いた。

 

 そこから現れたユイナは、髪を完全に爆発させた状態のまま、半分閉じた目でふらふらと歩いてくる。寝癖で跳ねた髪は四方八方へ広がっており、片方の袖は肩までずり落ち、どう見てもまともに覚醒していない。

 

「……おはよー……世界……」

 

「世界規模で挨拶すんな」

 

「今日の私は広域対応型だから……」

 

 そのまま力尽きたようにテーブルへ突っ伏すユイナを見ながら、アケムは静かに瞬きをした。

 

「……ユイナ、変なこと言ってる」

 

「朝は大体こんなもんだ」

 

 ルカが即答する。

 

「ひどくない?」

 

「事実だろ」

 

 ユイナはむぅ、と不満そうな声を漏らしながらも顔を上げ、そのままぼんやりした目でアケムを見つめた。

 

「……あ、アケムおはよ」

 

「うん、おはよ」

 

「よかったー。夜中に変異して天井とか這ってたらどうしようかと思ってた」

 

「そんな風になる可能性あったの?」

 

「冗談冗談、まぁ数%は有るかもって思ったけど」

 

「それは、ユイナの期待が外れて良かった……のかな?」

 

「そうそう良いこと良いこと」

 

「あのな今日は忙しいんだぞ、ユイナは髪整えて顔洗って朝ごはんを食え」

 

「分かってまーす」

 

「あの…………忙しいって?」

 

 アケムが静かに問い返すと、ルカは「あ」と短く声を漏らし、フォークを持ったまま思い出したように頷いた。

 

「そうだ、伝え忘れてたな」

 

 そう言いながら彼はテーブル脇へ放っていた端末を拾い上げ、画面を軽く操作する。そこには既に幾つかの店舗情報や地図が表示されていた。

 

「お前の服とか端末とか買いに行くんだよ。このままじゃ流石に不便だろ」

 

「服……」

 

 アケムは自分の着ている黒いシャツへ視線を落とした。借り物の衣類は着心地こそ悪くないものの、袖丈も肩幅も微妙に合っていない。

 

「あと身分周りもどうにかしないとな。最低限の登録が無いと店にも入れない場所あるし、都市交通も面倒だ」

 

「それは、ありがとう……なの、かな?」

 

「なんで疑問形なんだよ」

 

「いや、まだ慣れてなくて。でも拒否するよりお礼言った方が良いかなって」

 

 その返答に、ルカは一瞬だけ言葉を止める。

 

 冗談っぽく返そうとしていた空気が僅かに緩み、代わりに何とも言えない微妙な沈黙が落ちた。

 

 だが次の瞬間には、横で話を聞いていたユイナが勢いよく顔を上げる。

 

「じゃあ今日はアケム改造計画だ!」

 

「言い方が物騒すぎるだろ……」

 

「お洋服買うだけだからセーフセーフ」

 

「そうだね、楽しそう」

 

「でしょ? 楽しみにしててよ商業区すっごいから」

 

「それは確かにな」

 

「どんな所何だろう」

 

「そうだな─────」

 

 そしてアケム自身、自分の内部で起きている変化にまだ気づいていなかった。

 

 昨夜の更新によって最も変化していたのは、筋力でも視力でもなく、他者との生活に対する適応性そのものだということに。

 




プロフィール

・中層区域ミドルベルト
人口密度最大の生活・商業・産業地帯。アドルタス商業区、メディカル・バベル、各種学術施設、工業区域など都市機能の大半が集中している。一般人が「パークアドラ」と聞いて想像する景色は大体ここ。多種族、多文化、多企業が混在しており、日常と異常が最も近接する層でもある。違法改造事件、異界流入、小規模怪異災害などは日常茶飯事だが、それでも都市機能は止まらない。人々は慣れによって生き延びている


・二つ名
この都市では短い二つ名ほど、危険・強力・悪名が凝縮されているという暗黙の共通認識がある。名乗るものではなく、他者から名付けられるもの

・lots of characters(六文字以上)
一応二つ名を持っている時点で無名ではない、自称・広報・記録上の名称が多く五文字以上の二つ名を持ってる人物はこの二つ名を多数所持しているが使うことは殆ど無い、長い=ダサいという認識がパークアドラには形成されている
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