怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける 作:プーリとベルト
数百年分にも等しい変化を圧縮した夜を終え、アケムは静かに目を開けた。
時刻はまだ早朝であり、部屋の中には淡い朝光が差し込み始めている。アケムの外見に変化はほとんど現れていない。それは彼自身が現在の姿に大きな不便を感じていないからであり、必要性を認識していない以上、肉体もまた無意味な変異を選ばない。
そしてアケム自身も、起床後に向上している身体性能を特別なこととは捉えていなかった。彼にとっては、呼吸や心拍と同じく、ただ生存のために当然行われる反応に過ぎなかったからだ。
窓際へ立ったアケムは、そのまましばらく都市の景色を見下ろしていた。
朝のパークアドラは、夜とは異なる騒がしさを持っている。物流用ドローンが幾つも頭上を横断しつつ輸送経路を飛び交い、空中広告は夜用の派手な発光色から柔らかな朝向けの配色へ切り替わっており、都市が目覚めている、という感覚とは少し違った趣きを感じ取る。
むしろ止まることなく動き続けていた巨大な機構が、朝という時間帯によって僅かに表層へ浮かび上がってきたような光景だった。
その時、背後で布の擦れる音がした。
「……ん」
自室で眠っていたルカが身を起こし、半分閉じたような細い目でリビングへ姿を現した。寝癖で乱れた黒髪をガシガシと掻きながら、ぼんやりと室内を見回していた彼は、窓際に立つ銀髪の少年の姿を見つけた瞬間、ピタリと動きを止めた。
「……おっ」
何とも言えない奇妙な間が過ぎた後。
「あ、そういやそうだった。あっぶねぇ、不審者かと思って通報しかけたわ」
昨夜の出来事を思い出したらしい。ルカは眠気の抜け切らない顔のまま目元を擦り、それから気の抜けた調子で大きな欠伸を噛み殺した。
「おはようアケム」
「おはよう」
自然に返された朝の挨拶に、ルカはほんの少しだけ目を細めた。昨日拾ってきたばかりの、正体不明の少年。それがまるで以前から同じ家で暮らしていたかのように普通に朝の挨拶を返してくる。その妙な状況に、彼は少しだけ可笑しさを覚える。
「早いな、お前」
「うん、起きた」
「そりゃ見れば分かる」
小さく笑いながらルカは立ち上がり、そのまま洗面所へ向かっていく。しばらくすると奥から流水音が響き始め、顔でも洗ったのか、やがて先ほどまでの眠たげな空気を少しだけ振り払った表情で戻ってきた。
「腹、減ってるか?」
「あんまりかな」
「そっか。まぁ、とりあえず食っとけ」
ルカが冷蔵庫を開くと、白い庫内灯がまだ薄暗い室内へ淡く広がり、棚の中には卵、加工肉、安価な栄養飲料、使いかけのソース類その他よく分からないモノ色々、それでもルカは慣れた手付きで必要な物を取り出してきびきびと朝食の準備を始める。
「食える時に食うの、この街じゃ割と大事だからな」
肩を軽く回しながらそう呟いたルカは、トースターに手早く食パンを3枚突っ込み、再び加熱プレートのフライパンを見つめ直す。
「それに昨日色々あり過ぎたしな……暴走体と遭遇するわ、トリプルワーズが家賃十年分以上投げ込んでくるわ……」
半ば独り言のように愚痴を漏らした後、彼は少しだけ振り返ってアケムを見た。
「まぁでも、お前が普通に起きてて安心したよ」
「……どうして?」
「いや、起きたら変な怪物とかになってたら怖いだろ?」
「それは、確かにそうかも」
加熱プレートの上で油が細かく弾け、卵の焼ける匂いがゆっくりと部屋へ広がっていく。その音を聞きながら、アケムは昨夜の出来事を静かに思い返していた。
鉄の獣人との戦闘。路地裏へ現れた黒い影。そして喜泣公という存在。まだ理解できないことばかりだった。
それでも昨日、考えていたことだけは覚えている。自分は何なのか。誰なのか。そして、この都市でどう生きていくのか。それを見つけなければならない。
何も知らないまま流され続ければ、いずれまた誰かに利用されるだけだという予感があった。だからこそアケムは、昨夜聞いたばかりの言葉を思い出す。
トリプルワーズ。この都市を理解するための手掛かりになるのかもしれない、と。
「そういえば、トリプルワーズって何なの?」
アケムのふとした疑問に、ルカはフライパンの上で卵をひっくり返していた手をピタリと止めた。
「…………パークアドラの文化みたいなもんだ」
「文化?」
「あ〜とりあえずだ。昨日会った『喜泣公』を思い出せ」
そう言われ、アケムの脳裏にあの黒いコートの影が鮮烈に浮かび上がった。穏やかな声。敵意も悪意も微塵も感じさせない雰囲気。
それなのに──あの場にいた全員が緊張感に支配されていた。
「うん……」
「アイツがソレだ。この街じゃ、知らない奴のいない『化け物』の一人だよ」
「化け物」
「比喩じゃないぞ」
ルカは視線だけでアケムを射す。
「三文字の二つ名を持ってる奴らの総称。それが──トリプルワーズだ」
ジ、ジジ、と加熱プレートの上で油が軽快に弾ける。
朝食の香ばしい匂いが漂う平和なキッチン。それなのに、二人の間で交わされる会話だけが、妙に物騒で現実離れしていた。
「二つ名って、そんなに重要なの?」
「この街じゃな」
ルカは焼き上がった卵を皿へと滑らせながら言葉を続ける。
「有名人や実力者には大体二つ名が付く。本人が名乗ることもあるが、周囲が恐怖や敬意を込めて勝手に呼び始める方が圧倒的に多い」
「なるほど」
「で、その二つ名には明確な『格』がある」
ルカはフォークの先で、木製のテーブルをコツ、と軽く叩いた。
「短いほど強くて、有名で、危険だ」
「短いほど、なんだ」
「長い名前は説明文みたいなもんだからな。『異界回遊する旅人』とか『リヴァイアサン・コード』とか、そういうのだ」
「長いね。でも、聞いてどんな奴か想像は付きやすいけど」
「確かにな。だけどこの都市じゃ、大抵は『略せ、ダサい』で一蹴される。何故かって言うと、短くなるほど説明が要らなくなるからだ」
「説明が要らなくなる……それだけ、存在が認知されてるってこと?」
「そういうこった」
ルカは皿をテーブルに置き、指を折る。
「『裁断者』『黒医師』『紫の尾』『霧王子』……そして『喜泣公』。都市有数の変態どもだ。会ったことがなくても、名前を聞いただけで誰もが震え上がる。大体どいつもこいつも、歩く面倒事の塊だからな」
「やっぱり、何か事件を起こすの?」
「区域ごと消し飛ばしたり、大企業を一夜で潰したり、ヤバい怪物を街中で放し飼いにしたりな。まぁ善人も居るには居るんだがな……んで、その三文字の上に、二文字の二つ名を持つダブルワーズってのが存在する、例えば『黒冠』『械王』『狂賢』『深界』とかだ」
「喜泣公より、さらに上……」
「ここまで来ると、もはや地震や台風と同じだ。一種の天災の名称みたいなもんだよ。本気で暴れられたら、この都市が危なくなる」
「じゃあ、一文字は?」
その問いが落ちた瞬間、ルカの動きが完全に止まった。数秒の、重苦しい沈黙。
ルカは手元のスープを一口だけ啜り、それから逃げるように窓の外の荒涼とした景色へ視線を向けた。
「……あれは、もう別枠だ。人間じゃない」
ぽつりと言葉をこぼす
「『死』『夢』『空』『剣』……能力者とか怪物とか、そういう次元の話じゃないんだ。世界の法則、そのシステム側に片足を突っ込んでる連中だよ。この世のバグか、あるいは神様か」
「そんな存在がいるんだ……」
「確認されてるだけで、十八個体」
「十八しか居ないの?」
「ハッ、そのザ・ワンどもの被害に遭った奴らに言ってみろ、多すぎるだろ、ふざけるなってブチギレられるぞ。まぁ、封印されてるのも居るし、『三』って奴はカジノでディーラーやってる。あと、『遊』は自分の遊園地を造って引きこもり中だ」
「結構、社会に馴染んでる?」
「いや、カジノと遊園地ごと、一つの異界みたいなもんだから、馴染んでるっていうより、そこに引きこもってるってのが正しい」
そこまで一気にまくし立てると、ルカはようやく肩の力を抜き、ふぅと息を吐き出した。
「ま、説明としては大体こんなもんだ。ほら、そこの椅子に座れ。わざわざ俺の部屋から予備を持ってきてやったんだから。お前が突っ立ってると、俺が落ち着いて飯を食えねぇだろ」
アケムは言われるがまま座るとルカの様子を見ながら自身の前に置かれたパンを口へ運んだ、焼かれた表面の香ばしさと、内部の柔らかな食感。それを咀嚼する。
パークアドラ初のマトモな食事は本当に何から何まで普通な一食だった
そして聞いた話を頭でまとめて感想を口にする。
「……パークアドラって危ない場所なんだね」
率直な感想だった。しかしルカはすぐには頷かず、しばらくスープの湯気を見つめてから、小さく息を吐く。
「その分ある程度の異常には寛容だし。何より理解者や受け入れようとする奴もいる」
「僕を家に泊めたルカやユイナみたいな人ってこと?」
「その話は今さらだろ」
「昨日は、流れだったから」
「まぁ確かに勢いはあったな……そうだな、少なくとも昨日見た限りじゃ、ちゃんと人助けしようとしてただろ」
「……そう、だったのかな」
アケムは少しだけ視線を伏せる。自分では守りたいという感情を完全には理解できていない。ただ、あの時は二人が危険に晒される未来を避けるべきだと判断し、身体が勝手に動いていた。それは僕から湧き出たモノというより───
そんな彼の様子を見ながら、ルカはふっと小さく笑う。
「ちゃんと行動して助けてくれるアケムを俺はいい奴と思ってるよ。だから家に入れたし───」
ルカはそこまで言うと、少しだけ肩を竦めた。
「正体なんて後から分かればいいだろ」
「うん、そうだね……」
ルカは嘘をついている、それは何となく分かった。本当は警戒しているし、不安も抱えているのだろう。それでも追い出さずに家へ置き、食事を用意してくれている。まだ何も分からない自分だが少なくともルカ、そしてユイナに返せるものを探そう、と。彼は思った
その時、不意に奥の部屋から何かが落ちる音が響いた。続けて、寝ぼけたような呻き声のような音が聞こえてくる。
「あー……起きたな」
ルカが半笑いで呟いた直後、寝室の扉がゆっくり開いた。
そこから現れたユイナは、髪を完全に爆発させた状態のまま、半分閉じた目でふらふらと歩いてくる。寝癖で跳ねた髪は四方八方へ広がっており、片方の袖は肩までずり落ち、どう見てもまともに覚醒していない。
「……おはよー……世界……」
「世界規模で挨拶すんな」
「今日の私は広域対応型だから……」
そのまま力尽きたようにテーブルへ突っ伏すユイナを見ながら、アケムは静かに瞬きをした。
「……ユイナ、変なこと言ってる」
「朝は大体こんなもんだ」
「ひどくない? 乙女のプライバシーだよ……?」
「事実だろ」
ユイナはむぅ、と不満そうな声を漏らしながらも顔を上げ、そのままぼんやりした目でアケムを見つめた。
「……あ、アケムおはよ」
「うん、おはよ」
「よかったー。夜中に変異して天井とか這ってたらどうしようかと思ってた」
「そんな風になる可能性あったの?」
「冗談冗談、まぁ数%は有るかもって思ったけど」
「それは、ユイナの期待が外れて良かった……のかな?」
「そうそう良いこと良いこと」
「あのな今日は忙しいんだぞ、ユイナは髪整えて顔洗って朝ごはんを食え」
「分かってまーす」
「……? ルカ…………忙しいって?」
アケムが静かに問い返すと、ルカは「あ」と短く声を漏らし、フォークを持ったまま思い出したように頷いた。
「そうだ、伝え忘れてたな」
そう言いながら彼はテーブル脇へ放っていた端末を拾い上げ、画面を軽く操作する。そこには既に幾つかの店舗情報や地図が表示されていた。
「お前の服とか端末とか買いに行くんだよ。このままじゃ流石に不便だろ」
「服……」
アケムは自分の着ている黒いシャツへ視線を落とした。借り物の衣類は着心地こそ悪くないものの、袖丈も肩幅も微妙に合っていない。
「あと身分周りもどうにかしないとな。最低限の登録が無いと店にも入れない場所あるし、都市交通も面倒だ」
「それは、ありがとう……なの、かな?」
「なんで疑問形なんだよ」
「いや、まだ慣れてなくて。でも拒否するよりお礼言った方が良いかなって」
その返答に、ルカは一瞬だけ言葉を止める。
冗談っぽく返そうとしていた空気が僅かに緩み、代わりに何とも言えない微妙な沈黙が落ちた。
だが次の瞬間には、横で話を聞いていたユイナが勢いよく顔を上げる。
「じゃあ今日はアケム改造計画だ!」
「言い方が物騒すぎるだろ……」
「お洋服買うだけだからセーフセーフ」
「そうだね、楽しそう」
「でしょ? 楽しみにしててよ商業区すっごいから」
「それは確かにな」
「どんな所何だろう」
「そうだな─────」
そしてアケム自身、自分の内部で起きている変化にまだ気づいていなかった。
昨夜の更新によって最も変化していたのは、筋力でも視力でもなかった。誰かと食卓を囲み、他愛のない会話を交わし、朝になれば挨拶をする。
そんな当たり前の営みへ身体だけでなく心までも順応し始めていたことに、アケム自身はまだ気付いていなかった。
プロフィール
・中層区域ミドルベルト
人口密度最大の生活・商業・産業地帯。アドルタス商業区、メディカル・バベル、各種学術施設、工業区域など都市機能の大半が集中している。一般人が「パークアドラ」と聞いて想像する景色は大体ここ。多種族、多文化、多企業が混在しており、日常と異常が最も近接する層でもある。違法改造事件、異界流入、小規模怪異災害などは日常茶飯事だが、それでも都市機能は止まらない。人々は慣れによって生き延びている
・二つ名
この都市では短い二つ名ほど、危険・強力・悪名が凝縮されているという暗黙の共通認識がある。名乗るものではなく、他者から名付けられるもの
・lots of characters(六文字以上)
一応二つ名を持っている時点で無名ではない、自称・広報・記録上の名称が多く五文字以上の二つ名を持ってる人物はこの二つ名を多数所持しているが使うことは殆ど無い、長い=ダサいという認識がパークアドラには形成されている