適応進化する少年、人外魔境で暮らします   作:プーリとベルト

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吾輩ニャンと登場だワン


第6話

アドルタス商業区──そこはパークアドラ最大規模を誇る巨大商業区画だった。

 

 幾重にも積層された街路には企業広告が立体映像となって浮かび続け、路面店舗から超高層複合施設に至るまで、公的秩序よりも契約と損得勘定の方が遥かに強い力を持つ区画だった。

 

 その喧騒の中へ踏み込んだ瞬間、ユイナが勢いよく両腕を上げる。

 

「着いた!! ねぇねぇ、無駄遣いしていい!?」

 

「無駄遣いはするな」

 

 ルカは即座に切り返しながらも、周囲の広告群を眩しそうに見上げつつ肩をすくめた。

 

「……まあ、交渉次第で買ってやらんこともない」

 

「ほんと!? やった!」

 

 ユイナは一気に表情を明るくすると、その場で小さく跳ねる。そんな妹の反応に、ルカは嫌な予感を覚えたように眉を寄せた。

 

「ただし、変な生物とか訳分かんねぇ置物は禁止な」

 

「前科扱いしないでくれる?」

 

「冷蔵庫の中で増殖した謎肉生物を忘れたとは言わせねぇぞ」

 

「あれは育ててたの!」

 

「だから禁止なんだよ」

 

「……フフ」

 

 不意に漏れたアケムの小さな笑い声に、二人が同時に振り返る。

 

「どうした? アケム」

 

「楽しそうだね、ルカとユイナ」

 

 一瞬だけ、二人はきょとんとした顔を見せる。だが次の瞬間、ユイナがどこか照れ隠しみたいに笑った。

 

「分かる? 友達とこういう所来るの、私もかなり久しぶりなんだよね」

 

「大概の物は通販で済むしな、今回はお前の登録関係とか、服とか、端末とか、直接行った方が早い用事が多い」

 

 そう言いながら彼は目的地を端末で調べつつ向かって行く、その周りには壁面全体へ流れるように企業ロゴと広告映像が映し出されている。外壁そのものが巨大なディスプレイになっているらしく、色彩が絶えず変化していた。アケムの隣ではユイナが既に買い物へ意識を向けていた。

 

「まず服だよね! アケム絶対ちゃんと選んだら映えるって!」

 

「派手なの着せんなよ」

 

「えー。でも絶対黒だけじゃ勿体ないって」

 

「昨日会ったばっかのガキに何を期待してんだお前は」

 

「無限の可能性?」

 

「雑な理由だな……」

 

 そして館内へ入り暫くした所で機械音声が響く、よく通る無機質な声だった。

 

《──フィラグラル中央区画よりお知らせ──》

 

 天井付近へ設置された立体投影端末が淡く点灯し、周囲の雑踏へ通知を流していく。

 

《現在、展示エリアB-7にて軽度空間歪曲現象が発生しております、来場者の皆様は係員の誘導に従い、慌てず避難してください》

 

 その瞬間、通路を歩いていた人々の足がわずかに止まった。だが、それだけだった。

 

「あー、B-7か」

 

 近くを歩いていた会社員風の男が端末を確認しながら呟き、連れの女性も「あっち今日イベントやってたよね」と軽く返す。別の場所では、店員が慣れた様子で避難経路表示を切り替えつつ、「一時的に上層ルート封鎖入りまーす」と客へ案内していた。

 

 悲鳴も混乱も無い。

 

 ただ、少し面倒なトラブルが起きた程度の空気だけが、商業区全体を薄く流れていく。

 

「B-7か」

 

 ルカも頭上の表示を見上げながら小さく呟いた。

 

「近くない?」

 

 ユイナが周囲の案内表示を見回しつつ眉を寄せる。するとルカは空中マップを軽く確認し、すぐに首を横へ振った。

 

「いや、此処からだと三層上だな」

 

「あ、なら平気か。衣料エリアからは遠いし」

 

「そうだな」

 

 それだけ言うと、二人は再び普通に歩き始める。

 

 アケムだけが、その反応を静かに見ていた。

 

「……避難しないんだ」

 

 思わず漏れた言葉に、ユイナがきょとんとした顔を向ける。

 

「ん? 軽度って言ってたし」

 

「空間歪曲って危険じゃないの?」

 

「危険な時は重度とか広域侵食って表現になるな」

 

 ルカが淡々と補足する。

 

「軽度なら、せいぜい通路がループするとか、座標ズレで一階分くらい落ちるとか、その程度だ」

 

「十分危なくない?」

 

「まぁ普通に怪我人は出る時あるな」

 

「あるんだ……」

 

 アケムは静かに周囲を見回す。

 

 買い物袋を抱えて笑いながら歩く人々。広告映像へ文句を言っているカップル。避難通知を聞き流しながら屋台で焼菓子を買っている男。

 

 誰も、世界の異常に驚いていない。この都市では、空間が歪むことすら日常の延長なのだ。その時だった。

 頭上の立体広告が、一瞬だけノイズ混じりに乱れる。

 

 空間へ細かな波紋のような歪みが走り、遠く上層部のガラス回廊が僅かに捻じ曲がって見えた。

 

 周囲の何人かが「あー、始まった始まった」とでも言いたげに軽く視線を向ける。しかし次の瞬間には、空間は何事もなかったかのように安定していた。

 

「……本当に慣れてるんだね」

 

 アケムが小さく呟くと、ルカは苦笑混じりに肩をすくめる。

 

「パークアドラで毎回全部気にしてたら疲れるからな」

 

「危険より先に、生活優先になるんだよねぇ」

 

 

 ユイナも気楽にそう言いながら、すぐ前方の衣料エリアを指差した。

 

「あ、見てルカ兄! あそこ絶対アケム似合う服ある!」

 

「頼むから常識の範囲内にしろよ……」

 

 騒がしい兄妹の背を追いながら、アケムはもう一度だけ上層を見上げる歪みは既に見えなくなっていた。まるで最初から存在しなかったかのように。

 

 衣料エリアへ辿り着いた瞬間、アケムは僅かに目を見開いた。広大なフロア一帯へ無数の店舗が並び、立体広告と照明演出が複雑に交差している。一般向けの安価衣類から企業製高級スーツ、魔力蓄積機能付きコート、耐刃加工済み学生服、半義体向け調整インナー、果ては対異常存在用礼装まで、あらゆる服飾文化が混在していた。

 

 服というより、生存環境に応じた装備市場に近い。

 

 そんな光景を眺めていたアケムだったが、次の瞬間にはユイナに腕を掴まれていた。

 

「ほらほら! 絶対こっち似合うって!」

 

「おい待て」

 

 ルカが即座に止めに入る。

 

「何で真っ先に高級店へ突撃しようとしてんだ」

 

「だって顔良いんだから活かさないと損でしょ!?」

 

「お前はまず値札を見ろ」

 

「見たよ!」

 

「見た上で突撃してんのかよ。怖ぇよ」

 

 ルカは露骨に嫌そうな顔をしながら、店頭ディスプレイへ視線を向けた。

 

 ガラス張りのショーウィンドウ内部には、黒と銀を基調にした細身のロングコートやジャケットが整然と並んでいる。布地表面へ微細な光沢が流れている辺り、ただのファッション衣類ではない。恐らく高級機能素材か、軽度魔術処理済みの生地だろう。

 

 当然、値段も普通ではなかった。

 

「いや待て、これ一着で中古バイク買えるぞ」

 

「でも絶対似合う」

 

「お前の絶対は財布に厳しいんだよ……」

 

 兄妹の応酬を聞きながら、アケムは静かに店内を見回していた。

 

「僕は……動きやすくて、破れにくいのが良いかも」

 

 その率直な言葉に、ルカがすぐ頷く。

 

「ほら、本人の要望は現実的だぞ」

 

「むぅ……でもそれだけじゃ面白くない」

 

 ユイナは納得していない顔をしつつも、少し考え込むように視線を巡らせ、それから別方向の店舗を指差した。

 

「じゃああっちとかどう? 機能性寄りだけどデザインもちゃんとしてるし!」

 

 三人はそのままフロア奥の別店舗へ向かう。

 

 そこは先程より価格帯が落ち着いている代わりに、実用性重視の衣類が多く並んでいた。伸縮強化素材を用いたジャケットや、軽量防刃繊維入りのパンツ、多機能ポケット付きコートなど、パークアドラの日常へ適応した商品が並んでいる。

 

「うわ、これ便利そう」

 

 ユイナが手に取ったのは灰黒色のショートジャケットだった。生地は柔らかそうに見えるが、内側へ薄く魔力刻印が編み込まれているらしく、タグには『温度自動調整・軽度衝撃緩和対応』と表示されている。

 

「学生向けモデルか」

 

 ルカも隣から覗き込む。

 

「まぁ悪くねぇな。値段もまだ常識的だ」

 

「でしょ? アケム、着てみてよ」

 

「着る?」

 

「試着。サイズ確認」

 

「なるほど」

 

 アケムは素直に頷くと、ユイナから服を受け取る。

 

「ふふ、素直だねアケムは」

 

「そうかな? 選んでくれるのは嫌じゃないから」

 

「そっか、じゃあ試着室は……アッチだよ」

 

「分かった」

 

 試着室の半透明パネルが静かに閉じる。

 

 アケムは手渡されたジャケットを見下ろし、しばらく観察していた。布地へ指先を滑らせる。柔らかい。しかし単純な布ではない。

 

(……服なのに、装甲に近い)

 

 そんな感想を抱きながら、彼は教えられた通りに袖を通した。サイズは僅かに余裕がある程度だった。肩や腕を動かしてみても動作阻害は少ない。伸縮素材が身体の動きへ自然に追従してくる。

 

 何より軽い。

 

 戦闘用装備とも拘束衣とも違う、日常用として作られていることが感覚的に理解できた。

 

「アケムー? 着れたー?」

 

 外側からユイナの声が聞こえる。

 

「うん、多分」

 

「多分って何。開けていい?」

 

「いいよ」

 

 パネルが開いた瞬間、外で待っていたユイナの目がぱっと輝いた。

 

「うわ、やっぱ似合う!」

 

「……そう?」

 

「うん。めっちゃ良い」

 

 銀髪と灰黒色のジャケット、その下へ合わせられたジーンズやシンプルな黒インナー。全体的に色味は落ち着いているのに、元々の整った顔立ちと淡い瞳の色のせいで妙に目を引く。

 

 ルカも少し遅れて視線を向け、それから「あー……」と納得したような声を漏らした。

 

「確かに悪くねぇな」

 

「でしょ!? ほら私の目は正しかった!」

 

「珍しくな」

 

「一言多くない?」

 

 アケムは二人のやり取りを聞きながら、自分の袖口を見下ろす。

 

「動きやすい」

 

「それ大事」

 

 ユイナは満足そうに頷いたあと、今度は別の棚から数着まとめて引き抜いてくる。

 

「じゃあ次これ!」

 

「まだ着せるのか」

 

「当たり前でしょ。せっかく素材良いんだから」

 

「素材扱いすんな」

 

 その後もしばらく、アケムは半ば着せ替え人形のような扱いを受けることになった。

 

 軽防護コート。

 

 フード付きロングパーカー。

 

 黒基調の細身パンツ。

 

 白シャツ。

 

「買い過ぎだろ……」

 

 ルカが頭を抱える。

 

「でも生活必需品だよ?」

 

「お前の中で必要の定義どうなってんだ」

 

「可愛いは必要経費」

 

「誰が可愛い枠だ」

 

「アケム?」

 

 あまりにも自然に返され、アケム本人が少し困惑したように瞬きをする。

 

「……僕?」

 

「うん」

 

「うーん……カワイイ?」

 

「うん!!」

 

「そっか」

 

「仲良しだな全く、それじゃあ端末とか登録に行くかスパッと終わらせるぞ」

 

「終わったら昼食行こっか」

 

 住民登録関連の窓口は、アドルタス商業区の中でも比較的静かな区画に存在していた。

 

 巨大企業の受付にも似た白色基調のフロア。半透明パネルが幾重にも並び、番号表示と電子音声だけが淡々と空間を管理している。にもかかわらず、列へ並んでいる人種は実に雑多だった。

 

 半義体化した男。獣耳を持つ少女。皮膚へ発光刻印を浮かべた老人。中には明らかに人間ではない何かも混ざっている。

 

 その光景を見ても、受付職員たちは誰一人として表情を変えない。

 

「次、アケム」

 

 ルカに呼ばれ、アケムは端末付きカウンターの前へ座る。青白い光が静かに身体を走査した。

 

《生体情報確認中──》

 

 淡い光が瞳、指先、骨格を順番に読み取っていく。通常なら数秒で終わる処理だったが、途中で機械音声が僅かに途切れた。

 

《……照合不能項目を確認。代替プロトコルへ移行します》

 

 受付職員が慣れた様子で画面を操作する。

 

「未登録型ですね。流入者扱いで仮登録通します」

 

「通るんだ」

 

 アケムが小さく呟くと、職員は逆に不思議そうな顔をした。

 

「規定範囲内ですので問題有りません」

 

 結局、細かな経歴確認はほとんど行われなかった。身元保証欄にはルカのIDが一時保護者として登録され、最低限の生活権限だけが即日発行される。

 

「早いね」

 

「この街、人はどんどん増える前提だからな」

 

 ルカは端末を受け取りながら肩をすくめた。

 

 続いて携帯端末の購入も済まされる。アケムへ渡されたのは黒色の簡易携帯端末だった。薄型だが耐衝撃性は高く、簡易魔術通信と都市内認証機能も搭載されているらしい。

 

「これで連絡取れるねー」

 

 ユイナが楽しそうに初期設定画面を覗き込む。

 

「変な所アクセスすんなよ」

 

「失礼な。私は善良な市民だよ」

 

「…………」

 

 前方の空間に違和感を覚える何か嫌な予感がする。

 これは経験から来る直感であり、予測だった。

 

「ねぇここから、少し離れない?」

 

 アケムが静かにそう告げた瞬間だった。

 

「え?」

 

 ユイナが目を瞬かせ、ルカも僅かに眉を寄せる。

 

「どうした──」

 

《緊急警報。中層第六商業ラインにて空間侵食反応を確認。危険度評価を更新します》

 

 周囲の照明が赤色へ切り替わる。

 

 目の前の通路、その中心部が水面のように大きく波打った。ガラス壁面が捻じれ、景色の奥行きが崩れる。雑踏の悲鳴が遅れて響いた。

 

「下がれ!」

 

 ルカが即座にユイナの腕を引く。

 

 次の瞬間、歪んだ空間の裂け目から、黒い腕のようなものがゆっくりと這い出してきた。

 

 周囲の人々が一斉に後退を始める中、アケムだけは静かにその異常を見つめていた。黒い腕は、裂けた空間の奥からゆっくりと這い出し続けていた。

 

 表面は粘つく影のように揺らぎ、その周囲だけ空気が歪んでいる。温度感覚まで狂わされるような不快な圧迫感が、通路全体へじわじわと広がっている。

 

 それを見上げながら、ルカは乾いた笑みを漏らす。

 

「ハハ、異界怪獣かよ……やべぇな。けど神様とかの類じゃねぇだけマシか?」

 

 冗談めかした口調だったが、額には薄く汗が浮かんでいた。

 

「もうルカ兄、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 覗いてる内に逃げるよ!」

 

「ッ、そうだな」

 

 ルカは即座に頷き、周囲の避難経路を確認する。既に警備のドローン含めたロボットが複数展開され始めていたが、あの規模の侵食を止め切れるかは怪しかった。

 

 アケムが、一歩だけ前へ出る。

 

「アケム! 駄目だよ」

 

 ユイナの声が鋭くなる。

 

「…………」

 

 アケムは答えない。ただ静かに異界の裂け目を見つめていた。身体の奥で何かが反応している。警戒とも違う。もっと本能的な、生存へ直結した感覚だった。

 

「駄目、本当にアレは駄目なの」

 

「もし行くなら俺も全力で止めるぞ」

 

 ルカも低い声で続ける。張り詰めた空気の三人、その間にシュルリと紫色の尻尾が入り込む。

 

「ヒヒン、チュウ危ニャイワンねぇ少年」

 

「ん?」

 

「……あ?」

 

「え?」

 

 三人同時に振り返った。

 

 そこに立っていたのは──何かだった。

 

 確かに二本足で立っている。人型と言えなくもない。だが、その存在全体から漂う印象は、あまりにも雑多で、統一感が無かった。

 

 頭上には獣の耳、瞳孔は猫科のように細く、しかし瞬きする度に鳥類めいた丸さへ変化している気さえする。服装も酷かった。派手な色のジャケットとズボン、腰からは動物意匠のアクセサリが節操なくぶら下がっている。牙、羽根、鈴、笛、竜剣キーホルダー、何故か干物のような物まで混ざっていた。

 

 しかも口を開く度に、喋り方そのものが変質する。

 

「オットセイ、ミーアの到着に驚いタイガーかな?」

 

 猫、犬、鳥、馬、時々それ以外の何かまで混線している。まるで複数の人格と言語回路を無理やり一つへ押し込めたような不安定さだった。

 

 ユイナが完全に真顔になる。

 

「……何この生物」

 

 率直すぎる感想だった。

 

「ウホ? そう言えば自己紹介してニャかったペンね」

 

 目の前の何かは胸元をどんと叩き、妙に誇らしげな姿勢を取る。

 

「吾輩は獣噛柴尾(けものがみしばお)である!!! 

 

 

 

 ついでにR.A.I.D.職員だコン!」

 

 ヘビシィッ、と無駄に格好良いポーズまで決めた。




アドルタス商業区
パークアドラ中層最大級の巨大商業区域。
三代目『商売大公』や企業連盟の影響下にあり、超巨大複合施設群が林立する。異界食品、魔術触媒、違法改造寸前の強化装備、神格由来遺物まで、金さえ払えば大抵の物が手に入る。一方で企業間抗争・情報戦・非合法取引も頻発しており、最も華やかで最も腐敗した街とも呼ばれる。表向きは繁栄の象徴。だが秘匿層では、人間すら商品として流通している。
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