怪物になれなかった少年は人外魔境にて進化を続ける   作:プーリとベルト

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第8話∶ようこそアンダーシェルへ

 巨大立体広告の明滅する通りから少し外れた場所に、その店はあった。赤提灯とネオン看板が混ざったような奇妙な外観をしており、入口上部には《暴食苑・肉々楽園》という妙に圧の強い店名が掲げられている。

 

「安心安全老舗営業五十年だラクダ、五十年続いてる飲食店って時点でパークアドラじゃ信用度高いクマ」

 

「……まぁ、そう、なのか?」

 

 店内へ入った瞬間、熱気と濃い肉の匂いが一気に押し寄せてくる。煙の混ざった空気の中では、多種族の客たちが雑多に席を埋めていた。

 

 金属義手で豪快に肉を焼いている男。触手で器用に麺を啜る異形種。完全武装のまま酒を飲んでいる連中までいる。

 

 そんな中で店内へ柴尾が足を踏み入れた瞬間、数人の客が一斉に顔を上げた。

 

「げっ」

 

「おいおいおい、今日は休業日だったか?」

 

「帰るか?」

 

「帰るなよ」

 

 カウンター席から野次が飛ぶす、ると厨房の奥から、筋骨隆々の店主が顔を出した。

 

「おぉ、『紫の尾』じゃねぇか」

 

「今日はツルもいるニャ」

 

 その言葉に視線がアケムへ集まる。

 

「子供?」

 

「お前の隠し子か?」

 

「遂に自分以外も増やせる様になったのか?」

 

「風評被害だワン」

 

 柴尾は尻尾をぶんぶん振りながら席へ腰掛けた。

 

「吾輩、善良市民人気ランキングそこそこ高いカワウソ」

 

「面倒臭さランキングなら殿堂入りだ」

 

「不思議生物ランキングなら1位だろ」

 

「違いねぇ」

 

 先ほどまで見ていた柴尾は、怪獣を殴り飛ばし、異界を歩き回る理不尽な強者だった。だが今の柴尾は、まるで常連客の一人みたいに自然にこの空間へ溶け込んでいる。

 

 席へ案内されるなり、獣噛柴尾はメニューを開いて数秒で閉じた。

 

「全部」

 

「待て、全部は駄目だろ」

 

「食べ盛りだゾウ」

 

「どの口で言ってんだ百歳超え疑惑の野郎がよ」

 

「ニャフン、乙女に年齢聞くのは失礼だピヨ」

 

「乙女……?」

 

「そこ疑問持つんだアケム」

 

 結局、山盛りの肉料理と麺類、それに意味不明な発光鍋らしきものまで注文されることになった。

 

 数分後、テーブルの上は完全に戦場だった。鉄板の上で肉が爆ぜ、赤いスープがぐつぐつと音を立て、謎の青白い飲料が泡立っている。

 

「……これ、食べ物?」

 

 アケムが真顔で尋ねる。

 

「食べ物だワン」

 

「一応な」

 

「多分大丈夫!」

 

 三者三様の返答だった。獣噛柴尾は既に肉を凄まじい速度で消費していた。骨付き肉を丸ごと咥え、次の瞬間には骨だけになっている。

 

「タンパク質は全てを解決するアルマジロ」

 

「どういう食い方してんだよアンタ……」

 

「ニャフ、企業秘ミツドリ」

 

  横ではユイナが鍋をつつきながら楽しそうに笑っていた。湯気の向こうで頬を緩めながら肉を取り分けており、その様子は戦いや危険とは無縁の普通の少女そのものだった。

 

 アケムは静かに器を持ち上げると、ゆっくりとスープを口へ運ぶ、温かい、味が濃い、少し辛い。

 

 だが嫌ではない。

 

 身体の内側へ熱が広がっていく感覚があった。研究所で与えられていた栄養剤とは違う。ただ生きるためではなく、誰かと食べるために作られた食事だった。

 

「……美味しい」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、ユイナが反応する

 

「そう言えば、アケムが美味しいって言ったの初めて聞いたかも?」

 

「そう言えば、そうだったかもな」

 

 言われてみればそうだったかもしれない。アケムは再び器へ視線を落とす。しかし、今感じている温かさは、食事そのものだけが理由ではない気がした。

 

 そんな彼を見ながら、柴尾は満足そうに何度も頷く。

 

「生き物は群れると温かいゾウ。だから飯も一人より皆で食った方が美味いラッコ」

 

 そう言いながら柴尾は卓上端末へ手を伸ばし、慣れた様子で追加注文のボタンを押した。

 

「店員サーン! 肉追加ラッコ!」

 

「まだ食うのかよ!!」

 

 ルカの悲鳴みたいな声が、騒がしい店内へ響く。

 賑やかな時間はあっという間に過ぎていく。

 

 やがて鍋の中身もほとんど無くなり、外の照明が夜の色へ変わり始めた頃、一行は店の前へと出ていた柴尾は上機嫌な様子で手を振りながら歩き出す。

 

「んじゃ、バイニャラー。また会うヒヒまで!」

 

「また会う日だろ!」

 

「細かい事は気にしないゾウ!」

 

 店の出口前で、獣噛柴尾は最後まで意味不明な語尾を撒き散らしながら、ぶんぶんと紫色の尾を振っていた。

 

 そして次の瞬間には──居ない。

 

 本当に一瞬だった。視線を逸らした訳でもない。ただ、通行人の群れが横切った、その瞬間には姿が消えていた。

 

「……消えた」

 

「アイツはいつもあんな感じだワニ」

 

 いつの間にか背後にもう一体いた獣噛柴尾がアケムにそう言い残し、そのまま今度こそ人混みへ溶けて消える。

 

「まだいたか、もういないよな?」

 

「噂通りの神出鬼没さだったね『紫の尾』」

 

「まぁ、そうだな」

 

 三人はそのまま商業区の大通りを歩き始めた。

 

「…………あの珍生物が奢ってくれたから良かったが、値段見てゾッとした。三ヶ月働いてようやくだぞ、全メニューの値段」

 

「結婚指輪じゃんルカ兄」

 

「結婚するのルカ?」

 

「俺が誰とだよ……」

 

「えっと、柴尾さん?」

 

「アケムが言うと、マジか冗談か分からねぇ……」

 

 ルカは真顔になりかけてから、すぐ嫌そうに首を振った。

 

「つうかアイツ……いや、今のジェンダーフリーな時代にこういう偏見の話題は良くねぇな。とりあえずだ、俺は結婚なんてしねぇよ。自分の目的の貯金が完全に貯まり終わるまでは、一切考える余裕はねぇ」

 

「そう言えば何割位貯まったの? アレ」

 

「四、五割か。後十年、無駄な出費が無けりゃ貯まる」

 

「長いね」

 

「パークアドラで安全圏の住居買おうとするとマジで高ぇんだよ……」

 

「お金貯まったらどうなるの?」

 

「引っ越せるんだよ、別区画に」

 

「私は同年代が多いとこを希望、友達増やしたい!」

 

「俺は安全な所が良いがな。R.A.I.D.とかの本部が近い特区とか」

 

「安全なの?」

 

「少なくとも怪獣が生えてくる頻度は減る」

 

「生えてくるんだ……」

 

「まあ一種の比喩みたいなもんだ」

 

「でも完全な嘘でもないよね」

 

「それは、まあ否定は出来んな……」

 

 しばらく歩く、賑やかな商業区の喧騒が周囲を流れていく中で、アケムは二人の背中を静かに見つめていた。

 

 ルカは安全な場所を欲しがっている。

 

 ユイナは友人を望んでいる。

 

 どちらも当たり前の願いなのだろう。

 

 けれどアケムには、その感覚がまだ少し分からなかった。

 

 何年後の自分を想像することが出来ない。

 

 研究所では今の必要なことをただひたすらに、こなしていただけだった。だから二人の言葉は、どこか遠い世界の話のようにも聞こえる。

 

 だが僕は今、自分にそんな願いが展望が無くとも、ルカが望む場所も、ユイナが望む繋がりも、いつか手に入れば良いと、もし自分に出来ることがあるなら、その手伝いをしたいとも思った。

 

 そんなことを考えた、その時だった。

 

 ──それは唐突に、何の前触れもなく訪れた。

 

 

 アケムの足が止まる。

 

「……」

 

 ほんの僅かに空気が揺れた。常人ならば視えない観測出来ない異常、だがアケムは一度目の軽度の異常から、二度目の大規模な空間の異常に視覚、感覚が適応し予測が可能と成っていた。

 

 そして三回目、確実に、周囲の空間へ薄い歪みが走ったのを感じ取る。何かが警鐘みたいに脈動した、嫌な感覚だった、静かで、だが鋭い異常。

 

(間に合わないッ!!)

「……ルカッ! ユイナッ!」

 

「ん?」

 

「どうしたアケム?」

 

 二人が振り返る。

 

 その直後だった、通路中央の空間が、水面みたいに大きく陥没した。

 

「ドンッ」と、鈍い衝撃が二人の身体を同時に揺らした。

 

 何が起きたのか理解するより先に、視界が大きく傾く。ルカは咄嗟に踏みとどまろうとしたが、足元の重心が崩れ、隣ではユイナが小さな悲鳴を漏らしながら体勢を失っていた。

 

 押されたのだと気づくのに、ほんの一瞬の遅れがあった。

 

 だが、その感触だけは妙に鮮明だった。細く、まだ幼さの残る感触だった、一日半。たったそれだけの時間でしかないはずだった。

 

 それでも、共に食事をして、言葉を交わし、服を選び、笑いあった。

 

 たった一日半。

 

 それでも二人は、今自分たちを突き飛ばしたのが誰だったのかを、嫌なほど自然に理解してしまった。

 

 

「「アケムッ!!」」

 

 二人の声が重なって通路に響く。しかしその叫びが届くより早く、そこにはもう誰の姿も残ってはいなかった。

 

 空間だけが、揺らいでいる。

 

 通路の中央に発生した歪みは、水面へ石を落とした直後のように波紋を広げながら広がり、それから急速に収束していく。その中心にあったはずの銀髪の少年の姿だけが、最初から存在していなかったかのように消えていた。

 

 ユイナの唇から、掠れた声が零れる。

 

「……嘘」

 

 理解が追いつかない、ついさっきまで隣に居て、ほんの数秒前まで同じ歩幅で歩いていたはずの存在が、あまりにもあっさりと世界から抜け落ちた。

 

「は、おい……こんないきなり……」

 

 ルカもまた歪みの消えた空間を睨みつけたまま言葉を失っていた。この都市では空間事故も異界侵食も、そして人が突然消える出来事すら珍しくはないと知っている。それは知識としてならとうに理解していたはずだったが、目の前の現実として受け止めるには、あまりにも軽すぎる別れだった。

 

「……ッ、クソ!」

 

 ルカは即座に端末を引き抜き、震える指で緊急回線へアクセスしようとする。しかしその動きより早く、周囲では既に異変を日常として処理し始めた人々のざわめきが広がっていた。

 

「あー、今の孔か?」

「急に出て急に閉じたな」

「落ちた奴いたか?」

「さぁけど、もし居たら運が悪いな」

 

 

 まるで天候の変化でも話すような軽さだった。そのあまりに慣れ切った空気が、かえって事態の現実味を際立たせる。

 

 ユイナの顔色は目に見えて青ざめていった。

 

「落ちたって……どこに?」

 

「さあな、空間異常なら異界か現界のどっかだろ」

 

「……ルカ兄。アケム、死んでないよね?」

 

 今にも崩れてしまいそうな声だった。

 

「…………死ぬかよ」

 

 吐き捨てるようでありながら、自分自身へ言い聞かせるような声音だった。

 

「あいつは、ただのガキじゃねぇ……だから生きてる。絶対どっかで生きてる筈だ」

 

 その時、ルカの端末が不意に着信を受け取る。画面に浮かんだ発信者不明の表示とともに、通信回線から声が流れ込んできた。

 

『やぁ善良なる市民、こんにちは喜ばしき一歩だよこれは』

 

「その声、お前、喜泣公か?」

 

『そうとも私は喜泣公バンサル。直接口から名乗るのは初めてかな。まぁ私に口と呼べる器官があるかどうかという話でもあるのだが、それは些細な問題だろう』

 

「なぁ、おい、これってお前の仕業か! アケムをどこにやった!!」

 

 怒気を含んだ問いかけにも、通信の向こう側は揺らがないまま言葉を続けた。

 

『その苛立ちと、それでも情報を得ようと電話を切らずにいる冷静さ、実に美しい反応だねぇ。では特別に教えてあげようか。彼が落ちた先は下層区域《アンダーシェル》だよ。中層よりも無法で自由に満ちた場所、そして安心していい、彼はまだ生きている』

 

「生きてるのか」

 

『今は、と言っておこうか。私としても彼がそう簡単に壊れるとは思っていないしね。むしろ想定外だったのは、この異常空間の発生そのものの方だよ』

 

「お前のせいじゃないのか……」

 

『勿論だともルカ・キサラギ、君に嘘をつく必要が無い。というか、せっかく今日回収した怪獣の欠片で新たな試練を組み上げていたというのに、まあこれは後でR.A.I.D.にでも届けるとしよう』

 

「……俺達は、何か出来ないのか?」

 

 ルカの問いに、通信は一瞬だけ間を置いた。

 

『しても構わないが、すまないね。私は全力でそれを妨害するだろう』

 

「は? お前……ふざけん」

 

『分からないかい? ルカ・キサラギ、そしてユイナ・キサラギ』

 

 怒りを込めた言葉を遮り、喜泣公はまるでお気に入りの我が子の成長を誇るかのような、圧倒的な歓喜のトーンで宣言した。

 

『彼は昨日、違法改造された鉄の獣人をその手で退け、今日、異界から現れた怪獣をその目で見撃し、そして『紫の尾』という、人でありながら人外の領域に至る力をその脳髄に学習した』

 

「それが、それがどうしたってんだよッ!」

 

『分からないかい? 最早、彼の成長速度はこの都市に来た当初とは比較にならない。甘く見積もっても、五文字、いや四文字の領域に片足をかける程度には達している』

 

 どこか楽しげで祝福するような声で彼は宣言した

 

『次に君たちの前へアケムくんが現れる頃には───

 

 

 彼は新たなトリプルワーズとなっているだろう』

 

 

 

 

 

 

 目を覚ます

 

 

 まず鼻を刺したのは、まともな空気とは言い難い、吸い込むたびに肺の奥をざらつかせる匂い。

 

 視界に飛び込んでくるのは、善悪の区別という概念が最初から溶け落ちてしまったような喧騒。

 

 さらに視線を上げれば、堕落的と形容するしかない光が街全体を照らしている。その光は綺麗というよりも、見続けるほど思考を鈍らせる種類のもので、現実感をじわじわと削ってくる。

 

 アケムは軽く膝に手をつき、立ち上がる動作の途中で、衣服の違和感を確かめるように袖口を整えた。

 

 そして、ようやく静かに視線を前へ向ける。

 

「おい、そこの降ってきた坊主……よく生きてたな」

 

 声を掛けてきたのは、通路脇で煙草らしきものを咥えていた男だった。隣に居た別の男も、アケムを上から下まで眺めながら口笛を吹いた。

 

「まぁアレで生きてる以上、普通の人間じゃないだろ。しっかし良いもの着てるなアンタ」

 

 視線はアケムのジャケットへ向いていた。中層で買ったばかりの衣服は、この空気の中だと妙に浮いて見える。周囲の人間達が着ているのは、補修跡だらけの作業服や防湿コート、あるいは何処から流れてきたのか分からない軍用品崩れみたいな服ばかりだった。

 

「何処から来たんだ?」

 

「……パークアドラ?」

 

 一瞬、周囲が静かになった。

 

 次の瞬間、男達が揃って吹き出す。

 

「ハッ、違ぇねぇ!」

 

「此処もパークアドラだ、まぁ下層区域の一画だがな」

 

 男は肩を揺らして笑いながら、頭上を指差した。そこには無数の配管と鉄骨、それに滴る水しか見えない。空なんて最初から存在しないみたいだった。

 

「上の連中は中層を街って呼ぶが、俺らからすりゃ此処も立派なパークアドラさ。臭ぇし汚ぇし、人も簡単に死ぬが……まぁ自由ではある」

 

「自由?」

 

 アケムが小さく聞き返すと、別の女が近くの屋台から顔を出した。片目へ発光式の義眼を埋め込んだ、妙に派手な化粧の女だった。

 

「上じゃ許可だ規則だ身元確認だって面倒だろ? でも下は違う。金か力かコネがありゃ大抵通る。逆に何も無けりゃ、泥みたいに沈むけどねぇ」

 

 そう言って女は煙を吐き出す。

 男の一人が改めてアケムを見直す。

 

「で、坊主。帰り道は分かるのか?」

 

「……分からない」

 

「だろうな。空間の異常で落ちてきたんだろうが、どのルート使うにしても金がいるぞ」

 

「お金か……」

 

「……もしかして無一文か?」

 

「端末は?」

 

 アケムは服のポケットへ触れる。だが落下の衝撃か空間転移の影響か、端末は既に沈黙していた。画面は黒く、反応もしない。

 

「壊れてるみたい」

 

「あー……下層デビューにしちゃハードモードだな坊主」

 

 




プロフィール

下層区域アンダーシェル
海面直下から海底近辺へ広がる旧開発区画。老朽化した設備、湿気、配管群、暗渠、旧時代設備が密集する危険区域であり、公的支配力も弱い。合法スレスレの歓楽街や賭博場から犯罪組織、密輸業者、異界難民、闇医者などが根を張っており、区画によっては警察すら深入りしない。最も死に近い層であり、同時に最も自由な層とも言われる。
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