伊集院レイは、伝説の木の下で少女になる   作:エーアイ

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伊集院レイは、秋を確認で埋める

 二学期が始まった。

 

 校舎に戻ってきた生徒たちは、まだ夏休みの名残を引きずっていた。

 

 日焼けした顔。

 少し伸びた髪。

 旅行の土産話。

 終わらなかった宿題の話。

 部活の合宿で疲れたという声。

 久しぶりに会った友人同士の、少し弾んだ笑い声。

 

 きらめき高校は、またいつもの学校に戻っていく。

 

 悠人もその中にいた。

 

 始業式の退屈な挨拶を聞き、教室へ戻り、夏休み明けの確認テストの話に顔をしかめる友人たちを横目に、自分の席へつく。

 

 何も変わっていないように見えた。

 

 けれど、悠人の中では少し違っていた。

 

 夏休みの間に、伊集院レイと何度か会った。

 

 図書館へ行った。

 喫茶店へ行った。

 夏祭りにも行った。

 

 もちろん、伊集院はそのすべてを「確認」だと言い張った。

 

 長期休暇中の行動範囲確認。

 人混みにおける秘密保持対応確認。

 屋台周辺での行動確認。

 知人遭遇時の回避判断。

 

 言葉だけなら、いくらでも並べられる。

 

 けれど、悠人はもう、その言葉を額面通りには受け取っていなかった。

 

 昼休み、廊下が少しざわついた。

 

 視線が集まる。

 

 伊集院レイが歩いていた。

 

 制服姿。

 整った髪。

 隙のない立ち姿。

 女子生徒たちが自然と周りに集まり、少し離れたところで男子たちが面白くなさそうに視線を逸らす。

 

 いつもの伊集院くんだった。

 

 「伊集院様、夏休みはいかがお過ごしでしたか?」

 

 女子の一人が尋ねる。

 

 伊集院は穏やかに微笑んだ。

 

 「特別なことはしていない。必要なことを済ませていただけだ」

 

 その声も、表情も、完璧だった。

 

 夏祭りでラムネの開け方に一瞬迷っていた人と同じとは思えない。

 

 射的で景品を落として、ほんの少し得意げになっていた人とも違う。

 

 花火を見ながら、「確認として有意義だった」と言い張っていた少女とも違う。

 

 けれど、悠人にはもうわかっていた。

 

 あれも伊集院レイだ。

 

 そして、夏祭りの提灯の下にいた彼女も、同じ伊集院レイなのだ。

 

 学校での伊集院レイは、やはり完璧だった。

 

 けれど悠人には、もうそれだけには見えなかった。

 

 九月。

 

 夏の暑さがまだ残る放課後、悠人はまた旧校舎三階の資料室へ向かっていた。

 

 机の中に入っていたカードには、こう書かれていた。

 

 放課後、資料室へ。

 事後確認を行う。

 伊集院レイ

 

 事後確認。

 

 悠人はその言葉を見た時、思わず小さく笑ってしまった。

 

 夏休みの確認は、まだ終わっていなかったらしい。

 

 資料室に入ると、伊集院はすでに待っていた。

 

 「遅い」

 

 「時間通りだ」

 

 「私より後に来た」

 

 「二学期になってもそれなんだな」

 

 「当然だ」

 

 いつものやり取り。

 

 けれど、以前より少しだけ軽かった。

 

 伊集院は机の上に数枚の紙を置いていた。

 

 悠人は近づきながら言う。

 

 「今度は何の確認だ?」

 

 「夏休み中の行動記録に関する事後確認だ」

 

 「……行動記録?」

 

 「君の不用意な行動がなかったか確認する」

 

 「もう夏休み終わっただろ」

 

 「だから事後確認だ」

 

 「便利だな、事後って」

 

 「必要な工程だ」

 

 伊集院は真面目な顔で言った。

 

 紙には、夏休み中に二人で出かけた場所が簡単に記されていた。

 

 駅前。

 市立図書館。

 喫茶店。

 夏祭り会場。

 

 悠人は思わず眉を上げる。

 

 「これ、完全に記録してるんだな」

 

 「確認には記録が必要だ」

 

 「夏祭りの射的も?」

 

 「人混み滞留時の対応事例だ」

 

 「ラムネは?」

 

 「休憩時の飲食物取得における状況確認だ」

 

 「すごいな。何でもそれっぽくなる」

 

 「君が無駄な解釈をするから、正確な表現をしているだけだ」

 

 「正確か?」

 

 「正確だ」

 

 伊集院は迷いなく言った。

 

 だが、悠人にはもうわかっていた。

 

 その言葉は、伊集院が自分を納得させるためのものでもある。

 

 確認。

 

 そう呼べば、夏祭りに行ったことも、射的をしたことも、花火を並んで見たことも、全部説明できる。

 

 説明できる。

 

 ただ、それだけでは収まりきらないものがあることも、たぶん伊集院は気づいている。

 

 「高瀬」

 

 「何だ?」

 

 「余計な顔をするな」

 

 「どんな顔だよ」

 

 「何か言いたそうな顔だ」

 

 「言っていいのか?」

 

 「内容による」

 

 「じゃあやめておく」

 

 「それも不快だ」

 

 このやり取りも、もう何度目かわからない。

 

 悠人は椅子に座った。

 

 伊集院は、夏祭りでの行動を一つずつ確認していった。

 

 人混みでの移動。

 学校生徒を見かけた時の回避。

 会場での距離の取り方。

 帰り道の別れ方。

 

 その中で、手首を取った場面だけは、伊集院はあまり詳しく触れなかった。

 

 「人混みでの誘導判断については、一定の合理性があった」

 

 短く、それだけ言った。

 

 悠人も、そこには踏み込まなかった。

 

 「褒めてる?」

 

 「評価だ」

 

 「はいはい」

 

 「その返事はやめろ」

 

 けれど、その時の伊集院の声が少しだけ柔らかかったことに、悠人は気づいていた。

 

 十月になると、校内は文化祭の準備でざわつき始めた。

 

 教室には段ボールが積まれ、放課後になると廊下のあちこちで生徒たちが作業をしていた。

 

 模造紙。

 ペンキ。

 看板。

 衣装。

 飾りつけ。

 

 校内全体が、少しずつ普段とは違う空気になっていく。

 

 伊集院レイは、当然のように文化祭でも目立っていた。

 

 女子生徒たちは、伊集院に何か役割を頼みたがる。

 男子生徒たちは、それを面白くなさそうに見る。

 教師たちは、伊集院が関われば企画が整うとでも思っているようだった。

 

 廊下で、伊集院はいつものように周囲に囲まれていた。

 

 「伊集院様、当日はこちらにも来ていただけますか?」

 

 「時間が合えば、伺おう」

 

 「ぜひお願いします!」

 

 穏やかに微笑み、余裕を持って答える伊集院。

 

 完璧な伊集院くん。

 

 けれど悠人は、その笑顔の奥に少しだけ疲れを見た気がした。

 

 放課後。

 

 資料室に呼び出された悠人は、伊集院が机の上に校内図を広げているのを見て足を止めた。

 

 「今度は何だ?」

 

 「文化祭期間中の人流確認だ」

 

 「本当に何でも確認になるな」

 

 「文化祭は、不特定多数の視線が発生する」

 

 「つまり確認か」

 

 「そうだ」

 

 「最近、確認の範囲が広がってないか?」

 

 「君が不用意だからだ」

 

 「俺のせいなのか」

 

 「一因ではある」

 

 「ひどいな」

 

 伊集院は校内図の一部を指差した。

 

 「当日は、この廊下が最も混む。君が不用意に私へ近づけば、周囲に余計な印象を与える可能性がある」

 

 「じゃあ近づかなければいいんだな」

 

 「必要があれば近づけ」

 

 「どっちだよ」

 

 「状況に応じて判断しろ」

 

 「難しいな」

 

 「だから確認している」

 

 「相談ではなく?」

 

 「確認だ」

 

 いつもの返答。

 

 だが、伊集院は以前よりも情報を渡すようになっていた。

 

 どこが混むか。

 誰が伊集院を探しているか。

 どの時間帯に人目が多いか。

 

 悠人が秘密を守るために必要な情報を、少しずつ、前もって渡すようになっている。

 

 それは以前の伊集院ならしなかったことだ。

 

 黙っていろ。

 余計なことをするな。

 呼んだら来い。

 

 それだけだった。

 

 今は違う。

 

 命令ではある。

 確認とも言い張る。

 それでも、そこにはわずかに共有があった。

 

 悠人は校内図を見ながら言った。

 

 「伊集院」

 

 「何だ?」

 

 「最近、説明が増えたな」

 

 伊集院の指が止まった。

 

 「必要だからだ」

 

 「そうか」

 

 「君の判断に任せると危うい」

 

 「それもあるだろうけど」

 

 「それ以外はない」

 

 「はいはい」

 

 「その返事はやめろ」

 

 否定は早かった。

 

 けれど、以前ほど強くはない。

 

 悠人はもう、それだけで十分だった。

 

 十一月。

 

 旧校舎の資料室は、少しずつ冷えるようになった。

 

 窓の隙間から入る風が、放課後の空気を冷たくする。

 夏の間は夕方でも明るかったのに、今では日が傾くのも早い。

 

 悠人が資料室へ入ると、伊集院は机の上に二本の缶を置いていた。

 

 温かい缶コーヒーと、温かい紅茶。

 

 湯気こそ出ていないが、触れるとまだ温かい。

 

 悠人はそれを見て、少し驚いた。

 

 「これ、何?」

 

 「見ればわかるだろう」

 

 「飲み物だな」

 

 「寒さによる集中力低下は、確認作業の精度を下げる」

 

 「つまり差し入れ?」

 

 「対策だ」

 

 「はいはい」

 

 「その返事はやめろ」

 

 伊集院は紅茶の缶を手に取った。

 

 悠人は缶コーヒーを受け取る。

 

 温かかった。

 

 それだけのことなのに、妙に不思議な気がした。

 

 伊集院が、自分の分だけでなく悠人の分まで用意している。

 

 しかも、それを優しさとは絶対に言わない。

 

 対策。

 

 確認作業の精度維持。

 

 寒さによる集中力低下の防止。

 

 伊集院なら、いくらでも言葉を並べる。

 

 けれど、悠人にはもう、その言葉の裏が少しわかるようになっていた。

 

 「助かる」

 

 悠人が言うと、伊集院はわずかに視線を逸らした。

 

 「礼は不要だ」

 

 「でも助かる」

 

 「不要だと言った」

 

 「じゃあ言わない」

 

 「……」

 

 「でも、助かる」

 

 「高瀬」

 

 「はい」

 

 「君は時々、わざと私を困らせているな」

 

 「少しだけ」

 

 「退学させるぞ」

 

 「久しぶりに聞いたな、それ」

 

 言った瞬間、伊集院が少しだけ黙った。

 

 以前は、もっと簡単にその言葉を使っていた。

 

 秘密を漏らせば退学。

 余計なことをすれば退学。

 従わなければ退学。

 

 しかし、最近はほとんど言わなくなっていた。

 

 今の言葉も、どこか形だけだった。

 

 伊集院自身も、それに気づいているのだろう。

 

 「……必要があればな」

 

 「退学も確認の一環か?」

 

 「違う」

 

 「よかった」

 

 伊集院は、少しだけ不満そうな顔をした。

 

 その顔は、学校ではまず見せない。

 

 資料室の中でだけ見せる、少しだけ素に近い表情だった。

 

 十一月の終わり。

 

 文化祭も終わり、校内の慌ただしさは少し落ち着いていた。

 

 代わりに、街には冬の気配が出始めていた。

 

 駅前の通りに、クリスマスの飾りが取りつけられている。

 

 まだ点灯はしていない。

 けれど、街路樹には小さなライトが巻かれ、店の窓には赤と緑の飾りが並び始めていた。

 

 その日の「確認」は、駅前で終わった。

 

 文化祭後の人流変化。

 冬休み前の行動範囲。

 帰宅時間帯の混雑。

 

 そんな名目で、伊集院は悠人を駅前まで連れ出していた。

 

 悠人は、もう驚かなかった。

 

 伊集院が「確認」と言えば、だいたい外に出る理由になる。

 

 そして、その言葉の裏に何があるのかも、少しずつわかるようになっていた。

 

 駅前の通りを歩いていると、伊集院が飾りつけに視線を向けた。

 

 ほんの一瞬。

 

 だが、悠人は気づいた。

 

 「もうクリスマスか」

 

 何気なく言う。

 

 伊集院はすぐに前を向いた。

 

 「まだ先だ」

 

 「まあ、そうだけど」

 

 「今から騒ぐ必要はない」

 

 「でも、駅前はすっかり準備してるな」

 

 「商業的な都合だ」

 

 「夢がないな」

 

 「事実だ」

 

 伊集院はそう言った。

 

 けれど、その視線はもう一度だけ、ライトの巻かれた街路樹へ向かった。

 

 悠人は少しだけ笑いそうになった。

 

 「クリスマスも確認するのか?」

 

 伊集院の足が、ほんの少しだけ止まった。

 

 一瞬。

 

 本当に一瞬だった。

 

 それから彼女は、何でもないように答えた。

 

 「……必要があればな」

 

 夏祭りの帰り道と同じ言葉だった。

 

 必要があれば。

 

 否定ではない。

 

 肯定でもない。

 

 でも、可能性を閉じない言葉。

 

 悠人は、駅前の飾りを見た。

 

 まだ光っていないイルミネーション。

 これから冬に向かう街。

 夏祭りの提灯とは違う、冷たい季節の明かり。

 

 「そういうことにしておく」

 

 伊集院がこちらを見た。

 

 「その言い方はやめろ」

 

 「はいはい」

 

 「返事は一回でいい」

 

 「はい」

 

 二人は駅前で別れた。

 

 伊集院はいつものように背を向け、少しだけ柔らかくなった足取りで歩いていく。

 

 秋が終わろうとしていた。

 

 夏祭りの夜から、二学期の始まり、資料室の事後確認、文化祭の人混み、寒くなった旧校舎、温かい缶コーヒー。

 

 そのすべてを、伊集院は確認と言い張った。

 

 けれど悠人には、もうわかっていた。

 

 確認は、ただの言葉ではない。

 

 伊集院が高瀬悠人と会うために、まだ手放せない建前だった。

 

 そして、たぶん。

 

 その建前は、冬になっても続く。

 

 必要があれば。

 

 伊集院レイは、きっとまたそう言うのだろう。

 

 クリスマスの光が灯る頃にも。

 

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