伊集院レイは、伝説の木の下で少女になる   作:エーアイ

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幕間:伊集院レイは、整理できない記録を増やす

 夏休みの終わりが近づいていた。

 

 伊集院レイは、自室の机に向かっていた。

 

 机の上には、数枚の紙が並んでいる。

 

 確認記録。

 夏季期間中の外部行動予定。

 卒業後移行準備資料。

 外部関係整理に関する確認事項。

 

 どれも、整った文字で分類されている。

 

 伊集院家の者として、必要な資料。

 伊集院レイとして、整理すべき記録。

 

 そういうことになっている。

 

 レイはペンを取った。

 

 まずは、夏休み中の確認記録からだった。

 

 結局、この夏休みに高瀬悠人と直接確認を行えたのは、あの花火の日だけだった。

 

 高瀬も三年生だった。

 

 大学見学。

 受験勉強。

 補習。

 模試。

 

 彼には彼の予定がある。

 

 それはわかっている。

 

 そしてレイにも、伊集院家の予定があった。

 

 親族への報告。

 進路に関する打ち合わせ。

 卒業後の渡米準備。

 外部関係整理の資料確認。

 

 こちらも、自由に動ける日ばかりではなかった。

 

 だから、夏休み中の確認回数が少なかったことは合理的に説明できる。

 

 高瀬の予定。

 自分の予定。

 双方の制約。

 

 それだけだ。

 

 それだけのはずだった。

 

 レイは紙に書き始めた。

 

 高校生最後の夏における外部環境確認

 場所:花火大会会場周辺

 条件:遠距離視認

 結果:秘密保持上の問題なし

 

 ここまでは書けた。

 

 文字は乱れていない。

 

 内容も正しい。

 

 人混みの中には入らなかった。

 去年のように祭りの中心を歩いたわけではない。

 学校関係者との接触もなかった。

 秘密保持上の問題は生じなかった。

 

 確認記録としては十分だった。

 

 レイはペン先を止める。

 

 次に書くべき項目は、備考だった。

 

 備考。

 

 そこに、何を書くべきか。

 

 去年の夏祭りとの比較。

 三年生における外部接触リスクの増加。

 会場中心部を避けた判断の妥当性。

 遠距離視認条件における行動安定性。

 

 書こうと思えば、いくらでも書ける。

 

 だが、頭に浮かんだのは別の言葉だった。

 

 高瀬と花火を見られてよかった。

 

 レイは、すぐにペンを止めた。

 

 書けるはずがない。

 

 それは確認記録ではない。

 結果でもない。

 備考でもない。

 

 そもそも、記録すべき内容ではない。

 

 高瀬が言っただけだ。

 

 今年、見られてよかった。

 

 それを、こちらが同じように思ったかどうかは関係ない。

 

 関係ないはずだった。

 

 レイは、代わりに別の文を書いた。

 

 備考:去年実施済みの人混み確認を踏まえ、今年度は遠距離条件を選択。判断は妥当。

 

 整った文だった。

 

 合理的だった。

 

 誰が読んでも問題はない。

 

 だが、書き終えた瞬間、その文章はひどく薄く見えた。

 

 あの夜の花火に比べて。

 高瀬の声に比べて。

 二人で並んで見上げた時間に比べて。

 

 あまりに薄い。

 

 レイは紙を見下ろしたまま、しばらく動かなかった。

 

 机の端には、封筒が置かれている。

 

 卒業後移行準備資料

 外部関係整理に関する確認事項

 

 数日前から、そこにある。

 

 中身はすでに見た。

 

 外部者管理。

 秘密保持対象。

 接触履歴。

 必要措置。

 記憶処理。

 

 冷たい言葉が並んでいた。

 

 高瀬悠人の名前は、まだ明記されていない。

 

 しかし、レイにはわかっている。

 

 その資料が想定している外部者の中に、高瀬が含まれる可能性があることを。

 

 秘密を知っている。

 伊集院家の事情の一端にも触れている。

 卒業後、学校という枠の外へ出る。

 

 条件だけを見れば、分類は容易だった。

 

 高瀬悠人は、外部関係整理の対象になり得る。

 

 そう書ける。

 

 一方で、目の前の確認記録にも、高瀬は出てくる。

 

 同行者。

 確認対象。

 秘密保持者。

 行動確認上の相手。

 

 こちらにも、分類はできる。

 

 だが、どちらにも収まらない。

 

 確認記録の中の高瀬悠人は、ただの対象者ではない。

 

 外部関係整理資料の中の高瀬悠人は、ただのリスクではない。

 

 では何なのか。

 

 レイは答えを出さない。

 

 出せない。

 

 高瀬悠人。

 

 資料室へ来る人。

 水族館で隣にいた人。

 雨の日に傘を返し、糖分補給と言って焼き菓子を渡した人。

 海外から戻った自分に、おかえりと言った人。

 去年の花火を覚えていた人。

 今年、見られてよかったと言った人。

 

 それを、確認対象と呼ぶ。

 

 それを、外部者と呼ぶ。

 

 どちらも間違いではない。

 

 けれど、どちらも足りない。

 

 レイは確認記録を閉じた。

 

 紙の上では、すべて整理できている。

 

 場所。

 条件。

 結果。

 備考。

 

 問題はない。

 

 それなのに、胸の中では何一つ整理できていなかった。

 

 夏休み中、高瀬と確認できたのは、あの花火の日だけだった。

 

 一度だけ。

 

 それだけだ。

 

 それだけのはずなのに、その一度が、記録よりも重い。

 

 レイは机の端の封筒を見た。

 

 そして、確認記録を見た。

 

 二つの紙束の間に、高瀬悠人の名前はない。

 

 まだ、ない。

 

 だが、そこにいる。

 

 どちらにも収まらない形で。

 

 レイはペンを置いた。

 

 「……整理不能な情報は、保留とする」

 

 小さく呟く。

 

 自分でも苦しい言い方だと思った。

 

 けれど、今のレイにはそれ以上の分類ができなかった。

 

 確認記録は増えた。

 

 伊集院家の資料も増えた。

 

 そして、そのどちらにも整理できないものも、また一つ増えた。

 

 高瀬と見た、高校生最後の夏の花火。

 

 それだけは、どの欄にも収まらないまま、レイの中に残っていた。

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